24 / 39
第二十四話 外交の場に立たされる
しおりを挟む
第二十四話 外交の場に立たされる
その日が来るのは、あまりにも早かった。
王宮に、隣国ルシェール公国の使節団が到着する――その知らせが届いた時、ミラはまだ「正式な外交晩餐」というものを一度も経験していなかった。
本来であれば、王太子妃候補の段階から何度も模擬演習を重ね、想定問答を叩き込まれ、失言を潰し尽くした上で立つ場である。だが今回は違う。
準備不足のまま、時間だけが先に進んだ。
「ミラ、君は隣に立っていればいい」
エドワードは軽く言った。
「難しい話は、僕がする」
その言葉に、侍女たちの表情が一瞬だけ歪む。
外交の場で「隣に立つだけ」という役割は、存在しない。沈黙も、視線も、微笑も、すべてが意味を持つ。王太子妃は装飾品ではない。だが、その説明を今さらしても、時間は戻らなかった。
晩餐会場は、かつてより明らかに簡素になっていた。
シャンデリアの数は減り、壁を飾っていたタペストリーも一部が外されている。それでも、使節団は礼儀正しく入場し、形式通りの挨拶が始まった。
「本日は、このような機会を賜り――」
使節団長が挨拶を終え、エドワードが応じる。その流れ自体は、問題なかった。
問題は、その次だった。
「こちらが、新たに王太子妃となられたミラ様です」
紹介の言葉とともに、視線が一斉に集まる。
ミラは、少し緊張しながらも笑顔を作った。だが、その笑みは、社交の場で求められる「均一な微笑」とは違う。感情がそのまま表に出る、私的な笑顔だった。
「初めまして。ええと……遠いところから、大変でしたよね?」
一瞬、空気が止まる。
使節団長は、微かに眉を動かしたが、すぐに穏やかな表情を取り繕った。
「お気遣い、恐れ入ります」
その返答は丁寧だったが、内心を隠していることは明らかだった。
会話が進むにつれ、違和感は積み重なっていく。
国情について触れられた際、ミラは思わず口を挟んだ。
「それって、そんなに大変なんですか? うちの国は、そこまで困ってないですよ?」
誰かが、息を呑む音がした。
外交の場で、自国の安定を誇示すること自体が問題なのではない。問題は、相手国の事情を軽んじる形になってしまったことだ。
エドワードが慌てて言葉を継ぐ。
「もちろん、状況は国ごとに異なりますが……」
だが、すでに発せられた言葉は消えない。
晩餐の途中、贈答品の話題になった時も、事態は好転しなかった。
「砂糖の輸入についてですが――」
使節団の一人が話し始めた瞬間、ミラが首を傾げる。
「砂糖って、そんなに大事ですか? 甘いだけですよね」
今度こそ、明確な沈黙が落ちた。
砂糖は、当時すでに戦略物資の一つだった。嗜好品であると同時に、保存食、医療、交易の要でもある。それを「甘いだけ」と切り捨てる発言は、相手国の経済事情そのものを否定するに等しい。
老女官は、視線を伏せた。
教育が足りないのではない。最低限の理解がないまま、表舞台に立たせてしまったのだ。
晩餐会は、形式上は無事に終わった。
だが、使節団が退出した後、空気は重く沈んだままだった。
「……今のは、少し不用意だったかもしれない」
エドワードが、ようやく口を開く。
「そう? 正直に思ったことを言っただけよ」
ミラは、不満そうだった。
「みんな、難しく考えすぎじゃない?」
その言葉に、誰も即答できなかった。
難しく考えているのではない。世界が、そういう仕組みで動いているのだ。だが、その現実を今から教え込むには、あまりにも遅すぎる。
その夜、修道院にも報告が届いた。
カタリナは、内容を読み、静かに目を閉じる。
「……露呈しましたわね」
隣にいた院長が、頷いた。
「ええ。教育不足が、はっきりと」
「いいえ。問題は、そこではありません」
カタリナは、淡々と続ける。
「教育を受けさせる意思と時間がないまま、外交の場に出したこと。それ自体が、すでに国家の判断ミスです」
王太子は愛を選び、王家は体裁を急いだ。その結果、最も慎重であるべき場で、最も不用意な姿を晒すことになった。
カタリナは、窓の外を見た。
修道院の庭は、今日も静かだ。ここでは、誰も外交を担わない。誰も国家を背負わない。
「……次は、もっとはっきりした形で現れますわ」
この違和感は、序章に過ぎない。
外交は、感情ではなく、積み重ねで成り立つ。
その基本を欠いたまま立つ王宮は、これから何度も試されることになるだろう。
その日が来るのは、あまりにも早かった。
王宮に、隣国ルシェール公国の使節団が到着する――その知らせが届いた時、ミラはまだ「正式な外交晩餐」というものを一度も経験していなかった。
本来であれば、王太子妃候補の段階から何度も模擬演習を重ね、想定問答を叩き込まれ、失言を潰し尽くした上で立つ場である。だが今回は違う。
