冷たい桜

七三 一二十

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 午後から雨になった。

 予想外に冷たい春雨は日が暮れるまで絶え間なく降り注ぎ、地面を打ち続けた。

 僕と千依ちよりは古い神社の、やしろの軒下にいた。家や高校のある地区からは大分離れた、古く小さな神社だった。

 幸い雨が本降りになる前に社にたどり着くことができたのであまり濡れることはなかったが、どんどん気温が下がり身体の芯まで冷えてくるのはいたたまれなかった。僕たちはコンクリートの軒下に、寄り添いながら並んで腰を降ろした。千依が僕の胸にもたれかかり、僕がそんな千依の肩を片手で抱く。そうして密着し、互いの温度を伝え合って寒さを凌ぎながら、雨に濡れそぼる境内をじっと見つめていた。

 その神社は子供の頃よく2人で遊んだ、僕の感覚では僕たち兄妹だけの言わば“秘密基地”みたいな場所だった。家の近所からも離れており、ここなら知り合いに偶然出くわすこともないだろうと思った。目に映る境内の風景はみすぼらしかったが、小さい頃から馴染んだ場所のせいか、そこにうずくまって座っていると不思議と少しだけ安心できるような気がした。

「兄さん、ごめんね……」

 千依は何度も謝った。自分のせいで、僕が殺人者になったかもしれないという慙愧ざんきに、耐えかねているようだった。そう千依が呟く度、僕は彼女を抱きしめる右腕に力を込めた。

 ぽつりぽつりと千依が話してくれたところによると、あの男は浦澤うらさわといって、野球部に所属する千依の同級生だった。1年時からレギュラーを獲得していたらしいので、実力は中々のものだったのだろう。

 昨年の夏ごろ、千依は浦澤から告白をされた。「付き合ってくれ」と言われて、千依は戸惑った。クラスは同じなので名前は知っていたが、殆ど口を効いたこともなかった。千依の方ではそれまで浦澤に注目する機会もなく、目つきが鋭くて少し怖いという印象があるだけだったらしい。

 しかし千依はその告白を承諾し、浦澤との交際を始めたという。理由は先刻、浦澤が弾劾したとおりのものだった。

「私は兄さんが好きだった」

 絞りだすような声でそう言った千依の顔は怯えに包まれ、まるで教会で自らの罪を告白し懺悔する人のようにみえた。

「家族としてじゃなく、1人の男の人として……でもそれはいけないことだから、絶対許されないことだから、だから自分の気持ちを殺したかった。浦澤くんに告白された時、これはいい機会だと思った。他の男の子と付き合って、好きになれれば、兄さんへのこの気持ちも忘れることができるかもしれないって。でも、全然ダメで……それで私、あの日耐えられなくなって、兄さんの部屋に……」

 喋っているうちに気持ちが高ぶってきたのか、千依の瞳から涙が溢れてきた。しゃくりあげながら尚も喋ろうとする妹の頭を自分の頬まで引き寄せ、優しく撫であげた。

「もういいよ」

 僕は囁くように、しかし必死で、千依の耳もとで言葉を紡いだ。

「僕だって、お前がそう言ってくれて、僕を忘れられないって思ってくれて、その、嬉しかったし……」

 それは偽らざる本心だった。どれだけ頭では自分の感情を否定しようが、妹を異性として求めてしまう心を殺すことはできなかった。

 社の軒下に落ち着いてじっくり千依を眺める余裕ができると、妹の手の甲や顔の髪で隠れて目立たない部分など、至る所に無数の細かな傷が散見されるのがわかった。唇は小さく切れ、耳のすぐ傍の頬はうっすらと腫れあがり、手の指先は擦り切れて……

 僕が同級生の暴行の対象になっていたのだ、千依だって似たような目にあっていることは、十分すぎる程あり得ることだった。或いは、引き取られた叔母の家でも、虐待まがいの扱いを受けていたのかもしれない。

