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彷徨う甲冑.4
しおりを挟む突然聞こえた大きな音に、ティナが「うーん」と目を擦り上体を起こそうとしたところで、いきなりシーツを剥ぎ取られてしまった。
何事かと、宙を舞うシーツを目で追えば、見えたのは広い肩と黒い髪、そして必死でシーツを手繰り寄せる逞しい腕。
意味が分からずニ、三度瞬きするうちに、シーツを腰に巻きつけるリアムの姿がはっきり見えた。
剥き出しの肩に数秒思考が止まったのち。
「きゃー!……むぐっ」
悲鳴を上げたところで、リアムが飛び跳ねるようにティナに向かってきて口を抑えられた。
そのまま勢い余ったリアムにベッドに押し倒され、見上げた先には見慣れない天井と、必死なくせに泣きそうなリアムの顔がある。
「む、むぐっ、ぐぐっ」
「ティナ、すまない。ごめん。叫ばないで。こんな格好で全く、まったく信用できないだろうけれど、お願いだから今叫ばれて人が来るとまずい」
「むぐぐ」
必死に謝る癖に手をどかさないリアム。でも痛くはない。
ティナは眉間に皺を寄せ、納得できないと言いたげな目を向けると、それでもコクリと頷いた。
リアムはそれにホッとしたかのように息を吐き、次いで自分がどんな体勢でいるかやっと自覚して、慌ててベッドから飛び降りた。
シーツをしっかりと巻きつけたまま床で正座する。
ティナは、指に光らせていた魔法を収めつつ、ジトッとリアムを見、次に視線を部屋へと走らせた。
(扉も窓も鍵がかかっている……どうしてここにリアム様がいるの?)
不審者がいれば知らせるように天使像に頼んだし、甲冑だって見張ってくれていたはず。
寝起きの頭をフル回転させ、さらに黒猫がいないことにも気がついた。
(えーと、どうして黒猫さんがいなくてリアム様がいるの? 出入りした形跡はないのに………ってことは)
ティナはハッと目を見開く。
自分はもしかしてとんでもない勘違いをしていたのではないだろうか。
黒猫からもリアムからも感じていた悪意のない呪い。あれはてっきり天使像のものだと思っていたけれど。まさか。
そろそろとベッドから足を下ろし、しょぼんと肩を落とすリアムに、四つん這いで近づき下から顔を覗き見る。紫色の瞳に長いまつ毛が影を落とし、こんな時なのに彫刻のように綺麗だと思った。
「……もしかして、ですが。黒猫に変わる呪いをかけられていませんか?」
「……ああ、そうだ。すまない、黙っていて」
声がくぐもっていて聞き取りにくいのは、リアムが項垂れているだけではない。恥じ入るように小さく、小さく答えガシガシと頭を掻いたあとで、言葉を選ぶようにポツリポツリと呪いについて話し始めた。
リアムが十二歳の時、両親と避暑地にでかけた、その帰り。
避暑地から王都までの間には、そこそこの高さの山が幾つかあった。田舎ゆえ、整備されていない道も多く、運悪く急な下り坂で雨が降ってきた。小さな雨粒から始まるような雨ではなく、突然ボツボツと馬車の屋根に大粒の雨があたり、次の瞬間には豪雨となった。前も充分に見ることができない上に、細い下り坂ゆえ馬車を止める場所もない。
御者は仕方なく慎重に馬を走らせたが、ピカリと光った稲妻と近くに響いた落雷に馬が驚き道を踏み外した。あっという間に崖下に転がり落ちる馬車。リアムは身体が宙に浮く感覚と、悲鳴を上げながらも自分をしっかりと抱きしめる母親と父親の腕の力を感じながら、意識を失った。
次に目覚めた時、リアムは知らない場所にいた。小さな村の小さな教会。その一室、身体を起き上がらせようにもピクリともせず。かろうじて少し動く首を回せば、壁にかけられた鏡には包帯だらけの自分の姿が映っていた。