準備不足のまま、時間だけが先に進んだ。
「ミラ、君は隣に立っていればいい」
エドワードは軽く言った。
「難しい話は、僕がする」
その言葉に、侍女たちの表情が一瞬だけ歪む。
外交の場で「隣に立つだけ」という役割は、存在しない。沈黙も、視線も、微笑も、すべてが意味を持つ。王太子妃は装飾品ではない。だが、その説明を今さらしても、時間は戻らなかった。
晩餐会場は、かつてより明らかに簡素になっていた。
シャンデリアの数は減り、壁を飾っていたタペストリーも一部が外されている。それでも、使節団は礼儀正しく入場し、形式通りの挨拶が始まった。
「本日は、このような機会を賜り――」
使節団長が挨拶を終え、エドワードが応じる。その流れ自体は、問題なかった。
問題は、その次だった。
「こちらが、新たに王太子妃となられたミラ様です」
紹介の言葉とともに、視線が一斉に集まる。
ミラは、少し緊張しながらも笑顔を作った。だが、その笑みは、社交の場で求められる「均一な微笑」とは違う。感情がそのまま表に出る、私的な笑顔だった。
「初めまして。ええと……遠いところから、大変でしたよね?」
一瞬、空気が止まる。
使節団長は、微かに眉を動かしたが、すぐに穏やかな表情を取り繕った。
「お気遣い、恐れ入ります」
その返答は丁寧だったが、内心を隠していることは明らかだった。
会話が進むにつれ、違和感は積み重なっていく。
国情について触れられた際、ミラは思わず口を挟んだ。
「それって、そんなに大変なんですか? うちの国は、そこまで困ってないですよ?」
誰かが、息を呑む音がした。
外交の場で、自国の安定を誇示すること自体が問題なのではない。問題は、相手国の事情を軽んじる形になってしまったことだ。
エドワードが慌てて言葉を継ぐ。
「もちろん、状況は国ごとに異なりますが……」
だが、すでに発せられた言葉は消えない。
晩餐の途中、贈答品の話題になった時も、事態は好転しなかった。
「砂糖の輸入についてですが――」
使節団の一人が話し始めた瞬間、ミラが首を傾げる。
「砂糖って、そんなに大事ですか? 甘いだけですよね」
今度こそ、明確な沈黙が落ちた。
砂糖は、当時すでに戦略物資の一つだった。嗜好品であると同時に、保存食、医療、交易の要でもある。それを「甘いだけ」と切り捨てる発言は、相手国の経済事情そのものを否定するに等しい。
老女官は、視線を伏せた。
教育が足りないのではない。最低限の理解がないまま、表舞台に立たせてしまったのだ。
晩餐会は、形式上は無事に終わった。
だが、使節団が退出した後、空気は重く沈んだままだった。
「……今のは、少し不用意だったかもしれない」
エドワードが、ようやく口を開く。
「そう? 正直に思ったことを言っただけよ」
ミラは、不満そうだった。
「みんな、難しく考えすぎじゃない?」
その言葉に、誰も即答できなかった。
難しく考えているのではない。世界が、そういう仕組みで動いているのだ。だが、その現実を今から教え込むには、あまりにも遅すぎる。
その夜、修道院にも報告が届いた。
カタリナは、内容を読み、静かに目を閉じる。
「……露呈しましたわね」
隣にいた院長が、頷いた。
「ええ。教育不足が、はっきりと」
「いいえ。問題は、そこではありません」
カタリナは、淡々と続ける。
「教育を受けさせる意思と時間がないまま、外交の場に出したこと。それ自体が、すでに国家の判断ミスです」
王太子は愛を選び、王家は体裁を急いだ。その結果、最も慎重であるべき場で、最も不用意な姿を晒すことになった。
カタリナは、窓の外を見た。
修道院の庭は、今日も静かだ。ここでは、誰も外交を担わない。誰も国家を背負わない。
「……次は、もっとはっきりした形で現れますわ」
この違和感は、序章に過ぎない。
外交は、感情ではなく、積み重ねで成り立つ。
その基本を欠いたまま立つ王宮は、これから何度も試されることになるだろう。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!
白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。
婚約者ではないのに、です。
それに、いじめた記憶も一切ありません。
私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。
第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。
カクヨムにも掲載しております。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる