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イキガミ

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 俺は、もう死んでもいい。いや、死ぬしかないのだ。人生に絶望した俺は、死を求めていた。どうやって死ぬか? そればかり考えていた。

 おかしなことかもしれないが、それまでに、どうやって生きてきたとか、誰かとの楽しい思い出は、どうしてもうかばなかった。それほど俺の人生は暗く寂しいものだったのかもしれない。俺が誰かの役に立ったこともないし、今後も役に立つとは思えない。要するに、希望がないのだ。絶望のみなのだ。

「よお、青年、おまえは死にたいのか?」

 幻覚が見えた。最近死ぬことばかり考えていたから、とうとう俺の頭がいかれてしまったのか? 幻覚の女は美しかった。

 言葉づかいこそ男のような口調だったが、若い髪の長い金髪の女性だ。外国人にも見えるが、日本語が通じる。俺は幻覚について、やけに冷静に分析していた。やっぱり変だな。どうかしている。

「私は、幻覚ではない。ねがいやから派遣された、生神(いきがみ)だ」

「ねがいや? イキガミ?」

 幻覚が話しかけてきた。とうとう俺の頭はどうにかなってしまったらしい。こうなったら人生最後の会話をこの美人と交わそう。女神は氷のように冷たい冷気をまとう。アイスバーンで滑ってしまうような突然の登場だった。冷たい瞳に神々しいという言葉がよく似合う彼女の姿は普通とは違うということが凡人でもわかるのだ。

 冷たい女神が救ってくれるかもしれない。この暗くて長い先の見えない未来を。俺という一人の人間を。どこかで人間というものは救いを求める。

 まるで少年漫画の危機一髪のシーンのように、ヒーローが目の前に現れるかもしれない淡い期待をみんな持っているのではないだろうか。死ぬ前に誰かに声を掛けられたい、言葉を交わしたい。俺はどこかで望んでいたのだ。

 俺はやっぱり何かを成し遂げてから死ぬべき人間なのではないかという葛藤があったことに気づいた。ただ、消えたいと言葉に出すだけで、自己満足の極みだったのかもしれない。勇者に会ってみたいと俺は幼いころに思っていた。それはゲームに出てくる正義の味方だ。大人になった俺は正義の味方でも悪者でもない何でもない人間となっていた。

「死神なら知っているけど、生神なんてきいたこともないし」

 俺は勇者らしき女神と話してみたくなった。それは衝動的な欲求だった。

「死神と生神は真逆の神だ。死神は人を殺すために存在するが生神は人を生かすために存在する」

 落ち着いた声で返答してくれた。さすが勇者女神だ。俺が、まともに女性と話したのは何年ぶりだろう? いや、人と対話したのはいつぶりだろう? 少し面白くなってきた。人生最後の夢ならば、楽しまなければ損かもしれない。

「なぜ、神様が俺の前に現れた? 俺は、勇者じゃないし世の中の主役になるタイプじゃない。そもそも、俺には神様など無縁だよ」

「俺は選ばれし者でもないし、生きていても役に立たない人間だ。悲しむ家族もいない。死ぬよ」

「死ぬ前に、生き神様、俺の話を聞いてくれないか」

 俺は、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。俺の心の内側の煮えたぎるような苦しみとか葛藤とか、そういったものを吐き出して楽になりたかったのかもしれない。そうしたら、浄化された状態であの世に行けるような気がしたんだ。

「話してみろ。無料で聞いてやる。」

「俺は、母子家庭で育って、裕福じゃないけど、平凡に暮らしていた。ガキの頃からいじめられっ子で、勉強も運動もできないし。とりえは、ない。あえていうなら、人を疑わないとか、優しいとか。どこかで俺は期待していたのだと思う。自分のやりたい仕事がみつかって、世間でいういい仕事に就けるってさ。でも、俺には才能も能力も秀でたものがないのだよ。わかっていたけど、現実突きつけられると悲しいものだよな。1年ほど前、唯一の身内である母親が死んでさ。大学の卒業までのお金は間に合いそうだけど、この先、仕事のあてもないし、奨学金も返せない。人生の負け組だと思っていた時、二十二歳にして初めての彼女ができたのだ。友達も彼女もいないし、もてないし。だからさ……彼女とはいってもレンタル彼女」

