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異世界急行 第一・第二
整理番号3:指導機関士、御岳篤志
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「いいか男庭、物事にはやり方ってものがある。ただひたすらにやればいいってもんじゃない」
御岳はよく、弟子である男庭に説教をした。男庭はそれをつまらなさそうに聞いていることがしばしばだった。が、この時ばかりは真剣にそれを聞いていた。
「見てみろ、煙突から出る煙の色は何色だ?」
「……真っ黒です」
「じゃあ、釜口を開いてみ」
男庭は御岳に言われるがままに釜口を開く。その瞬間、中で燃え盛る炎から出る熱気が身を焦がす。それに構わず、じっとしっかり釜の中を除くと、石炭が山になって固まっているのが見える。
「火室、どうなってる」
火室とはすなわち、ボイラーの中で燃料を、この場合石炭を燃やす燃焼室の事である。
「……石炭がダマになってます」
「そうだろうな」
御岳が静かにそう言うと、男庭は肩を震え上がらせた。
「石炭がそうなってると、どうなるんだっけか?」
「えっと、不完全燃焼を起こして、釜の温度が十分に上がらなくなります」
「そうだな。排煙が黒いってことは、不完全燃焼しているってことだもんな。きちんと燃えなかった分、釜の温度は上がらなくなるし、その分出力も下がるよな。よくわかってるじゃないか」
「はい」
男庭は声を震わせながらそう言った。御岳が声を荒らげず淡々と事実だけを指摘しているのが、堪らなく怖かったのだ。
「男庭、この先に何があるか覚えてるか?」
「七〇〇メートルの二五パーミル上り勾配です」
「蒸気圧はこれで足りるか?」
「えっと……」
「蒸気圧はこれで十分だと俺はお前に言ったか? 何気圧まで上げろって言った?」
「えっと、十三気圧まで」
「今何気圧だ」
「……十気圧です」
「今日の列車は第4133レ、現車24両、換算両数52両。このまま次の上り勾配に差し掛かったらどうなる?」
「……減速します」
「減速で済めばいいな、オイ」
ブレーキハンドルを持ったまま、御岳は男庭の方をチラリと見やる。それだけで男庭の心胆を深く寒からしめたことだろう。男庭は深くスコップを握りしめる。
「あの上り勾配で出力不足で停まってしまったら、そのまま逆方向に向かって滑り落ちてくぜ。そうしたら最後尾の車掌は後続列車との間に挟まれてぺしゃんこだよ」
「はい」
「どうすればいい?」
「ちゃんと火床を直します」
「ちゃんとって?」
「えっと……。きちんと石炭が均一に均されて、燃えてる石炭が効率よく酸素と触れ合える状態です」
「できるか?」
「がんばります」
「お前が頑張ることは知っている。そうじゃなくて、できるかできないか聞いてるんだ」
「……。出来ます」
「わかった。ケツは持ってやるから、やってみろ」
自覚させ、自らに答えと行動を導かせる。それが機関士、いや、教育担当たる主任機関士、御岳篤志の矜持だった。
御岳は相手がどれほど無理解であろうとも、どれほどにちゃらんぽらんな者だったといても、殴って何かをわからせるようなことは絶対にしなかった。
暴力も、恫喝も、部下たる弟子たちにはただの一度もしたことがない。もしわからぬことがあるのならわかるまで何時間でも付き合ってやり、もし不真面目な者が居たのならわかるまで何度でも根気強く言って聞かせ、手本を見せてやる。
それが、国鉄マン、御岳篤志の覚悟だった。
そしてそれは、暴力と恫喝が横行した当時の現場、ひいてはこの日本社会に対する彼なりの、ささやかな抵抗であり、そして大いなる闘いでもあった。
だからこそ目の前で起きているそれは、御岳にとって新たな戦いの始まりを意味していた。
シグナレスの屋敷にはボイラーが六台あった。御岳は一目見て、その全てがひどい状態にあることを見抜いた。
