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第一章 過去編

【結婚式の6年前~結婚式のリスケ~】

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 どういうこと。
 明日、なんのシキをするの? 
 記者会見? いや、いくらなんでも早すぎでしょ。
 もしかすると婚約式をするとか? いやいや、結納?

 私が理解出来ていないのに、透也君は満面の笑みから一転してキリリとした表情でお付きの人たちに指示を与え始めている。

「マスコミ各社に『止めておいた情報を流していい』と伝えてください」
「招待客の最終確認をお願いします」

 挙句に。

「ウエディングドレスも指輪も最高のものを用意したから、明日楽しみにしてて」

 あのね。

「円佳ちゃんのパスポートもヴィザも用意してあるから心配しないでいいよ」

 それはどうも……ではなくて。

「せっかくのハネムーンなんだから、あちこちの知り合いに円佳ちゃんを自慢しがてら、少なくとも三年くらいは海外を回ってこよう」

 満面の笑みで言われて、慌てて口をはさんだ。

「ちょ、ちょっと待って。なんで、プロポーズした日の翌日が結婚式なの……。しかもハネムーンが年単位とか、おかしいでしょ?」

 私の困惑を置き去りに、きょとんとした顔をされてしまった。

「昔から『十八になったら結婚するからね』て、言っておいたよね」

 そんな子供のタワゴト失敬、単なる時候の挨拶くらいに捉えていたから、信じてなかったよ。

 だけど嬉しい。
 大好きな人から求婚された、この瞬間の私は幸せランキング世界一位だった。
 でもね。

「ごめん。明日の結婚式は無理」
「……理由を聞いても?」

 低い声で訊ねてきた彼に、私はあっさりと言い切った。

「だって明日から実習なんだもの。しかも泊まり込みで二週間」

 私は、母や透也君のお母様が育った乳児院の養護教諭になりたい。
 その教育実習が明日から始まるのだ。

 乳児院は零歳児から大体六歳児までを預っており、職員が共に寝起きしている。
 法的には、宿直って研修では認められていないのかもしれないけれど、『厳しさを理解したうえで志望してほしい』という院長からの、たっての希望なんだそう。

 実習の日程をずらしてもらえるかわからないし、変更を学生のほうから申し出るのって心証が悪くなる気がする。
 いくら院長が親戚同然だからって、甘えはよくない。

「実習しないと単位もらえないし、試験も受けられない。狭き門だから、最初から一年を棒に振りたくない」

 第一、結婚する予定があるのなら最初から指導教官に言っておくべきだ。
 申し訳ないけれど、サプライズが過ぎるとスケジュールがぐちゃぐちゃになる。

「……わかった。二週間後にリスケジュールする」

 言葉をようやく絞り出した透也君に私はあっさりと断った。

「無理。その後ゼミに実習のレポート提出が待ってるし、卒論もまとめちゃわないとだから」

「…………いつが提出の目処?」
「十月には。その後、教授会での審議が始まるし終わった十二月には今度は養護施設の実習。三月までレポートに追われる」

「じゃあ」
「レポート終わり次第、インターンに入ることになってる」

 説明し終わると、透也君がサラサラと砂になって崩れていくようだった。
 ドラキュラが陽を浴びて灰になっていくのって、こんな感じだったのかな……。
 
「ようやく円佳ちゃんと結婚できるって、はりきって準備してたのに」

 なんとか意識を取り戻した透也君は、怜悧な財閥の後継者ではなく普通の少年みたいだった。
 私を恨めしそうに見て、呟く。

 くだけた透也君を初めて見るのだろう、ボディーガードの人たちがぎょっとしているのがサングラス越しでもわかる。
 私だけの透也君が他の人にバレちゃうのもったいないな。
 でも、可愛いと思ってもらえるほうが、透也君を助けてくれる人はもっと増える。

「そんなこと言われましても」

 車と船は急には止まれないというか、なんというか。

「なんで、私の予定を調べておかなかったの?」

 用意周到な透也君としては、珍しい大失敗だ。

「だってさあ……」

 むう、と拗ねてしまった。

 か、かわいい。
 貴公子が台無しだよ。
 私ったら無意識に、ニヨニヨしてしまったんだろう。
 ますますふくれっつらをするから、透也君のほっぺをつついちゃった。
 手を捕まえられて、手のひらを舐められる。
 あん。

「……流されないからっ!」

 透也君は次の四月から大学に進学予定だし、私だって学業なかば。
 二人とも、親のすねかじりである。

 彼がとんでもないお金持ちの息子なのはわかっているけど、お小遣いの出所はご両親だろう。
 バイトしていて、奨学金をもらっている私も衣食住を母に頼っている。

「他のカップルが学生結婚してもなんとも思わないけれど、私は自分が結婚するなら就職してからと決めてるの。私が就職してて、相手が学生なのはともかく。自分が学生のうちは、相手も学生だったら却下」

 自論を展開すると、透也君のバーチャル耳と尻尾が面白いほどに垂れてしまった。
 
「……卒業したら、色々なグループ企業を任せられるし。学生時代っていう猶予期間を楽しんでおこうと思っただけなのに。こんなことなら、入学して一年位で卒業しておけばよかった」

 ボソっと聞こえてきた。
 ん? 

「ちょっと待って。透也君の通ってたコースって、セレブ子女御用達海外難関大学一直線コースじゃなかった?」
 
「そうだけど。中等部の頃には、大学に進むか総帥補佐として働くかどうするかって話は出ていたよ?」

 ……透也君、スキップ出来るほど頭が良かったのか。
 私は一番偏差値の低いコースをなんとか卒業したんだぞ。

「……エッチだって、円佳ちゃんとキスした日にホテルを予約してたのに」
「いや、いくらなんでもそれは」

 小さく呟いた彼の言葉に、脊髄反射レベルで異を唱えた。

 思い出した。
 相思相愛であったとしても、十二と十五でイタしてしまうのは、いかがかと思った私は透也君のお父さまとお母さまに救難信号を送ったのだ。

「父上からは『体を与える相手が十八歳以下だと気にするだろうな』と釘をさされた」

 ナイスアシストです。
 お義父さま、その通りです! 私だって、R18は遵守したい所存。

「母上からも『愛を捧げるだけならともかく、愛を乞うには経験不足』とお叱り戴くし」

「……透也君のこと、大好きだけど……」

 私がこっそりと呟いたら、透也君はちろりんと流し目で睨んできた。
 ううう、色っぽいよお。

「嘉島財閥の現総帥と社交界のリーダーの言葉は、流石の僕でもないがしろにはできない。円佳ちゃんを啼かせたいけれど、泣かせるのは本意じゃない。断腸の思いで父上達に譲ったんだ」

 なんか聞き捨てならない言葉があったけど、必殺スルー。

 忌々しげに舌打ちをする透也君を尻目に私は心の中で拍手喝采していた。
 でも私のことを考えて、透也君は我慢してくれていたんだ……。
 はじめて胸のうちを聞かされて、心がふわっと温かくなったのは内緒だ。

 
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