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ストーカー

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 注文していたタン盛り合わせが運ばれてきた。

 薄切り、ネギ塩、厚切りの三種類のタンとレモンが並ぶ皿は、花びらのように美しい。同期でもある幹事が率先して網へと肉を並べていくのを、凌太は恐縮した面持ちで見ていた。それは、他の参加者二名も同じである。

 本来なら、営業部の同期四人での食事会の筈だった。不定期に行われる有志のこの会は、主に会社の愚痴を言い合うガス抜きの場だ。気心知れた四人でくだを巻いて、翌日からは仕事を頑張ろう!と、なる筈だったのだが……乾杯を終えたばかりだというのに四人の口は重い。

 それは、この場に呼んでいない五人目の参加者がいるからだった。

「店長ー!次、日本酒!いつものをね、人数分お猪口ちょうだい!」

 低いが良くとおる声でジョッキを掲げる人物は、他でもない墨谷部長だった。

「部長、日本酒ですか?!」

「この店、うちの日本酒入れてくれてるんだよ」

「墨谷さんが入れろって言うからじゃないですか!」

 酒を前にいつもより饒舌な墨谷に、注文を受けた店長が笑いながら言葉を返す様子に、皆は感心していた。

 その中で凌太だけは違う事を考えていた。

 セナの働く店から近い、この焼肉店にあの酒を卸すようにしたのは墨谷部長だったのである。

 宴会場を決めかねていた幹事が、ぽろっとそれを部長に洩らしたところ部長が紹介して予約までとってくれた店だとまでは駅から歩く道中で聞いていたけれど、いざ店に入ると部長が先に座っていたのには皆驚いた。

 常連顔をした部長は、マッチョ店主に驚いたままの凌太達を紹介してくれた。店主は初めてかのような笑顔を向けてくれたけれど、凌太にだけは意味深に見えた。

 凌太は特に特徴のある客ではないはずだが、店主は凌太がこの店に来た事があると気付いているに違いない――そういう笑顔だった。

 しかし大人の対応でとりあえずこの場では初めてのふりをしてくれた事が有難かった。

 この店を知っているからといって、なんら後ろ暗い事はないのだけれど、痛くない腹でも探られたくないというものだろう。

 たまたまこの店を知っていて、たまたまこの店の近くに風俗店がある、ただそれだけの事だ。そう、たまたま。たまたま。偶然。

「そういえばこの近くに有名な風俗店があるのお前ら知ってるか?」

「ぶほっ?!」

「あー……なんでしたっけ、何か前に聞いたような。でも、確か男が働く店じゃなかったですっけ?」

 ジョッキに残っていたビールを吹き出した凌太を気にも留めず、幹事が受け答えをすると、墨谷は上品な細い眉を歯の字に下げた。

「なんだよー俺がお前らくらいの時は、そういう時はよくわからんにしても『行きたいです!』って前のめりになったもんだけど――どうした夏木、胸元が濡れてるぞ?」

 濡れたシャツをおしぼりで拭き続けていると、全員分のお猪口に日本酒を注ぐ墨谷が茶化すように声を掛けた。

「この中で一番いじられ役は夏木か?」

「まあ、そうですね」

「お前ら酷いな?!」

「よし、じゃあお前が一番素質ありそうだから俺が連れてってやるよ。もちろん奢りだ!」

「えぇ!?」

「良かったなー夏木ー」

 同期達が棒読みで祝福の声をあげている。なんという事だ。

「ぶ、部長は行った事あるんですか?」

「まあその辺は行った事あると言っても無いと言ってもプライベートな事だから、秘密だ」

「いやそれってあるって事じゃないですか?!」

「えー?こんなオジサンの性嗜好聞きたくないだろ?」

「それは……確かに……!」

「なんだよ、夏木可愛がってやってるのに……もうちょっと上司に興味を持て!なあ、お前ら?」

「そうですねー。夏木はどっちかと言うと全てに無頓着なので」

 同期達が責任なく部長に同調すると、うんうんと墨谷も頷く。

「いや、あの、昼間に俺、部長に言いましたよね?」

「何を?」

「え、あの……えっと……す、好きな子が……いるって」

「マジで?!」

「いつから?!」

「どんな子?!」

 顔を赤らめながら告げた凌太を質問攻めにしたのは同期達だ。彼女と別れた事は言っていたが、セナの事は言っておらず――というか言えるわけもなかったのだけれど――この後セナの事を要所要所を濁しながら説明するハメになった凌太は、心の中で墨谷を睨んだ。

 一通り凌太の想い人をいじり終えた頃には、部長がいる飲み会もかなり無礼講になっていた。もちろん皆酔っぱらっていたせいもある。そんな中、ちらりと腕時計を見た墨谷が、凌太を店の外に呼び出した。

「何ですか部長?」

「どうする?本当に好きな子に操立ててるなら、この後遊ぶ店には連れていかないが」

「え?!」

「まあこれは俺の持論なんだけど。今はまだ好きなだけだろ?じゃあフリーと変わらないからどれだけ遊んでも良いと思うんだよね。まあ俺がそう思うだけなんだけど。でも付き合ってから遊ぶとさ、色々不都合もあると思うんだよ。だから、告白しろって昼間言ってしまった手前、最後に遊ばせてやろうかなと思って今日俺も飲み会参加したわけなんだよ」

「な、なる……ほど……あの、連れていくつもりの店って……」

 ギリギリ納得できる墨谷の理由を飲み込むと、確認しておかなければならない事を訊ねた。

「この角曲がって、また曲がったところにある紳士秘密倶楽部ってとこ」

 やっぱり。心臓はドキドキと早鐘を打つが、表面上はなるべく平静を保って会話を続ける。

「そこって働いてる人も客も男の店ですよね?」

「ああ、そうだが」

「俺、ゲイに見えますか?」

「あ」

 短く呟いた後、軽く口を開けて墨谷の動きが止まった。

 墨谷が次の言葉を発するまで何も言えなくて、なんとなく夜空を見上げた。都会のネオンにかき消されたのか、雲が無い空に星は瞬いていない。

「すまん、実は、俺が知ってる店ってそこしか無くてだな」

「あの、失礼ですがあそこってМ性感店ですよね?……部長はMなんですか?」

「そういうわけでも無いんだが……」

「もっと失礼かもしれないんですが、部長はゲイなんですか?」

「それも、そういうわけでも無いんだ」

 言いながら墨谷は薬指に嵌められた指輪を撫でた。どうやら何か理由があるらしい。酒も入っているせいか、凌太の中の好奇心がむくむくと大きくなっていく。

 いつも優しく導いてくれる頼りがいのある墨谷が、珍しく言い難そうに狼狽える姿を見ると親近感を覚えずにはいられない。

 同時に、同じ店に通う同士を初めて見つけた事が嬉しかった。仲間と出会うなんてレアだと思う。無性に凌太も本当は店に通っている事を告げたくなった。

「あの、俺も相談があるので……ちょっと二人で飲みなおしませんか?」

「そう、だな。お互いもう少し腹を探り合った方が良さそうだ。アイツらに適当な理由つけてくるから待っといてくれるか?」

「わかりました」

 墨谷が二人分の仕事鞄を持って凌太の元へ戻るまでの間、また夜空を見上げた。星は相変わらず見えないけれど、大きな月は街の明かりに負けじと姿を見せつけている。

 今夜はセナの出勤日だ。あの部屋から、セナもこの夜空を見上げる事はあるのだろうかと思うと、胸の奥がきゅうとなった。
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