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第1章:世の中思い出さない方がいいこともあるわけで(確信)

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 何の前触まえぶれもなかった。

 朝目覚めると、突然前世ぜんせの記憶がよみがえっていたのだ。

 まだ所々ところどころ抜け落ちていて完璧な記憶ではないが、前世の人生の大枠は思い出すことができた。脳裏のうりに、今生こんじょうでは一度もみたことのないはずの風景たちが、とめどなく押し寄せてくる。

 中世ヨーロッパ風の石畳いしだたみが走る町並みに、石造りの城。一歩町を出れば、平原や山野には地球の生態系には存在しないモンスターがうろついている。戦士や騎士が剣を振るって戦う。魔導士まどうしや神官たちが科学のかわりに発達した魔法を、戦闘で、あるいは日常生活で使用する。旅の途中で通った水晶の洞窟、海底神殿、そして暗黒大陸……

 前世の俺はそういった地球とは違う、いわゆる西欧ファンタジーのような異世界、”フェイデア”に生きていた。21世紀日本に生きる俺たちが、よくゲームなどで触れている世界観をイメージしてほしい。

 そこにはお約束のごとく人間を滅ぼそうとする魔王まおうがいて、魔王にひきいられた魔軍は人間たちをおそい侵略し、絶望をまき散らしていた。

 そして前世の俺は、その魔王を討伐とうばつする使命をびた勇者サリスだった。仲間たちと共に旅に出、数々の魔物たちと死闘をりひろげ、やがて魔王の本拠地ほんきょちである暗黒大陸へと乗り込み、遂に魔王を倒すことに成功した! 俺は人間の世界を救った英雄だったのである。

 ……待て待て、おもむろにブラウザを閉じようとするな。あとあわれみの眼差まなざしもやめろ!

 確かに中二病の痛い妄想にしか聞こえないかもしれないが、これは本当に(いや、ホントだって!)、俺の前世の記憶なのだ。すでに俺は向こうの世界で勇者だったという自覚を取り戻しているし、その記憶が実際あったことだという生々なまなましさも感じている。

 それに思い出したのは自分に都合のいい、輝かしい記憶ばかりではない。

 魔王を倒した後、勇者としての強大過ぎる力をうとまれた俺=サリスは、次第にフェイデア界各国の権力者たちの策謀さくぼうに追い詰められていき、やがては”人類の叛逆者はんぎゃくしゃ”として、人間の軍勢ぐんぜいに襲撃を受け最期さいごをむかえたのだった。

「……いや、ないわ。ないない、絶対ない……」

 俺はベッドの上で頭を抱えたまま、1人ぶつぶつとつぶやいていた。

 別によみがえった記憶があまりに中二くさすぎてもだえているわけではない。

 またどんなに悲惨な最期をむかえたにしても、それはあくまで過去のことだ。一高校生として平和で平凡な暮らしをいとなんでいる今の俺には、何の関係もないし、前世の権力者たちを恨む気持ちも特にない。それよりも三日前に、冷蔵庫に自分用として保管していたプリンを妹に勝手にわれたことの方が、思い出してもよっぽど腹が立つ。

 俺をこちらに転生させてくれた女神エウレネが、転生儀典シークエンスに突入する直前、「フェイデア界への侵攻をあきらめた魔界の邪神たちは、今度はフェイデアと次元層が近い人間の世界である地球、つまり君がこれから転生される先を狙うだろうけど、そっちでも人類を守るためがんばってね♪」なんてことを言っていた気もするが……

 それもあくまで勇者サリスが言われたことであり、今の俺に言われたわけではないので無視しよう。俺1人が地球の危機を肩代わりする義務もないだろうし、第一面倒くさい。天界に魂の状態で保護されていた時の意識はあやふやなものだったので、ひょっとしたら勘違いだったかもしれないし。

 今の俺、天代真人あましろまさとは勇者でもなんでもない。日本の高校に通う一年生で父親と2つ下の妹との三人暮らし、部活は特に所属しておらず帰宅部、好きなゲームは〇ネルでポン、本は電子書籍よりも紙派、そして彼女いない歴=年齢(ほっとけ!)、という、どこにでもいる平凡な一般ピーポーである。

