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第43章:亡き母に対して、後ろ暗いことなど何もない!……はず(小声)

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 今日は朝から様々なことがあった。ありすぎた。

 妹とふたりきりの帰宅路。さすがの光琉ひかるも疲れているだろうと思い、夕飯を外食で済ませることを提案してみたのだが、猛烈な反駁はんばくが返ってきた。

「ダメ! にいちゃんのご飯は、絶対絶対あたしが用意するの!!」

 ……何やら闘志をみなぎらせ、妹は夕食の材料を買いそろえるために近場のスーパーへと駆けていった。先ほどの公園での戦闘で、俺の制服は所々切り裂かれたままだし、光琉にいたっては血に染まった胸元がボレロの陰から見え隠れしている。こんな格好で人目のある場所に入るのはまずいと思ったのだが、止める間もなく、すでに妹は入り口の自動ドアを潜ってしまっていた。

 光琉は店内に置いてあるカートを引き出すとかごを乗せて押しながら、肉に魚介類に野菜にと、食材を次々とかごに入れていく。カートを店内で激走させるようなはた迷惑なおこないこそしないが、適格なスピードですいすいと他の客をかわしながら、流れるように食品売り場を巡るのだった。周囲からのぎょっとしたような視線も、気に留める様子はない。手ぶらで同行している俺が、時々置いていかれそうになった。

 我が家では、食事全般については妹の管轄となっている。スーパーでの買い出しも普段から担っていることとて、その手際は実に慣れたものである。

 いささか暴走気味のきらいはあるが(まあ、いつものことか)、これだけの元気が残っているなら夕飯の支度を任せても構わないだろう、と思った。ボロボロの恰好が目立ってしまうことには、この際目を瞑ることにする。料理は妹の特技であり、趣味でもある。買い出しに熱中することで自分の機嫌が悪かったことも忘れてしまったようだし、俺が奥杜おくもりと何を話していたかを追求することも意識に昇らないようだ。色んな意味で好都合なので、それ以上は口を挟まないことにしたのだった……俺は悪い兄貴だろうか?

 光琉はあっという間に必要な食材をつくろうとレジまで持っていき、顔を引きつらせた店員を相手に会計を済ませ、スクールバッグに日常的に潜ませているエコバッグを広げて大量の購入物を詰めこんだ。そのエコバッグを家まで持つのが、天代あましろ家買い出し部隊末端兵員である俺の役目となる(他にできることもない)。スーパーでひと仕事終えた司令官様には、運搬の労に煩わされずゆうゆうと家路についていただくことになる。

 ……それにしても、今日はいつにも増して買い物の量が多くはないか?
 
 俺は軽く首をひねったが、深く考えることなく膨れあがったエコバッグを持ち上げた。元々普段の買い物における買い出し量を正確に把握しているわけではない。食費の運用もすべて光琉に一任しているが、必要以上に浪費をするようなこともないだろう。アホの子な妹ながら、その点ではこちらも信頼を寄せているのである。

「で、にいちゃん。別れ際にあのオジャ魔女と、何を話してたの?」

 スーパーを出て少し歩いたところで、司令官様が俺にご下問あそばせた。くそ、やっぱり気にしてやがったか。

「ん、ああ、あれは何でもない。明日の宿題について、奥杜に質問してただけだ」

「ミエスイタ嘘は言わないの。にいちゃんが宿題のことなんて気にするわけないでしょ。そんなマジメな人間じゃないでしょーに」

「どういう意味だ……とにかく、お前には関係ないことだ。いちいち詮索するんじゃない」

「ま、ツマの目の前でアイジンとミツダンしといてこの態度、なんて図々しいのかしら」

「図々しいのはお前の言い分じゃ」

「ああ言えばこー言う! まったく、そんな風に育てたおぼえはないわよ」

「俺も育てられた覚えはねえよ!」

 例によって益体やくたいもないやり取りを続けているうちに、我が家についた。

 玄関をくぐり、ダイニングのテーブルに買ってきた食材を一旦置く。ボロボロの制服を脱いで部屋着に着替えてから仏間へ行き、兄弟そろって母の仏前で手を合わせ帰宅の挨拶をした。毎日やっている儀式ながら妙に後ろめたい気持ちになるのは、多少なりとも実の妹を異性として意識してしまっているせいだろうか……

 「これは一時的な気の迷いだ。前世の記憶がもどったばかりで、まだ頭が混乱しているんだ。もちろん間違いなんて絶対おかさない! すぐ元の兄妹に戻るから勘弁してくれ、母さん。」

