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第14話:私の足りない胸囲の話はそこまでにしてほしい件

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 ありません。
 ありませんよ。
 ありませんとも。
 ほっといてもらえませんかねぇ?
 いや、まじで。
 ほっといてもらいたいんですけど!
 私の胸のことは!

 ***

 突然、アーノルド候に呼び出された。
 なんでも夜会に招待したいそうだ。

「え゛?」
 突如、ブレトンに意味の分からないことを言われて呆けた。
「変な顔しないの。はい。これ。」
「…………いやいやいや。何これ。」
「着替えて。必要なら手伝うから。」
「……なんで、コルセット?」
 困惑する私の顔を見ながら、にっこりと彼は笑った。

 数十分後。無理やり着せられたドレスを着て部屋で待機していたら、メアリーがやって来た。
「出かけるんだってー?」
 にやにやしているところを見ると、事情を知ったうえで私をからかいに来たらしい。
「笑い事じゃないから!ってかなんでこんな急!?もう少しこう、あるでしょ!」
 コルセットがきつい。叫ぶのも一苦労なんですけど!
「アーノルド候は気紛れな人らしいからねぇ。思い立ったら即行動に移すタイプなのよ。」
「こっちの都合もあるでしょうよ!?」
「あはは。ラピス最近書庫整理後回しでしょう?何を言ってんのよ。」
「それは私がワインセラーの片付けを早急に任されたからよ!」
「あ、あれラピスがやってんの?」
 メアリーはケラケラと笑い、私の首についたペンダントトップを正した。
「じゃ、行ってらっしゃいお嬢様。」
「くそう……、今度労いとしておごってよね!」
 私はそう吐き捨てて、ズカズカと廊下に飛び出した。
 こんなところから歩き方を気遣う必要はないだろう。

「あれ、子爵は……?」
 馬車に乗り込んで気づく。子爵の姿が見えない。私は首を傾げて見送りのブレトンに尋ねる。
「子爵は仕事があるからさ。追いかける形で向かうよ。」
「げ!じゃあ私一人であの人の相手を!?」
「露骨に嫌がる君は大物だよ。」
 あはは、とブレトンは笑ったが、私は笑えなかった。
「気をつけて。」
「うん。」
 馬車が走り出す。ブレトンに手をふってから椅子に深く座ると、流れていく風景を見つめることにした。
 ため息が出そうになった。
 子爵とはあの日以来きちんと顔を合わせられていない。
 それは、子爵が同情めいた目で私に見られるのを嫌うからなのか、取り乱した自分を恥じてなのか、思うところがあるからなのか、ただの偶然なのかは分からない。
「……心臓、痛い。」
 ため息の代わりに、胸の痛みを一人吐露した。

 ***

「ウィルは遅れてくるそうだな?」
「は、ハイ。」
 屋敷に着くとアーノルド直々に出迎えられたので、にっこり微笑んでみるが、アーノルドはなんだか不機嫌そうに見えた。……私フィルターかもしれませんが。
「……まあいい。掛けろ。茶を用意させる。」
「あ、は、はい。」
 き、気まずいんですけど!もう、即効気まずいんですけど!
 紅茶がカップに入れられると、私はただ湯気を見つめて時間がたつのを待っていた。
 目の前のアーノルドも何も言わない。
「……なんだ。」
「え?」
 おっと、何か言ったぞ。
「全然成長しておらんではないか。ウィルは何をやっている。」
「…………。……ホットイテモラエマスカ。」
 また私の胸囲の話かよ!!!!!どうでもいいでしょうよ!!!!????
 何のことを言っているのか理解して、心内大絶叫。
 私は小さく首を振り、気を落ち着けた。
「あの……。」
「なんだ。」
「アーノルド候は……子爵を、その、幼い頃から見てきたんですよね。」
「あぁ。奴の親は幼い時に死んでいるからな。」
「それは、いつ頃……。」
「20年ほど前だ。ちょうど、前王の王女が産まれて間もなかったころだった。」
 じゃあ、5、6歳の頃に亡くしたんだ。
「なんだ突然。」
「い!いえ!別に……!」
 私は両手をホールドアップして首を振った。アーノルドは顔をしかめてため息をついた。
「……あれは、何も話さんだろう。」
「え……。あ、はい……。」
 頷く。
「両親を、私の弟妹を失った時、ウィルは気丈にふるまった。」
 アーノルドの瞳には、悲しみが浮かんでいた。
「ヴァーテンホール家をこのまま途絶えさせるわけにはいかん。魔女の世界に波紋を作るわけにはいかん。決して取り乱すわけには、いかなかった。」
「……想像に、難くないです……。」
 難くない。むしろ、簡単に想像できる。
 だけど、あの憎悪も本物で、彼は両親を殺した犯人を心底憎んでいる。
「……ウィルの昔の写真ならいくつかあるが。」
「え?」
「見るか。」
「……は、ハイ!」
 頷いた。

