設計と座敷童

白夜(さや)

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序章

話始まり

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 夕方に鳴くヒグラシがうるさい。網戸に留まりその美声を盛大に聞かせているが聞く身には堪える。八月になっても夏休みはなく建物の設計するためにパソコンの中にある図面に線を引く日々に明け暮れる自分を嘲笑っている。いいさ。盆休みを二日ほど取れてあとは設計の仕事をするだけ。
 コンコンと事務所の扉を叩く音が聞こえたのは一休みにアイスコーヒーを入れに行こうと席を立った時だ。日常では後盆のため帰省していて客はいないはずだ。この設計事務所に所属するのは管理建築士の自分一人だけのはずだ。不審に思い、きしむ床を踏みしめ曇りガラスをはめている玄関扉を開けた。
「こんにちは」
「餓鬼か」
「え」
「いや何でもない」
 自分の独り言に首を傾げ見上げる子供。大人になっても背が伸びない小人症の人かと思ったがその線は過ぎに消えた。見上げる顔は幼く十歳前後と見ていいぐらいに幼い顔つき。おかっぱ頭のせいで男女の区別はつかない。声も妙に高い。地図みたいなのを持っている手も小さく皴もない。
「で、よくこんなさびれたところにある設計事務所を見つられたな」
「その、さびれた場所でしょうか。遠くからは祭り囃子が聞こえますよ」
 確かにこの子供が言うように近くの稲荷神社を筆頭に近辺の神社や町の自治会の合同の祭りが執り行われている。その祭りの騒ぎがここまで聞こえる。
「で、祭りに浮かれていない大人をからかいに来たのか」
「いえ滅相もございません。ハツベ一級建築設計事務所であっておりますでしょうか」
「ええ。捌別一級建築設計事務所所長の捌別耕哉(はつべこうや)ですが」
「ああ。よかった。お家主さまからぜひあなた様に設計して欲しい建物がございます」
「そうか。で、使いでよく来たな坊。しかし、一般世間は今頃休みのはずだ」
「坊ではないです。ノタバリコの名をいただいております」
 いかにも舌を噛み切りそうな名前だ。玄関でこれ以上検索しても外の焼ける空気がなだれ込み、クーラーの稼働を酷使するの耐えられない。
「いやもう暑いので中に入らないか。仕事の話を詳しく聞きたい」
「お邪魔します」
 地図みたいな紙を袖にいれたノタバリコは頭を深く垂れて事務所に入った。教育の行き届いた子だ。そこらの低俗な妖怪や物の怪、横柄な人たちとは一線を画している風貌で感心した。その子の家主の人柄が容易に想像つく。
「茶飲むか」
「頂きます」
「そこに座ってけろ」
「失礼します」
 冷蔵庫から麦茶を取り出し透明なグラスに注ぐ。注ぐ音が妙にこの古ぼけた事務所内に響く。盆に麦茶のグラスをのせ、案内したテーブルに持っていく。当のノタバリコは草履を脱ぎ椅子の上で正座している。
「そこまで畏まらなくてよい」
「いえお構いなく」
「そうならいいが」
 子供ながら大人顔負けの気配を流す。水滴がつき始めた麦茶をその子供の前に置く。
「頂きます」
 俺が座るや腰を曲げノタバリコは丁寧に麦茶を一口飲んだ。その様子に一安心し、メモ帳となる電子媒体を手繰り寄せる。
「捌別様、気を使えるのですね」
「そこまで大げさなのではない」
 このような子どもに目を輝かせて褒められるとこそばゆい。何しろ小学校低学年で習得が必修されているから、筆の持ち方を褒められているのと大差ない。
「ものを浮かせ手繰り寄せる、整列される、遠くに置くを目隠しでやるのは小学校入ってすぐにやることやろ」
「すみません。私学校に行っておりませんのでそのようなことを習いません」
「そうかすまん」
 どこかもの悲しそうな顔されると謝らないと腑に落ちない。
「で仕事とは」
「はい。お家主様のお友達のお宅を設計してもらいたく」
「それは人の家か」
「いいえ人ではござません」
「そうか。あいにく俺は友人から人のための図面をいくつも書いてきているが妖怪などを対象にした設計は初めてだな、できたら話はなかったことにしてもらいたい」
「ものひと大学もののべ建築研究所所属の鹿嶋さんからあなたへの紹介を預かっております」
