いつも病弱の従妹を優先する婚約者なんて、必要かしら?

琴乃葉

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いつも病弱の従妹を優先する婚約者なんて、必要かしら?

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「オフィーリアすまない、アゼリアの体調がすぐれないんだ。今日のデートは中止にしてくれ。これはお詫びの品だ」
 
 そう言って、私の婚約者であるディオ・ファーナンド伯爵令息は、王都で流行っているプディングを差し出してきた。頭を下げた時に銀色の髪がサラリと風に揺れ、次いであげた顔は、申し訳無さそうに眉を寄せている。でも、コバルトブルーの瞳は早くここを立ち去りたいと語っていた。

「ありがとうございます」
「この埋め合わせは、今度するから」

 ディオ様は言葉の途中で私に背を向け、馬車の扉を開けた。そんなに早く帰りたいのかと、呆れる気持ちで背中を見ていると、馬車の中に置かれた箱が目に止まる。私に渡したものより大きな、でも同じロゴが書かれた箱。

「さような……」
 バタン

 私の声なんて耳に入っていないようね。いつものこととはいえ、ため息が出てしまう。
 心配したのか、侍女のサーラが眉を下げながら小走りでやってくる。

「いくら従妹が心配だといえ、もう何度目になりますか。病弱なアゼリア様を心配されるのはご立派だと思いますが、これはあまりに酷すぎます」

 肩を怒らせ私の代わりに怒ってくれるサーラに苦笑いしながら、気にしていないと見えるよう首を振った。

「王都で流行りのプディングよ。わざわざ謝罪の品を持って来たのだから許してあげましょう」
「だからなおさら怒っているのです。だってオフィーリア様は……」
「いいから。これは皆で食べて」

 半ば強引に押し付けた箱を、忌々しそうにサーラは受け取る。あらあら、食べ物に罪はないのだから美味しく食べてね。

 ムッと口を尖らせ箱を睨むサーラに休憩するよう告げて、私は一人部屋に戻った。
 
※※

 ディオ様と婚約をしたのは十歳の時。この国では、お互いの相性をある程度確認した上で婚約を決めるので、十歳ぐらいで婚約する人が多い。もちろんそこに政治的、貴族的な思惑があってのことだけれど、子供同士の相性も尊重するのだ。

 だから、私とディオ様は昔は仲が良かった。

 あれは、三年前。私達は十五歳で学園に入る年だった。
 いつものようにファーナンド邸へ遊びに行くと、一人の少女を紹介された。
 透けるように色が白く、きらきらしたブロンドの髪が蜂蜜みたいで、紫色の大きな瞳に対し身体はキュと小さい。まるで繊細に作られたお人形のような少女だった。
 対して私は平凡な栗色のふわふわした髪に、茶色い瞳。背だって同学年の女の子より大きく、少し眦が上がっているせいか気が強そうに見える。

 傍にいたディオ様の父親と目元が似た女性が私に微笑かけてきた。

「あなたがディオの婚約者のオフィーリアさんね。私は叔母、ディオの父親の妹よ。隣国に嫁いだのだけれど夫を病で亡くし、今日からここで暮らすことになったの。こちらは娘のアゼリア。身体が弱く寝込みがちだけれど、仲良くしてあげてね」
「はい、分かりました。宜しくね、アゼリアさん」
「こちらこそ。オフィーリアさん」

 同い年のアゼリアの笑った顔はまるで天使のようだった。女の私でも思わず見惚れてしまったのだもの。私の隣でディオ様が頬を染め口を半開きにしていたとしても、それは仕方ない。

 それから私達は、アゼリアの体調が良い時は三人で遊んだ。
 でも、学園に通うようになってからは忙しく、ファーナンド伯爵邸に行く回数も減り、病弱でほとんど学園に来れないアゼリアと会う回数はぐっと減ってしまったけれど。
 当然ながら同じ屋根の下で暮らすディオ様は毎日顔を合わせていて、彼の口からアゼリアの名前を聞く度に、私の胸に嫌な予感が走るようになった。

 その予感が正しかったことはすぐに分かった。だって、まるでそうなるのが当たり前のようにディオ様は私より、アゼリアを優先するようになったから。一緒に買い物に行こうと約束しても、観劇に誘っても、アゼリアの体調が崩れれば約束は反故にされ、私はどんどん蔑ろにされていった。