―――なんだこれは。国鉄現場も酷いところは酷いと聞くが、これほどまでに荒廃した現場はないぞ―――
現場には、十数人の火夫が居た。火夫とは、ボイラーに石炭などの燃料をくべる職種の者のことである。
火夫は皆一様に疲弊していた。そしてその中には女子供の様に見える者も混じっている。
戦後、それもオリンピックを乗り越えた日本では、あまり見かけない光景だ。
そしてその火夫たちは手に火傷を負っていたり、身体に痣があるものもいた。
御岳は身体中の血が沸き立つ思いがする。国鉄でも、こんな風に新人を殴り飛ばして教育する指導員がいた。御岳はそんな風潮にずっと一人で抗い続けてきた。だからこそ、部下の男庭と信頼関係を築けたのだと、御岳は自負している。
そしていくら国鉄でも、こんなひどい仕打ちは見たことが無かった。普通はなにかヘマをしたらキツいゲンコツをくれてやるぐらいである。
武闘派だったかつての同僚が見ても、これは一様に拒否反応を示すであろうと、御岳は一人そう思った。
―――こんなものは断じて教育ではない。まるで火夫が奴隷かなにかのようじゃないか―――
火夫たちは御岳が乱入した後も、その火を絶やさんと燃料を燃やし続けていた。その中でも一人だけ、生傷が少なく威張りくさっている者がいた。御岳はその者の作業の様子をよく見てみる。
そのものは、恐らく燃料であると思われる紅い鉱石を大きなスコップで乱雑に掬い、それを乱雑にボイラーに投げ入れていた。その手先になにか技術のようなものの片鱗は伺えず、ただ力任せに投げ入れているようであった。
「おい、貴様、何者だ! なぜ警らはこいつを捕まえない!」
「それは私が呼び寄せた者だからですよ、ゲラルド」
大男はいつの間にかに立ち上がって、しっかりと御岳を睨みつけていた。御岳もお返しとばかりに睨みつける。
「おい、そこの大男。ここはあまりにも酷い有様じゃないか。奴隷に服はまともに着せない、暴力は振るう。そして、ロクに仕事を教えず、恫喝だけで管理する。これが人のやることか!」
「なにぃ! 俺の指導は完璧だ! よく腰を落とし、気合を入れて燃料を投げ入れる。そんな釜焚きの基本をイチから教えてやったのに、殆どマスター出来ないでいやがる。きちんと出来たのは、あいつだけさ」
大男が指を差した先には、先ほどの力任せにやっていたあの男がいた。あの男は気障な笑みをこちらに向けると、スコップをぶんぶん振り回して何事かを誇示している。
「その証拠に、あいつが受け持ったボイラの煙突が一番景気よく黒煙を吐き出している。他のを見てみろ、まだまだ黒煙の出が悪いじゃないか」
もうここらで、御岳は我慢がならない。御岳は黙ってその男の隣のボイラへ近づくと、そのボイラを受け持っていた者に声を掛けた。
「よう、お嬢ちゃん。ちょっといいか」
そのボイラを担当していたのはまだ大人にもなってなさそうな少女だった。小さな片手用スコップを持ち、息を切らしながら燃料をボイラーにくべていた。
「そこのボイラーを貸してくれ」
少女は戸惑ったような表情を見せたが、手がしびれてきたのかその場にスコップを取り落とし、そのまま御岳に場所を譲った。
「その女は、ここで一番ヘタクソな火夫だ。そんな奴がお気に入りかい」
後ろの嘲笑を気にせず、御岳はボイラーの中、火室を覗く。すると、確かにヘタクソではあったが、そもそもとして投げ込まれた燃料の量がそこまで多くなかった。
御岳はそれに気が付くとニタリと笑った。そして大男の方を振り返る。
「じゃあ、こいつがいじっていたこのボイラーを使って、この中で一番いい成績をたたき出してやるよ。釜焚きはより湯温を上げた方が勝ちだろう?」
「なんだとう、なめ腐りやがって……。そこまで言うならやってみやがれ!」
売り言葉に買い言葉。大男がそういきり立った瞬間、御岳は真剣な顔に戻ってこう啖呵を切った。
「日本国鉄を、舐めるなよ」