「レンタル彼女?」

「大学に友達もいないし、女友達どころか男友達もいない俺が、家族がいなくなってさびしい時に、ネットで見かけたんだ。彼女をレンタルするって。友達もレンタルしてくれるみたいでさ。不思議なレンタルショップなんだよね。結婚式で呼ぶ友達がいない人がよく使うらしいんだけれど、友達を商売でレンタルするってすごい発想だよな。心底驚いたよ。それを考えた人って天才なんじゃないかって。社長に仲間意識すら芽生えたよ。だって友達がいる人ならレンタルの必要なんてないんだから、社長も同類で友達いなかったんじゃないかって」

「つくづく、面白いやつだな。」

「はじめて面白いって言われたよ。今までの人生、つまらない人間だとしか言われたことなかったから」

「今日、生きていてよかったってことじゃないのか。私に出会わなかったら、一度も面白いと言われることなく、死んだだろ?」

 生神の言うことは、正論だった。今日、生きていたからこうやって会話ができている。もちろん、現実とは思えないけど、それはそれでよかった。

「レンタル彼女っていうのは、プラトニックなデートをするとか、彼女をいると見栄を張りたい人がパーティーに同行してもらうとか、そういったレンタル制度でさ。風俗とかそういう類じゃなくて。だから、セクハラまがいのことはできないし、せいぜい手をつなぐ程度の関係だけど、会話ができる関係っていうのは俺にとっては、この上なく最高の出来事で、周囲からカップルだと認識されるだけで、本当にうれしいことだった。非リア充の俺には、もったいないくらいのかわいい女の子でさ。普通に生きていても出会ったことないし、出会っても話すこともできないと思う」

「レンタル料は、高いのか?」

「高いと思う人もいるかもしれないけど、俺にとっては彼女との一時間が至福の時だから、安いものだと思ったよ。学生にも出せる程度の料金設定っていうのがリピーターを増やすわけで、心底経営者を尊敬するよ。相手の女の子も普通の女子大生。他の仕事の時間の合間にバイトデートを入れるフリーターや休日のOLもいて結構選べるんだよ。きれいでかわいい子が多いんだ。その彼女はすごくかわいいし品があって。リピーターになったよ。他のレンタル彼氏がいないか嫉妬すらしていたよ。彼女、病気みたいで……あまり詳しいことは教えてくれなかったのだけど体調悪そうでさ。半年くらいした頃に急に実家に帰るって。そして、レンタル会社も辞めてしまって俺は一人になったんだ。」

「だから死にたいのか?」

「実は、彼女に会いに行った。彼女の実家のこと結構聞いていて、町役場の前に実家があるって聞いていたから、その町を訪ねたんだ。旅行もしたことないような俺が、遠方まで思い切ったことをしたものだと思うよ。そうしたらさ、その子が笑顔で彼氏と歩いていたんだ。恋人つなぎだから、友達じゃないだろうし、一人っ子だから兄や弟でもない。絶望したよ。彼氏なんていないって言っていたし。命に関わるくらいの病気なら、お見舞いに行こうと思っていたんだから。普通、彼女が病気で弱っていたら、小説なんかだと、余命何か月とか、亡くなるとか、せつない話になるもんだよな。現実は違うものだな。あんなに話の合う子はいないって思ったし彼女も楽しんでいたと思ったけど――所詮仕事だったのかな。全部嘘だったのかな。まぁ、俺がキモイストーカーだっていうことには変わりはないんだけどさ」

生神がメモのようなものを見ながら話し始めた。

「彼女のことだが、私が調べたところ、彼女の病気は鬱病で、気分次第で、体調が変わる。だから、体調が悪いのは本当で実家に帰ったようだ。地元の幼馴染と再会して、そのうち付合うこととなった。だから、彼女は、嘘はついていない。貴様が勝手に命に関わる病だと思い込んだだけだろ?偶然、貴様がストーカーしてまで会いに行ったときは、付き合いだして間もない時期だ。言っておくが、彼女は貴様に恋愛感情は持っていなかった。アニメの話で盛り上がれる「いいひと」だという認識はしていたようだ」

「なんだよそれ、それが現実なら、身も蓋もないな。俺の勘違いだらけの感情で、キモイストーカーじゃないか。彼女が、会いに行った俺に気づかなかったのがまだ救いかもしれしれない」