「懐かしい名前だな」
「同期とおっしゃっておりました」
「そして卒業して十年音信不通ともな」
「え、あはい。そのようなことはおっしゃておりませんでしたが」
「そうか。余計なことを言った」
 あの頃は若く、自分の周りに跋扈するもののけと呼ばれている者たちがどこに住み、何を生活の糧にして生きておりどのような家々に住んでいるのか興味があった。色褪せ退色の色味をしている天井を見つめ少しばかり過去を回顧した。
「そやつの恩があるから今回は特別だ」
「わぁ」
 目を最大限に輝かせノタバリコは袖からいくつかの書類をだした。
「こちらが仕様書となっております」
「目を通してみる」渡された仕様書を読む。日本語で書かれており寸法はメートル法で統一されている。建設予定地の住所「M県S市K字宿其8888」、案の定といってよいほど検討つかない。依頼主は顔無しと分類されている妖怪。身長体重は確か人間と変わりなかったはずだ。寿命がばらばらだが人間でいう三十路を超えているだろう。
 ただ気になるのは要求建物の形状だ。千平米ほどの敷地に三階建ての木造で総建築面積五百平米――百五十一坪を超えている建物を建てることだ。人間の建設基準法に照らしたら高さ十三メートルもしくは軒高さ九メートルを超えると構造一級建築士に一部業務を委託しなければいけないことだ。階高四メートルだとすると基礎や屋上等を含めるとぎりぎり超えてしまうかもしれない。俺は一級構造建築士の免許を持っていないので業務委託しなければいけない。そうとなれば、自分が築いてきた人専用の建物の建築士と妖怪へと通じない事に対して反することが露見する。悩みに悩む。
「すみませんがこちらが今回の設計依頼予定金額です」
 書面に掲示された金額及び設計期間を考慮するとそこらへんで設計の仕事をもらってくる金額よりも良い。支払いの通貨も円で執り行われる。
「詳しく話を聞きたい」笑みを隠して快諾した。受け取る金銭に目がくらんだ大人とみられたのかもしれない。ノタバリコの見上げる子供の冷たい視線が刺さる。
「よろしいでは門を開ける」
 ノタバリコは袖の中に入れてあった地図みたいなのが描かれている紙を取り出し小さな指が空を切る。空に紙を投げるや旋風が舞う。どの窓も開いていないせいか、台所の換気扇が小さくなり、外から空気を吸う。外から入ってきた風は今までなかった門に集められた。門の向こうからは外でなっている祭囃子がどこともなく聞こえる。
「これお前の力か」
「いえ。家主様のお力によるものです。私はきっかけを作ったまでです」
 ノタバリコ少し斜め下を見るように言った。どこか恥じるのかそれとも嬉しさなのかはわからない。表情が少ないといったほうがいいかもしれない。
「それよりも行きます。はぐれないでください」
 何事もなく、歩くノタバリコの後ろを付いていく。門を通るとどこか見覚えのある神社の一角に出た。周りの祭りに浮かれている人は此方に気が付いていない。本殿を見ると近所の稲荷神社にでていた。
「捌別様、置いていきますよ」
 いつの間にか先に行くノタバリコの後を走って追う。境内の砂利を蹴る感覚があり、音が周りに響く。その音に何人かは気が付いているのか。此方を向く人はいない。皆祭り囃子に、屋台に夢中だからだ。
 追いついた時には本殿脇にある事務員が詰めいている建物前まできていた。入り口や窓もない壁。周りからは死角となっている空間に小さな祠がある。ノタバリコはそこに拍手をして御辞儀した。よく神社でやる二礼二拍手一礼とは違い最も簡素に一拍手一礼しただけだ。ただ、拍手の音は花火のように大きく、礼も頭が地面に接するまで深く腰を曲げている。それに応えるように鈴の凛とした音が聞こえた気がした
 祠に小さな——子供一人がかがんで入る門が開いた。ノタバリコは腰を曲げたまま歩く。俺もその姿勢に倣い腰を下げて後を追う。どの様なわけかその門に飲み込まれた。そのような陳腐な表現しかできない。俺の膝元しか高さのない門にスッと入ってしまったからだ。
「ここは」
 先ほどまでなかった白い霧がひざ元を漂う。かがんでいた息苦しさから上を仰ぐと青紫の霧が空を覆っている。まるで異世界に入ったようだ。