御岳は少女が取り落としたスコップを拾い上げると、それをマジマジと見つめた。そのスコップは他の者が使っていたものより一回りぐらい小さいもので、片手で容易に扱えるものだった。
―――国鉄で使っていた片手用一キログラム投炭スコップ、ワンスコとだいたい同じぐらいだな―――
御岳は火室の扉、釜口を開いて再び火室の中を覗き見る。
―――俺が最後に乗務していた蒸気機関車と同じくらい……いや、それより幾分か狭いな。これなら……―――
御岳はスコップをしっかり握りしめる。それは、この小さなスコップがこのボイラーに丁度適任だと判断したからだ。
しかし、御岳の判断とは裏腹に周囲にはあざけるような笑い声が漏れる。
「おいおい、そりゃ子ども用のおもちゃみたいなもんだぜ」
隣の火夫がおどけるようにそう言った瞬間、まわりの火夫達が一斉に笑い始めた。そして少女が申し訳なさそうな顔で大きなスコップを御岳に持ってきた。
―――両手用二キログラム投炭スコップ、大スコと同じくらいだな―――
御岳は少女を手で制した。その代わりに、少女を呼び寄せて二、三質問をした。
「燃料はこの紅い石であっているか?」
「はい」
「水の量は適正か? どの計器のどのラインが適正だ?」
「このメーターの、赤い線が最低値、黒い線が最高値です」
「湯温、又は蒸気のメーターは?」
「湯温はここです」
それぞれ計器の見方を教えてもらう。計器の配置はそれぞれ不合理なものだったが、御岳は完全に理解することができた。
「じゃあ今からやって見せるから、おかしなところがあったら教えてくれ」
そう言うと御岳はしっかりと腰を下ろし、短く息を吐いて気合を入れる。次の瞬間、燃料である紅い鉱石の山にスコップを入れた。
―――まずは投炭、二分で三十―――
御岳は釜口を開く。熱い炎が顔をじりじりと照り付ける。お構いなしに御岳は鉱石を運びながらしっかりと火室の中を見る。
―――右手前、そのあと左中ほど―――
御岳は狙いをつけると、ワンスコが釜口に入ると同時に手のひらをひっくり返すようにしてワンスコを底面に叩きつけた。スコン! と気持ちのいい音が響く。
「え?」
少女の驚きの声をよそに、御岳は投げ込みを続ける。
左中、正面手前、右奥。御岳はしっかりと目当てをつけて鉱石を投げ込んでいく。すると、煙突から吐き出される煙は黒から白、そして更にはほぼ透明に変わった。
「なんでい、散々言っておきながらダメダメじゃねぇか」
隣の火夫がそんな事を言い出した。だが、大男はみるみる顔を青ざめさせていく。
「いや……。違うぞ」
御岳はなおも鉱石を投げ入れ続ける。釜口が開いた瞬間の熱気が、明らかに強くなっていく。
「煙が少なくなっていくのに、温度は上がっている……?」
少女がそう呟くと、御岳は手を止めて少女の方を振り返り、ニヤリと笑った。
「やってみるか?」
そう言ってワンスコを差し出す。少女は急にお鉢が回ってきて驚いていたが、おずおずとワンスコを受け取ると御岳と場所を交代した。
「まずは腰を落とす。それで、燃料を下から上に拾いあげるようにして掬う」
少女は言われた通りにする。その動きはてきぱきとしていて手早いが、辺りに鉱石がこぼれて散らばるようなことはない。
「そのまま重心移動でスコップを釜口までもっていく。そして釜口を開いて……ストップ」
釜口が開いたところで、御岳は動きを止めさせた。
「なあ、火室の床を見てみろ」
少女は熱気に顔をゆがめながらもしっかりと床を凝視する。
「どこが一番、燃料が少ないと思う?」
「手前……左手前」
「そうだ。じゃあそこを狙って投げ入れてみろ」
「はい」
少女は左に向かって鉱石を投げ入れる。が、投げ入れた鉱石は転がって奥の方へいってしまった。
少女は顔を曇らせる。
「なんでそうなったかわかるか?」
「いえ……」
「簡単だ。火室の中の空気は手前から奥に向かって流れている。そして燃料が吸い寄せられて向こうへ転がっていくんだ。だから、手前に燃料を投げ入れたいときはしっかり叩きつけてやらないといかん」
