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第2話:番長はどこへ消えた?

葉桜の季節に怪談を語るということ(前)

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「それ以来、番長を見た者はいなかったのよ。仲間のツッパリたちの前にも、二度と姿をあらわすことはなかった……」

 まるで怪談話をしめるような調子で、安双あそうは語り終えた。

 俺の横では小夜乃さよのが、ななめ向かいではきのとが、ペンを動かして何やらメモ帳に書きこんでいる。今の話の要点や疑問点をまとめているのだろう。適当に聞き流していたのは、俺だけだったようだ。

 話の中に出てきた1階の各部屋は、今の第二部活棟にも現存している。ただ用途がだいぶ変わったものが多い。調理室はその機能自体はまだ残っているが、設備も古く授業で使われることもなくなり、現在は”激辛風味愛好会”が専用の部室として利用し、時々入り口の隙間から廊下に刺激臭をただよわせている。当時の職員室は、旧本館の中でも最もスペースの広い部屋で、現在は”前衛舞踏部”の部室になっている。空き部屋2つもどこかの部が入っていたはずだが、それらが何部だったかは忘れてしまった。東端倉庫は各部が部室に入りきらなかった重要度の低い備品を無造作に放り込む共同倉庫として利用されていて、こちらは当時からあまり用途が変わっていないようだ。

 安双が普通覚えていないような細かい点まで再現できたのは、持参したノートやメモをチェックしながら語っていたからだ。その年季の入ったノート群には、事件直後の覚書やその後関係者に聞き取りした内容が、細部にわたって記されていた。俺も何冊かパラパラめくってみたが、その精密さにおどろかされた。そしてどうやら安双がホラを吹いているわけではないらしい、と認めざるをえなかった。

 しかし聞いた話が本当だとすれば、たしかに奇妙な話だった。一階に降りたはずの番長が、階段上り口から昇降口までの間に姿を消した。階段脇のドアも、無人だった部屋も、廊下の窓も、全て内側から鍵がかけられていた。どこにもかくれるスペースはなく、そして有人だった部屋の人間達は「そんな人物は入ってこなかった」と証言している……

 さらにその番長のきていた学ランが本館外のプールで発見され、以後完全に姿を消してしまったという尾ひれまでつけば、なるほど幽霊の仕業と思いたくなる気持ちもわかる。

「この高校にプールなんてあったんですか?」

 話を聞き終えた小夜乃が、真っ先に口にした疑問がそれだった。確かに今現在、我が校敷地のどこにもプールなどというものは見当たらない。たまに水泳の授業がある時は、クラス総出で近くの市営プールへおもむくことになっている。

「10年くらい前までは屋外プールがあったけど、取り壊しになったんだそうだ。何でも近所の小学生が勝手に入りこんで排水溝に足を取られ、溺死する事故が起きたらしいな」

 乙が手元のスマートフォンをのぞき込みながら、疑問に応えた。当時のネット記事を検索して、確認したのだろう。安双もさきほどからスマホを目の前のテーブルに置いて、しきりに中のメモを確認したりしていた。どうやら今日のために、積み上げられた古いノートの内容をコンパクトにまとめた覚書のようなものが入っているらしい。それらの光景を見て「ふん、現代人め」とややひがみの混じった感想を抱いてしまうのは、自分がスマホを持っていないからだろうか。

 これは完全に余談だが、俺も小夜乃も未だに使用しているのはスマホではなくガラケーなのだ。周囲でそんな生徒は他に見当たらず、ラインがどうのソシャゲがどうのと騒いでいる現代高校生たちの中にあって、兄妹そろって文字通り校内の希少種と化している。小夜乃はそのような状況にも超然とした態度はくずさないが、俺の方はそろそろ時代の圧力が肩に重くのしかかってきたというのが本音である……今のところは“めんどくささ”の方が勝っているので、わざわざ機種変更しようという気にはならないが。

