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第25話 ざまぁの刃は美しく
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王都に新しい朝が来た。
昨夜の舞踏会でレオンハルトが国中の前で誓いを立て、アリアと共に民の信を取り戻した――そう伝える報せは夜明けと同時に王都を駆け抜けた。
街角の商人は笑いながらパンを売り、子どもたちは公爵の名を口にして遊ぶ。
どこか浮きだったその空気の中、ただ一人、すべてを失った男の姿があった。
ユリウス王太子――かつて国の頂点に立つはずだった男。
彼は今、王城の塔に幽閉され、わずかな食と寝床を与えられるのみとなっている。
朝の光を受けた窓の鉄格子は冷たく、その手はもう剣を握る力もない。
「……私が間違っていたというのか。」
自嘲のような声が石壁に吸い込まれた。
その声に、後ろから軽やかな靴音が近づいた。
「あなたが“間違った”かどうか、それを決めるのは歴史です。」
静かに響く女性の声。
振り向いたユリウスの前に現れたのは、白い外套を纏ったアリアだった。
「貴様……何の用だ。」
「陛下の御命で参りました。赦免の使いです。」
「赦免?」
「ええ、あなたが自らの罪を認め、この国を二度と乱さぬと誓うなら、国外追放に留めるという寛大な処置だそうです。」
ユリウスの唇がにやりと歪む。
「慈悲のつもりか? 私を哀れんでいるのだろう。」
アリアは首を横に振った。
「いいえ、哀れんではいません。あなたが変わるなら、それはこの国のためになると思っただけです。」
「国のため、か……。貴様はつくづく偽善者だな。」
「そう思っても構いません。」
アリアの声音は穏やかだった。
「けれど、あなたが私を侮辱した夜、私は泣きながら誓いました。必ず“正義”の形をこの目で見ると。」
「正義?」ユリウスが嗤う。「そんなもの、この世にはない。」
「いいえ。あります。あなた自身がそれを信じられなくなっただけ。」
アリアは一歩前に進み、硬い床にドレスの裾を擦らせた。
「かつて、あなたは誰よりも正しかった。民を思い、未来を夢として語っていた。
でもその夢を壊したのは、他ならぬあなたです。
王位や名誉で自分を飾り、誰かを見下すことで安心していた。」
「黙れ!」
ユリウスの怒声が響く。
しかし、それはもはや覇気を失った吠え声でしかなかった。
アリアはそれ以上何も返さない。
小さく息を吸い込み、懐から小さな書簡を取り出した。
それは王の署名が入った正式な恩赦の証書だった。
「これを受け取り、国外に下れば、あなたの命は保証されます。
でももし拒むなら……王命として処刑が執行されます。」
沈黙。
その狭い石造りの空間の中で、ユリウスは書簡を見つめた。
差し出されたその封筒が、まるで自分の過去のすべての象徴のように眩しく見えて、手を伸ばすことができない。
やがて、彼は小さく笑った。
「……すべてを失った私に、生を与えて何になる。貴様らしい、残酷な慈悲だ。」
「慈悲ではありません。」
「ならば何だ。」
「ざまぁ、です。」
その一言に、空気が揺れた。
アリアの瞳は真っ直ぐに彼を見据えていた。
冷たくも燃えるようなその光に、ユリウスは息を呑む。
「あなたに与えられる罰は、死でも鎖でもありません。生きて、自分の過ちを見続けること。
私を切り捨てたあの夜から、あなたの時間は止まったまま。
ならば今度は、私たちの新しい時代をその目で見続けなさい。」
「……貴様、何を偉そうに。」
「私はもう“貴様”ではありません。グラシアの名を継ぐ者として、あなたに告げているのです。」
沈黙が落ちた。
しばらくして、ユリウスは大きく息を吐き、封書を乱暴に掴んだ。
「……いいだろう。降りるさ。どうせ玉座も、王冠も、もう俺のものではない。」
「それで十分です。」
アリアは静かに頭を下げた。
彼女が背を向けると、鉄の扉が軋む音がした。
外の光が狭い隙間から差し込み、彼女のシルエットを照らす。
ユリウスはその光を睨みながら呟いた。
「……アリア。お前は本当に、強くなったな。」
その声を背に、アリアは振り返らなかった。
***
城を出ると、風が頬を撫でた。
遠くで鐘が鳴り、春の香りが街に満ちている。
石畳に散る花弁を見下ろしながら、アリアは小さく微笑んだ。
「終わりましたね、ユリウス殿下。」
「いや、終わってはいない。」
背後から聞こえたのは、聞き慣れた低い声だった。
振り向けば、レオンハルトが立っていた。
「あなたが見ていたの?」
「当然だ。あの男に近づくのを許したのだから、監視しないわけにはいかん。」
「心配性ですね。」
「お前が絡むと心配にもなる。」
レオンハルトが歩み寄り、アリアの肩に外套をかけた。
「冷えている。」
「ええ、でも心は不思議と暖かいです。」
「あの言葉は、見事だったな。」
「“ざまぁ”ですか?」
「まさか公爵家の婚約者の口からそれを聞くとは思わなかった。」
レオンハルトが苦笑する。
「彼を殺すよりも、あの方には生きていただきたかったんです。
己の傲慢を見続けるという罰こそが、彼にふさわしいと思いました。」
「そうだな。お前らしい裁きだ。」
長い沈黙のあと、アリアはそっと彼の手を取った。
「あなたのおかげで、私はここまで来られました。」
「違う。お前自身が歩いた道だ。俺は隣にいただけだ。」
「隣でいいんです。だって、もう一人には戻りたくないから。」
レオンハルトの眼差しが柔らかくなる。
「アリア、お前は誰よりも強く、美しい。
その美しさは、決して宝石や衣で飾られるものではない。
人の痛みを知り、自分の信じるものを貫いたからこそ輝く。」
「褒めすぎですよ。」
「本心だ。」
アリアは小さく笑い、彼の胸に額を預けた。
「私はあの日の涙を、決して忘れません。
けれどその涙があったから、今の私がある。……あの時の自分に言ってあげたいんです。
“泣いていい。必ず報われる日が来るから”と。」
レオンハルトの腕が優しく彼女を抱く。
「その日を手に入れたのは、お前だ。」
「ええ、でもこれからも歩み続けます。あなたと一緒に。」
「ならば、俺がその道を照らそう。」
二人は並んで城を後にした。
夜明けの光が瓦礫を照らし、瓦礫に咲く花々が風に揺れる。
街の人々はまだ知らない。
この朝が、本当の意味での新時代の始まりであることを。
ひとりの令嬢が涙と屈辱を超えて切り開いた奇跡――
それが国を変える最初の刃であったことを。
「ざまぁの刃は、鋼よりも美しいものですね。」
「そうだな。お前が振るったその刃こそ、希望だ。」
アリアは微かに笑った。
朝日に照らされたその笑顔は、色づく世界の中でひときわ眩しかった。
(第25話 終)
昨夜の舞踏会でレオンハルトが国中の前で誓いを立て、アリアと共に民の信を取り戻した――そう伝える報せは夜明けと同時に王都を駆け抜けた。
街角の商人は笑いながらパンを売り、子どもたちは公爵の名を口にして遊ぶ。
どこか浮きだったその空気の中、ただ一人、すべてを失った男の姿があった。
ユリウス王太子――かつて国の頂点に立つはずだった男。
彼は今、王城の塔に幽閉され、わずかな食と寝床を与えられるのみとなっている。
朝の光を受けた窓の鉄格子は冷たく、その手はもう剣を握る力もない。
「……私が間違っていたというのか。」
自嘲のような声が石壁に吸い込まれた。
その声に、後ろから軽やかな靴音が近づいた。
「あなたが“間違った”かどうか、それを決めるのは歴史です。」
静かに響く女性の声。
振り向いたユリウスの前に現れたのは、白い外套を纏ったアリアだった。
「貴様……何の用だ。」
「陛下の御命で参りました。赦免の使いです。」
「赦免?」
「ええ、あなたが自らの罪を認め、この国を二度と乱さぬと誓うなら、国外追放に留めるという寛大な処置だそうです。」
ユリウスの唇がにやりと歪む。
「慈悲のつもりか? 私を哀れんでいるのだろう。」
アリアは首を横に振った。
「いいえ、哀れんではいません。あなたが変わるなら、それはこの国のためになると思っただけです。」
「国のため、か……。貴様はつくづく偽善者だな。」
「そう思っても構いません。」
アリアの声音は穏やかだった。
「けれど、あなたが私を侮辱した夜、私は泣きながら誓いました。必ず“正義”の形をこの目で見ると。」
「正義?」ユリウスが嗤う。「そんなもの、この世にはない。」
「いいえ。あります。あなた自身がそれを信じられなくなっただけ。」
アリアは一歩前に進み、硬い床にドレスの裾を擦らせた。
「かつて、あなたは誰よりも正しかった。民を思い、未来を夢として語っていた。
でもその夢を壊したのは、他ならぬあなたです。
王位や名誉で自分を飾り、誰かを見下すことで安心していた。」
「黙れ!」
ユリウスの怒声が響く。
しかし、それはもはや覇気を失った吠え声でしかなかった。
アリアはそれ以上何も返さない。
小さく息を吸い込み、懐から小さな書簡を取り出した。
それは王の署名が入った正式な恩赦の証書だった。
「これを受け取り、国外に下れば、あなたの命は保証されます。
でももし拒むなら……王命として処刑が執行されます。」
沈黙。
その狭い石造りの空間の中で、ユリウスは書簡を見つめた。
差し出されたその封筒が、まるで自分の過去のすべての象徴のように眩しく見えて、手を伸ばすことができない。
やがて、彼は小さく笑った。
「……すべてを失った私に、生を与えて何になる。貴様らしい、残酷な慈悲だ。」
「慈悲ではありません。」
「ならば何だ。」
「ざまぁ、です。」
その一言に、空気が揺れた。
アリアの瞳は真っ直ぐに彼を見据えていた。
冷たくも燃えるようなその光に、ユリウスは息を呑む。
「あなたに与えられる罰は、死でも鎖でもありません。生きて、自分の過ちを見続けること。
私を切り捨てたあの夜から、あなたの時間は止まったまま。
ならば今度は、私たちの新しい時代をその目で見続けなさい。」
「……貴様、何を偉そうに。」
「私はもう“貴様”ではありません。グラシアの名を継ぐ者として、あなたに告げているのです。」
沈黙が落ちた。
しばらくして、ユリウスは大きく息を吐き、封書を乱暴に掴んだ。
「……いいだろう。降りるさ。どうせ玉座も、王冠も、もう俺のものではない。」
「それで十分です。」
アリアは静かに頭を下げた。
彼女が背を向けると、鉄の扉が軋む音がした。
外の光が狭い隙間から差し込み、彼女のシルエットを照らす。
ユリウスはその光を睨みながら呟いた。
「……アリア。お前は本当に、強くなったな。」
その声を背に、アリアは振り返らなかった。
***
城を出ると、風が頬を撫でた。
遠くで鐘が鳴り、春の香りが街に満ちている。
石畳に散る花弁を見下ろしながら、アリアは小さく微笑んだ。
「終わりましたね、ユリウス殿下。」
「いや、終わってはいない。」
背後から聞こえたのは、聞き慣れた低い声だった。
振り向けば、レオンハルトが立っていた。
「あなたが見ていたの?」
「当然だ。あの男に近づくのを許したのだから、監視しないわけにはいかん。」
「心配性ですね。」
「お前が絡むと心配にもなる。」
レオンハルトが歩み寄り、アリアの肩に外套をかけた。
「冷えている。」
「ええ、でも心は不思議と暖かいです。」
「あの言葉は、見事だったな。」
「“ざまぁ”ですか?」
「まさか公爵家の婚約者の口からそれを聞くとは思わなかった。」
レオンハルトが苦笑する。
「彼を殺すよりも、あの方には生きていただきたかったんです。
己の傲慢を見続けるという罰こそが、彼にふさわしいと思いました。」
「そうだな。お前らしい裁きだ。」
長い沈黙のあと、アリアはそっと彼の手を取った。
「あなたのおかげで、私はここまで来られました。」
「違う。お前自身が歩いた道だ。俺は隣にいただけだ。」
「隣でいいんです。だって、もう一人には戻りたくないから。」
レオンハルトの眼差しが柔らかくなる。
「アリア、お前は誰よりも強く、美しい。
その美しさは、決して宝石や衣で飾られるものではない。
人の痛みを知り、自分の信じるものを貫いたからこそ輝く。」
「褒めすぎですよ。」
「本心だ。」
アリアは小さく笑い、彼の胸に額を預けた。
「私はあの日の涙を、決して忘れません。
けれどその涙があったから、今の私がある。……あの時の自分に言ってあげたいんです。
“泣いていい。必ず報われる日が来るから”と。」
レオンハルトの腕が優しく彼女を抱く。
「その日を手に入れたのは、お前だ。」
「ええ、でもこれからも歩み続けます。あなたと一緒に。」
「ならば、俺がその道を照らそう。」
二人は並んで城を後にした。
夜明けの光が瓦礫を照らし、瓦礫に咲く花々が風に揺れる。
街の人々はまだ知らない。
この朝が、本当の意味での新時代の始まりであることを。
ひとりの令嬢が涙と屈辱を超えて切り開いた奇跡――
それが国を変える最初の刃であったことを。
「ざまぁの刃は、鋼よりも美しいものですね。」
「そうだな。お前が振るったその刃こそ、希望だ。」
アリアは微かに笑った。
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(第25話 終)
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