御岳は再び少女からワンスコを受け取ると、しっかりと手のひらを返し鉱石を底面に向けて叩きつけるように放り込む。
「こんな風に手を返して叩きつけるんだ。やってみな」
再びワンスコは少女の手に渡る。すると、少女は一度やって見せただけなのに御岳の指導の通りにやって見せた。
「上手だ。さぁ、次はどこが薄い?」
「右中……」
「そうだ。そうやって薄いところはないか、厚いところはないか、と探しながら投げ込んでいく。これが基本だ」
そう言われながら少女は見事の手さばきで鉱石を投げ入れていく。これにはさすがに御岳も舌を巻いた。
「お前さんはスジが良い。これならすぐ上手くなる」
―――これなら、体力さえつければ一緒に常総本線の特急運用も一緒にできるかもしれん―――
御岳がそんなことを思っているうちに、湯温を示すメーターは青い線、赤い線を通り過ぎて黒い線に達しようとしていた。
「おい、大男! どこまでやればいいんだ!」
御岳が振り返ってそう叫ぶと、大男は必死にメモを取っていた。
「へ? あ、ああ、もう青い線の所で十分でございます……」
大男は御岳の越えに気が付くと、先ほどとは打って変わって腰を低くしてへこへこし始めた。先ほどまで御岳を馬鹿にしていた火夫たちも、一様にバツの悪い顔をしている。
御岳は呆れかえって、少女に作業を止めさせた。すると大男が近付いてきてゴマをすりながらこんなことを言ってくる。
「申し訳ねぇんですが、その、ちょいと釜焚についてご指導願えんかと……」
大男はうすら笑いに脂汗をかきながらそんなことを申し出てきた。
御岳はなんだかむかっ腹が立って握りこぶしを作る。
「おめぇ、一発殴らせろ!」
喧嘩っぱやい江戸っ子の御岳は、こうした詫びも入れずに態度を豹変させるような者が嫌いであった。溜まりに溜まった鬱憤が、御岳を鬼の形相にさせる。
だが、握りこぶしが実際に振り下ろされることは無かった。その時、一人の男が割り込んできたからだ。
「待ってください、その人は我々の恩人なんです!」
その男は、一番最初にその大男に殴り飛ばされていた、その男だった。
シグナレスは、その後ろで静かに微笑んでいた。
御岳はよく、弟子である男庭に説教をした。男庭はそれをつまらなさそうに聞いていることがしばしばだった。が、この時ばかりは真剣にそれを聞いていた。
「見てみろ、煙突から出る煙の色は何色だ?」
「……真っ黒です」
「じゃあ、釜口を開いてみ」
男庭は御岳に言われるがままに釜口を開く。その瞬間、中で燃え盛る炎から出る熱気が身を焦がす。それに構わず、じっとしっかり釜の中を除くと、石炭が山になって固まっているのが見える。
「火室、どうなってる」
火室とはすなわち、ボイラーの中で燃料を、この場合石炭を燃やす燃焼室の事である。
「……石炭がダマになってます」
「そうだろうな」
御岳が静かにそう言うと、男庭は肩を震え上がらせた。
「石炭がそうなってると、どうなるんだっけか?」
「えっと、不完全燃焼を起こして、釜の温度が十分に上がらなくなります」
「そうだな。排煙が黒いってことは、不完全燃焼しているってことだもんな。きちんと燃えなかった分、釜の温度は上がらなくなるし、その分出力も下がるよな。よくわかってるじゃないか」
「はい」
男庭は声を震わせながらそう言った。御岳が声を荒らげず淡々と事実だけを指摘しているのが、堪らなく怖かったのだ。
「男庭、この先に何があるか覚えてるか?」
「七〇〇メートルの二五パーミル上り勾配です」
「蒸気圧はこれで足りるか?」
「えっと……」
「蒸気圧はこれで十分だと俺はお前に言ったか? 何気圧まで上げろって言った?」
「えっと、十三気圧まで」
「今何気圧だ」
「……十気圧です」
「今日の列車は第4133レ、現車24両、換算両数52両。このまま次の上り勾配に差し掛かったらどうなる?」
「……減速します」
「減速で済めばいいな、オイ」