「さあ、以上が事件の概要よ。番長がどうやって廊下から消失したのか、長年の七不思議の謎を見事解いてみせなさい!」

 俺の屈折した感情に気づく風でもなく、鼻息もあらくOGが急かしてくる。こちらから謎に挑戦したいと言った覚えは微塵もないのだが。

 これだけの資料を掘り起こし、しかも説明用の簡易メモまで作ってくるというのは、結構な労力を必要としたはずだ。社会人のいそがしい身でそこまでしてくれるのだから、やや方向性に疑問があるにせよ、安双なりに探研の現状をうれえて献身してくれたということなのだろう。そう考えると無下にできない気もするが、同時に世の中になぜ“ありがた迷惑”という言葉が存在するのか、理解が実感として身体中に染み入ってくるのもまた事実なのだった……

 黙っている俺にかわって、乙がまず意見をのべた。

「昇降口や調理室にいた人たちが偽証している、という可能性はありませんか。実際番長はそのどちらかを通ってすぐ外に出たのですが、その際去り際に「自分がここを通ったことを誰にも言うな」と釘をさしていたとか。そして後が怖いから、目撃した人たちは番長に言われたとおり「誰も通らなかった」と安双さんに伝えたのでは」

「それはないわね」

 あっさりとOGは否定した。

「あの日は、昇降口の真ん前のグラウンドでサッカー部が遅くまで練習していたのよ。昇降口か調理室の窓から番長が出てくれば、必ず部員の誰かの眼に止まったはずだわ。でも夕方6時ごろから6時30分ごろまでの間に、校舎から出てきた人間を目撃した部員は1人もいなかったのよね」

 安双が"6時30分ごろ"までと限定したのは、用務員がた番長の長ランを職員室に持ってきたのが、ちょうどそのあたりだったからである。

 安双は後に各関係者を回って念入りに聴き取りをしたり、目撃者を探したり、現場百篇の精神で問題の階段周辺やプール周りを綿密に調査したり、或いは木村を付き合わせて当日の階段での追いかけっこを2人で再現してみたり(無理やり走らされただろう木村はまったく以て「御苦労様」である)と、消失騒ぎ以降も随分長いことこの件の解明に独自に取り組んでいたらしい。カーよりもクロフツの方が相応しく思える粘りづよさだ。結局謎の解明にはいたらなかったらしいが、そのバイタリティにはおそれいるしかない。

 ……いや、カー作品で謎が氷解したことに文句を唱えるこのOGの性格上、“徹底的に調査して幽霊以外の可能性をつぶす”ことの方が本懐ほんかいだった可能性が大きいか。そうして番長消失の究明に奔走ほんそうしていくうちに噂は校内でどんどん膨れあがり、いつの間にか学園七不思議の1つに数えられるようになったのだというが、”聴き取り”などといっても半分は事情説明にかこつけて、他の生徒に事件を”吹聴”することが目的だったのではないだろうか。今も探研のため、己が秘蔵の怪奇を泣く泣く犠牲の祭壇にささげる心境なのかもしれない。

 ともかくそんなわけで、安双は後日サッカー部へもおもむきくだんの夕方に校舎から出てくる怪しい人影をみかけなかったか、部員1人1人に聴いて回ったらしい。しかし番長を目撃したという証言者は、ついに見つからなかった。

 また階段を降りる安双たちが1階廊下に出た番長を見失ってから1階廊下に到着するまでの時間は、ごくわずかだ。そして廊下に降りた後は即座に昇降口に向かっているが、その短時間内に下駄箱前にいた女子2人を脅して口止めさせる余裕が番長にあったとは、とても思えない。よって2人の証言は信用してよく、昇降口より西側、番長を追っていた安双達から見れば“向こう側”の廊下に面した部屋のどこかに番長がかくれた、という可能性もありえない。そもそも昇降口をこえて西側の廊下まで一直線に走っていったのなら、安双が1階廊下を最初に一望した時点でまだ走り去る背中を確認できたはずで、眼をはなしたわずかな隙にそこまでの距離を駆け抜けた上に廊下に面する部屋のどこかに姿をくらますことまでできたなどとはまず考えられない……それが安双の判断だった。

