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A10運行:首都圏大騒動~”五方面”への道~
0107A:こうなってしまってはもう、取り返しはつかない。と、工員は嘆いた
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翌々日、四人の姿は大井工場にあった。大井工場とは、その名の通り東京は大井町にある鉄道工場である。ここで、いわゆる”国電”は修理や車検を施される。
すなわち、ここには首都圏各地で呼称した国電が集められ、修理される時を待っているのである。
渡部は、ここに行けばテロの証拠が見つかるかしらんと宣った。これはある意味では道理である。もしテロの証拠なんてものがあるのであれば、その”被害”が全てここに集まっているわけであるから、ここを調べるのが早かろう。
「ただ、これはテロではないんだろう?」
と、笹井は言う。
「どう考えても、車輛設計や整備に起因する未知の事象、と言った方がいいだろう」
「もう少し真意をつかみやすく言ってくれないか」
「つまり、我々国鉄車輛局の設計が悪かったこと、そしてその悪い車輛の整備が行き届いていないことに原因があるんじゃないかと、ボクは睨んでいるんだ」
「なるほどねえ」
果たして、井関の着眼は正しいように思えた。少なくとも、笹井の耳にはそう聞こえる。
「しかし、あの阪大君はこれをテロだと主張しているわけだろう?」
「ああ。実に滑稽だ。だがしかし、適当に調査をしているフリさえしていれば予算と権限をくれそうだから、ああいう手合いはうまく利用しよう」
「そうだね。ヤツが”犯人探し”をしている間に、ボクらは真相に迫るとしよう。彼がこの工場にやってくるのは……」
「上り第一”こだま”でやってくると言っていたから、14時すぎじゃないかな」
「なんだい、関西まで帰ってるのかあの御仁は」
「金帰火来のつもりかね。政治家気取りなのかしらん」
「内務省官僚のすることだ。ゆくゆくは与党幹事長の椅子ぐらい狙ってそうだね」
「あーやだやだ。ワシらは精々利用するとしようか」
改めて工場の中の車輛たちと向き合う。あまりにもひどい有様だ。モーターは焼け落ち、バネはへたり、ドアは壊れている。
「よくもまあこれで死者が出なかったものだ」
「一昔前の木造電車なら危うかった……。いや、今回も車掌の素早い消火活動がなければ怪しかったか」
「それで井関、君の見立てはどうだ」
これに対し、井関の顔は苦々し気である。
「井関?」
「ああいや。ボクはここで見たことを全て、嶋さんに伝えてから判断しようと思う」
井関は明確に、ここで何かを判断することを先送りにした。だが、小林から見て、この程度のことなら嶋技師長の手を借りるほどではないような気がした。
「それほど難しい案件なのかい?」
「いや……そうじゃないんだけどね。ちょっと、思うところがあるんだ」
「じゃあ、これがテロかそうじゃないかだけでも教えてくれよ」
「それなら8割の確度で言うことができる。これはおそらく、ゲリラのたぐいではない」
それを聞いて、笹井は終わりだとばかりに手を振った。
「じゃああとは、テロ調査をしましたというアリバイ作りだけですね」
水野はそう言うと、近くに居る工員に手当たり次第に話を聞いてかかる。
「さすが、現場の人間の言質を取らせたら世界一の男だ」
「彼が一番、官僚に向いている気がするが、しかしこの仄暗い世界は彼には似合わないか」
「どうだろうねえ」
精々と働く後輩を生暖かい目で見つめていると、ふと水野が変な証言を引き出してきた。
「先輩、この方が気になることがあると」
水野に水を向けられた彼は少々気まずそうにしていたが、そのうちボツボツ話始めた。
「電車の日常的な修繕や検査というのは、二つあるのです。一つは、その電車が所属している車庫で毎日行う点検。ここで消耗品を変えたりします。もう一つが、この大井工場まで送られてきて行う大規模な検査や修理」