 心の中で、必死に死者へと弁解する俺だった。もちろん、隣の生者には間違っても聞かせられない。

 母へ手を合わせ終えると、光琉は俺への追及を一時棚上げしたらしく、さっそく夕食の準備に取り掛かった。これ幸いと妹から離れ、俺は2階にある自分の部屋へと上がっていった。

 ドアを開けると、惨憺たる自室の現状が眼に飛びこんでくる。今朝、暴走した光琉の聖光によってめちゃくちゃにされた後、片づける暇もなく登校したのだった。

 途方に暮れていても仕方ない。俺はスクールバッグを片隅に避け、可能な限り自室の原状回復を試みることにした。

 バラバラになりかけたラックを組み立てなおし、床に散乱した本や雑貨をその中に並べる。ベッドを整え、ほこりっぽい床をハンディタイプの掃除機でひと通りさらった。所々破れたベッドカバーやカーペットは、当面このまま使うしかないだろう。前世から、インテリアにはさしてこだわらない性分だ。襤褸ぼろ1枚をまとって野宿したことなど、サリスの生涯にはいくらでもあった。ただ原型を留めていないカーテンだけは、早々に取りかえたいものだが。

 壁やガラスに走った、無数の細かいひびも改めてチェックする。ガムテープなどで応急処置は済ませたが、いずれは然るべき業者に修復を依頼しなければならないだろう。その時に、さて、何と説明をしたものか……

「それにしても、つくづくえげつない威力だなあ」

 光琉の聖光に思いを巡らせていると、つい独り言が漏れた。術へも昇華していない光そのものを無作為に発散しただけで、危うく俺の部屋が崩壊しかけた。もしこれを術として集約したら、それも先程公園で使った"聖波せいは"や"聖輪せいりん"のような浄化作用に特化した術ではなく、破壊を目的とした攻撃魔法へと練り固めたら、どれだけの威力を発揮することだろうか。想像するだけで、背筋が寒くなる気がした。

 そして我ながら、至近距離でこんな凶暴な光を浴びて、よく無傷でいられたものだ。今朝、荒れ狂う聖光に身をさらしながら、俺はその発生源である光琉へと近づいていった。その際、まぶしさで眼にはダメージを負ったものの、他には身体のどの部位にも外傷らしい外傷は生じなかった。光琉が落ち着いた後、"慈光じこう"で回復したのも俺の両眼だけだった。

 今になって思えば、いささか妙な気もする……はて?

「にいちゃーん、ごはんできたよーー」

 階下から妹の声が聞こえてきて、ハッと我に返る。頭の中で何かを思い出しかけていた気がするが、その手触りもどこかへ吹き飛んでしまった。

 考え事をしながら部屋の片づけをしていたから、時間の感覚が麻痺していたらしい。時計に眼をやると、2階にあがってきていつの間にか2時間以上が経過していた。窓の外では、すっかり夜も更けている。

 周囲が見えるようになると、猛烈に空腹を感じた。部屋もあらかた片づいたことだし、こちらは一旦切り上げてダイニングへ降りることにしよう。

 それにしても、光琉は帰宅してから今しがた俺を呼ぶまでの間、ずっと夕飯の支度にかかっていたのだろうか? 妹も今日は相当疲れていたはずだ。そんな気合い入れて作らんでもいいだろうに、とも思ったが、料理に熱中することがあいつなりのストレス解消法だったのかもしれない。

 階段を降りて一階の廊下に立つ。途端、馥郁ふくいくたる香りの洪水が、鼻腔の奥へと流れこんできた。

「いらっしゃい、にいちゃん。待たせちゃって、ごめんね?」

 ダイニングの入り口をくぐると、部屋着の上から飾り気のないエプロンをつけた光琉が立っていた。手を後ろで組みながら、上目遣いに微笑みかけてくる。長い黄金色の髪を後ろでひとつに束ねているのは、普段から妹が調理をする時の習慣である。

 あざとい、実にあざとい仕草である。だがそれだけに、コウカハバツグンだった。なんだ、この宇宙一可愛い生き物は?

 完全に油断していたので、一瞬脳がとろけそうになる。目の前で微笑む妹の風情はまるで、仕事帰りの夫を出迎える新妻のような……っていかんいかん、実の妹に対してなんちゅー連想を働かせとるんだ、俺は!! 光琉のエプロン姿なんて、普段から見慣れてるだろうが。

 仏間から圧迫感が伝わってくる。俺の気のせいだとはわかっているが、それでも無視することはできない。違うんだ、亡き母よ。これはすべて、前世の記憶が俺を惑わすせいなのです。もう少し、もう少しだけ待ってください。必ず、昨日までのフツーの兄妹に戻ってみせるから……
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