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第一部
名前
しおりを挟むアルテアは廊下を歩いて書斎を目指す。窓からうっすらと差し込む月の光が夜の暗がりを照らしていた。書斎に入り目的の本を手に取って開くと、アルテアの視界は白い光に包まれた。
青空がどこまでも広がっていた。その空の下にはあらゆるものが混在する混沌とした世界に、ぽつねんと豪奢な椅子が置かれている。その上で、不満げにむくれる少女が胡座をかいて座っている。
人間離れした美しさと存在感を放つ少女にとって、その姿すらも唯一無二の絵画のように芸術的だった。
「久しぶり……ってことでいいのか?」
「……ふん」
少女は不満げに鼻を鳴らして顔を背けてしまう。イーヴルとの戦いで彼女の逃げろという助言を無視して戦い続けた挙句に死にかけたのだ。彼女にとってアルテアは貴重な協力者だ。彼女からしてみれば確かにいい気はしないだろう。しかし、こうして彼女の世界に招かれているという事実が、拒否されているわけではないという確信をアルテアに与えていた。
「なあ……少し話したいことがあるんだが」
ゆっくりと椅子の前まで歩いていって、少女と目を合わせようとしてもぷいと顔を逸らしてしまう。このままでは本題に入ることが出来ない。内心でため息をつきつつ、素直な気持ちを話すことにした。
「この前はありがとう」
少女の頬がわずかに動いた。
「ずいぶんと助けられた。お前がいなければ、俺はたぶん死んでた。感謝してる」
そう言って頭を下げると、少女はまんざらもなさそうな顔でアルテアに向き直る。
「ふ、ふん……お主がそこまで言うなら、まあ、許してやらんでもないぞ……?」
にやけそうな顔を必死で押さえつけたような無表情だった。
「だがな、一度だけだ!許すのは一度だけだからな!」
少女が勢いよく立ち上がりビシッとアルテアの顔に指を突きつける。
「ああ、肝に銘じるよ」
「な、なんだ。妙に素直でやりにくいな……」
あまりに素直なアルテアの様子を不審がり、少女がどかりと椅子に腰を落とした。
「まあ、よいか……。それで、ここに来たということは、答えが出たということだな?」
「ああ」
少女の問に、アルテアは神妙に頷く。
「まあ……答えはわかっておる。私と共に来る気はないと──」
「俺はお前と一緒に行くよ」
二人の声が重なる。
「んん?」
少女が首を捻る。
「いま、なんと?」
「お前と行くよ、って言った」
「私と……?お前が……?」
「ああ。お前の記憶探しに行く」
少女が呆然とアルテアを見つめたまま石のように動かなくなった。
「なんでそんなに信じられないって言う顔をしてるんだ?」
わけがわからないとばかりにアルテアが聞く。
「いや……お主はもう居場所を見つけたのだろ?ここに残ると言うとばかり……」
「それで断られると思ってたのか。断ったらどうするつもりだったんだ?」
「……別に。お主をここから追い出してそれで終いだ。
また誰ぞ波長が合うものがくるまでゆるりと待つ」
軽い口調とは裏腹に、アルテアには彼女が寂しそうに見えた。
アルテアはどうすればよいのかわからず、あえて軽口を叩く。
「俺の意思を尊重する気があったなんて意外だな。俺はてっきり断っても無理やり従わせられるのかと思ってたよ」
「私が気を使ってやっとるというのに!お主は私の事をなんだと思っとるんだ!」
「悪い悪い、確かに今のは失言だ。ありがとうな」
アルテアはそう言って、拗ねる少女に微笑みかけた。その顔を見て少女がまたもぽかんと口を開ける。
「お主……そんな顔をするのだな」
「ああ。だから俺は行くんだ。元の世界も、皆がこうやって笑い合える世界にしたい。美しい世界にしたいんだ」
憎しみでも復讐でもない。夢で見た美しい風景の広がる地球。かつて本当にそんな世界だったのかはわからない。
でも、そんな世界にしたい。それがアルテアの見つけた本当の気持ちだった。
「そうか……」
たったそれだけを呟く少女の姿はやはり寂しげに見えた。ひとりだけ置いていかれて、道に迷っている子供のようだった。たったひとり、自分が何者かも判然とせず、何も無い世界で悠久の時を過ごす少女。前世の記憶を持っていたために悩んでいたアルテアとはまるで反対だった。だからこそ少女の胸中が少しだけわかる気がした。
「まあ、そんなわけだから……ついでにお前の記憶も探してやるよ」
アルテアはわざと軽い調子をつくる。少女もそれに合わせていつもの調子に戻った。
「ついで、というのは気に食わんが……契約成立だな」
「ああ。でも条件がひとつ」
「なんだ?」
アルテアの唐突な提案に少女が少しばかり警戒の色を出す。
「旅に出るまで、七年待ってほしい」
「ずいぶんと半端だの。なぜ七年なんだ?」
思いもよらぬ条件に少女は毒気を抜かれつつも当然の疑問を口にした。
「俺はこれまで家族に何かをしてもらうばかりだった。
だからせめて、その分と同じ時間だけは一緒に過ごして何かを返したい」
「律儀なやつだの」
少女が呆れてやれやれと首を振った。
「ま、好きにせい。
七年ぽっち、私にとってはまばたきのようなものだ」
「ありがとな」
椅子に座る彼女の目線を合わせるために少し浮き上がって、アルゼイドがいつもやってくれていたように、少女の頭に手を乗せてガシガシと撫で回した。
「なっ──!?」
アルテアの唐突な行動に不意をつかれた少女は大きく目を向いた。
「なにをしとるんだっ!!?」
「いや、俺の友達はこうすると嬉しそうにするからさ。なんとなく」
「ば、ばかもの!!私をそんなガキと一緒にするでないわっ!!」
少女は狼狽しながら文句を言いつつもアルテアが止めるまでされるがままにしていた。
「不思議なやつだ。こうまで無防備に私と接するのはお主が初めてだ」
唇を尖らせて、拗ねたような、諦めたような様子で少女が言う。アルテアはなおも軽い調子でそれに答える。
「なんとなくだが、お前はそんなに悪いやつじゃないって……そんな確信がある」
「つまり全くの勘というわけか。意外と能天気な男だな」
呆れたように肩をすくめる少女に、アルテアは真面目な顔で言う。
「……なに、勘だけじゃないさ。イーヴルとの戦いで意識を失いかけていた俺に皆の声を聞かせてくれたのは……お前の魔法なんだろ?気を失って空から落ちてる俺に呼びかけてくれたのも、な」
そう問いかけるアルテアに対して少女は何も言わずに「ふん」と鼻を鳴らしただけだったが、アルテアは少女の耳が少しだけ赤くなっているのに気づいてクスッと笑った。
そしてぐっと背伸びをして告げる。
「話もあらかた終わったし、そろそろ帰るか」
アルテアが切り出すと、少女が引き止めることも無かった。やがて目の前の少女の姿が少しずつ薄れていく。
「あっ!」
目の前にいるはずの少女の表情も判別つかなくなるほど景色が薄れた時、アルテアは思い出したかのように声を上げた。
「なんだ……帰る時くらいは静かにせい」
「これから付き合っていこうってなったのに、お前に名前がないと不便だろ?」
「たわけ。私には立派な名前があると前も言ったろうが」
ばしりと少女がアルテアの頭をはたいた。
「叩くことないだろ。というか、それがわからんから不便だと言ってるんだろうが」
「思い出せんもんは仕方ない。どうしようもない」
やれやれと首を振る少女に、
アルテアがとっておきの名案があるといった調子で告げる。
「だからお前に名前をつけようと思う」
「──はあっ!?」
驚く少女をよそにアルテアがひとりで話をすすめていく。
「サヤっていうのはどうだ?」
「……一応、理由を聞いてやろう」
「俺の剣の鞘に取り憑いていたからだ」
「雑だなっ!??!」
イスから転げ落ちそうな勢いで少女がツッコミをいれる。
「不満か。良い名前だと思ったんだがな」
そう言ってアルテアはまた少し考え込んでから、妙案だというふうに手を打った。
「じゃあ、ハクだ」
「……理由は?」
もはや諦めの境地と言わんばかりの声で少女が再び問う。
「お前がやたらに白いからだ。俺の前世では白のことをハクとも読ませる。シロだとペットっぽいしな」
「やっぱり雑だなっ!!」
少女の抗議の声に今度はアルテアが反論する。
「名は体を表すという。逆もまた然りだ。それに、白はどんな色にだってなれる。これから記憶を取り戻して、どんな自分にだってなることができる……お前にはぴったりの名前だろ」
「ぬがっ……ぐううう」
思いのほかしっかりとした由来を言われて、少女は唸るように歯切りした。アルテアの視界はもう少女の輪郭すら捉えられないほど世界が形を失っていた。
「時間だな。今日からお前はハクだ。俺はそう呼ぶ」
そう宣言して、
「じゃあ……またな、ハク」
元気よく手を挙げて、アルテアは世界から姿を消した。
「ハク……か」
ひとり残された少女の噛み締めるような呟きは、その世界にわずかな波紋をつくって広がっていった。
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