彼は鉄道マンなら誰でも知っているようなことを話し出す。井関はその先を促したくなったが、隣で小林が興味深そうにメモを取っているのを見て、ついに言い出せなかった。
「前者を交番検査、後者を全般検査と呼んだりもしますが……。ついこの前まで、交番検査で車輛を壊してしまった、といって大井まで送られてくる車輛が多かったのです」
「検査で車両を壊した?」
検査は普通、故障を見つけて修理するために行うのである。それなのに、そこで”壊れた”とは何だろう。
怪訝にしていると彼は答えた。
「どうやら、検査のたびに車輛を壊してしまう厄介者が居たらしくてですね。いやはや手を焼いたものです」
「具体的には?」
「ドアの故障なんかが典型でした。ドアが少し傷んだからといって、適当にドアにトタンを貼り付けて、それが原因でドアが開かなくなってしまった、というものです」
「すみません、ちょっと意味が分かりません」
井関は頭が痛くなってしまった。
「そんなことがあり得るんですか?」
「ええ。普通は考えられませんが、そういうことがあったのです。本人は修理と言いながら、車輛の状態をもっとひどくしてしまうようなのが、居たのです。我々はずっと、そういう人物が我々に悪意をもって仕掛けてきているのではないかと疑っていました」
「ハハァ……」
ここにきて、妙な情報である。しかし、彼の口ぶりから察するに、一度や二度ではなく、それもかなり悪質な故障があったということである。
「気になるね」
「ああ……。すみません、そのクルマを壊した人物について、知っていることは?」
「ああ、名前だけは聞きましたよ。忘れもしません。越谷卓志という男だそうです」
彼は憤懣やるかたないという面持ちでその名を口にした。
「貴重なご意見どうも……」
どうにも気になる情報だ。四人が顔を見合わせていると、遅れて渡部がやってきた。
―――この件を伝えて、テロ調査をやっているという体裁を整えておこう―――
四人は目くばせをして、打ち合わせる。それから井関が口火を切った。
「越谷卓志、という人物が怪しいそうです」
そう告げると、渡部は一瞬驚愕を隠せずに目を見開いた。
「こしがや、たくし?」
「ええ。なにかご存じですか?」
「ああいえ。それが怪しいというのはつまり、ゲリラである可能性が?」
「少なくとも、我々はその線で捜査を進めようかと」
完全なるウソであるが、渡部は気が付かなかったようだ。
「そうですか。いやあ感心ですねえ。どうぞ、がんばってください」
渡部は引きつった笑みを見せた。井関は少し疑問に思ったが、そのあまりの変な顔に少しだけ気分がスカっとした。
「おい、どうや」
今度は辛島が東京へ来る番だった。いつもなら、東京の鉄道についての悪口大会が始まるところだが、今回はそんなことをしている余裕はなかった。
「どうやら東大さんたちは、ホンマにこの件がテロやと思っているらしいで」
渡部が深刻な顔でそういうと、辛島はゲラゲラと笑った。笑いすぎてお茶を喉に詰まらせたところで、彼はやっと正気に戻った。
「アホなんか? 東大さんらは」
「越谷卓志って言う人物が怪しい! なんて言うてきたで、あのアホンダラ」
今度は渡部が腹を抱えて笑う番だった。あの光景がそこまで面白かったらしく、ヒイヒイ言いながら転げている。
「まあちょうどええわ。彼らがテロやと思って捜査してくれている間に、ワシらは適当にホンマの調査をしたらええ」
渡部がそう言うと、辛島はため息をついた。
「大変やなあ内務省さんは。内閣から、”テロの線で捜査せよ”なんて指示が出てんねや?」
「せやから、ワシは一応テロ調査をしているということ似せなあかん。まあ、ヤツラがええ情報持ってきたから、内閣には一応”被疑人物の洗い出しを行っている”とだけ伝えておけば、ワシは自由行動ができる」
「ホンマに悪いこっちゃでぇ。ジブンだけええとこ取ろうとして」