 ***

 私たちの国では、写真は高価なもので貴族や王族しか持ちえないものだ。
「だいたいは肖像画だがな……いくつか、写真を撮った。あれは辛い。長いことじっとしてなければならないからな。」
「……肖像も相当じっとしてないといけないでしょう。」
「緊張感が違うのだ。」
 そんなものなのか。
 アーノルドがゴトゴトと音を鳴らして、持ってきた箱の中をあさる。
「……あった。」
 手に取った数枚の写真に、子爵は映っていた。
「…………意外と可愛いですね。」
 あ、やばい本音がでた。
 愛している、なんて嘘をついた手前、ここはもっと女子らしくキャーカワイイーなんて言っとけばよかった。
 アーノルドはそんなこと気にしてないようだったが。
「ご両親の……写真はないんですね……。」
「写真がはやり出したのはウィルが生まれた少し後だからな……。そのころはまだ高価だった。」
「今でも高いと思うけど……。」
 そこに映っていた子爵はどれも、穏やかそうな顔をしているように見えて、実はまったく無表情でもあり、それでいて、厳しい面持ちだった。
 私は黙り込んでしまった。
「どうした……?」
「いえ……。」
 10歳くらいの時の写真。
 15歳くらいの時の写真。
 20歳くらいの時の写真。
 どれもこれも。
 全部。
 おんなじような顔だった。
 私が子どもの頃、10の頃。ダイドのように旅に出たわけでもなく、子爵のように厳しい顔つきができたわけでもない。
 いつでも笑って、友達と遊んで、空に吸い込まれそうな幸福感しか、そこにはなかった。
「……これからは……もっと笑ってくれるといいですね……。」
 私がぽつりとそんなことを言うと、アーノルドは、ため息交じりに言った。
「…………お前が、それを為すのではないのか。」
「……はは。」
 その意味を理解して、乾いた声が出た。
「無理ですよ……、私には。だって……。」
 ああ、なんだか。
 無性に自分が憎くなった。
 捨てられた王女を思い、ぬくぬくとベッドの中で眠っていた私は愚かな幸せ者だった。
 所詮他人事で、人の不幸を知り、やっと自分の幸せに気付くことのできる、馬鹿だ。
「私が、こんな悲しい場所で子爵のためにできるのは……側にいるってことだけ……。」
 声が震えた。
「なんにも知らないのに、何をすればいいのかなんて、全然分からない……。」
 ずっと、子爵を悲しい人間だと、人のことを信用できない情に欠けてしまった人間だと思いこんでいた。
 でも。何にも知らなかった。
 あんなに渦巻く憎しみの上に、今のあの人が立っていること。
 私だって、同じ目にあえば、きっと憎む。
 一人で旅をしてみて、人は親切なだけではないと知った。時には騙されることだってある。
 今まで私を支えてくれた人達の温かさを深く知る前に、子爵のように拠り所をなくしていたら、きっともっと疑い深い人間になっていた。それは、生きるために。自分を、守るために。
「……お前は。」
 アーノルドの声に顔を上げる。
「お前はできることだけやればいい。誰しも、できること以上のことは、できないものだ。そうやって人は、自分のできることをお互いにしあって、支えあっている。過不足あれば、それはただの押しつけであり、依存だ。」
 ずっしりと、しっくりと心の中にその言葉が落ちるのを感じた。
「……は」
 頷こうとした時だった。
「ラピス。」
「!」
 部屋の扉が開く音と子爵の声がして、私とアーノルドは同時に振り向いた。
「伯父上。予想外だな、一緒にいると思わなかった。」
「ウィル。やぁ着いたのか。」
 子爵は扉を閉めこちらに向かってきた。
「何をしてるのです?」
「あ……えっと。」
 子爵はこちらに寄ってきて、私達が持って見ているものを見て苦笑いをした。
「……また、珍しいものを……。」
「懐かしいだろう。」
「恥ずかしいですよ。」
「この娘も意外と可愛いと褒めてたぞ。」
「……意外とは失礼な。」
 す、すみませんねぇ。
「用は済んだのか。」
「ええ。」
 なんだか、すごく久しぶりに顔をきちんと合わせた気がする。
 じいっと子爵を見ていたら、彼は視線に気づいたように振り向き、言った。
「ラピス。少し外を歩かないか。」
「え?」
「伯父上、ちょっと、行ってきてもいいですか?」
「あぁ。」
 アーノルドは短く頷いた。
「行こう。ラピス。」
「え、え?あ、い、行ってきます……!?」
 半ばずるずると引きずられるかのような形で外に連れていかれる。
 アーノルドは黙ったまま手を振って見送っていた。

