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ココットとフルオリーニの出会い

3.

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 王都の外れにある小さな家。屋敷とは到底言えないそこが私の実家であるアリストン男爵家。

 男爵家といっても領地はない。何代か前のご先祖様が戦で大活躍して授爵したのが始まり。当初は一代男爵の予定が、その息子もそこそこ頑張ってくれたおかげで男爵家の名を代々継いでいくことを認められたらしい。

 とはいえ、領地は貰えなかったのでご先祖様は王宮勤めで生計を成り立てていた。三食食べられるけれど豪華な衣装や宝石とは無縁の生活、贅沢ではないけれど平穏な日々、だったあの日まで。

「ただいま」

 辻馬車に揺られること二時間。転移なら一瞬なのに祖父は私が魔術を使うのを嫌がる。ライラックの香りをさせて帰った日には大目玉を喰らってしまうので、お尻が痛むのを覚悟して馬車で帰ってきた。

「お帰り。辻馬車は混んでいたかい?」
「うん、狭い車内だから熱気が逃げずに暑かった」

 案の定、辻馬車で帰ってきたか確認された。匂いで分かるはずなのに、いつもこれだ。
 額に滲む汗をハンカチで拭いていると、冷たい果実水を侍女のアンが出してくれた。

「ありがとう」
「お部屋の掃除も終わっています。荷物を運んでおきますね」

 私が小さい時からお世話になっていて、気心知れた間柄。五十歳を超えた今も変わらず働いてくれている。

 年季の入った布貼りのソファに腰を下ろすと祖父も向かい側に座る。部屋にはダイニングテーブルとソファセット、飾り棚と暖炉。どれも私が生まれる前から使っているもので、小さな傷が付いているけれど手入れは良くされている。
 
「学園は辞めたのか」
「ええ。フルオリーニ様が卒業されたから」
「でも今度はクリスティーナ様が入学されたのだろう」
「私はフルオリーニ様の侍女だからね。クリスティーナ様には同じ歳の侍女が一緒に入学されたから、私が学園に残る必要はないわ」

 そうか、と言いながら祖父は続く言葉を飲み込むように紅茶を口に含む。
 祖父は文官をしていたけれど、昨年引退して今は隠居生活。祖母は一年前に他界しているから、アンともう一人の料理人兼雑用係のアンのご主人と三人で暮らしている。

「心配しなくても、コンスタイン公爵家は私に危険なことをさせないわ」
「そうか、それなら良かった」

 私の魔術はいくらでも悪用できる。そして悪用には大抵危険が付き纏う。祖父はずっとそれを心配しているのだ。

「お祖父様、月命日のお墓参りに今から行こうと思うのだけれど、一緒に行く?」
「いや、午後から牧師様とお茶をする約束をしているからその時に一緒に墓参りをするつもりだ。秋とはいえまだ日差しが強いから、行くなら、ほら、そこにジェシカが使っていた帽子を出しておいた。それを被って行きなさい」

 祖父は少し離れた場所にあるダイニングテーブルの上を指差す。その上には時代遅れのデザインの麦わら帽子。ジェシカ、亡くなった母の名前を久々に聞いたな、と思う。

「うん、分かった」

 転移するなと言うことでしょう。しないって、匂いでバレるんだから。そこまで神経質にならなくても……と麦わら帽子を手に取ったところで私は固まった。

「『裏路地の魔法使い』……」

 帽子の下から出てきたのは見慣れた青い表紙の本。
「あぁ、今流行っているらしくてな。ココットは読んだのか?」
「え、う、うん。知り合いに借りて読んだ、かな」
「そうか。噂では本当に裏路地に魔法使いが出るらしいが」
「そ、そんなことあるわけないじゃない!! 噂なんて大抵嘘なんだから」
「そうだよな。儂もそう思っているよ」
「……」

 横目で盗み見る祖父の横顔はいつもと変わらない。長年お城勤めをしていれば、感情を表に出さない術なんて身に染み込んでいる。穏やかな横顔がかえって恐ろしい、ここはさっさとお墓参りに行っちゃおう。

「じゃ、私ちょっと行ってくるね。庭に咲いている花摘んでもいい?」
「もちろん。ジェシカはダリアが好きだった。綺麗に咲き誇っておるよ」

 ささやかな抵抗で本を裏返しにして机に置き、私は帽子を被って庭に出た。

 月に一度くる庭師のおかげか、ダリアの他にコスモスやガーベラも咲いている。大して広くない庭の隅にある物置から鋏を取り出し、ダリアをメインに他の花も幾つか摘んで花束に。

 それを片手で抱えて私は教会に向かった。

 教会までは徒歩で十五分のはずが、歩いていると数人の知り合いに捕まって立ち話もしていたので、倍ほど時間が掛かった。早い時間に公爵邸を出たのに教会に着いたのは十時の鐘が鳴った頃。

 教会にはよらずその裏側に向かうと、白い墓石が整列したかのようにほぼ等間隔に並んでいる。その間を縫うように灰色の――多分もとは白だった煉瓦が道を作っている。

 足元にだけある短い影を踏みながら左奥の墓跡へ進み、持ってきた花束を供えた。

「お父様、お母様、ただいま」

 墓跡の前にしゃがむと、普段閉じていた記憶から二人の笑顔が浮かび上がってくる。いつも優しく微笑んでいたお母様、おおらかでちょっと大雑把なお父様の豪快な笑い。大抵のことは何とかなるもんだと自由に育ててくれたせいか、私は淑女と程遠い。

「お父様、お母様、私、今ちょっと話題の人物なんだよ」

 裏路地の魔法使いとして本になったと言えばなんと言ってくれるだろう。

 喜ん……ではくれないよね。
 心配するか、怒るか。きっと後者だ。

「大丈夫、危ないことはしてないから。ちょっとした人助けよ」

 人助けのために始めたわけじゃないけれど、結果的に誰かの役に立っていると思う。
 ただ、ご主人様から頼まれた情報はなかなか手に入らない。もっと深入りすれば良いのだけれど、肝心のご主人様がそれを許してくれないから仕方ない。

 私は暫く近況を話し、墓跡の汚れをハンカチで拭くと、「また来月くるね」と二人に伝えて墓地を後にした。
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