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彷徨う甲冑.9
しおりを挟む「こちらが件のドレスです」
「あぁ、これはガッツリ殻を被っていますね」
素早く魔法陣を描きながらティナか呟く。ドレスはハンガーにかけられ、カーテンレールに吊るされている。何年も磨かれず碌に外の様子も見えない硝子から差し込む光は弱いけれど、ドレスが破れていて、黄ばみシミだらけのひどい状態なのは分かった。
「大体のことは分かりましたが、解呪は夜になります。それまでに他の品に呪いがかかっていないかを確認しましょうか?」
「お願いします。この部屋と隣二つの部屋に纏めて置いてあります。ご自由にご覧になってください」
「かなり数がありますね。呪われていたら報告なしに解呪していいですか?」
「そうして貰えると助かります」
恭しく下げた頭を見て、どれだけの時間がかかりそうかと計算する。
「それでしたら、夕飯はここに運んで貰えますか? 摘める簡単なものでお願いします。呪いの中には恐ろしいものもありますから、執事さんは本邸にお帰りください」
「お気遣いありがとうございます。何かあればいつでも本邸に来てください」
このまま夜までここにいて、ドレスと甲冑を解呪し、朝になってから本邸に行く、そうすれば猫姿のリアムを見られることもない。
(今夜は徹夜かな)
本邸に泊まるよりは、そっちの方が良いと思う。
「では私はこの部屋の品から見ていきますがどうしますか?」
「俺は甲冑を運んでこよう。伯爵家の中を歩かせるわけにはいかないから馬車を別邸に横づけすればよいだろう」
ベンジャミンは、といえばソファの埃をパンパンと掃うとそこに腰掛ける。弟子の仕事っぷりを監視するのかと思えば天使像と楽しそうに話し始めた。
(今の師匠に魔法は使えないし)
手伝ってもらえないのは承知の上。
ではやりますか、とティナは手近な品から手に取り始めた。
最後の部屋に西日が差し込んだ頃、リアムがティナのもとを訪れた。それまでベンジャミンの相手をしていたせいか、ティナの顔を見てほっと頬を緩ませる。
「師匠と何の話をしていたのですか?」
「猫の呪いについてだ。どんな状況で呪いが掛けられたか、とか今までも解呪しようとしたことはあるけれど出来なかったとか。あとは世間話だな」
答えながら腕を後ろで組み、室内をカツカツと歩く。城の倉庫とよく似た遺品ばかりで、珍しくもないのだろう、さっと目を流しているだけだ。
そんな中、興味なさげにしていたリアムの視線が一箇所でピタリと止まった。目を眇めながら見るのは壁に掛けられた古びた肖像画。額縁に手を当て少し持ち上げ外すと、その場所だけ色が違う。
「これは侯爵家のものではなく、もとからここにあった絵か」
絵を見るリアムの眉間に皺が寄る。
描かれているのは三歳ほどのふわふわの赤い髪の女の子と、赤ん坊を抱いている女性、その後ろに父親らしき人物もいる。
リアムは振り返ってティナを見ると、足早に近づき腕を掴んだ。
振り返ったティナの顔を見て、一瞬視線を逸らし、しかしすぐに合わせて静かに聞く。
「……ティナはこの家で生まれたのか?」
ティナは眉を下げ、困ったような今にも泣きそうな顔でへへっと笑った。
「見つかっちゃいましたか。絵、外しとけば良かったです。師匠がずっと話し相手になってくれていたから油断しちゃいました」
視線をリアムから晒し上を向く。天井は既に薄暗く、どよんと濁った空気が溜まっているような気がした。
「他人のリアム様だって、肖像画を見てそれが私だって気がついたのに、彼等は私が分からなかった」
ふわふわの赤い髪に碧色の丸い瞳。童顔ゆえか、目元や口元は昔の面影をしっかりと残し育っている。
「魔力暴走を起こす私は、物心ついた時にはこの別邸で侍女達と暮らしていました。寂しかったけれど、それは仕方ないと思っています。子供だったから、感情が高ぶるたびに邸中の家具が飛び交い、時には水や炎だって出したそうです」
だから両親は別邸を建て、そこに幼い娘を住まわせた。別邸には魔力封じの護符も貼るという念の入れようだ。
「護符を貼って魔力を封じたので、突然水を出現させ床をびしょびしょにしたり、家具が突如燃え出すことはなくなりましたが、物が飛び交ったりガラスが割れるのは日常茶飯事でした。私が生まれた時、家族は魔力の強さを喜んだらしいのですが、どうやら許容範囲を超えていたらしく。それでとうとう私を持て余した両親は、五歳の時に師匠に預けたのです」
別邸に住んでいたことも、師匠に預けられたこともティナは仕方ないと受け止めている。自分の魔力暴走がどれほどのものだったか分かっているし、幼い弟を無意識にでも傷つけたくなかった。だから、それはいいのだ。
「それは仕方ないことじゃない。もっと向き合うことも他の方法もあったはずだ。それに今のティナは魔力暴走なんかしないじゃないか」
「私も、子供の時は魔力がコントロールできるようになれば一緒に暮らせると思っていました」
そこで言葉を区切り、ティナは窓に手をかける。肖像画をそのまま大きくした顔が、くすんだ鏡に朧に映っている。
「私、捨てられたんです」
ポツリと外の闇に向かって呟いた。
「……にゃー」
「あら、猫になっちゃいましたか」
涙を溜めた目でくすりと笑い、ティナは指先を回して部屋に置かれたランプの炎を大きくする。
黒いもふもふに手を伸ばし、何か言いたげな紫色の瞳を見つめながら頭を撫でた。すると、珍しく黒猫からティナにすり寄ってくる。慰めようとするかのように。
そのまま部屋の隅にあるベッドに向かい腰掛けると、座った拍子に埃が舞い上がる。あらあら、と言いながらティナはそれを空中で一つに纏め、部屋の隅に押しやった。
「本邸には私の絵はありませんでした。この邸は長年手入れされず人が訪れた形跡がありません。彼らは残された肖像画を見て、手放した娘を思い出すことすらしなかったようです」
だから、自分の娘が目の前にいるのに気づきもしなかった。
ティナはそのままポスンと仰向けに寝転ぶ。黒猫は少し戸惑いながらも、隣に身体を寄せた。
「リアム様、私小さい時このベッドで寝ていたんですよ。でも、小さすぎてあまり覚えてないんです。お父様とお母様のことも、生まれたばかりの弟のこともぼんやりとしか。だから……」
だから、平気だと言いたいのに言葉が出ない。代わりに涙が一筋目尻から溢れた。
黒猫は顔を上げると、そっと涙を舌で拭い取った。
「くすぐったいです」
力無く笑うそばからまた溢れ、黒猫の舌が目の淵をなぞる。そのまま頬や鼻先を舐めてくるものだから、ティナはくすぐったくてクスクス笑いながら寝返りを打ち、黒猫と目線を合わせた。
「……少しだけ、本当の猫になってください」
手を伸ばし、ぎゅっと胸に抱いた。身体を丸め、黒猫のビロードのようなもふもふの毛に鼻を押しつけ息を吸い込めば、微かに香水の香りがする。
黒猫は動かない。ティナが言葉を話せる魔法を使わない理由を分かっているかのように、ただ優しく身体をすり寄せていた。
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