26 / 39
第二十六話 男爵家の暴走
しおりを挟む
第二十六話 男爵家の暴走
砂糖事件の余波が、まだ王宮に残っている頃だった。
事態が静まるどころか、別の方向から新たな歪みが生まれ始めていることに、王家は気づくのが遅すぎた。
発端は、地方都市で開かれた小規模な祝宴だった。
「王太子妃様のご実家である、我が男爵家が――」
その言葉が、場の空気を一瞬で凍らせた。
発言したのは、ミラの実父である男爵。酒気を帯びた顔で、誇らしげに胸を張っていた。
「今後は王家の親戚として、より一層、王国のために尽くしていく所存でございます」
その場にいた地方官吏の一人が、即座に反応した。
「……王家の、親戚?」
問い返された男爵は、不思議そうに瞬きをする。
「ええ。娘が王太子妃ですからな。つまりは、身内でしょう?」
誰も、すぐには否定できなかった。
否定するには、あまりにも言葉が曖昧で、そして立場が厄介だったからだ。
その数日後。
男爵家は、王都近郊の関所に対し、通行税の免除を求める書簡を送付した。理由は、「王家縁戚としての便宜」。
さらに、商会との取引においても、「王家の名」を匂わせた価格交渉が始まる。
それは、正式な命令ではない。文書もない。ただ、言外の圧力だけがあった。
「……これは、どこまで黙認すべきでしょうか」
王宮の一室で、官吏が慎重に言った。
「黙認?」
エドワードは、苛立ちを隠そうともせず返す。
「勝手に名乗っているだけだ。こちらが関与する話じゃない」
だが、その言葉に力はなかった。
王太子妃の実家。
その肩書きは、王家が与えたものではない。しかし、王家が否定しなければ、事実として流通してしまう。
しかも、男爵家は地方貴族だ。彼らにとって、王家との距離は絶対的な価値を持つ。その距離が縮まったと錯覚すれば、歯止めは効かない。
「問題は、規模です」
別の官吏が、低い声で言う。
「すでに三件、男爵家の名を使った便宜要求が確認されています。いずれも、小さな案件ですが……」
「小さな、今はな」
エドワードは、椅子に深く腰掛けた。
止めるべきだと分かっている。だが、どう止める?
正式な処分をすれば、「王太子妃の実家を冷遇した」という印象が立つ。放置すれば、権威の私物化が進む。
そのどちらも、今の王家には致命的だった。
男爵家の暴走は、次第に露骨になる。
地方の裁判に介入しようとした件。
徴税の延期を「相談」と称して求めた件。
そして、ついには――。
「王宮への直接の嘆願です」
官吏が差し出した書状には、男爵家当主の署名があった。
「王太子殿下におかれましては、我が家を王家の一支流として正式に認め――」
そこまで読んで、エドワードは書状を机に叩きつけた。
「認めるわけがないだろう!」
怒声が、部屋に響いた。
だが、その怒りは、事態を止める力にはならない。
なぜなら、この暴走は、男爵家だけの問題ではないからだ。
王太子妃として、ミラが「何を語り、何を語らないか」。
王家が「何を否定し、何を黙認するか」。
その全てが曖昧なまま進めば、こうなる。
修道院では、すでにこの動きを把握していた。
「始まりましたわね。今度は、身内ですか」
カタリナは、報告を聞きながら、静かに紅茶を口にする。
「血縁ではなく、役割を理解していない者が、権威に触れた時に起きる典型です」
「止められるでしょうか」
院長が問う。
カタリナは、少し考えてから答えた。
「止めることはできます。ただし――」
彼女は、視線を窓の外へ向けた。
「そのためには、王家自身が、自分たちの立場を正確に定義し直さなければなりません。今のままでは、無理でしょう」
男爵家の暴走は、まだ序章に過ぎない。
それは、王家が失ったもの――
契約、秩序、線引き――
その全てが、形を変えて噴き出し始めた証拠だった。
そしてこの暴走を止められない限り、王国は、内側から静かに崩れていく。
砂糖事件の余波が、まだ王宮に残っている頃だった。
事態が静まるどころか、別の方向から新たな歪みが生まれ始めていることに、王家は気づくのが遅すぎた。
発端は、地方都市で開かれた小規模な祝宴だった。
「王太子妃様のご実家である、我が男爵家が――」
その言葉が、場の空気を一瞬で凍らせた。
発言したのは、ミラの実父である男爵。酒気を帯びた顔で、誇らしげに胸を張っていた。