 
※※

「ごめんオフィーリア。アゼリアの体調が悪くなったので今日はこれで帰るよ。すまないがこの埋め合わせ……」

 もう何度目になるか分からないお決まりのセリフに私は眉根を寄せる。

「埋め合わせはいつするの? 今日は私の十八歳の誕生日なのよ。今日という日は二度とない、それなのにあなたはアゼリアのもとへ行くの?」

 流行りの観劇に誘われ、先月新調したばかりの若草色のドレスの端をぎゅっと握りしめる。初夏にピッタリだと浮かれながら選んだ自分を道化のように感じ、さらに怒りが増した。

「朝から気分が悪いって寝込んでいるんだよ。放っておけないだろう?」
「私は放っておくのに?」

 今まで我慢した物がこみ上げてきて感情が抑えられない。アゼリアが身体が弱いことは知っているから言わないでいたけれど、本当はずっとずっと嫌だった。
 それなのに。

「まさかオフィーリアの心がそんなに狭いなんてがっかりだよ」
「なっ!」
「相手は病気だよ? 誕生日なんていつでも祝えるじゃないか。それに薔薇とプレゼント、あとお菓子も持って来たんだ」

 はいはい、とまるで流れ作業のようにそれらを押し付けると、ディオ様は私を蔑むように見下ろした。

「アゼリアはオフィーリアを気遣っているよ。自分にだけ菓子を渡すのではなく、オフィーリアにも持って行ってといつも頼んでくる。だから今日だって持ってきたんだ」
「じゃ、今までのも全てアゼリアが……」
「そうだよ。そんな優しい気持ちを、君にも見習って貰いたいものだよ」

 冷たい言葉を浴びせられ、私はまるで息ができないかのように口をパクパクさせるしかなかった。その口調だけでもショックなのに、追い討ちを掛けるように知った事実に頭も心も追いつかない。
 ディオ様からのせめてもの贖罪だと受け取っていた品は、アゼリアに言われたから持ってきたものだった。
 だからか、とそれだけは納得し、ディオ様が立ち去ってからも私はその場を動けないでいた。
 


 次の日、私の部屋から医者が出ていくと、サーラは心配そうに私の額の汗を拭ってくれた。

「大丈夫ですか?」
「ええ、随分気分も良くなったわ。駄目ね、やけになって食べちゃ」
「私こそ、お止めすれば良かったのに。あまりの態度に腹が立ち一緒にやけ食いをしてしまいました。申し訳ありません」

 がっくりと肩を落とすサーラの腕に優しく触れる。今にも泣きそうな顔を見上げながら、本当はまだ苦しい息を悟られないように気をつける。

「なんだ? 倒れたって聞いたから駆けつけて来てやったのに、ただの食い過ぎだったのか」
 
 突然の言葉に扉を見れば、ディオ様と彼を案内してきたのであろう執事の姿が見えた。どうやらお医者様が部屋の扉を開けた時そこにいたようで、私達の話を聞いていたらしい。苛立った顔でこちらに向かってくるディオ様の肩越しに、申し訳なさそうに頭を下げる執事が見えた。

「腹を壊すほど食べるなんて恥ずかしいぞ」
「ディオ様、それはあんまりです」

 たまらず私より先に口を開いたサーラを制し、私はベッドの上から彼を見上げる。


「俺の気を引くための仮病かと思ったが、食い過ぎか。まったく、アゼリアは身体が弱く碌に食事も摂れないというのに」

 私のお見舞いに来たはずのに、アゼリアの名を口にするディオ様に心の中がすっと冷たくなった。小さく手が震えるのを抑えつつ、これだけは聞かなければと息を整える。

「ディオ様がいつも私に持ってきてくれたお菓子ですが、選んだのはどなたですか?」
「あぁ、あれか。アゼリアはあまり外を出歩けないが、侍女達から流行の菓子の話を聞いて時折食べてみたいと口にすることがある。だから俺がそれを買ってきて手渡しているんだ」