真っ黒なベールを被った修道女から、若い女性がリアムを連れて来たと教えてもらった。言われてみれば、微かにだが記憶がある。きれいな女性だった。
それから、修道女は凄く、凄く言いにくそうに、リアムは夜になると黒猫に姿が変わると言った。
「どういう理由か分からない。ただ、あの事故で助かったのが俺一人だけだったから、命と引き換えに呪いを受けたんじゃないかと、いかにも修道女らしいことを言われた。例え黒猫になったとしても神が助けた命なのだから無駄にせずしっかり生きて、だとさ」
重くなった部屋の空気を誤魔化すように、リアムは最後自嘲気味に笑ったが、もちろんそんなことで雰囲気が変わる筈はない。
「もしかして、以前、人にかかった呪いを解けるかと聞いてこられたのは、ご自分の呪いのことだったのですか」
「そうだ。今までも何人かの魔法使いに解呪を頼んだが、特殊な呪いらしく解けないと言われてしまった。ティナなら解けるかと思ったんだが」
そうだったのかと頷きながら呪いについて考える。
(特殊というのは命を助けるために掛けた呪いだからかしら)
だとすれば、下手に解呪しようとすれば寿命を縮める、もしくは死に直結するかも知れない。とてもではないけれど、手に負える物ではない。
「でも、昨日の手紙によると近々ベンジャミン氏と会えそうだ。その時にでも聞いてみるよ」
「うっ、そのことですが……」
努めて明るい声を出したリアムに対し、今度はティナが気まずそうに下を向いた。
「何か問題でも」
「あ、あの。実は師匠は今諸事情で魔法が使えないのです。いえ、もちろんずっとではありません。そのうち、近々元に戻るはずですが、会ってすぐに解呪するのは無理だと思います」
「そうか……」
がくり、と肩を落とすリアムにティナが「申し訳ありません」と深く頭を下げる。
「ティナが謝ることじゃないだろう? 気にするな。なに、この体質にも慣れている、今更多少待とうが構わない」
そんなはずないのに、とティナが眉をハの字にする。同時に今までのことを思い出し、さらに頭を深く下げた。
「私、そんな呪いなんて知らずに、安心するなんて呑気なことを言ってごめんなさい。魔女の癖に何にも気づかず、リアム様の苦しみも考えず、恥ずかしいです」
視界が滲んでくる。リアムの背負っていたものの大きさを知り胸が痛むのと、自分の至らなさが悔しいのと、感情がごちゃごちゃぐるぐると胸を駆け巡る。
膝の上に置いた手が小さく震える。そんなティナの手に、節ばった大きな手が重なった。
「それこそ謝らなくていい。俺は……嬉しかったんだ。この忌々しい呪いを落ち着くと言い、嬉しそうに頬を緩ますティナを見て、存在を認められた気分になった。呪いは仕方ないと受け入れているけれど、どこかずっと後ろめたく、呪われた身を疎ましく思っていた。そんな俺の呪いを受け入れてくれて……なんだか救われた気分になったんだ」
「そんな、救われたなんて。私、何もしていません!」
「しているよ。あの日から、俺は黒猫になるのが嫌じゃなくなった」
ハハと笑うリアムを見つめていたティナが、何かを思い出したかのようにはっと口を開ける。
どんどん赤くなる頬に手を当て慌て始めた。
「わ、私。リアム様を抱っこしました」
「あぁ、うん。それについては俺もすまない」
「お風呂も一緒に入ろうとしましたし」
「未遂で済んでお互い何よりだ」
「昨日なんて寝顔が可愛くてキスしちゃいました!」
「それぐらい気にする……えっ、キス?」
真っ赤な顔を手で覆い、身をよじるティナ。
何のことだと切れ長の瞳をパチパチして、意味を理解したリアムは片手で口元を覆う。記憶がないのが心底悔しそうだ。
それを、天使像と甲冑が冷めた目で見ていたが、もちろん二人とも気づくことはなかった。
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