「ここは通り道です。あなたの世界で持て囃されている異世界への転移もしくは転位とは異なります」
「ではどのようなものだ」
「敢えて例えるならあなたたちのいる偽りの世界から、人間から私たちを妖怪と呼んでいる真の世界への入り口です」
「それは結界と呼ばれているものなのか」
「結んでいる界隈としては正解かもしれません。しかし、あなたたちの人間がいる世界と妖怪たちの世界はいつも一緒のはずです」
 ノタバリコの言う通り普段の生活に妖怪と呼ばれている者と一緒に生活をしている。百鬼夜行はよく起こり、たまに元気な若者たちと夜な夜な自動車やバイクでその音の大きさを競ったり、速さを比べたりして事故になっているのは良く新聞やテレビ、ラジオのつまらない時間帯を騒がしている。
「では、このように考えてみてください。水の中とあなたたちの世界はどのように分けられているのか」
「それは水で満たされているか空気で満たされているのかの違いだ」
「その通りです。ここから先は妖の気で満ちているだけです。あなたたち人のいる気とは異なるだけ」
 書面で見た気がしたのをうっすらと思いだした。旧友であった鹿嶋に妖のいる空間に行きたいというと猛反対された。いつもは穏便であり人と対立を好まない鹿嶋であったが、その時の形相はうっすら思い出した記憶とすごく紐づいている。絡み合っていた記憶が歩くたびに解れる。ノタバリコと歩きながらその記憶が覚める。歩く土の感触がしっかりと脳に伝わってくる。
「妖についていくものは、戻りにくい。戻っても記憶はあやふやの場合が多いと聞いたが、ここから俺は戻れるのか」
「それにはご心配に及びません。しっかりと手順を踏んでいただけております」
「それは」
「あなたたちは勝手に自分の家に入ってきたものには、どのようになさいますか」
「そりゃつまみ出すしかない」
「そうでしょう。私たちもそのようにするだけです」
 年端もいかない子供に当たり前のこと諭され少し気が引ける。それにこのような子どもに、はぐれるなと言われたのが妙に気になり周りを見渡すといくつもの視線が刺さる。そこに誰かいるのかもしれない。行燈や目玉が浮いていればいくらかは落ち着けたかもしれない。しかし何もなくただ見えない刃が漂い今歩いている道を外れた者を絡めとり、刃の錆にするのを楽しみに待っているようだ。背筋が凍る。
「見えてきました。あちらがそうです」ノタバリコが指さして言った先に視線を向ける。霧の中に林が現れその中に社と表現したほうが良い建物が見える。狛犬ならぬ狛狐と思わしき物の怪が薙刀を構えて迎えてくれた。それぞれの口にはマスクなのか『亞』と『吽』と読める文字が一文字ずつ書かれている布を垂らしている。
「坊お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました。客です」
「承知しております。捌別様ですね。お待ちしておりました。家主様がお待ちになっておられます」
 いい終わる二つの薙刀が地面につき音を響かせる。オレンジ色に怪しく光る行燈が浮かんだ。行燈は列を作り、その社で大きな建物へと誘っている。他へ外れると容赦しないとも読み取れるほどに整然と静かに浮かぶ。地面に並べてある石畳みは行燈の光を反射している。その上を歩く。カッカッ。革靴を履いてきてしまっている自分の足音が響く。これから閻魔様に謁見するのかそれとも天女様のおもてなしを受けるのか見当もつかない。響く足音が自分に迫る気がして落ち着かない。社の大きな入り口脇にある小さな入り口といっても近づくと俺の背よりも一回りだけ高い入口についた。心地よい音を響かせ引戸は開く。框で草履を脱いだノタバリコに続いて俺も靴を脱いだ。玄関から奥へと続いている廊下を歩く。迎えてくれる人もいなく行燈も蝋燭に変わっていた。
 人を裁く閻魔へ行く道も蝋燭が灯されていると書物で見た記憶がある。その人の過去の善悪が蝋燭の中に灯され、嘆き悲しむ。善の行いが少ないものには蝋燭が短くなり潰えた者は容赦なく地獄の門が開かれる。廊下に整然と並んでいる蝋燭はすべて長さが同じくいくら燃えようと長さは変わらない。煤が仄かにきらめく。安堵しようも束の間その蝋燭が導いている部屋からは白い煙が廊下に漏れている。幽玄に揺らめき来るものを妖しく待ち望んでいる。今まで姿勢よく先導してくれていたノタバリコは少し前かがみになっているのに気が付いたのは部屋に入る直前だ。ノタバリコは部屋に入る襖の手前で正座をするためなのかもしれない。正座をしているノタバリコは片手をあげて、俺には立っているよう促した。ノタバリコが深々と頭を廊下の床にこすりつける。