「今後は王家の親戚として、より一層、王国のために尽くしていく所存でございます」
その場にいた地方官吏の一人が、即座に反応した。
「……王家の、親戚?」
問い返された男爵は、不思議そうに瞬きをする。
「ええ。娘が王太子妃ですからな。つまりは、身内でしょう?」
誰も、すぐには否定できなかった。
否定するには、あまりにも言葉が曖昧で、そして立場が厄介だったからだ。
その数日後。
男爵家は、王都近郊の関所に対し、通行税の免除を求める書簡を送付した。理由は、「王家縁戚としての便宜」。
さらに、商会との取引においても、「王家の名」を匂わせた価格交渉が始まる。
それは、正式な命令ではない。文書もない。ただ、言外の圧力だけがあった。
「……これは、どこまで黙認すべきでしょうか」
王宮の一室で、官吏が慎重に言った。
「黙認?」
エドワードは、苛立ちを隠そうともせず返す。
「勝手に名乗っているだけだ。こちらが関与する話じゃない」
だが、その言葉に力はなかった。
王太子妃の実家。
その肩書きは、王家が与えたものではない。しかし、王家が否定しなければ、事実として流通してしまう。
しかも、男爵家は地方貴族だ。彼らにとって、王家との距離は絶対的な価値を持つ。その距離が縮まったと錯覚すれば、歯止めは効かない。
「問題は、規模です」
別の官吏が、低い声で言う。
「すでに三件、男爵家の名を使った便宜要求が確認されています。いずれも、小さな案件ですが……」
「小さな、今はな」
エドワードは、椅子に深く腰掛けた。
止めるべきだと分かっている。だが、どう止める?
正式な処分をすれば、「王太子妃の実家を冷遇した」という印象が立つ。放置すれば、権威の私物化が進む。
そのどちらも、今の王家には致命的だった。
男爵家の暴走は、次第に露骨になる。
地方の裁判に介入しようとした件。
徴税の延期を「相談」と称して求めた件。
そして、ついには――。
「王宮への直接の嘆願です」
官吏が差し出した書状には、男爵家当主の署名があった。
「王太子殿下におかれましては、我が家を王家の一支流として正式に認め――」
そこまで読んで、エドワードは書状を机に叩きつけた。
「認めるわけがないだろう!」
怒声が、部屋に響いた。
だが、その怒りは、事態を止める力にはならない。
なぜなら、この暴走は、男爵家だけの問題ではないからだ。
王太子妃として、ミラが「何を語り、何を語らないか」。
王家が「何を否定し、何を黙認するか」。
その全てが曖昧なまま進めば、こうなる。
修道院では、すでにこの動きを把握していた。
「始まりましたわね。今度は、身内ですか」
カタリナは、報告を聞きながら、静かに紅茶を口にする。
「血縁ではなく、役割を理解していない者が、権威に触れた時に起きる典型です」
「止められるでしょうか」
院長が問う。
カタリナは、少し考えてから答えた。
「止めることはできます。ただし――」
彼女は、視線を窓の外へ向けた。
「そのためには、王家自身が、自分たちの立場を正確に定義し直さなければなりません。今のままでは、無理でしょう」
男爵家の暴走は、まだ序章に過ぎない。
それは、王家が失ったもの――
契約、秩序、線引き――
その全てが、形を変えて噴き出し始めた証拠だった。
そしてこの暴走を止められない限り、王国は、内側から静かに崩れていく。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして
東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。
破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!
白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。
婚約者ではないのに、です。
それに、いじめた記憶も一切ありません。
私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。
第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。
カクヨムにも掲載しております。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる