彼が幸せになるまで

花田トギ

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事件

柔らかなベッド

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「ちょ、……?!ど、どうしたんですか?!」
 両手で抱きしめられたまま、抱き上げられる。隣の部屋に移動した所で、手が離れた。痛みが来るかと目を瞑り身構えたが、思いの外柔らかい感触に驚いて目を開いた。
 目だけを動かすと、そこはベッドルームだった。ふかふかのベッドが心地よく侑吾の体重を受け止めている。
「鷹司さん!?」
 仰向けになった侑吾の上に、鷹司が覆いかぶさるというこの状況はとてもマズイというのは本能で理解した。萌香に勧誘されるほどの体躯を持つ鷹司は、侑吾が押しても叩いてもビクともしない。
「いいかい?男が服を贈る時は、脱がせる時を想像して贈っているんだよ」
 不穏な言葉を口にして鷹司はベストのボタンに指をかけていく。一つ、二つ、と外されていくボタンはまるで理性のタガのようだ。
「そん、な……!?た、鷹司さんは結婚するまでそういう事しないって言ってたじゃないですか?」
 暴れながらの抵抗する言葉に、鷹司は面白そうに低く笑い声をあげた。間接照明の薄暗い部屋で、ぼんやりと映し出されるその顔には、いつもの飄々とした表情は無かった。
「あれを信じたのか?自分でいうのもなんだが、私はやり手の経営者だぞ?……ピュアすぎるね、侑吾は」
「嘘なんですか?鷹司さん……、止めてくださいっ」
「うーんこんな好機を逃すのも勿体ないけど、無理やりは信念に反するんだ。……どうしようかな」
 手首を片手で捕らえられ、シーツに縫い付けられた。大きな手は容易く侑吾の自由を奪う。鷹司の後ろには街の光が星のように輝きだしている。僅かな時間に太陽は追いやられてしまったらしい。
 男に見下ろされる感覚が恐ろしくて、バタバタと足を動かし続ける。その目に涙が浮かんだのを見て、鷹司は手を緩めた。
「すまんすまん、ちょっと悪ふざけが過ぎたようだ」
「え……?」
 ぱっと両手を上げ謝る鷹司の顔には、先程のような湿度は感じられない。
 その時、ポケットに入れていたスマートフォンがヴヴヴと鳴り始めた。どうやら着信らしく、振動は止まらない。
 ちらりと鷹司の顔を見ると、どうぞ、と手振りをして先程いた部屋の方へ行ってしまった。
 ゆっくりと起き上がりながらスマートフォンを出すと相手は晃だった。蒼汰に何かあったのかと慌ててて通話ボタンを押す。
『ゆーちゃん大丈夫?まだかかる?』
『蒼汰くん!俺は大丈夫だよ。そっちはどう?』
『こっちは大丈夫!兄貴は一緒?』
『今はちょっと離れているけど、近くにいるはずだよ』
『わかった。気を付けて帰ってきてね。晩御飯、作って待ってるから!』
『ありがとう、じゃあ後でね』
 晃にもお礼の一言くらい言っておこうかと思ったが、早々に蒼汰によって電話は切られてしまった。電話が切れるのを待っていたかのように、鷹司がミネラルウォーターのボトルを置いた。
 まだ警戒心があるのか、受け取らない侑吾を見て、鷹司は細く息を吐いた。
「さっきはすまなかった。少し悪戯心が沸いてしまってね。……想像より侑吾がセクシーだったから止め時を見誤ってしまったようだ」
「鷹司さん!?頭を上げてください!」
 一定の距離を取る侑吾にそれ以上近づくことなく、深々と頭を下げ、鷹司は言葉を続ける。自分より圧倒的に社会的地位の高い人間に頭を下げられ、落ち着かない。
「許してくれるか?」
「許しますから!」
「よかった。じゃあ、また襲いたくなる前に部屋を出ようか」
 顔を上げた鷹司は、すっかりいつもの調子を取り戻していた。
「――もう!またそんな事言って!あんな冗談もう二度と止めてくださいね」
 いつものようなやりとりを交わしつつ、二人は部屋を出て、エレベーターへ向かう。侑吾が落としたワインは、ベルベットの絨毯に染みを広げ続けていた。
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