 あぁ、この人は何も覚えていないのね。
 昔は澄んだ海の色のように見えたコバルトブルーの瞳が、濁って見えた。彼って、こんな顔をしていたかしら。まるで初対面のように思えてしまう。

「今朝、アゼリアが咳をしていたので心配だから俺は帰る。つまらないことで俺を呼ぶな」

 ディオ様の言葉にサーラと執事がグッと言葉を呑むのが見えた。多分、彼女達が私を心配してディオ様を呼んだのでしょう。もちろん責める気持ちはない、だって呼んで当然だと思うもの。

 立ち去る後ろ姿を見ながら、なんだか目の前の靄がスッキリと晴れたような気がした。そうか、私は今まで「初恋」のレンズを通して彼を見ていたのね。優しかった思い出にいつまでもしがみついていないで、現実を受け入れる時が来たのかも知れない。


▲▲▲▲

「アゼリア大丈夫かい?」

 青白い顔で俺を見上げ、不安そうに瞳を潤ませるアゼリアの頬に手を当てる。

「ええ、もう学園に行かなきゃいけない時間なのでしょう?」
「ああ、授業が終わればすぐに帰ってくるよ」

 俺は冷たいアゼリアの手に触れそう約束すると部屋を出た。出たところでエルナ叔母に出会う。

「エルナ叔母様、行ってきます」
「ええ、流行りのチョコレートが届いたの。帰ってきたらアゼリアと一緒に食べてくれるかしら」
「はい、頂きます」

 「行ってらっしゃい」と儚げに笑うところが、アゼリアに似ている。父が領地に戻りタウンハウスにいるのは俺とエルナ叔母様とアゼリアの三人。頼りなげな二人だから、俺がしっかりしなければと気が引き締る。

 父も言っていたが、守るものがあるのは良いことだと実感する。自分が強くなったように感じ、彼女達に優しくする度に感謝される度に男としての自信を得ることができた。アゼリアと一緒にいると心が満たされる。俺がいないと生きていけないんじゃないかと考えると、絶対守ってやらなければいけないと思う。

 それに反比例し、俺の心はオフィーリアから離れていった。彼女はとてもしっかりしている。自分の考えを持っていて頭が良く機転も利き、なんでもそつなくこなしてしまう。彼女といると俺は必要ないのではと感じるし、正直劣等感を抱いている。

 かといってオフィーリアと別れてアゼリアと結婚するつもりはさらさらない。優秀なオフィーリアはファーナンド伯爵夫人に相応しいし、凛とし透明感のある美しさは他の令嬢にはないものだ。劣等感を感じながらも俺はオフィーリアを愛している。だから、従妹のアゼリアとは仲良くしてもらいたいのに。
 と、そこまで考えて思い至った。

 そうか、オフィーリアは嫉妬していたのだと。

 そう思ったとたん、胸にこみ上げてきた優越感に口元が緩む。

「ふん、そんなことか」

 今まで、どこか近寄りがたいところがあったオフィーリアが、俺の言動で感情を乱されていたのだと思うと、なんだか気分が良い。劣等感がなくなり自尊心が高まる。

 だから、オフィーリアの見舞いに行ってから、俺はますます彼女と距離をとるようになった。
 アゼリアの体調が良い時でさえデートやお茶会を当日キャンセルした。その度に残念そうなオフィーリアを見る度に、俺は愛されているんだと自信がもてた。

 そんな日々が数か月過ぎた頃、領地の父親から頻繁に手紙が届くようになった。
 どうやら俺の言動がオフィーリアの父であるダンバー子爵の耳にも入り、父の知るところとなったらしい。手紙には婚約者であるオフィーリアを大切にするよう書かれていたが、俺はそれをぐしゃりと丸めゴミ箱に投げ入れた。

 別にオフィーリアと結婚しないと言っているわけではない。ダンバー子爵家の領地は小麦の大量生産地で爵位以上に財力がある。対して、我がファーナンド伯爵家は鉱山の採掘量が年々減ってきて財政的には厳しい状態だ。新規事業に乗り出すにはダンバー子爵の財力がどうしても必要なのだ。