「はつーべーさーま、おいでしやすいた」
 能の舞台で前句を述べるようにゆっくりと、腹の底から出る声は襖を揺らすのにいい具合に言霊した。御意と応えた襖は静かに開く。ここが妖のいる世界だからか、襖がしゃべったのに違和感はない。一人納得しているとほんのり魚が焼けるにおいがした。
「お、来たか待ちわびた」
「お家主様、また魚を焼いているのですか」
「おうよう分かったな、北海道にいる友からサンマが先ほど届いて客人に出そうとこう焼いていたところだ。そこに立っていないでこっちにこい」
 音もなく立ち上がったノタバリコに背中を叩かれて、畳を敷きならべている室内に入った。サンマのにおいが室内に充満している以外はドラマや漫画などで客人を迎える謁見とさほど変わらない。畳五十枚はあるその広々とした部屋の真ん中で胡坐をして七輪に団扇で風を送っている狐耳を立てている家主——威厳もなくただ魚を焼く狐が一匹いるだけだ。尻尾が七本うっすら見えている以外は普通の狐だ。
「お家主様、また奥様に怒られますよ」
「ノタバリコ、うちの嫁は鬼嫁でないのは知っておられるだろ。まぁ、今はお使いをお願いしているからここには、ここには……」
 家主の狐は語尾を少し震わせて俺の後ろを見ている。
「あらー、もっとお褒めになってもよろしいですわ」
 凛と張りのある女性の声。振り向こうとすると俺の横を鬼のお面がふわふわ宙を漂う。蝶のように風に導かれ、お家主様の元へいく。音もなく青火が起こり鬼の仮面があったところには一人の女性が立っている。女性の後ろには鬼の仮面がついている。鬼の双眼が俺の眼を射ている。
「お客様をもてなさいとはどういった身分でしょうか」
「いや、サンマを焼いて」
「言い訳は後でしっかりお聞きになりますので片して清掃して出直してくださいまし」
 俺には見えないが穏やかな声とは裏腹にお家主様は今にも気絶しそうなほどに顔の色気はなくすべての毛——耳の先から眉毛、尻尾へすべてを逆撫でている。女性の最後の言葉も子供をあやすような感じなのになぜかお家主様の目の焦点が震えている。はいと言ってお家主様は、七輪を素手で持ち上げる。熱くないかと声をかけようとしたがその場の空気に押され何も言えなかった。
「旦那様、尻尾が畳をお掃除なさっておりますよ」
 女性のかける言葉で七本の尻尾は全て天井に刺さるのではないかと思うほどに立ち上がる。扉を開き青い葉っぱ。遠目からは楓の葉が一枚舞い降り家主の狐はいなくなった。
「申し訳ございません。見苦しいのをお見せしまして」
「いえ」
 振り向いたのは齢十八歳ごろの娘だろうか。瑞々しい頬に控えめな胸背の高さと比べると細い足が現代風にスカートのような着方をしている和装の隙間から見えている。
「立ち話もなんですからそこの座布団に座ってさいまし」
 言い終わるやお家主様の奥さんは手を軽くたたいた。お茶が火の玉に乗り出てきた。示された座布団は小さな球のようだ。腰を掛けると羽毛の布団と表現したほうが良いほどに柔らかい。バランスボールに乗るつもりでいたが深く腰が埋まる。足が浮きそうになるのを抑え姿勢を正したところで茶が前に置かれる。茶を置いた火の玉に御辞儀された感じがしたので正座をして返す。
「まぁそこまで畏まらなくてよろしくて。足がしびれるでしょうに。胡坐でよろしいですよ」
 小さな手で口を軽く押さえている家主様の奥さんにやさしく諭すように言われ足を崩した。
「捌別様は、今の事務所を始められてどのくらいたたられましたの?」
「今年で二年目です」
「失礼ですが三十歳半ばだと鹿嶋様からお聞きになりましたの。その前も設計関連のお仕事をなされておりましたの?」
「はい。鹿嶋氏から紹介された設計事務所で下積みをしまして十年ほどたち、独立をしました」
「左様ですか」
「いやーすまん、すまん遅くなった」