 俺はひどくがっかりした。失恋したのだから。頭ではレンタル彼女ということはわかっていたけど、
割り切れない思いが人にはある。もしかして、彼女も俺のことを好きになってくれたんじゃないかって。あの笑顔は俺にとって失いたくない大切なものだった。

「会いたい友達がいれば会わせてやるぞ」

「俺に友達なんていない」

 そう言い切った後、ふと、記憶がよみがえる。

「もう、会ってみたい人はいないのか?」

「いないよ。どうせ友達もいないし、友達だと思っていた人たちは、俺のこと友達だと思っていないし」

「そうだ、俺、大学1年生のとき、一時期だけど、バンドを組んでいたんだ。リアルに充実した日々を目指して俺だったが結局、大学内のサークルに馴染めなかったんだ。一般のメンバー募集のサイトでメンバーを探してバンドを組んだ。そこには、色々なメンバーがいて、珍しくリア充な一夏だった。けれど、半年程度で解散してしまって、俺は音楽から遠ざかったんだ」

「俺は楽器ができなかったけど、音楽を聴くのが好きで、歌うことも好きだった。ボーカルとして大学デビューをもくろんだ俺。さっそくボーカル募集をさがしたんだ。募集で多いのが、ドラム、ベース。これは楽器人口がギターに比べて少ないみたいで、ボーカルなんて吐いて捨てるほどいるのだけど、見た目がさえない俺だったけど、ボーカルとしてバンドに加入したんだ。そこには、プロ志向の高校生のギターのアタル。医学部在学中のベースのタッちゃん。大学の工学部のドラムのマサ。短大の保育科に通っていたキーボードのユミ。それぞれ学校も違ったけど、年齢は比較的近くてさ」

 生神がほほ笑む。

「思ったより楽しそうじゃないか。今から会いに行かないか?」

「みんな連絡先も変わったし、どうしているかもわからない。俺に会いたいやつなんていないよ。誰も新しい連絡先も教えてくれないし」

「だったら、私がそのメンバーの居場所を教えてやる。こっそり見に行けばいい。
偶然を装って話しかけてみても構わんぞ。気にならないかそいつらのその後の人生」

 俺は、神だとかいう幻想が見えるくらいおかしくなっている。どうせ暇なのだ。死ぬ前に、彼らを見てから死のう。人間というものは好奇心の塊だ。週刊誌などが売れるのも、有名人、芸能人のプライベートや色々なスキャンダルが気になるからだろう。人間は気になる生き物なのだ。だからこそ、人間は下世話で面白いのかもしれない。

「やっぱり、キーボードのユミちゃんからだな」

 生神がささやく。

 ユミちゃんは、紅一点で、女性と話すことが苦手な俺には、とても近くて身近な存在の唯一の女性だった。年は俺の一個上で、元気で明るくて友達が多い人だった。ほとんど会話をしたことはない。

 ただ、俺はそのグループの一員として、そこに居させてもらっているだけ、の人だった。直接話しかけたこともなかったけど、少し憧れのお姉さんのような存在だった。近いけど、手が届かない、そんなじれったい存在だった。

 そんな、ちょっときれいなお姉さんの今が気になった。恋にまでならなかったけど、ひと夏だけのメンバーとして共に時間を過ごした人。

「行こうか」

 生神が手を差し伸べる。しかし、神の体は半透明で、つかめなかった。体温も感じられない。むしろ冷たい空気という感じだ。触れられない存在だということを知り、何となく、別世界の遠いものだという現実が今更ながら俺を襲った。近くにいるのに触れられない、生神は、ユミちゃんと同じだ。

 ユミちゃんは短大を卒業して、無事幼稚園の先生になれたのだろうか。瞬間移動というものなのだろうか? 一瞬でユミちゃんがいる場所へ来ていた。

 生神がメモを読んだ。浅倉ユミ、この者は短大卒業後に幼稚園に就職。
 しかし、その後、保護者とのトラブルや同僚からのいじめなどが原因で、
 今は、マサというバンドで知り合った男と結婚して、育児をしている。専業主婦だ。授かり婚らしい。