ブレーキハンドルを持ったまま、御岳は男庭の方をチラリと見やる。それだけで男庭の心胆を深く寒からしめたことだろう。男庭は深くスコップを握りしめる。
「あの上り勾配で出力不足で停まってしまったら、そのまま逆方向に向かって滑り落ちてくぜ。そうしたら最後尾の車掌は後続列車との間に挟まれてぺしゃんこだよ」
「はい」
「どうすればいい?」
「ちゃんと火床を直します」
「ちゃんとって?」
「えっと……。きちんと石炭が均一に均されて、燃えてる石炭が効率よく酸素と触れ合える状態です」
「できるか?」
「がんばります」
「お前が頑張ることは知っている。そうじゃなくて、できるかできないか聞いてるんだ」
「……。出来ます」
「わかった。ケツは持ってやるから、やってみろ」
自覚させ、自らに答えと行動を導かせる。それが機関士、いや、教育担当たる主任機関士、御岳篤志の矜持だった。
御岳は相手がどれほど無理解であろうとも、どれほどにちゃらんぽらんな者だったといても、殴って何かをわからせるようなことは絶対にしなかった。
暴力も、恫喝も、部下たる弟子たちにはただの一度もしたことがない。もしわからぬことがあるのならわかるまで何時間でも付き合ってやり、もし不真面目な者が居たのならわかるまで何度でも根気強く言って聞かせ、手本を見せてやる。
それが、国鉄マン、御岳篤志の覚悟だった。
そしてそれは、暴力と恫喝が横行した当時の現場、ひいてはこの日本社会に対する彼なりの、ささやかな抵抗であり、そして大いなる闘いでもあった。
だからこそ目の前で起きているそれは、御岳にとって新たな戦いの始まりを意味していた。
シグナレスの屋敷にはボイラーが六台あった。御岳は一目見て、その全てがひどい状態にあることを見抜いた。
―――なんだこれは。国鉄現場も酷いところは酷いと聞くが、これほどまでに荒廃した現場はないぞ―――
現場には、十数人の火夫が居た。火夫とは、ボイラーに石炭などの燃料をくべる職種の者のことである。
火夫は皆一様に疲弊していた。そしてその中には女子供の様に見える者も混じっている。
戦後、それもオリンピックを乗り越えた日本では、あまり見かけない光景だ。
そしてその火夫たちは手に火傷を負っていたり、身体に痣があるものもいた。
御岳は身体中の血が沸き立つ思いがする。国鉄でも、こんな風に新人を殴り飛ばして教育する指導員がいた。御岳はそんな風潮にずっと一人で抗い続けてきた。だからこそ、部下の男庭と信頼関係を築けたのだと、御岳は自負している。
そしていくら国鉄でも、こんなひどい仕打ちは見たことが無かった。普通はなにかヘマをしたらキツいゲンコツをくれてやるぐらいである。
武闘派だったかつての同僚が見ても、これは一様に拒否反応を示すであろうと、御岳は一人そう思った。
―――こんなものは断じて教育ではない。まるで火夫が奴隷かなにかのようじゃないか―――
火夫たちは御岳が乱入した後も、その火を絶やさんと燃料を燃やし続けていた。その中でも一人だけ、生傷が少なく威張りくさっている者がいた。御岳はその者の作業の様子をよく見てみる。
そのものは、恐らく燃料であると思われる紅い鉱石を大きなスコップで乱雑に掬い、それを乱雑にボイラーに投げ入れていた。その手先になにか技術のようなものの片鱗は伺えず、ただ力任せに投げ入れているようであった。
「おい、貴様、何者だ! なぜ警らはこいつを捕まえない!」
「それは私が呼び寄せた者だからですよ、ゲラルド」
大男はいつの間にかに立ち上がって、しっかりと御岳を睨みつけていた。御岳もお返しとばかりに睨みつける。
「おい、そこの大男。ここはあまりにも酷い有様じゃないか。奴隷に服はまともに着せない、暴力は振るう。そして、ロクに仕事を教えず、恫喝だけで管理する。これが人のやることか!」
「なにぃ! 俺の指導は完璧だ! よく腰を落とし、気合を入れて燃料を投げ入れる。そんな釜焚きの基本をイチから教えてやったのに、殆どマスター出来ないでいやがる。きちんと出来たのは、あいつだけさ」