 家主の奥さんがし話し終えると同時に四十前後の男性がお家主様の落とした楓の葉っぱから現れた。手品をみせられている。男性の袴の後ろには七本の尻尾が見えているこちらに歩み寄ってくる途中に顔色が一瞬だが一変した。不思議に思う間もなく尻尾は消え失せていた。
「見苦しいのを見せてすまん」
 男性は球みたいな座布団に胡坐をかいて座り頭を垂れた。
「私目はここの家主、名を蒼狐と言います」
「その連れの紀目と申します」
「いやはやこの度、わが友のお宅の設計を快諾してもらいありがとうございます」
「いえまだ決めかねているところです」
「そうか。ま、茶では話が進まらんかろ。飯を食べながら話をしよう」
 蒼狐が手招きをすると、食事の膳を火の玉が列をなし持ってくる。
 先ほどのサンマに加え白米に菜のものの味噌汁、漬物、油揚げの衣で丁寧に作った煮つけが膳に並ぶ。
「頂きます」蒼狐たちの食事を食べる前にする挨拶を見るとここが妖のいる空間であるのを忘れる。
「遠慮なさらずに」
 未だに箸に手を付けていなかった俺に催促をした。
「友達の顔無しは日本中妖怪の相談役としての仕事があり日本中をかけ巡っております。今は九州で重要な会議が急遽できましたので出かけており、今回の会合に間に合わず申し訳ありません」
「詳しくは日を改めてお伺いしたほうがよろしいでしょうか」
「いえ、設計する容を聞いていただき来月の末に大体の案を複数出していただきたい」
「そうか、ではどのような内容なのか」
「設計の話をする前に顔無しについて話をします。顔無しの名は面由です。妻子もなく独り身でございます。身体的特徴をお伝えします。身長は百八十三センチメートルあります。体重は八十㎏と人間に近い特徴があります。次に性格は温厚でありますが話をしますとものすごいスピードでしゃべります。」
「顔無しには口はあるのか」
「いえございません。私の伝え方が悪かったです。人間の喋るというのは声帯を震わし口を動かし空気中を伝播させることですよね」
「ええそうです」
 蒼狐の言うように人は口を介して話す。それゆえに、話す言葉に関連する漢字はどこかに「口」またはそれに紐付いた部位がある。
「我々は妖の気を震わせ伝えているだけです。捌別様が人の気を使いものを手繰り寄せたりするのと何ら変わりありません」
「すみませんが、その部位はどこにあるのでしょうか」
「んー。それぞれの種によって異なります。私たちは人間と同様に喉元辺りにあります。面由様はどこかにあるのかは秘密です。そこが我々の急所であり傷をつけられると大変な目にあいます」
 妖怪や物の怪には気を集めそれを糧にしている。書物の中での話なので何とも分別はできないが。
「話がそれてしまいました。お目を通してもらったと思いますが設計していただきたいのはノタバリコがお持ちした書類に書いておりました」
「一通り読ませてもらいました。しかし、住所地が皆目見当つきません」
「その場所は、人間の温泉地からさらに山の中に入っていったところです。周りは大熊や大蛇が住んでおりますが、話は通してあります」
 いや、人間の設計ではそれで分かったといって現場の実況見分や埋設物調査、公図などから設計ができる。
「その場所を見に行くことは可能でしょうか?」
「ええよろしいです。明日の午前はいかかでしょうか」
「明日はあいております」
 まだ後盆の最中。休みのため客は来なく、催促の電話もない。図面の仕上がりも来月初めのため十二分に猶予はある。
「ではお迎えに行きます」
「人間の建設基準法の中で設計しますか?」
「人間の法は台風や地震を想定したものが入っておりますがわれわれの中ではそのようなことは起きません。気の触れで風が起こり、地面が揺れる時がありますが、それぞれの種の持っている力で軽減もしくは相殺できますゆえ必要ありません」
 蒼狐と紀目のやり取りを見ていると相殺は怪しくなってきた。
「木造との指定がありましたが、木材の運搬は可能でしょうか」
「え、木材はその辺にある杉やら松やら山毛欅を切ってその日の気分で組み合わせ、建てればよろしいのではないのでしょうか」
「われわれ人間はその木材が持っている性質を生かして建物を造っています」
「そうなのですか。ここは特別に全て杉材で立てておりますがこれといった変化はございません」