 ***

「……立派な庭ですね。」
 連れてこられたのは庭だった。ひたすらだだっ広い、庭。
「此処にはありとあらゆる薬草が植えてある。」
「え?」
「薬にも毒にもなる代物ばかりだ。一般人には全く分からないが。」
「…………わかんないです。」
 子爵はふっと脚元の白い花を取った。
「これは、例えば人を死に至らしめることができる。」
「ぶ、物騒ですね。普通の花に見えますけど……。」
「そう。」
 彼は頷く。
「そういうものなんだ。」
 その言葉は意味深で、私は何も言えなくなってしまった。
「ウィル様?」
 突然、後ろから声を掛けられて子爵は振り向いた。私も彼の目線を追って声の主を見る。
「やあ、君か。」
 庭師だろうか。男がそこに立っていた。
「いつお着きに?って、わ、その花素手でとっちゃだめですよ。」
「大丈夫だ。根には触れていない。」
「草の汁も多少なりとも有毒ですよ?」
「体内に入らなければ問題ないよ。」
 彼はくすっと笑ってそれから私を見た。
「こちらは……?」
「あぁ。ラピスだ。今私の屋敷にいる。」
「は、はじめまして……!」
 挨拶する。
 彼は微笑んだ。ハンサムな男だった。
「はじめまして僕はビゼー。今此処で庭師をさせていただいてます。お噂はかねがね。主から。」
「はは……。」
 どうせいい噂ではないだろう。
「庭を散歩中ですか。」
「あぁ。」
 彼はにこっと笑って一礼し去っていった。愛想もいいし、礼儀も正しい男だった。
 子爵が歩き出したので、私も慌ててついていく。
「こっちだ。」
 散歩。という感じではなかった。どこか、連れて行きたいところがあるのだ。
「あ……。」
 目の前に大きな室内薬草園が見えた。
 子爵はおもむろに鍵を取り出し、扉を開けて中に入った。私もそれについて入る。
「うわ……。」
 甘い匂いがした。
 花がたくさん咲いている。
 蒼い花だ。見たこともない。鮮やかな。
 子爵は鍵を閉めた。
「これって……。」
 想像がついていた。
「魔女の粉の原料の一つだ。」
 やっぱり。
「……私の両親が殺されたのは、私が5つの時だ。」
 語り始めた子爵の顔は無表情だった。あの燃え盛るような、憎しみは見えない。
「暗殺の手口からして、それは武民のものだとすぐに分かった。」
「……だから、アーノルド候は武民を毛嫌いしているんですね。」
「ああ。あの人の武民嫌いはあれ以降だ。私達は必死でその暗殺者の武民を探した。目撃情報はほとんどなかった。ただ一人、城の者の一人が赤い髪の男を見たという以外は。」
「ロッソと呼ばれる人のことですか……?」
「はっきりとは分からない。だが、その可能性は極めて高かった。奴はあの頃すでに名をはせていたからな。」
 私は全然、そんな人のことなど知らなかったけれど。
「奴の行方を追ったが、全く手掛かりはなかった。奴は名誉を欲しない。名前も残さない。足跡を残さない。尻尾を掴むことができなかった。だから……。」
「だから、ダイドの話を聞いて、あんなに必死だったんですね。」
「ああ。」
 私は眉を寄せた。
「……どうして今その話を?その話は無かったことにして欲しいと言われました。」
「君を泣かせておいて、無かったことにしたいなんて、むしが良すぎるからな。」
 それだけ?
「それに君が。」
 そっと頬に触れられる。
「いつまでも気まずそうにしてるから。耐えかねて。」
「……それはこっちのセリフです。」
「はは。」
 手が離れる。
「子爵は、恨んでるんですよね……。」
「奴を?」
 聞き返しておいて、子爵は頷いた。
「恨んでいる。殺してやりたいくらい。復讐心など醜い感情だということは、分かっている。」
 彼は自分の思いと、その醜さを認めていた。
「……私、今まで人を信じない子爵のこと、色々、言ってきましたが、何も知らないのに好き勝手言っていたこと、謝ります。」
「いや……。」
「でも、撤回はしない。」
 強い目で、見据える。
「無かったことにしない。だって信じて欲しい。憎しみにとらわれたままなんて、そんなの悲しい。そんなの……子爵ばっかり、……苦しい。」
 憎しみは呪いだ。心を焼き、目を覆う。自分ひとりが苦しいだけだ。
「私は、子爵には苦しまないで欲しいです……!」
 子爵はじっと私を見て、そして目を閉じて笑った。
 そのしぐさに呼応するように、花の群れが、風の無いこの空間で少しだけふわりと揺れた気がした。

