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いやがらせ

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 朝、時羽が登校すると雪月が何やら探し物をしているようだった。これが雪月の悩みが表沙汰になるきっかけにすぎなかった。

「何かなくしたのか?」
「上靴どっかに置いちゃった」
「本当にドジだなぁ。とりあえず来客用スリッパ取ってきてやるよ。靴下だけで歩くのはひんやりするからな」

 時羽はスリッパを取りに行きながら、ふと思う。上靴をどこかに置き忘れることってあるのだろうか? 100歩譲って置き忘れたとしても、下駄箱のない場所から帰宅したとか、持ち帰ってしまって家にあるとか以外は考えられない。習慣というものは当たり前のように毎日の繰り返しだ。つまり、幼稚園くらいから上靴は下駄箱に入れる習慣があるってわけで、隠されたとかそういった嫌がらせを受けているのではないだろうか。鈍感な時羽だが、そこは外さなかった。雪月はマイナスなことは言わないだろう。そっと助けてあげるのが友達ってものかもしれない。友達という部分を心の中ですら強調する時羽は友達に飢えた症候群をわずらっているらしい。
 
「何か困ったことが言えよ。と、友達なんだからさ」
 スリッパを持ちながら、ちょっと照れた様子で時羽は励ます。

 それを見ていた数人の女子グループが遠目で見ながら、歯を食いしばってくやしがっていることを時羽は知らない。多分、友達に飢えた症候群の時羽ならば友達になってほしいと言えばすぐさま快諾するだろう。まさに、天使の羽が背中に生えた如く、心の中で喜ぶところだろう。しかし、一見そんな男には見えない時羽は、一部の熱狂的なファンからクールで冷静でかっこいい手の届かない存在と認識されていた。心の中が見えないからこその誤解と偏見だった。

 そういった女子から一番敵視されたのが雪月風花だった。滅多に心を開かないクールな時羽を占領したということで問題視されていたのだった。これに関しては雪月も気づかないまま時羽に接していたので、あからさまな嫌がらせをされてから、嫌な視線にはじめて気づいた。自分は、誰かに恨まれて嫌われているという事実を飲み込む。しかし、まだその時は、その原因が時羽だとは気づいておらず、時羽が雪月に優しく接するたびに嫌がらせは加速していくという悪循環が繰り広げられた。

 上靴隠しに関しては、デートをしようとあからさまに教室で時羽を誘ったことがひんしゅくを買っていたらしい。雪月は基本的に好かれる明るいキャラクターでいじめとは無縁の生活を送ってきていた。人生初の嫌がらせを目の当たりにして、いじめがはじまることに戦々恐々としていた。

 その後、時羽は岸に雪月のことで話をすると、岸が校内のごみ箱や隠せそうな場所を一生懸命探した。2人で校内探している様子は時羽ファンの女子たちにとって一番嫌なことだった。そして、岸のファンである女子たちも雪月を敵視するようになる。悪い流れは本人の意図しないところでどんどん悪い方に流れるものだ。

 昼休みに、昼ごはんは早弁をした時羽が、汗だくになって上靴をさがしていた。なぜそんなに一生懸命なのかはわからなかったが、多分はじめて友達になろうと歩んでくれた同級生を貴重な存在だと認識していたというのはあるだろう。その甲斐あって、時羽が屋上の手前にある階段に置いてあった雪月の上靴を見つけて本人に届けた。

「これ、嫌がらせだな。またやられたら困るから、上靴は毎日持ち帰ったほうがいいかもしれない」

「ありがとう。時羽君」

 雪月は上靴に触れると誰が隠したのか気づく。教室で時羽と雪月は隣同士なので、最近はよく話すことが多い。

「あれ、雪月さん何か探していたの?」

 きつね目の伊谷村が話しかけて来る。元々同じクラスでもあまり親交のない女子生徒だった。

「私が上靴を失くしちゃったから、時羽君が探してくれて」

 時羽君がのあたりで伊谷村の脳内はブチ切れていた。しかし、表情に出さない彼女の心の内には気づいていなかった。雪月は触れていなければ、見ることができないし、まさかここまで雪月を敵視している女子がいると今日まで気づいていなかった。

「時羽君って雪月さんといい感じなの? 普段誰ともつるまない感じなのに雪月さんとだけ仲良しだし」

「友達だよ」

 時羽の中では最重要ワードの友達だ。これを堂々と宣言できる日が来ただけで、時羽としてはうれしい事実だった。しかし、周囲はそうは思わない。本当は恋愛関係なのにカモフラージュとして友達という言葉で逃げているだけなのではないか。時羽が雪月のことを恋愛の意味で好きなのではないかと思っていたのだ。