 蒼狐の言葉で周りを見渡す畳の部屋は普通に柱間が、四間以上あるので普通の杉材では屋根瓦を支えることもできる。しかし、それに比べるとひ弱なほどに細い梁が頭上を横切っている。集積材といったものを使うことで建てることができなくもない。それでも心元ないほどに細い梁である。
だけど先ほどの言っていたように妖の気を使えばできなくもないと思ってしまう。
「ここは、蒼狐様の気を使って建てたのでしょうか」
「いや私はここの大黒柱に力を使っただけ」少し自慢げな蒼狐は本当に人間臭い。いや、ほかに自分の力を示すことができれば誰でも同じような態度を示すのかもしれない。
「あとは棟梁の力で建てたのだ。あ、この棟梁も明日一緒に来るようお願いしていなかった」「もううしっかりせい」と言わんばかりの音が蒼狐から聞こえた。多分奥さんの紀目が見えないほどの速さで蒼狐の背中を叩いと思う。残像は見えない。音だけが蒼狐の後ろから聞こえ少し前屈みとなった。
「だれか、あの棟梁のもとに伝令を」
「私めが」
 俺の後ろに声や息を殺していたノタバリコが声をかけた。まだいたのかと思うと同時に下がるようにも言われていなかったのを思い出した。
「ノタバリコ、お前にはもっと大事な仕事をしてもらうからな今回は別のに頼むよ」
「はい」
 肺切れの良い回答をしてまたノタバリコの気が薄くなったようだ。
どこから火の玉が現れ、蒼狐の前で軽く一礼した。「頼むぞ」蒼狐に言われたそれは軽く会釈してきえた。
「さて、温かい茶はどうかな」
出された食事はおおいしく箸が進んでいた。茶も飲み終えたところで声をかけられ「頂きます」と返答するや梅昆布茶が出てきた。食後のためか少しぬるめだが甘身がある。
「さてそろそろお開きでよろしいか」
「はい。明日はどのようにしたらよいでしょうか」
「ノタバリコが私たちと捌別様との連絡係となるように設計が終わるまで一緒にいてもらう。よいな」
「わかりました」
「うむでは今日は帰ってゆっくり安と良いまた明日の巳の一つ時辺りに現地集合でよいな」
「わかりました」
「ではノタバリコこれが地図だ。なくすなよ」
「頂戴します」宙を舞った目で追う。寸分狂いなくノタバリコのもとに着いた。紙片を受け取ったノタバリコは深く腰をかがめた。
「門まで見送ろう。途中、人間界の歌について聞いても良いか」
「ええ良いですよ」
 部屋を出て蝋燭で照らされていた廊下は外側に障子、室内が襖となっている。障子からは薄い月明かりが射している。襖の向こうからはそこまで大きくはないが三味線や太鼓の音が聞こえる。玄関で靴を履き、敷石が並べてある敷地を横断する。道中最近のはやりの歌や民の間で伝わる歌について話していた。気が付くと、人間界との境目まで来ていた。約束の門と思っていた敷地との境目はとっくの昔に過ぎていた。
「ではまた明日」蒼狐と紀目に見送られ人間との境目を通り抜けた。入ってくるときは深く腰を落としたが出るときはそのまま歩くノタバリコの後ろを付いていった。水から出るような粘りのある重みが身を包んだ。重みがなくなると近所の稲荷神社の境内にある鎮守の森と呼ばれている中に立って居た。後ろを振り向くと蒼狐と紀目の姿はなく深い木々が聳えている。工事現場とかに出ている明かりがともされている祭り会場にはいまだに祭り囃子が鳴り人々の往来が絶えない。その流れに出くわさないよう、人気のない道を戻り事務所に戻った。鍵をかけていかなかったが、誰も入った痕跡はない。しかし、ノタバリコに出した麦茶にはいまだに水滴がついたままだ。まるで時の流れがそこで止まっていて今動き始めたような感覚だ。
「捌別様、お宅までお見送りします」
「いや今日はここでねる」
「お前のような未成年を家に連れて帰ると騒がしい世の中でな。変な嫌疑をかけられたくない。ここならある程度の言い訳ができる」
「そうでしょうか」
「お前が女子だとなおさら面倒なことになるけどな」
「そう。ですけど、寝るようなものはございますか」
「寝袋ならいくつかあるからそれを使える。少しかび臭いがお前も使うか」
「いえ私は玄関辺りで休ませてもらいます」
「そうならいいが」
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