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A10運行:首都圏大騒動~”五方面”への道~

A0105A:懐かしい話題がでることは結構だが、一緒にあの時の困難まで思い出してしまうね

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「すみません。本庁の特殊事故調査掛です」

 数時間たち、旅客がすべて電車に飲み込まれたあと。車輛の周りで呆然と立ち尽くしている鉄道員が居た。井関はソロソロと声をかける。

「……ああ、最近本庁にできたっていう。ずいぶんと話が早いですね」

「この列車に私たちも乗っていたもので。復旧作業に私が加わっても?」

 最初は怪訝そうにしていた鉄道員だったが、井関が車輛局の人間だと知って態度を一転させた。

「ちょっとちょっと、これを見てくださいや」

 彼は大宮工場の宮菱と名乗った。彼が台車を指差す。

「ほら、ここ」

 彼の指の先には、いつかよく見たもの。すなわち、ベアリングがあった。

「またベアリングか!」

 笹井が叫ぶ。水野は目を丸くした。

「笹井先輩、よくこれがベアリングだってわかりましたね」

「水野君。あのねえ……」

 そりゃああれだけ大騒ぎすればわかるようになるよ、と言いかけたその隣で、小林が冷や汗をたら~りと流しているのが見えた。
 武士の情け……と言わんばかり、笹井は咳払い一つでその言葉を飲み込んだ。

「それで、またベアリングかい」

「ああ、ベアリングが完全に砕けちゃってる。どうしてこうなったかな」

 北海道で出会ったベアリング問題。その記憶がまだ残っている井関は、それをしげしげと見つめる。すると、妙なことに気が付いた。

「……このベアリング、おかしいぞ」

「何がおかしいんだ?」

「米国K社や国産ベアリングとは違うメーカーで造られているんだ」

 井関が指さした先。そこには北欧S社のマークがある。

「ほー、さすがは車輛局の方。そうです、このベアリングは戦前に北欧S社で製造されたものです」

「北欧S社……。君がとても優秀なベアリングを造ると評していた、あのS社か」

「ああ。このベアリングが壊れただって? まさか」

 井関は信じられないという顔になる。その頭の中では、帝大卒の頭脳が驚くべき答えを導き出していた。

「……混雑が、車輛の想定荷重を越えたのか?」

 まさか! 一番に声を荒げたのは水野だ。だが、その言葉はそれで止まる。水野もまた、アの混雑をその眼で見ていたのだ。それ以外に、考えなどあろうはずもない。

「オイオイオイ、人間の重さで電車が壊れたってか。国鉄はそんなヤワな電車を造っているのか?」

「電車は特にここ最近研究が盛んになったものだ。だから、強度面や運用面での絞殺が至っていない部分は否定できない」

 井関の言葉に、大宮工場の宮菱は首を縦に振って肯定する。

「仰る通りです。電車はまだまだ、日本の交通の主力たりえません。嶋技師長が80系なる電車を世に送り出しましたが、あれも酷いモノでした」

 宮菱は大声でどれだけ近頃の新型車両が劣悪たるかを熱弁する。全てを聞き終えた後で、しかし井関はこういった。

「だが、それ以上の問題がここで起きている。そんな気がする」

 それ以上の問題。それは、プラットホーム上に散乱する新聞紙が物語っている。

「この”通勤地獄”は、我々の想像を深く超えているのかもしれない」



 数日後、井関の見識の正しさが証明された。

 第620M列車は途中駅でモーターを含む台車から発火し緊急停止。電車は大宮駅手前で立ち往生し、高崎線・東北本線、川越線は朝の通勤時間帯に3時間も運転を見合わせた。
 運休列車は非旅客列車も含めて32本に及んだ。だが、乗客はそれを歓迎した。

 運休となると、会社は休業になる。その分どこかにしわ寄せがあるとわかっていても、この地獄から抜け出せるのなら……。乗客は口々にそんなことを言った。

「不健全だ」

 井関はそう言う。鉄道が鉄道としての使命を全うしないことが喜ばれるなんて、あってはいけない。
 そんな状況が目の前にある。それはこの問題があまりにも大きなものであるということを暗に指し示していた。

「これは骨太の案件、どころの話ではないぞ……!」
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