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A05運行:国鉄三大ミステリー①下田総裁殺人事件

0054A:もう、6年も前の話

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「総裁!」

 関西地方へ行脚に出ていくはずだった総裁は、とんぼ返りで戻ってきた。嶋がそれを迎え入れた。

「聞いたかね」

「ええ。私が電話を受けました」

「そうか。それで、彼らはなんと」

「とりあえず、”全員無事”だと」

 それを聞いて総裁は怪訝な顔になる。

「ワシが聞いとる話と違う」

 首をひねりながら、後ろを静かについてきた公設秘書・君津を振り返った。

「総裁。実は、発見時に彼ら四人が銃撃を受けています」

「なにぃ!? なぜそれを早く言わん!」

 早速雷が落ちる。だが、ここにはその程度の雷で動じる人間はいない。君津はけろりとした顔で答えた。

「全員無事だったからです。総裁にあまり気苦労をおかけするのは、よろしくないと思いまして」

 君津がそう言うなり、専属医の大和がすっ飛んできて総裁に安静を要求する。総裁はしぶしぶ総裁室のソファに沈み込んだ。

「見つかったのは、右腕か?」

「はい。バッジも同時に見つかっていますので、間違いないと思われます」

「そうか……」

 総裁は天を仰ぐ。未だ、事実を受け入れきれないかのように。

「今、陸軍の諜報部が解析を行っているそうです」

「陸軍か」

「はい。なんでも、警察は信用できないと」

 それを聞いて、総裁は苦い顔になる。

「そう言えば、警保けいさつはこの件を自殺で片づけたんだったな……」

「下田が自殺なんてするはずがありません。そんなこと、絶対にありえない」

 嶋は、口調を強くしてそう語る。

「だいたい、鉄道省からの生粋の鉄道マンが、線路の上で腹を捌くわけがないじゃないですか。加賀だってそう言ってますよ」

「加賀君も、この件を知っているのかい?」

 総裁は少しびっくりする。たまらず君津が口をはさんだ。

「嶋さん。加賀さんというのは、前鉄道総裁の加賀さんですか?」

「ええ、そうですが」

「……彼は今、部外の者では?」

 君津がそう口を滑らした瞬間、嶋の拳がぎゅっと握られる。総裁は手を挙げて二人を制した。

「加賀君はワシの息子じゃ。構わんだろう」

 総裁はそれだけを口にした。君津は頭を下げて引き下がる。

「無礼なことを口にしました」

「いえ……。こちらこそ失礼した」

 嶋は気持ちを切り替えて、再び目の前の老獪に向き直る。

「総裁。この件はどうやら、国鉄と陸軍だけで捜査を行わねばならないようです」

「前回の発見時には米軍も捜査に加わった。彼奴らも今回は出番なしか?」

「どうやら、犯人の一味と思しき勢力が、発見現場に潜伏しているようです。これにより、第203鉄道聯隊が身動き取れない状況に陥っているとのことです」

「そうか……。話は、陸軍の沽券に関わる問題となったか……」

 ややこしいな、と総裁がつぶやく。

「総裁、私も北海道へ行きます」

 嶋は唐突にそう宣言した。総裁は半ばそれを予見していたが、何と答えるべくかを決めかねている。

「彼らが信用できんかね」

 やっとの思いで絞り出したのは、そんな言葉だった。

「彼らは官僚です。求められた仕事はこなすでしょう。だが、私が求めているのはそんな話じゃない」

 嶋の口ぶりは重かった。総裁はただ、鷹揚に頷く。

「わかった」

 総裁は、たったそれだけを伝えた。それだけで、すべては終わった。 



「それにしても、あの事件からもう6年かね……」

 総裁は緑茶をすすりながらしみじみと思い出す。

「そう言えば彼は、参院選に出たがっていたね。岸君とは違って政治一家の生まれではないから、ずいぶんと苦労していたが」

「ええ、そうですね」

 君津は書類をまとめながら、そう答えた。

「彼が与党議員になっていたら、もう少しこの国のインフラはマシだったかね」

「どうでしょうか。彼は技術に明るく真面目で篤い方でした。裏を返せば、政界に敵は多かったでしょう」

「だからこそ、彼の死とその顛末は、必ず政治利用されます」

 嶋は力強く言った。

「そんなこと、許されない」
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