「マサってドラムの工学部のあいつか?」

 正直俺は戸惑った。あのメンバーに友情はあっても、恋愛などない、と信じていた。唯一の俺の居場所は、友情で成り立っていると信じていた。

「ちなみに、ユミはお前以外のメンバー全員と男女の関係をもったという事実がある。
夫である男も知らない事実だ。他のメンバーとは連絡しないだろうから、
事実は墓場にもっていくつもりなのだろうな」

「嘘だ、じゃあ、なんで俺とは何もないんだよ?」

「ユミはイケメンが好きだから、お前とは無理だったらしいぞ」

「生神、お前、俺をどん底に突き落として、自殺に追い込みたいんだろ?」

「私はお前に真実を知ってもらい、前に進んでほしいと思っているだけだ」

「今、二人がアパートから出てきたぞ」

 生神が言う通り、それは、育児疲れしていたユミで、以前のような明るさや若さを感じられない。
 簡単に言うと、おばさんになっていた、ということだ。
 マサは、一流企業の会社員として働いているらしく、彼も毎日の仕事で疲れ切っていた。
 おしゃれにこだわっていたマサも、現在は以前のような輝きはなかった。慣れない仕事と結婚が重なったらしく、夫婦仲もあまり良くないという雰囲気だった。仕事もうまくいっていないマサ。ユミは育児ノイローゼらしいと生神がいっていた。二人は、似たもの同士で、おじさんとおばさんになっていた。

 俺はなんだか、とてもがっかりした。
 他人の芝生は青く見えるというが、事実や現実を知ると、俺のほうがマシなのかも、という諦めが出てきた。

 あんなに輝いていた人も、輝かなくなる。
 自分に時間やお金をかける暇がなくなる。
 結婚というものは、うらやましいと思っていたが、現実は甘いものではなく、かなり辛いということが、あの二人の様子から伝わってきた。

「貴様は、国立大学の工学部じゃないし、一流企業の会社員でもない。でも、今は卒業間近の大学生。結婚の予定もないし、育児の責任もない、自由ということは、限りなく、幸せなのではないか?」

 生神がつぶやく。

「さて、次はお前と仲が良かったギタリスト。アタルに会いに行くか。」

 アタルは、ひとなつっこくいつも俺に話しかけてくれていた。
 年下だったけど、とても話しやすい明るいヤンキーだった。

「アタルは、ギターのプロになるために、専門学校に入るも中退する。そして、バイトをしながら事務所に所属するべく、日々活動している。しかし、東京は家賃が高く、お金がなく、ひもじい思いをして何とか暮らしている。もう少しで、デビューできそうだったのだが、バンドのメンバーが麻薬で捕まり、その後活動ができなくなり、田舎に一旦帰るらしい。今後、音楽での成功はこの男には、ない。」

「会うか?」

 俺は、その言葉に首を横に振った。
 元気で未来を明るく語る彼の記憶しかいらないと思った。
 少し不良な少年だった。俺があまり関わったことのないタイプ。
 でも、彼はいつも俺に話しかけてくれた。俺はうれしかったのだ。
 その時、一番話したアタル。いつも、夢は大きく前を向いていた。
 今のつらい状況の彼は見たくない。俺もつらくなるから。現実は時として残酷な刃になる。

「いや、俺は同窓会というものは嫌いなんだ。友達がいないのはもちろんだが、その後その人が成功したとか、結婚して子供がどうなったとか、余計な詮索は苦手だ。俺は、その時の記憶のままでいい。これからの生活にそいつらの成功も失敗も俺には無関係なのだからさ」

「悟ったな」

 ニヤリと神がほほ笑んだ。

「みんな多かれ少なかれ、どんな選択肢を選んでも、苦労はある。俺だけが大変なわけでもない。エリートだって苦労があって、夢があるから、成功するわけでもない。人生は実に滑稽だ。しかし、長い人生、この後どう転ぶかはわからない。面白いものだ」

 空の上だろうか?
 不思議な空間だ。
 とても心地いい、もう、悩みも何も無になるような心地よさだ。

「生神、俺と友達になってくれないか? 名前はなんていうんだ?」

 神は少し、驚いたような顔をして、俺に話し始めた。


「なぜ、貴様の前に現れたかわかるか?貴様の前世の前世のずっと前、私のよく知る人物だったからだ。私の名前はアマテラス。本来は太陽の神だ。アマテラスから生まれ変わって 私は ある国の王女として生まれた。そこには、幼馴染で、強い男がいて、私を銃弾から守るために、死んだんだ。ミカゲという名前の私と同じ年齢の男だった。まだ、二十歳だったよ」

 俺も、魅影(みかげ)っていう名前だけど、偶然なのか?