 以上、やたら説明くさい自己紹介終わり。

「うん、ない。他人の空似そらにだ、何かの間違いだ。落ち着け、とりあえず素数を数えよう……」

 では俺が何をここまで煩悶はんもんしているかというと、前世の恋人のことである。

 勇者サリスには恋人がいた。名前はメルティアといって、彼女は聖女だった。

 光の女神エウレネの祝福を受け、四大極限魔法の1つであるひかり魔法を使うことができる世界で唯一の少女。勇者パーティーの一人であり、彼女の協力がなければ魔王を倒すことはできなかっただろう。サリスが使用し魔王のコアつらぬいた”聖剣せいけん”は、光の聖女であるメルティアにしか錬成れんせいできなかったのだから。

 魔王討伐とうばつの後はサリスと共に世間の目を逃れ、辺境の山中に小屋を建て二人でひっそりと暮らしていた。正式に結婚の手続きこそしていなかったが、その時点で2人の関係は夫婦も同然だった。

 しかしその住処すみかも人間の軍勢に襲撃され、焼き払われた。その後はサリスと連れ立って逃避行とうひこうを重ねたが、しだいに追いつめられ、最期は力尽ちからつき共に果てたのだった。

 記憶の中の聖女メルティアは、とても美しい人だった。腰までのばした輝くような黄金おうごんの髪に芸術的なまでに整った顔立ち。清楚せいそ可憐かれん、身体つきは華奢きゃしゃなのに翡翠色エメラルドグリーンの吸い込まれるような瞳には強い意志がみなぎっていた。物腰ものごしは柔らかく、言葉遣いはいつも丁寧だった。

「サリス様、おしたい申し上げております」

「大変、お怪我をしているではありませんか! 今、回復魔法をかけますから」

「エウレネ様、あなたのしもべが最期の願いをお聞き届けください。次に生まれ落ちた世でも、サリス様と生涯を共にできますように……」

 ……彼女とのやり取りを1つ1つ思い出しただけでも、ため息がでそうだ。健気けなげで品があって、まさに”聖女”の名にふさわしい素晴らしい少女だった。あんな性格もいい美人さんとステディな関係だったとはサリスめ、なんてうらやましい奴なんだ! あ、あれ俺か。

 しかしそんな完全無欠の美少女であるメルティアの顔を、頭の中で思い描けば描くほど、

 どこかで見たような気がしてくるのだ。

 もちろん前世でではなく、今生で、という意味である。

 いや、気がするどころではない。毎日見ている。というか見飽きているし、1つ屋根の下にその顔をした生物が生息せいそくしているような……

「いやいや、そんな……まさか……」

 全身から流れる汗が一向いっこうに止まってくれない。くそ、あせりで新陳代謝しんちんたいしゃが活性化してきやがった。

 勇者サリスはこちらの世界に転生して俺となった。ということは、共に死んだ聖女メルティアも、この世界に転生してきていてもおかしくないのではないか?

 実際、彼女はいまわのきわに来世でもサリスとめぐり合わせてくれるよう、女神エウレネに祈っていたではないか。

 その願いがかなっていたとしたら。そして聖女の生まれ変わりは俺とすでに出会っていて、ずっと前からごく身近に暮らしていたのだとしたら。

 俺がそんな疑念と懸念けねんで頭がパンクしそうになっていると、廊下ろうかをドタドタと走る音が聞こえてきた。足音はどんどん俺の部屋に近づいてきたかと思うと、ふいにピタッとやみ、次の瞬間部屋のドアが「バン!」という擬音ぎおんとともにいきおいよく開かれた。

 いや、勢いよすぎるわ! こわれる、こわれる。

 反射的に文句を言いそうになったが、扉の向こうにパジャマ姿で立つ小柄な少女の姿を目にとめた途端とたん、声がでなくなってしまった。

 ややり上がり気味の大きな翡翠色エメラルドグリーンの瞳。きとおるような肌。少しだけ天然のウェーブがかかった、明るくまばゆい金色の長髪。そしてこれまでいっしょに暮らしてきてまったく意識したことはなかったが、よく見れば超ととのった顔立ち……

 その日本人ばなれした容姿ようしはみればみるほど、記憶の中のメルティアと瓜二うりふたつだった。それまで飽きるほどみていたはずの顔が、この朝はまるで違うニュアンスでみえた。俺の疑惑は、ここで確信に変わってしまった。「どうしてこうなった……」という呪詛じゅそが、頭の中でリフレインする。

「にいちゃんッ!」

 聖女メルティアそっくりの少女――俺の実の妹である天代光琉ひかるは、部屋の入り口でこの朝最初の大声を張りあげたのだった。
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