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第一章 義姉上の死亡記録

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 国で一番大きな教会。
 今日は歴史に残る日となるだろう。
 なにせ我が国の誇る聖女ルフィナ様と第一王子アレックス殿下の結婚式なのだから。

 吸い込まれそうな空の中で、色鮮やかな薔薇の花弁が風と遊ぶ。
 ピンクパールの長い髪をひとつに纏めあげ、小さなブーケを抱えた聖女様。彼女の動きに合わせて上質なシルクで出来た純白のドレスが輝く。
 隣に立つ王子も白いタキシードがよく似合っていた。しなやかな金髪が眩しく輝く。今日は左側だけ後ろへ流してある。翠の瞳が普段より凛々しく見えた。その目線は聖女様を捉えて離さないでいる。
 王子の熱い視線に気付いた彼女は、頬を染めて綺麗な微笑みを返した。
 聖女様は、王子よりもさらに後ろにいた自分のもとへと駆けてきてくださった。

「ジニア!」

 聖女・ルフィナ様は、学生時代からのつきあいである。

「私ね、今とても幸せ! 大好きなみんながこんなにお祝いしてくれるのだもの! ねぇジニア、貴方は変わらず一緒にいてくれるかしら?」

「ええ。聖女様がお望みとあらば」

  恭しく頭を下げた。俺は普段からカタブツと言われるが、やはり王妃になる方には一層敬意を持って接するべきだろう。
 しかし、聖女様は可愛らしく口を尖らせ、

「それは、私が『聖女様』だから?」

 何が言いたいのかと一瞬目を瞬かせたが、すぐに思い当たった。

「……失言、撤回致します。ルフィナ様がたとえ聖女でなくなったとしても、お側にいることをお許しいただけますか?」

「ふふっ、もちろん! ありがとう。意地悪言ってごめんなさい」

 そう言ってルフィナ様は王子のもとへ戻っていった。
 幸せそうに笑う彼女がそこにいる。それだけで充分だった。本当は独り占めしたいという邪な気持ちには、そっと蓋をした。
 在学中に俺と競うように彼女を求めた学友たちもきっと同じだろう。参列する者の顔は皆穏やかで、少しだけ悔しげだ。
 惜しみ無い拍手が二人に贈られる。
 このまま式は始まるはずだった。

 そこにあの人が来なければ。

「アレックス様!」

 開け放たれていた教会の扉。注ぎ込んでいた陽の光が一人分遮られた。目鼻立ちのはっきりした美しい女性だった。
 華やかな場に似つかわしくない紺のドレスが、腰まである銀髪を強調する。きつく吊りあがった紫の瞳で、ただ王子だけを見つめている。

「なぜ……なぜその女なのです! どうして私ではないのですかっ!
 私のほうがずっと貴方に相応しく、これほどまでに貴方を愛しているというのに!」

 突然の乱入者に、来賓たちは困惑の色を隠せない。
 新郎新婦との距離をつめる女。俺は間に立ち塞がり、腰からさげた剣を握った。

「……カルミア様。貴女は、この場にいることを許されぬ方です。それ以上近付けば反逆とみなし、自分はこの剣で貴女を斬ります」

 冷静に、公的な態度で臨む。
 ルフィナ様より賜った剣。このような場で抜刀するのは憚られるが……ちらりとアレックス殿下を見れば、神妙な面持ちで頷きをひとつ返された。殿下の腕の中にはルフィナ様が華奢な体をカタカタと震えさせている。
 俺は右手に力を込めた。いざというときは、抜かねばならない。
  カルミアは怯まずに王子へと言葉を続ける。

「反逆ですって!? アレックス様! きっとなにかの間違いです! アレックス様の婚約者、そして未来の王妃! その私が……」

 学園内で何度も聞いた台詞だった。もうその言葉に怯える者はひとりもいない。
 聖女様を腕に抱えたまま王子が、声を発する。

「いいや違うな。婚約者『だった』のだ。
 君の御尊父には既に了承を頂いている。
 ……そうだな。改めて宣言しよう! カルミア、私はここに君との婚約を破棄する! 未来の王妃となる者ーー
私が生涯をかけて愛するのはルフィナただひとり!」