「もしかして、アマちゃんは、その人のこと好きだったの?」

仏頂面の女神は珍しく、表情が変わった。

「私への銃弾から守るためにミカゲが死んだ。死んでから、ようやく、失った者が味わう悲しみを知ったのだ。その時は、遅すぎた。私は、自殺しようとした。その時、生神っていうやつが私の目の前に現れて、お前は生きろといった」

「生神って一人だけじゃないのか?」

 俺は生神を信じているわけでもないが、目の前にいる謎の女の正体に少しでも近づきたかったのかもしれない。

「知りたい」という気持ちは生きる力につながるということを知った。
 興味を持つことは、生きる力になる。年老いても興味を持ち、知るための努力を怠らなければ、心は老いないということを知った。

「生神は転生する。わかりやすく言うと、バトンタッチ制なんだよ。私も昔、絶望の淵の中、前生神に出会った。そして、人生を全うして、死後に生神としていきているだけだ」

 神の目は冷たく神々しい。

 サディスティックなまなざしから俺は彼女の何かを感じ取っていた。
 それはもしかしたら前世の記憶がどこかに残っていたのかもしれないし、ただの憧れなのかもしれない。美しさに見とれながら 俺はこの人の傍が不思議と心地よかった。神を信じてもいないが、ただ俺とまっすぐに向き合って会話をしてくれる存在がうれしかった。今までそんな経験がないからかもしれない。

 レンタル彼女は、俺に向き合ってくれていたのか?
 生神ほど俺と向き合っていなかったのではないか?
 一方的に愚痴をこぼし、世間話をしてただ帰路につく。
 これは仕事であってプライベートではなかった。
 ただ話を合わせていただけ、なのではないのか?

 はじめて俺はそのことに気づいた。
 俺は馬鹿だ。馬鹿だと思っていたが、思っていた以上の馬鹿なのだと気づいた。
 俺は何か努力していたか?
 何かを残そうとしていたか?
 ただ、毎日を浪費する日々。
 時間が過ぎるのを待つだけの寂しい毎日を過ごしていた。

「なぁ、アマテラスって呼んでもいいか?」

「はぁ?」

 迷惑そうに顔をゆがめる神。
 俺は今まで人に踏み込もうとしていなかった。

 コミュニケーション力に自信はないし、劣等感の塊だったから仕方ないのかもしれない。
 でも、今は一歩、歩み寄ってみた。人と人として接してみたかった。

「一応生まれ変わりだから」

 照れくさいけど、どうせいずれは命が尽きる人間だ。
 この人に出会えたのだからもう少し生きてみよう。

「俺は、アマちゃんと一緒に生きてみたい」

 俺の一言に彼女は困惑気味だ。

「私は神なんだから実体はないのだ。私は人間じゃない」

「今日一日、一緒にいられるのだったら、俺はもう一度人生を前向きに考えてみるよ」

 本当は人生なんてどうでもよかった。もう少し、会話していたかっただけなのかもしれない。

 生神が話し始めた。ゆっくり、少しずつ思い出すように。
 その唇はとても神秘的で魅力的だった。
 声は音楽を奏でるような懐かしい響きを解き放つ。

 その声に、うっとり眠ってしまうような穏やかな時間が流れた。
 その時間は普通の時間よりゆっくりと流れているように感じた。
 この世のものとは思えない不思議な空間に俺はいたのだ。
 まるで音楽を奏でるように彼女は話し始めた。

 遠い昔、それは私が王女だったころ、ミカゲという仲間がいた。
 それが武術や剣術の先生の息子で、本当にすごい腕前の男だったよ。
 それが、ミカゲだ。剣術の大会では何度も優勝し、ファッションを真似る「ミカゲスト」とよばれる取り巻きの若者が男女問わずいた。