「東大ハンがどんくさいのがアカンねん」
渡部はケタケタと笑った。
「ま、彼らが泳いでいる間に、ワイらはホンマの事故原因を見つけよか」
渡部はその眼の奥を、不気味に光らせた。
すなわち、ここには首都圏各地で呼称した国電が集められ、修理される時を待っているのである。
渡部は、ここに行けばテロの証拠が見つかるかしらんと宣った。これはある意味では道理である。もしテロの証拠なんてものがあるのであれば、その”被害”が全てここに集まっているわけであるから、ここを調べるのが早かろう。
「ただ、これはテロではないんだろう?」
と、笹井は言う。
「どう考えても、車輛設計や整備に起因する未知の事象、と言った方がいいだろう」
「もう少し真意をつかみやすく言ってくれないか」
「つまり、我々国鉄車輛局の設計が悪かったこと、そしてその悪い車輛の整備が行き届いていないことに原因があるんじゃないかと、ボクは睨んでいるんだ」
「なるほどねえ」
果たして、井関の着眼は正しいように思えた。少なくとも、笹井の耳にはそう聞こえる。
「しかし、あの阪大君はこれをテロだと主張しているわけだろう?」
「ああ。実に滑稽だ。だがしかし、適当に調査をしているフリさえしていれば予算と権限をくれそうだから、ああいう手合いはうまく利用しよう」
「そうだね。ヤツが”犯人探し”をしている間に、ボクらは真相に迫るとしよう。彼がこの工場にやってくるのは……」
「上り第一”こだま”でやってくると言っていたから、14時すぎじゃないかな」
「なんだい、関西まで帰ってるのかあの御仁は」
「金帰火来のつもりかね。政治家気取りなのかしらん」
「内務省官僚のすることだ。ゆくゆくは与党幹事長の椅子ぐらい狙ってそうだね」
「あーやだやだ。ワシらは精々利用するとしようか」
改めて工場の中の車輛たちと向き合う。あまりにもひどい有様だ。モーターは焼け落ち、バネはへたり、ドアは壊れている。
「よくもまあこれで死者が出なかったものだ」
「一昔前の木造電車なら危うかった……。いや、今回も車掌の素早い消火活動がなければ怪しかったか」
「それで井関、君の見立てはどうだ」
これに対し、井関の顔は苦々し気である。
「井関?」
「ああいや。ボクはここで見たことを全て、嶋さんに伝えてから判断しようと思う」
井関は明確に、ここで何かを判断することを先送りにした。だが、小林から見て、この程度のことなら嶋技師長の手を借りるほどではないような気がした。
「それほど難しい案件なのかい?」
「いや……そうじゃないんだけどね。ちょっと、思うところがあるんだ」
「じゃあ、これがテロかそうじゃないかだけでも教えてくれよ」
「それなら8割の確度で言うことができる。これはおそらく、ゲリラのたぐいではない」
それを聞いて、笹井は終わりだとばかりに手を振った。
「じゃああとは、テロ調査をしましたというアリバイ作りだけですね」
水野はそう言うと、近くに居る工員に手当たり次第に話を聞いてかかる。
「さすが、現場の人間の言質を取らせたら世界一の男だ」
「彼が一番、官僚に向いている気がするが、しかしこの仄暗い世界は彼には似合わないか」
「どうだろうねえ」
精々と働く後輩を生暖かい目で見つめていると、ふと水野が変な証言を引き出してきた。
「先輩、この方が気になることがあると」
水野に水を向けられた彼は少々気まずそうにしていたが、そのうちボツボツ話始めた。
「電車の日常的な修繕や検査というのは、二つあるのです。一つは、その電車が所属している車庫で毎日行う点検。ここで消耗品を変えたりします。もう一つが、この大井工場まで送られてきて行う大規模な検査や修理」
彼は鉄道マンなら誰でも知っているようなことを話し出す。井関はその先を促したくなったが、隣で小林が興味深そうにメモを取っているのを見て、ついに言い出せなかった。