大男が指を差した先には、先ほどの力任せにやっていたあの男がいた。あの男は気障な笑みをこちらに向けると、スコップをぶんぶん振り回して何事かを誇示している。
「その証拠に、あいつが受け持ったボイラの煙突が一番景気よく黒煙を吐き出している。他のを見てみろ、まだまだ黒煙の出が悪いじゃないか」
もうここらで、御岳は我慢がならない。御岳は黙ってその男の隣のボイラへ近づくと、そのボイラを受け持っていた者に声を掛けた。
「よう、お嬢ちゃん。ちょっといいか」
そのボイラを担当していたのはまだ大人にもなってなさそうな少女だった。小さな片手用スコップを持ち、息を切らしながら燃料をボイラーにくべていた。
「そこのボイラーを貸してくれ」
少女は戸惑ったような表情を見せたが、手がしびれてきたのかその場にスコップを取り落とし、そのまま御岳に場所を譲った。
「その女は、ここで一番ヘタクソな火夫だ。そんな奴がお気に入りかい」
後ろの嘲笑を気にせず、御岳はボイラーの中、火室を覗く。すると、確かにヘタクソではあったが、そもそもとして投げ込まれた燃料の量がそこまで多くなかった。
御岳はそれに気が付くとニタリと笑った。そして大男の方を振り返る。
「じゃあ、こいつがいじっていたこのボイラーを使って、この中で一番いい成績をたたき出してやるよ。釜焚きはより湯温を上げた方が勝ちだろう?」
「なんだとう、なめ腐りやがって……。そこまで言うならやってみやがれ!」
売り言葉に買い言葉。大男がそういきり立った瞬間、御岳は真剣な顔に戻ってこう啖呵を切った。
「日本国鉄を、舐めるなよ」
御岳は少女が取り落としたスコップを拾い上げると、それをマジマジと見つめた。そのスコップは他の者が使っていたものより一回りぐらい小さいもので、片手で容易に扱えるものだった。
―――国鉄で使っていた片手用一キログラム投炭スコップ、ワンスコとだいたい同じぐらいだな―――
御岳は火室の扉、釜口を開いて再び火室の中を覗き見る。
―――俺が最後に乗務していた蒸気機関車と同じくらい……いや、それより幾分か狭いな。これなら……―――
御岳はスコップをしっかり握りしめる。それは、この小さなスコップがこのボイラーに丁度適任だと判断したからだ。
しかし、御岳の判断とは裏腹に周囲にはあざけるような笑い声が漏れる。
「おいおい、そりゃ子ども用のおもちゃみたいなもんだぜ」
隣の火夫がおどけるようにそう言った瞬間、まわりの火夫達が一斉に笑い始めた。そして少女が申し訳なさそうな顔で大きなスコップを御岳に持ってきた。
―――両手用二キログラム投炭スコップ、大スコと同じくらいだな―――
御岳は少女を手で制した。その代わりに、少女を呼び寄せて二、三質問をした。
「燃料はこの紅い石であっているか?」
「はい」
「水の量は適正か? どの計器のどのラインが適正だ?」
「このメーターの、赤い線が最低値、黒い線が最高値です」
「湯温、又は蒸気のメーターは?」
「湯温はここです」
それぞれ計器の見方を教えてもらう。計器の配置はそれぞれ不合理なものだったが、御岳は完全に理解することができた。
「じゃあ今からやって見せるから、おかしなところがあったら教えてくれ」
そう言うと御岳はしっかりと腰を下ろし、短く息を吐いて気合を入れる。次の瞬間、燃料である紅い鉱石の山にスコップを入れた。
―――まずは投炭、二分で三十―――
御岳は釜口を開く。熱い炎が顔をじりじりと照り付ける。お構いなしに御岳は鉱石を運びながらしっかりと火室の中を見る。
―――右手前、そのあと左中ほど―――
御岳は狙いをつけると、ワンスコが釜口に入ると同時に手のひらをひっくり返すようにしてワンスコを底面に叩きつけた。スコン! と気持ちのいい音が響く。
「え?」
少女の驚きの声をよそに、御岳は投げ込みを続ける。
左中、正面手前、右奥。御岳はしっかりと目当てをつけて鉱石を投げ込んでいく。すると、煙突から吐き出される煙は黒から白、そして更にはほぼ透明に変わった。