「まさか番長がサッカー部員全員を脅しつけたわけでもないでしょう。仮にそうでも、うっかり口を滑らすのが1人もいないというのは不自然だわ。だから前嶋や柳沼の証言は、信用していいはずよ。番長はあの日、校庭側には出なかったし、昇降口を越えて向こう側の廊下へもいかなかった。かといって職員室に教師たちには尚更、不良のトップをかくまう理由もないはずだしねえ」

 関係者の偽証というオチは望み薄だ、と安双は考えているようだ。乙もそう言われ、自説を一旦引き下げた。こういう機微にかんしてはどうしても、実際に体験した人間の方がつよい。

「では、こう考えたらどうでしょう」

 次に発言をしたのは小夜乃だった。手を口元にあて、考えながらゆっくりと言葉を紡いでいく。モチベーションは随分と高いようだ。方向性はどうあれ部を盛り立てようとしてくれているOGの心意気に打たれたのか、あるいは提示された謎には全力で向き合わずにはいられないミステリマニアの習性だろうか。

「安双さんたちが廊下で姿を見失った時、番長――あえてこう呼ばせてもらいますけど、番長は1階東端の総合予備倉庫にかくれていたんです」

「あの倉庫には鍵がかかっていたわよ」

「番長が一階まで降りた時、倉庫の鍵はたまたま開いていたんです。番長はとっさに倉庫に入り、中から鍵をかけた。安双さんたちが鍵がかかった扉を引いて断念した時、番長は倉庫の中でそれをやり過ごしていた。倉庫のドア窓はすりガラス状になっていて、中はのぞけなかったんですよね?」

「たしかにあのドアから中はのぞけなかったけど……でも倉庫には外に通じるような窓や他のドアの類は一切なかったわよ。番長はどうやって外に出たのかしら?」

 安双は試すような笑みを口元に浮かべている。

「すぐに出る必要はありません。一旦安双さんたちをやり過ごした後で、安双さん達が調理室か職員室に入っている隙に倉庫を抜け出し、校舎裏のドアから外に出ればよかったんです。あるいはもっと後、先生も生徒も全員帰宅した夜遅くになるまでまって、こっそり学校を後にしたということもあり得ます。どうでしょう、こういう考えは」

「小夜乃ちゃん、やるじゃない。さすが古今のミステリを読み込んでいるだけのことはあるわ。やる気のないお兄ちゃんより、ずっと探偵の才能があるんじゃない?」

 安双が俺の方を横目でみながら、あからさまにあてつけてくる。まあ、真剣味が足りない点は認める。現在は春の範疇にはいる季節である。外はあたたかい風とうららかな陽射しに満ちあふれ、建物裏の桜はそろそろ葉桜になろうとしている。そんな時期に、狭い部屋に雁首そろえて夏の風物詩ともいえる怪談について語り合っている状況が、どうにも馬鹿馬鹿しく思えて仕方ないのだ。俺は、何か間違っているだろうか?

「ありがとうございます。でも兄の推理の才能は天賦のものです、私など足元にもおよびません」

 妹が安双に対して真顔でそう返すのを聞いて、俺は思わず眼を覆った。やめろ、そういうことを堂々と他人に言うんじゃない。

「……そ、そう」

 OGは小夜乃の返答に心持ち身を引いたが、1つ咳ばらいをして何とか体制を立て直した。

「たしかにあの倉庫は、よく空きっぱなしになってたわ。利用した人が鍵をかけ忘れてね。ガキくさい男子たちが、たまに休み時間のかくれんぼスポットに利用していたくらい」

「それなら……」

「でもねえ、あの日に限っては、それはあり得なかったのよ」
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