 しかし、その手紙が、ある日ピタリとなくなった。

  最後の手紙はやたら分厚く、不思議に思い開けてざっと目を通したところ、付箋が二ヶ所・・・貼ってありサインをしろと書かれていた。
 ちょうどアゼリアの熱が下がらず、エルナ叔母様と看病しているときだった。叔母様はこっちのことは心配しなくていいので書類にはしっかりと目を通した方がよいと言ってくれたけれど、構わないとサインをした。どうせ大したことではない。


 分厚い手紙が届いてから一ヶ月。あれ以降父親からの手紙はおろか、オフィーリアから手紙も誘いもぴたりと止まった。もっともこのひと月、卒業を控え試験で忙しかったので、それはオフィーリアも同じだろうと気にはしなかったのだが。

 そして試験も無事終え、三年間の学園生活も卒業パーティを残すだけとなった。

 
※※

 卒業式の一週間前、私は届いたドレスを見て意味が分からず、慌ててサーラを呼んだ。

「ねぇ、サーラ。ディオ様からドレスが届いたの。しかも彼の瞳と同じコバルトブルーのドレス」
「本当ですね。いったいどうしたのかしら。ファーナンド伯爵令息様と、最近お会いになられましたか?」
「いいえ、あれからまったく。だって、私試験に加えいろいろと忙しかったし」
「そうですよね。オフィーリア様にそんな無駄な時間はありませんでしたよね」

 不思議そうに首を傾げるサーラも思い当たる節がないらしい。
 一体どうしたというのでしょう。
 腑に落ちない物はあるものの、問いただす気になんてさらさらなれなくて私はそれをクローゼットの奥に押しやった。

 そして卒業パーティ当日。

 国によっては婚約者が家まで迎えに来ることもあるらしいけれど、この国の卒業パーティは友人達と一緒に最後の学園イベントを楽しむことに重きを置く。婚約者がいない人もいるし、いたとしても婚約者ならこの先いつでも会える。それより、領地に戻り会えなくなる友人と一緒に参加するのが一般的だ。

 私も仲の良い友人と一緒に、思い出話に花を咲かせていた。
 ふと視界に映ったのは、アゼリアと一緒に会場に入ってきたディオ様。向こうもこちらに気が付いたようで私のもとへとやってきた。
 しかし、近づくにつれディオ様の眉間の皺が深くなり、不快を露わにしだした。だから私は彼ではなくアゼリアに声を掛けることに。

「アゼリア、久しぶりね。今日は体調はいいの?」
「ええ、オフィーリアが勧めてくれた薬がとても良く効いて、こうして出かけられるようになったわ。ありがとう」

 良かった。和やかな雰囲気で私とアゼリアが会話をしているのを見て、ディオ様が意味が分からないというように目線を私達交互に動かす。

「オフィーリアが勧めた薬だって? でも二人はこの三年ほとんど会っていなかったじゃないか」

 私達は顔を見合わせ、ぱちりと目を瞬かせる。

「確かにほとんど会っていなかったけれど、数か月前に私の邸に来てくれたし、手紙のやり取りはずっとしていたわよ?」
「なんだって!?」

 驚愕の表情を浮かべるディオにこちらの方が驚いてしまう。もしかして私達は仲が悪いと思われていたのだろうか。

 天使のように笑うアゼリアはその性格も穏やかで、気の強い私と似ていないのが逆に良かったのか、私達は会ったその日に仲良くなった。

 アゼリアはディオ様が自分の体調を心配し、私とのデートをキャンセルするたびに謝罪の手紙をくれていた。お菓子を私に届けるように言ったのは、人によっては嫌味にとれる行動だけれど、彼女の場合本当に私を思ってのこと。だから、ディオ様からの気持ちでないことにショックは受けたけれど、アゼリアの心遣いには感謝をしている。

 外出できないけれど、体調が良い日は本を読んだり刺繍をしたりして過ごしていたアゼリアは、私に刺繍入りの素敵なハンカチを何枚もくれたし、私も面白い本があれば彼女に届けさせていた。

「オフィーリアはアゼリアに嫉妬して嫌っていたんじゃないのか?」

 まさか、嫉妬したことは一度もないわ。それにしても今更この人は何を言いたいのかしら。

「約束を違えられたのは悲しかったけれど、体調を崩しているアゼリアに嫉妬なんてしないわ」
「だったらどうして俺が贈ったドレスを着ていないんだ? 嫉妬して真っ赤なドレスを着ておきながらそんな言い訳が通じるとでも思っているのか?」