「なんでい、散々言っておきながらダメダメじゃねぇか」
隣の火夫がそんな事を言い出した。だが、大男はみるみる顔を青ざめさせていく。
「いや……。違うぞ」
御岳はなおも鉱石を投げ入れ続ける。釜口が開いた瞬間の熱気が、明らかに強くなっていく。
「煙が少なくなっていくのに、温度は上がっている……?」
少女がそう呟くと、御岳は手を止めて少女の方を振り返り、ニヤリと笑った。
「やってみるか?」
そう言ってワンスコを差し出す。少女は急にお鉢が回ってきて驚いていたが、おずおずとワンスコを受け取ると御岳と場所を交代した。
「まずは腰を落とす。それで、燃料を下から上に拾いあげるようにして掬う」
少女は言われた通りにする。その動きはてきぱきとしていて手早いが、辺りに鉱石がこぼれて散らばるようなことはない。
「そのまま重心移動でスコップを釜口までもっていく。そして釜口を開いて……ストップ」
釜口が開いたところで、御岳は動きを止めさせた。
「なあ、火室の床を見てみろ」
少女は熱気に顔をゆがめながらもしっかりと床を凝視する。
「どこが一番、燃料が少ないと思う?」
「手前……左手前」
「そうだ。じゃあそこを狙って投げ入れてみろ」
「はい」
少女は左に向かって鉱石を投げ入れる。が、投げ入れた鉱石は転がって奥の方へいってしまった。
少女は顔を曇らせる。
「なんでそうなったかわかるか?」
「いえ……」
「簡単だ。火室の中の空気は手前から奥に向かって流れている。そして燃料が吸い寄せられて向こうへ転がっていくんだ。だから、手前に燃料を投げ入れたいときはしっかり叩きつけてやらないといかん」
御岳は再び少女からワンスコを受け取ると、しっかりと手のひらを返し鉱石を底面に向けて叩きつけるように放り込む。
「こんな風に手を返して叩きつけるんだ。やってみな」
再びワンスコは少女の手に渡る。すると、少女は一度やって見せただけなのに御岳の指導の通りにやって見せた。
「上手だ。さぁ、次はどこが薄い?」
「右中……」
「そうだ。そうやって薄いところはないか、厚いところはないか、と探しながら投げ込んでいく。これが基本だ」
そう言われながら少女は見事の手さばきで鉱石を投げ入れていく。これにはさすがに御岳も舌を巻いた。
「お前さんはスジが良い。これならすぐ上手くなる」
―――これなら、体力さえつければ一緒に常総本線の特急運用も一緒にできるかもしれん―――
御岳がそんなことを思っているうちに、湯温を示すメーターは青い線、赤い線を通り過ぎて黒い線に達しようとしていた。
「おい、大男! どこまでやればいいんだ!」
御岳が振り返ってそう叫ぶと、大男は必死にメモを取っていた。
「へ? あ、ああ、もう青い線の所で十分でございます……」
大男は御岳の越えに気が付くと、先ほどとは打って変わって腰を低くしてへこへこし始めた。先ほどまで御岳を馬鹿にしていた火夫たちも、一様にバツの悪い顔をしている。
御岳は呆れかえって、少女に作業を止めさせた。すると大男が近付いてきてゴマをすりながらこんなことを言ってくる。
「申し訳ねぇんですが、その、ちょいと釜焚についてご指導願えんかと……」
大男はうすら笑いに脂汗をかきながらそんなことを申し出てきた。
御岳はなんだかむかっ腹が立って握りこぶしを作る。
「おめぇ、一発殴らせろ!」
喧嘩っぱやい江戸っ子の御岳は、こうした詫びも入れずに態度を豹変させるような者が嫌いであった。溜まりに溜まった鬱憤が、御岳を鬼の形相にさせる。
だが、握りこぶしが実際に振り下ろされることは無かった。その時、一人の男が割り込んできたからだ。
「待ってください、その人は我々の恩人なんです!」
その男は、一番最初にその大男に殴り飛ばされていた、その男だった。
シグナレスは、その後ろで静かに微笑んでいた。
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