 大きな、大きな歓声があたりに響いた。
 拳を高くあげる男達に、感激し涙する女性達。『よくぞ英断を!』『王子様万歳!』などとあちらこちらから聞こえてくる。

「そん、な……っ!」

 カルミアは膝から崩れ落ちる。
 婚約破棄の通達は何度も送られていたはずだが、ここでようやくカルミアは事実として受け止め始めたようだった。落ちそうなほどに見開かれた瞳は焦点が合わず、震えている。

「カルミア嬢、君にはルフィナ様の暗殺未遂の嫌疑がかかっている。これ以上の勝手な行動は慎みたまえ」

 今まで黙って参列していた次期宰相殿が告げた。かけ直した眼鏡は、その奥にある厳しい眼光を抑えているかのようだった。
 事実、カルミアのしたことは嫌がらせの域を越えている。日々の暴言には留まらず、水をかけたり、階段から突き落としたりと悪質なものだ。ひとつ間違えば命すら危うかった。それを公然と、集団で行っていた。
 ルフィナ様を小屋に閉じ込め、火の魔法を放ったとの話もある。そのときは王子が身を呈して助け出したのだとか。
 カルミアと取り巻き達には、それぞれ罰がなされた。その一環でカルミア本人と取り巻き達は、今日の結婚式には近寄ることすら許されていない。この場に彼女の味方は一人もいなかった。

「私っ、私は…っ!!」

 息がしづらいのだろうか。胸に手を当て、浅い呼吸を繰り返す。
 反対の手はなにかを求めるように床を這っていた。
 俺はその震えた肩に触れ、そっと告げる。

「……お覚悟を、義姉上あねうえ

 カッと紫の瞳が一層鋭く睨み付けてきた。眉間に険しい谷が刻まれる。

「私のことはカルミア様とお呼びなさいと言ったでしょう! 
 もう力のないクローバー家の娘じゃない!未来の王妃、そう、私は……私は――っ!!」

 声にならない叫びを最後に倒れこんだ。気力を使い果たした義姉は人形のようだ。
 それが最後にみた義姉の顔となった。
 その後即座にカルミアは王都より遠い最北端の領地への謹慎を命じられた。
 まだ数年前の大戦の影響が色濃く残っていて、酷い有り様だったはず。土地は荒れ、作物は育たず、厳しい寒気が猛威を奮っている。ましてや王子の不興を買って王都を追放された身では、平民以下の扱いをされることも予想に難くなかった。

――数年後

 領主としての仕事に埋もれながら、カルミアが死亡したとの通知が届けられた。
 病とのことだったが、真偽のほどは定かではない。だが、調べるつもりもなかった。自分の仕事はまだ山と積まれている。昔より骨ばった手で封筒に戻した。
 部屋の端へと放れば、簡素な封筒はすんなりとゴミ箱に収まったのだった。
 不思議なことに、俺にはなんの感情も沸かなかった。

 あの頃はこんなことになるなんて思ってもなかったな…
 遠い日々に思いを馳せる。
 あの頃の義姉上はとても聡明で、俺はそれを支えていくものだと、そう信じていた……
 もしも、もしも戻ることができたのなら……

「 っ!?」

 突如、体が浮くような気がした。手に持っていたペンも腰かけていた椅子も消え去って、どちらが上かもわからない。眼前は暗闇で埋め尽くされている。
 どれほど手を伸ばしてもなにも掴めない。温度も感じ取れない。焦りと不安が加速する。
 どれほど時間がたったのか、あるいは一瞬だったのか、あたりが白く包まれた瞬間に全身が重力を取り戻した。周囲の色づき、自分がベッドの上に落ちたことを知る。暖かな日差しが部屋を照らし、窓のむこうに木々の隙間からテラスが見える。そこで優雅にアフタヌーンティーを嗜むのは

「――義姉あねうえ……?」

 記憶より少し縮んだ義姉の姿。伸ばした自分の手もやや幼い。
 そこは義姉上を慕っていたあの頃。すべてが始まるより前の時だった。
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