 ディオ様は私のドレスを指さし、唾を飛ばさんばかりに大きな声を上げた。周りの人が何事かと見てくるのが恥ずかしい。
 婚約者がいる場合、エスコートされることはないけれど相手の色に因んだ服を身に着けるのが暗黙の了解となっているので、それに因んだだけなのに……何を怒っているのかしら。

「失礼、オフィーリア、何か騒ぎになっているようだが大丈夫か?」

 人混みをかき分けるように現れたのは、婚約者・・・のレイモンド・カートラン。ブロンドの髪に真っ赤な瞳、誰もが振り返るような整った顔をした彼にまだ慣れない私は、その美しさに今日も圧倒されてしまった。

「なんでもないですわ。レイモンド様」
「そうか、それならよかった。婚約者を持つなんて初めてのことで自分でも知らないうちに心配性になってしまったようだ」

 そう言うと、淡い微笑を浮かべ、私の手を掬い上げ甲に口付けを落とす。思わずぼっと顔が火照ってしまった。

「ふふふ、手紙に書かれていた通り、本当に愛されているのね」
「えっ、アゼリアさん、その手紙の内容を是非知りたいのですが」
「レイモンド様! 女友達との会話を詮索しないでくださいませ」

 焦る私をアゼリアが天使のように微笑みながら見上げてくる。

「あら、教えてあげれば良いのに。『会うたびにひと目ぼれだった』『こんな素敵な人に初めて会った』と言われ、どう答えればよいのか困っているのでしょう?」

 くすくす笑う天使の微笑が今日ばかりは悪魔のようだ。頬に手を当てレイモンド様を見ると、ばつが悪そうに頬を掻いていた。

「はは、そんなことを書かれていたのか。もしかして迷惑だったとか」
「さあ。手紙を読んだだけでは、惚気としか思えなかったですけれど」
「アゼリア、お願いだからそれ以上は言わないで!」

 わたわたとしていると、数歩離れたところでこちらをもの凄い形相で睨むディオ様と目が合った。

「オフィーリア、これはいったいどういうことだ! 婚約者は俺だろう。お前はこんなに堂々と浮気をしていたのか?」

 は? っと私達は顔を見合わせる。頭の中が「?」でいっぱいだ。混乱しているとディオ様に強引に腕を引っ張られた。よろめく私を後ろからレイモンド様が支えてくれ、ディオ様の腕を引きはがす。

「乱暴はよせ!」
「なんだと、人の婚約者に手を出しておいて。お前こそ手を離せ」

 一触即発の空気が流れる中、鈴のようなか細い声が間に入った。

「ちょっと待って、ディオ。あなた何か勘違いしていない? オフィーリアとあなたの婚約はひと月も前に破棄されているじゃない」
「なんだと? どういうことなんだ」
「どういうことって……。ファーナンド伯父様から書類が届いたでしょう? お母様は事前に内容を聞いていたから、あなたに『しっかりと書類を読むように』と仰っていたわ」
「まさか、あの分厚い手紙は……」

 どんどん顔色が悪くなっていくいくディオ様。もしかしてよく読みもせずサインをしたとか? まさかだけれど、今婚約破棄を知ったなんてこと、ないわよね。

「アゼリアの言うとおり、私達の婚約はひと月前に破棄したわ」
「そんな勝手なことを!! 婚約破棄なんて正当な理由がなければできないだろう。確かに俺はオフィーリアより病弱なアゼリアを優先していたが、浮気をしていたわけではない。それが理由で婚約破棄なんてありえないだろう」
「ええ、その理由ではあり得ないわ」
「だったら……!」
「理由は貴方のせいで私が死にかけたことよ」
「えっ?……死にかけ、だと」