 ***

 夕餉は滞りなく終えた。
 アーノルド候にどやされることもなく。上品に振る舞うふりも多分できた(ハズ)。
「え。泊まっていくんですか?」
 突然今夜は城に帰らないという話になった。
「あぁ。夜も遅いし。そういうことになった。」
 でも着替えとか。
「安心しろ。着替えならいくらでもある。」
「あ、そうですか……。」
 ですよねー。
「ただ。」
「え?」
「部屋は、ひとつしかない。」
 にっと笑った子爵の顔で、何が言いたいのかよく分かった。
 私は露骨に顔をゆがめた。
「……あるでしょ。絶対。」
 この広い屋敷に客間なんてきっと腐るほどあるでしょうよ!?
「残念だが、ないんだ。ブレトンと私達用の部屋しかね。」
「じゃあ、私がブレトンの使う部屋でいいです。子爵がブレトンと寝てください。」
「おいおい男と同衾しろと言うのか君は?」
 それも想像したくないけど!
「な、なんでですか!?し……失礼ですよ!嫁入り前の娘の部屋に……!」
「愛してる、と。」
 ぎくっとした。
「アーノルドに言ったんだってね?」
「………………言イ……マシタ……。」
「ここで、別々の部屋を所望したら、不自然じゃあないか?」
「……そ……。」
 痛いところを!
「私は構わないが……。叔父上には、どう思われるか……。」
「……っそ!それじゃあそれで良いですよ!!!!!!馬鹿!」
「っあっはは……!馬鹿とは酷いな。ラピス。」
 くっ!!
 顔をそむけた。
「ラピス……。」
 子爵はそんな私の顎を優しくすくい取り、顔を上げさせた。
「は、ハイ……。っわ!」
 子爵の唇が耳元に来る。
「私はアーノルドと話がある。深夜には部屋に戻る。待たずに寝ていたらいい。」
「…………は、はい……。」
 子爵はにっこりと笑って、その場を去った。
 これは、もしかしなくても、絶対絶命じゃないか!?