「前者を交番検査、後者を全般検査と呼んだりもしますが……。ついこの前まで、交番検査で車輛を壊してしまった、といって大井まで送られてくる車輛が多かったのです」
「検査で車両を壊した?」
検査は普通、故障を見つけて修理するために行うのである。それなのに、そこで”壊れた”とは何だろう。
怪訝にしていると彼は答えた。
「どうやら、検査のたびに車輛を壊してしまう厄介者が居たらしくてですね。いやはや手を焼いたものです」
「具体的には?」
「ドアの故障なんかが典型でした。ドアが少し傷んだからといって、適当にドアにトタンを貼り付けて、それが原因でドアが開かなくなってしまった、というものです」
「すみません、ちょっと意味が分かりません」
井関は頭が痛くなってしまった。
「そんなことがあり得るんですか?」
「ええ。普通は考えられませんが、そういうことがあったのです。本人は修理と言いながら、車輛の状態をもっとひどくしてしまうようなのが、居たのです。我々はずっと、そういう人物が我々に悪意をもって仕掛けてきているのではないかと疑っていました」
「ハハァ……」
ここにきて、妙な情報である。しかし、彼の口ぶりから察するに、一度や二度ではなく、それもかなり悪質な故障があったということである。
「気になるね」
「ああ……。すみません、そのクルマを壊した人物について、知っていることは?」
「ああ、名前だけは聞きましたよ。忘れもしません。越谷卓志という男だそうです」
彼は憤懣やるかたないという面持ちでその名を口にした。
「貴重なご意見どうも……」
どうにも気になる情報だ。四人が顔を見合わせていると、遅れて渡部がやってきた。
―――この件を伝えて、テロ調査をやっているという体裁を整えておこう―――
四人は目くばせをして、打ち合わせる。それから井関が口火を切った。
「越谷卓志、という人物が怪しいそうです」
そう告げると、渡部は一瞬驚愕を隠せずに目を見開いた。
「こしがや、たくし?」
「ええ。なにかご存じですか?」
「ああいえ。それが怪しいというのはつまり、ゲリラである可能性が?」
「少なくとも、我々はその線で捜査を進めようかと」
完全なるウソであるが、渡部は気が付かなかったようだ。
「そうですか。いやあ感心ですねえ。どうぞ、がんばってください」
渡部は引きつった笑みを見せた。井関は少し疑問に思ったが、そのあまりの変な顔に少しだけ気分がスカっとした。
「おい、どうや」
今度は辛島が東京へ来る番だった。いつもなら、東京の鉄道についての悪口大会が始まるところだが、今回はそんなことをしている余裕はなかった。
「どうやら東大さんたちは、ホンマにこの件がテロやと思っているらしいで」
渡部が深刻な顔でそういうと、辛島はゲラゲラと笑った。笑いすぎてお茶を喉に詰まらせたところで、彼はやっと正気に戻った。
「アホなんか? 東大さんらは」
「越谷卓志って言う人物が怪しい! なんて言うてきたで、あのアホンダラ」
今度は渡部が腹を抱えて笑う番だった。あの光景がそこまで面白かったらしく、ヒイヒイ言いながら転げている。
「まあちょうどええわ。彼らがテロやと思って捜査してくれている間に、ワシらは適当にホンマの調査をしたらええ」
渡部がそう言うと、辛島はため息をついた。
「大変やなあ内務省さんは。内閣から、”テロの線で捜査せよ”なんて指示が出てんねや?」
「せやから、ワシは一応テロ調査をしているということ似せなあかん。まあ、ヤツラがええ情報持ってきたから、内閣には一応”被疑人物の洗い出しを行っている”とだけ伝えておけば、ワシは自由行動ができる」
「ホンマに悪いこっちゃでぇ。ジブンだけええとこ取ろうとして」
「東大ハンがどんくさいのがアカンねん」
渡部はケタケタと笑った。
「ま、彼らが泳いでいる間に、ワイらはホンマの事故原因を見つけよか」
渡部はその眼の奥を、不気味に光らせた。
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