 全ては僕のせいなのだ。僕が兄としての理性を働かせ、自分を抑えて千依を諭していれば、妹をこんな目に合わせることはなかった。本当に詫びねばならないのは僕の方だ、と思った。

「お前は悪くない。あの男、浦澤だったか、あいつが例え死んだとしても、それは全部僕がやったことだ。千依のせいなんかじゃない。責任は全て僕が引き受ける……」

 悪くない、千依は悪くない、と何度繰り返しても、言葉は雨中の大気の中へ虚しく溶け砕けていくだけだった。

 やがて日が暮れ、境内の景色も朧気になり、暗がりに塞がれた視界の中で、雨の音と水の匂いだけが僕たちを包んだ。

 どれくらいそうしていただろう。日が陰っても僕たちは身じろぎもせず、じっと寄り添い合っていた。

 帰る場所はどこにもなかった。今頃は血まみれで倒れた浦澤が発見されて、もし意識が戻っていたなら僕たちのことを告げ、学校の教師や或いは警察が僕たちを探し回っている頃かもしれない。いや、そのことがなかったとしても、僕と千依を引き離す家や学校に戻る気は、とうになくなっていた。何故これまで離れ離れでいて耐えられたのだろうと不思議に思うくらい、僕の元へと戻ってきた千依が愛しくてたまらなかった。もう2度と離すものか、と思った。きっと千依も同じ気持ちでいてくれる、そんな確信があった。

 泣き疲れた子供みたいに、2人共無言で力なく互いにもたれかかっていた。肌に感じる互いの体温だけがこの世の全てであるかのような、そんな時間が静かに流れた。

「一緒に死のうか?」

 そんな言葉が、自然とこぼれた。
 
 僕たちの居場所はもう何処にも存在しない。それは明白だ。周囲は僕たちの関係を決して許容しないだろう。そしてそんな環境で無理に生き続ける理由も、僕には見つからなかった。

 元々千依の存在の他に、この世への未練などないのだ。となれば2人でこの世界に別れを告げ、誰にも僕たちの関係を邪魔されない場所を目指すのが最善ではないだろうか。

「一緒に……」

 僕の言葉が耳に届いたらしく、千依が機械的な調子で呟いた。聞こえた言葉の意味がまだ咀嚼そしゃくしきれず、手探りで全容を把握しようとしている、そんな様子だった。

 やがて千依は僕の眼を覗きこんできた。心なしか、妹の表情は先ほどまでより生き生きしているように見えた。

「ねえ兄さん、それって……私と心中しよう、てこと?」

 “心中”という言葉が、その時まで何故か僕の頭の中には浮かんでいなかった。しかし千依の発したその単語は、驚くほど滑らかに僕の中へと沈んでいった。

「ああ、そうだ。そうなるかな……」

 曖昧に呟いた僕だったが、ここはうやむやに誤魔化してはいけない場面だ、と思った。

「千依、僕と、心中して欲しい」

 僕は改めて申し込んだ。今度は千依の眼を見て、はっきりとした口調で。

 言うまでもなくこれは僕のエゴであり、そう望む一方で自分の道連れとして妹の命を絶とうとしていることに激しい自己嫌悪を覚えてもいた。きっと千依なら同じ気持ちでいてくれるいう自惚れが心の片隅にはあったが、ひどく弱弱しいものだった。これで千依が断ってきたら無理強いなどせず1人で死のう、そう密かに誓っていた。

「いいの……?」

 問い返す千依の声は震えていた。しかしさっきの唯々寒々しい震え方と異なり、その中には泣き笑いをこらえるような、暖かいものがあった。

「兄さん、本当に……私と、心中してくれるの?」

「こっちが頼んでいる。僕は、お前と一緒に死にたい」

「嬉しい……」

 千依は指で、眼元からこぼれ欠けていた涙を拭った。そうして一旦僕から離れ、コンクリートの軒下で正座すると、僕に向かって三つ指を付き、深く叩頭した。

「よろしくお願いします、兄さん」

 まるでプロポーズを受けるかのような、厳かな妹の口調だった。
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