 思い当たる節がないと言わんばかりに、怪訝そうな表情を浮かべるその姿こそ、婚約破棄の理由だと言ってやりたい。

「オフィーリア、その件については私からも改めて謝罪させて。知らなかったとはいえ、酷いことをしていたわ」
「いいのよ、それにアゼリアは食べたいお菓子を侍女に話しただけで、買ってきたのはディオ様なのだから、あなたは悪くないわ」
「おい、いったい何の話をしているのだ。菓子が関係あるのか? だが俺は決して毒など盛っていない!」
「さすがにそんなことしないと思っているわ。それに、一緒に食べたサーラも他の使用人も皆美味しかったと言っていたもの。でも、そうね、あのお菓子は私には毒だったと言えるかもしれない」
「だから俺は毒など……」
「婚約が決まった時、私伝えたはずよ。アレルギーがあって卵は食べられないって」
「えっ?」

 意表を突かれたような顔をしているけれど、きちんと伝えたわよ。クッキーは卵が入っていないものしか食べられないし、プディングは絶対に無理。ゼリーは大好きだって。婚約当初は覚えていたのに、アゼリアに会った頃から記憶が曖昧になったのかしら。

「誕生日の翌日、私が体調を崩したのは、あなたがくれたフォンダンショコラを食べたからよ。珍しいものだし、見た目がチョコレートに似ていたから、卵を使っているなんて思わなかった。それでもいつもなら確認して口にするのだけれど、腹が立ってつい勢いで食べてしまったの。そのせいで、激しい蕁麻疹に加え喉が腫れて呼吸ができなくて、一晩中生死を彷徨ったわ」

 夜通し私に付きっ切りだったお医者様が帰ってすぐに現れたディオ様は、私にいたわりの言葉なんて一度も掛けなかった。それどころか悪態をついて帰っていった。
 アゼリアは私の卵アレルギーを初めて知って、申し訳ないと辛い体調でわざわざ謝罪しに来てくれたというのに。

「婚約者を死の危険に晒したのだもの、婚約破棄の充分な理由になるわ。お父様もお怒りになっていたし、ファーナンド伯爵も申し訳ないと謝ってくださった。それでも、家同士の関係を考え、すぐに婚約破棄にならなかったけれど、あなたの私への態度を腹に据えかねたお父様がファーナンド伯爵に会いに行って、婚約破棄を決めてこられたの」

「アゼリア、一緒に暮らしていながらどうして俺に教えてくれなかったのだ」
「だって、まさか知らなかったと思わなかったのですもの。婚約破棄を話題にしないのは触れて欲しくないからだと思って、そっとしておいたの。……それから、今お話しすべきか分かりませんが、病弱な私をディオが優先しすぎることを母はずっと気にしていて、良く効く薬も手に入ったので近々私達は邸を出ます」
「なんだって! 出てどこに行くというんだ」
「隣国へ戻るのです。あちらには父方の親類もいますし、使っていない邸を貸してくれるそうです。それに、薬は隣国のものですから、そちらの方が手に入りやすいですし」

 私がアゼリアに勧めた薬を作ったのは隣国で薬の研究をしているレイモンド様のお兄様。代々薬師の家系で、レイモンド様は勉強のために一年間留学生として来られている。

 ずっとアゼリアの病気を治したいと思っていた私は、自国だけではなく隣国で開発された新しい薬の情報も集めていた。三か月前、隣国で発明された新薬を作ったのが、学園に留学に来ているレイモンド様のお兄様だと知って、友人に紹介してもらったのだ。レイモンド様は症状を聞いて、効果がありそうだとすぐに掛け合ってくれたけれど、それでも薬が届くのに二ヶ月かかってしまった。
 
 手元に薬が届いたのはちょうど婚約破棄を考えていた頃。
 邸まで届けに来てくれたレイモンド様と話した父は彼をえらく気に入ったようで。そこからは私の知らないところで話がどんどん進み、婚約破棄と同時に新たな婚約が決められた。何をそんなに気に入ったのかと聞けば、レイモンド様の私を見る眼差しだと答えられ、首を傾げてしまったけれど。

 アゼリアのことを相談する私に、親切丁寧に薬のことを教えてくれたレイモンド様には人として好感を持っていたし、何より一目ぼれだと熱心にアプローチされ、勢いに流され気づけは頷いてしまっていた。

