彼が幸せになるまで

花田トギ

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寺内侑吾27歳、独身、子持ち

侑吾と蒼汰

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 良く響く低音で『侑吾』と俺の名を呼ぶ人は、もういない。夢の中でならあの人に会えるだろうか。そんな風に思いながら、鳴り響く目覚まし時計を目を瞑ったまま解除した。そして二度寝に勤しもうと、温まったふとんに潜り込む。
「ゆーちゃん!」
 低音とは程遠いボーイソプラノに名を呼ばれ、侑吾は勢いよく目を開けた。
「あれ?」
「もう!僕もう出なきゃならない時間なんだけど?」
 ぷんぷん、と眉を寄せた目元は雪さんに似ているけれど、体の大きさはかなり違っている。さながらミニ雪さんだ。
「あれ……?蒼汰くん……?」
「まだ寝ぼけてんの?朝ごはん準備してあるからちゃんと食べるんだよ。これ以上細くなって倒れられても、僕まだ運べないんだからね」
 くちびるを尖らせる仕草はまだ幼いが、ランドセルを背負うのが様になってきて微笑ましい。
「わかってるよ、ありがとう。……支度自分で出来たの?」
「ゆーちゃん、僕の事何歳だと思ってるの?」
「えっと……八歳」
「そう。八歳なの。もう中学年なの。低学年じゃないの」
 言い聞かせるような口調は、あの人に似ている。あの人はもっとからかうような言い方をしたいたけれど。
 似ている部分を見つけて、嬉しく思うと同時に心の奥が痛むのはまだ変わらない。
 目を擦りながら、玄関へと進む蒼汰の後ろをついて行った。
「そうだよね、気を付けてね。朝ごはん、ありがとう」
「今日は始業式だけで早いから、終わったら晃さんとこで待ってるからね!」
「うん。分かった。伝えておくね」
 蒼汰は狭い玄関で靴を履くと、くるりと体をこちらに向けた。
「……ほら、僕もう行くよ……?」
「ふふふ」
 こんな所はまだまだ子供だなと思いながら、靴を履いたままの蒼汰を抱きしめた。
「ぎゅー」
「ぎゅーっ……ゆーちゃん、いってきます」
 五秒ほどの抱擁は、あの日から毎朝のお決まりになっていた。今日も無事でいますようにと願いを掛けて二人は一日一日を重ねてきていた。確かな日々は、蒼汰の成長という目に見えるものが実感させてくれていた。
「はい、いってらっしゃい」
 ゆっくりと閉じていくドアに、ふふ、と笑みを向けながら優しく手を振った。
 あの人を見送った、あの日と同じように。
 侑吾は小さな仏壇の前に置かれた濃紺のマフラーを少し見つめてから、キッチンのテーブルへと座った。 
 蒼汰が用意してくれたのは、トーストと目玉焼き。目玉焼きは蓋をして黄味の表面に膜を作るのがすきなのは三人とも同じ。牛乳がたっぷりはいったカフェオレがまだ暖かな湯気を出している。
「さすが。父親の血を引いたスパダリ気質」
 生活能力の高さに苦笑いしつつ、たっぷりバターを塗られたトーストに噛り付いた。
――寺内侑吾、27歳。未婚。死んだ彼氏の連れ子との生活を始めて、三度目の春を迎えていた。
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