 伊谷村の仲のいい友人である矢美川《やみがわ》という女子もやってきた。

「かわいそうだね、雪月さんって恨まれているんじゃない?」

 矢美川の顔は非常に意地悪に満ちた顔をしていた。

「いじめは許せないな。俺、その気持ちわかるからさ」

 俺は、ずっとみんなに嫌われていた。だから、その気持ちは誰よりもわかるという意味なのだが、伊谷村と矢美川には、悪を許さないかっこいい男だというように映ってしまう。同じ人をみていても、その印象はイメージでがらりと変わる。あえて、人を寄せ付けないかっこいい男だと思い込んでいれば、いじめを許さない影のあるヒーローにもなる。

 本当は、いじめられっ子と思い込んでいるだけだということを知っていれば、ネガティブ思考だからということになるだろう。いじめを許さないという言葉の意味は印象次第で変わってくる。印象というのはとても大事なことだ。

「時羽君って雪月さんとお付き合いしているわけではないの?」
 矢美川が恥ずかしそうに聞き出す。

「友達として付き合ってはいるけれど。それが何か?」
 時羽は得意げだ。

「友達なんだね」
 確認を取る。ここは重要ポイントだ。

「友達だ」

 その言葉に時羽自身胸が熱くなる。こんな堂々と友達なんて断言した俺ってなんかすごいかも。周囲の女子にはあくまで恋人関係ではないと否定したという誤解を招いていたが、友達という存在が最重要項目としてとらえている男に対して、一番心がくすぐったい瞬間だった。

「私と時羽君はお付き合いしていないから、安心して」
 女子たちの心中を察した雪月は聞こえるように大きめの声で言う。

 それで、事は収まるのではないかと思われたが、そう簡単なものでもないらしい。一度火が付いたムカつくという気持ちは簡単に消えないのだった。
 
 それ以来、あんなに時羽に話しかけてきた雪月はクラスの中で、話しかけることもなくなっていった。それは時羽ファンを警戒する意図的な行為だった。

 そのことに時羽は少し違和感を感じていた。そして、またネガティブ思考が発動して、自分のことを嫌いになったのかもしれないとか、友達を辞めたのかもしれないなんていう思考へとつながってしまった。自分のせいで、雪月がいじめに遭っているのならば、自分が不相応な嫌われ者で、雪月が親しくしようとしたことが原因なのではないかという甚だしい勘違いもしはじめる。

 ふと見ると、雪月のノートに落書きされている。きっとノートを触ると犯人が見えてしまうのだろう。しかし、証拠がないと責めるわけにもいかず、一番辛いのは本人だろう。少しでも助けてあげなければいけないという気持ちが芽生える。それまで、面倒なことには関わりたくないと思っていた時羽が、真剣に人と向き合い助けようなどとは天と地がひっくりかえったようなものだ。

「誰だよ、嫌がらせなんかして人として恥ずかしくないのか?」
 時羽は珍しく苛立ち怒った声を出していた。本人が一番驚いたかもしれない。

「いいから、気にしないで」
 そんなことは気にしていないような素振りの雪月。

「時羽君、なんで雪月さんに対してだけそんなに優しいの?」
 伊谷村が聞く。

「俺は友達がいないし、ずっとひとりぼっちだったけれど、雪月さんははじめて友達になってくれたからだ」

 小学生の道徳の教科書のセリフのようなことを平然とした顔で言う時羽は普通ではない。でも、そんな言動ですら時羽ファンの女子には後光すら射して見えるのだ。つまり、恋は盲目らしい。何をしても許される。何をしてもかっこいい。

「雪月さんをいじめる奴がいたら、俺が許さない。覚悟しろよ」

 その瞳はいつも以上に鋭く、話しかける隙を与えていなかった。しかし、それに対して雪月は時羽にきつく言った。こんなに怒った雪月を時羽は、はじめて目の当たりにする。

「時羽君、もう私にはかまわないで」
 涙を浮かべてそのまま早退した雪月を追いかけるわけにもいかず、何もできない時羽ははじめての友達を失った悲しみに打ちひしがれる。

「あんなヒステリーな人よりも、私たちと話そうよ」

 距離を縮めようとする女子もいたが、時羽は、無言で教室を出た。旧校舎の図書室に行き、授業をさぼった。珍しく時羽が自分の感情をコントロールできないことに本人が一番戸惑っていた。そして、自分の怒りや悲しみを鎮めるために一人になれる場所にやってきた。今まで、学校の規律を破るような真似をしたこともなかった優等生は、ここにはいない。

 机に突っ伏して、ただ時を過ぎるのを待つ。何にこんなにイラついているのか本人がわからない混沌とした状態だった。やるせない、苛立ち、雪月の言葉が頭をぐるぐる回って離れない。はじめての経験にどうしようもない時羽は旧図書館でただ眠った。睡眠不足は思考能力を落とし、マイナス思考を後押しするということを肌で感じていたから、心を無にしたかった。
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