「それが、俺?」

 お前とは、見た目も性格も別人だがな。
 ミカゲは有名人になって、写真集は軒並み売れて、本当にすごく活躍したよ。有名になっても、ミカゲは私との関りは辞めなかった。

 唯一の友達である彼は、子供としての情緒を保つのに必要だったし、使用人も家庭教師も大人だったから、本当に人と接することができない人生を送っていたんだ。毎晩寝ている枕のように当たり前のようにそこに居たのだ。枕が変わると違和感を感じる、という現象に近いのかもしれない。一番歳が近くて、何でも話せて、異性とか同性とか何も考えていない年齢から一緒に居れば当たり前になるのかもしれない。

 ミカゲはツクヨミの生まれ変わりで元は月の神だということが、生神になってからわかったんだ。私は、太陽の神だったが、生まれ変わって王女として生きていた。


 俺はミカゲだった記憶も、ツクヨミだった記憶もない。
 月夜 魅影(つきよ みかげ)、俺の名前だ。
 この名前はツクヨミだったことと関係があるのか?

「おい、そろそろお目覚めの時間だよ」

 声が聞こえる。
 長い長い夢から覚めたのか?
 ここは? 研究室のようなしんとした部屋だ。

「夢の旅はいかがだったかな?」

 美しい男性がほほ笑んでいた。

「夢……だったんですか?」

「ここは脳科学を研究しているねがいやという研究所でね。人の夢に仮想空間を作り、現実とつなげるという実験を行っているんだ。負の心のエネルギーを電気エネルギーなどに変換する心理エネルギーの人間エネルギーの開発が我々の最終目標なのさ。元々は、君のように自殺願望のある人を救うためのボランティアから始まった。ここの所長は頭脳明晰なうえ、ビジネスにもたけていて、自殺願望者を救うためにレンタル友達事業を起こしたんだ。所長は元々、研究の畑の人間だが、商才もあるんところに惚れこんだんだ」

「脳科学? レンタル? ボランティア?」

 異質なものが組み合わさって俺の脳は混乱していた。
 レンタル事業をはじめた社長が夢の旅を研究所で与えていた?
 誰が頼んだのだろう?

「実は、生前、君のお母さんがレンタル彼女のことを知って、うちの会社のほうに問い合わせてきたそうなんだよ。うちの息子は、私が死んだらきっと後を追って死のうとするだろう。あの子は孤独な子だ。だから、友達をレンタルしてほしい。そして、貼ってあった求人票を見て、ここで息子を働かせてくれないか? と頼んだ」

「おふくろが?」

「うちもまだ、レンタル事業は新しい分野だったから人が足りない。面接は夢の旅で行うと所長が言ってな。夢の中は人間の本質が見えるから、面接にはちょうどいいらしい」

「め、面接……?」

「イキガミ?」

 俺は驚きが隠せなかった。最高に心拍数は上がっていただろう。
 それは、夢の中の生神が目の前に現れたのだから。美しい長い髪の冷たい目をした女性。
 アマテラス、そのものだったから。
 俺は言葉が出なかった。何も言えずただ、口を開けていた。

「先ほどの夢の旅の案内人は私がモデルとなっているの。夢の時間というのはほんの数分なのよ。私は直接あなたの夢を作り、仮想空間を作ったの。面接時間は十分程度だったかしらね。合格よ。もしよかったら4月から正社員としてうちで働かない? これから、社会になじめない人や自殺願望者を救うための仕事をしてみない? 若者の仕事場を斡旋するのも私たちの仕事よ」

 狐につままれたような話だが、就職が決まったらしい。
 でも、全部作り話だったのだろうか?

「生神の設定は俺の知人の今を映し出すことや、元王女というストーリーなんですか?」

 質問してみた。何が本当で何が作り話なのかわからなかったから。

「いや、生きるための神様ということくらいしか、設定はないよ。だって、それぞれの知人を把握できないし、知人を映し出す技術はまだないからね。あと、王女っていう設定は特にはないけど」

 男性は微笑みながら答えた。彼女は目をそらすと、
「さぁ、行こうか前世の恋人」とはにかみながら、案内をはじめた。この特別設定は俺だけだったのか、博士が知らないのか、あの人が何か操作したのかわからない。
とりあえずこれからもう少し、この世界を楽しみたい。そう、思った。
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