 子爵が行ってしまった後、ブレトンが着替えなどを持ってこの城のメイドと部屋にやってきた。
「あ、これ、寝巻ね。……って、なにその顔?」
「いいえ……。」
 どんな顔していたのかしら。多分ゲンナリしてたんだろう。
 広い部屋だ。暖炉やテーブル、椅子、ピアノまで置いてある。
 ただし、ベッドは一つ。
「ブレトンは……?どこに泊まるの?」
「僕?僕はこの横の部屋。何かあったらすぐに飛んでくるから。」
 その何か、の中に、私の身の危険は含まれてなさそうだな。
「何、どうしたの?」
 ブレトンが苦笑いした。
「そんなに緊張してちゃあ、痛……―――」
「面白がんのやめてくれない!?!??!?!?!」
 こんの腐れ従者!!!
「はは。でもまぁ、多分子爵はなかなか帰ってこないと思うから、君は待たずに寝てたらいいよ。」
「……うん。」
 チラリ、と傍のソファーを見る。
「あ、ソファーで寝ようとかそう言うのは多分無意味だからちゃんとベッドで寝なよ?」
「……はあい。」
 こんのエスパー野郎!!!
 ブレトンは笑った。
「大丈夫。聞き耳だけは立てないように僕も早く寝……――」
「いいからとっとと出てってくれる?!?!」

 ***

「――それで……。」
「時間はかかったがわしもマリットについて、再調べを行った。」
 深い赤のろうそくの灯が部屋を染める中、子爵とアーノルドは真剣な顔で向き合っていた。
「そしたら、かなり古い事実だが……。」
「?」
 かさ、と紙がテーブルに置かれた。
「密書だ。」
「?何の……。」
 子爵ははっとする。
「これは……。」
「そう。城からの密書だ。」
「城?」
「返書のようだ。おそらくマリットが城に送った密書に対する。」
「なんと、書いてあるのです……?」
「読むといい。」
 子爵はゆっくりと紙を手に取り、読み始めた。
「…………なんですか、これは。」
 顔をしかめる。
「これは、20年前のものだ。王が一人目の、お子を授かってすぐの頃。……お前、その姫の名前を知っているか?」
「知っています。確か、セツキとか……。」
 アーノルドは頷いた。
「男の名だ。王は男の赤子を強く強く望んでいた。それが……。」
「女だったことは、魔女の呪術によるものだと……?」
「馬鹿げとるがな。」
「馬鹿げてる……!」
 声を荒げた子爵を見て、アーノルドはため息をついた。
「お前の両親は、どうやら城に殺されたようだ……。」
「城、……王が、ロッソを雇った者……?」
 世界が歪んで見えそうなくらい、頭がいっぱいになった。
「マリットが嗾けた。それが真実だろう。」
 子爵は自分の手のひらで自分の額を一度叩くと、そのまま前髪を掴み、俯いた。
「……ウィル。」
 そんな子爵を見かねてアーノルドが肩に手を置く。
「マリットは……。どうしています。」
「捕えてある。だが、殺していない。」
「私が殺してやる……!」
 ガタン!と音と立てて、子爵が立ち上がった。
「ウィル……!」
 アーノルドがそれを抑止する。
「これは魔女の世界の話ではない。貴族間の話だ。今マリットを殺したら、マリット家の人間と争いを起こすことになる。お前はポルヴィマーゴを私怨で争いに巻き込む気か?それは、魔女のやり方に反する。お前は、魔女も敵に回すことになる。」
「しかし……!」
「気持ちはわかる。ウィル。マリットは3日後に解放することが決まっている。監禁はしているが、表向き、あいつはお前の屋敷に詫びを入れに来たことになっているからな。」
 子爵は顔をゆがめた。
「だが、魔女のやり方でなら……。」
 子爵は顔を上げる。
「魔女の粉を使う。それしか方法はない。ウィル。」
「ですが……。」
「魔女の粉を使う理由は十分だ。やつは、魔女の秘術を得ようとした。魔女の粉の紛い物をお前の使用人に使った。そうだな?」
「えぇ……。」
「お前が動け。お前が……、魔女の合意を得て、魔女の粉を使え。それしか、やつを殺すすべはないぞ。ウィル……。」


 子爵が部屋に戻ると、部屋は真っ暗になっていた。
「ふ……。」
 思わず笑ってしまう。
 ラピスがベッドの隅っこの方で、まるで棒にでもなったかのような態勢で寝ているのだ。もうひとつの枕がベッドの反対側の端に追いやられているのもおかしい。
 ギシ……っ
 子爵はラピスが眠っているのと反対側のベッドの端に腰を下ろした。そして、ゆっくりと深いため息をつき、大きな手で顔を覆った。
 月明かりが届く部屋の中。
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