 学園を卒業後はレイモンド様について隣国に行くつもりだ。知らない国は心細いけれど、アゼリアもいると思えばやっていける気がする。

「それなら、俺は……」

 呆然とするディオ様だけれど、私としては掛ける言葉はないわ。だってすでに終わった話ですもの。
 でもアゼリアは違ったようで、丸い目を眇めるとディオ様に詰め寄った。

「前から思っていたのですが、ディオ様はどうして私を婚約者のオフィーリアより優先したのですか。私はそんなこと一度も頼んでいません」
「それは、だって。身体が弱いのだから心配するのはあたり前だろう」
「本当にそれだけですか? 私には身体の弱い少女を見舞うことで、自己肯定していたように思えました。自分が居なきゃ駄目だと感じることで、自信を得ていたのではないですか?」
「それは……確かにそのようなことはあるかもしれないが、アゼリアが病弱なのは事実だ」
「はい、ですが病弱だから、学校に行けないからといって同情はしてほしくないです。オフィーリアはいつも私に対等に接してくれました。刺繍を褒めてくれ、本の感想を伝えあいました。ディオ様には感謝していますが、向けられていた憐みの瞳は嫌でした」

 キッと睨むアゼリアを見ながら、やっぱり素敵な女性だと思う。病床で学園の課題をこなし無事卒業するのは並大抵のことではない。私は彼女の友人であることが誇らしくなった。

「オフィーリア、私あなたに会えてすごく幸せよ」
「それは私の台詞よ」

 ふふふ、と笑う私達の前でディオ様は愕然としている。
 その姿を見て、私はあることを思い出しアゼリアの耳に口を近づけた。

「ところで、今回の失態を激怒したファーナンド伯爵が、次男に伯爵家を継がせるって決めた話、彼は知っているのかしら」
「それは知っているでしょう。だって婚約破棄の書類と一緒にその書類も入っていたと聞いたわ。ディオは二か所にサインしたはずよ」
「でも、彼はそれが婚約破棄の書類だって知らなかったんだよな。だったら、弟が継ぐ話も知らないんじゃないか?」

 レイモンド様の言葉に私達は顔を見合わせる。
 でも、がっくりと肩を落とすディオをこれ以上突き落とすのは気が引けるので、ここで話すのは止めておくことに。後で誰かが教えるでしょう。少なくとも、もう婚約者ではない私には関係ないわ。

「ところで」

 と甘い声に変わったレイモンド様の手が腰に回り、くるりと半回転させられ向き合う形になった。

「あまりアゼリアさんと仲良くされると、嫉妬してしまうな」
「ア、アゼリアは女性よ?」
「でも、オフィーリアの一番は僕でいたいんだ。これは婚約者として当たり前の気持ちなのか、重いのかどっちなのだろう」
「さ、さあ」

 どんどん近づいてくる奇麗な顔に私の鼓動が早くなる。助けて、とアゼリアに手を伸ばしたのに、彼女は手を振りながら立ち去ってしまった。あぁ、あんなにスタスタ歩けるほど回復して、と思うも今はそれどころじゃない。

「レイモンド様、近いですわ」
「婚約者としては適切な距離だと思う」
「周りと比較した結果そうは思いません」
「酷いな、オフィーリア。こんな近くにいる僕より他を見るなんて」

 さらに抱き寄せられ、耳朶に暖かい息がかかる。

「大好きだよ、オフィーリア。早く僕の気持ちに追いついて」
「……半分ぐらいは追いついています」

 真っ赤な顔で答えると、頬にふわりと唇が落とされた。
 きっと、近々、私は彼に夢中になる、そんな予感がした。
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みんなの感想(1件)

天花
2024.10.19 天花

読みやすく、読後も爽やかな気持ちになりました。

オフィーリア、アゼリアだけでなく名の付いた女性キャラ全員に好感が持てました。

ディオは自業自得
伯母様の助言は最もだし、内容読まず書類にサインした報い
その書類が作成された起因もディオ自身
独り善がりな行いの結果だし

病弱なアゼリアに献身的に寄り添う優しい俺とか思っていたのかな??

素敵な作品をありがとうございました。

2024.10.19 琴乃葉

感想ありがとうございます!
予想をいい意味で裏切るような展開になれば、と考えながら作った物語ですので嬉しいです。
オフィーリアもですが、見た目と違うアゼリアの性格も楽しんでいただけたようで良かったです。

解除

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