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第1話 ここはサロンではなく新聞編集部です
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第1話 ここはサロンではなく新聞編集部です
その部屋を初めて訪れた者は、たいてい同じ勘違いをする。
公爵令嬢たちが午後のお茶会を開くための、優雅な私室だと。
大きな窓からは春の光がやわらかく差し込み、白いレースのカーテンが風に揺れていた。磨き上げられた床には淡い花模様の絨毯。窓辺には季節の花が低く活けられ、中央の丸卓には上等な茶器と焼き菓子が整然と並んでいる。漂う紅茶の香りまで上品で、ここが情報戦の最前線だとは誰も思うまい。
「皆さま、お揃いです」
扉の前で侍女がそう告げると、部屋の主であるセラフィーナ・アルヴィエールは静かにカップを置いた。
「ありがとう。では始めましょう」
柔らかな金髪をまとめた彼女は、誰が見ても完璧な公爵令嬢だった。けれど、その紫水晶のような瞳だけは、社交界の花にしては鋭すぎた。
卓を囲んでいるのは、同じく公爵令嬢たちだった。
ルイーザ・ド・ヴァレーヌは、膝の上の書類から目を離さず背筋を伸ばしている。
ミレイユ・フォルジュは、にこやかな顔で帳簿を指先で押さえていた。
クレマンス・ド・ロシュは焼き菓子をつまみながら、愉快そうに周囲を見ている。
見目麗しい令嬢たちの集まり。けれどここは、お茶会の席ではない。
「本日の議題に入る前に、創刊準備の最終確認を」
セラフィーナが言うと、ミレイユがすぐに帳簿を開いた。
「紙の追加発注は完了しておりますわ。印刷工房への前払いも済ませました。初版部数は予定通りですが、宮廷・社交面の反応次第では、増刷も視野に入れるべきかと」
「ずいぶん景気の良いお話ですこと」
クレマンスが笑う。
「売れますわよ。王都の皆さま、流行には目ざといですもの。表では“はしたない”と仰りながら、裏では誰より熱心にご覧になるに決まっております」
「流行だけで売るつもりはありませんわ」
ルイーザが淡々と言った。
「わたくしたちが出すのは読み物ではなく新聞です。王都で起きていることを、読むに値する形に整えて届けるものですわ」
「まあ、相変わらず堅い」
「事実は堅いものです」
ぴしゃりと言われても、クレマンスは楽しそうだ。
セラフィーナはそのやり取りを見ながら、心地よさそうに微笑んだ。
これでいい。
美意識も、理屈も、金勘定も、噂への嗅覚も、それぞれ違う。だからこそ強い。
「では改めまして」
彼女は卓上に置かれた美しい紙束へ指先を伸ばした。
「本日より、ル・サロン編集社の編集会議を始めます。わたくしたちの新聞名は――『王都サロン新報』」
侍女は思わず目を見開いた。
やはりここは、あの噂の新聞社だったのだ。
上流貴族の令嬢たちが作る、美しくも刺々しい新しい新聞。政治、経済、社会、宮廷社交まで載せる一方、ときに貴族たちが触れられたくないことまで上品に暴くと囁かれている。
「政治面はルイーザ。経済面はミレイユ。社会面は後ほど来るオデット。宮廷・社交面はクレマンス。わたくしは全体の編集と見出しを受け持ちます」
「そして石版画はイリスですわね」
クレマンスが楽しそうに付け足す。
「あの方の絵は、あまりに写実的で少々怖いくらいですわ」
「怖いからこそ価値がありますの」
セラフィーナはさらりと言った。
「ただ美しいだけの紙面なら、他にもありますもの」
そのとき、ノックとともに新たな令嬢が入ってきた。オデット・ベルラン。社会面担当である彼女は、上品な笑みを浮かべながら数枚のメモを差し出す。
「面白い話が入っておりますの」
「まあ、素敵。甘い話ですの?」
クレマンスが問うと、オデットはくすりと笑った。
「甘いというより、焦げ臭いですわ。王立学園の卒業舞踏会、今年は少々荒れそうですの」
その一言で、部屋の空気が変わった。優雅さはそのままに、視線だけが鋭く揃う。
「理由は?」
ルイーザが短く問う。
「王太子殿下が、最近たいそう熱心に会っていらっしゃる令嬢がいるそうでしてよ」
「あら」
クレマンスが扇を閉じた。
「ご婚約者がいらっしゃるのに?」
「ええ。それも、隠す気が薄いようですわ」
ミレイユが小さくため息をつく。
「それが事実なら、ずいぶん高くつきますわね」
「あなた、何でも帳簿に変換なさるのね」
「婚約もまた契約の一種ですもの」
もっともだった。
セラフィーナはカップに残った紅茶をひと口だけ飲んだ。温度も香りも完璧。それでも今、彼女の頭の中にあるのは茶葉ではない。
王太子。婚約者。別の令嬢。卒業舞踏会。
いかにも売れそうな並びだった。
「裏は取れまして?」
「使用人筋、学園筋、舞踏会準備に関わる家の侍女筋。どこからも似た話が出ていますわ。ただ、まだ記事にするには早いかと」
「ならば当日を押さえましょう」
セラフィーナは即座に言った。
「宮廷・社交面は舞踏会の空気を。社会面は会場内外の証言を。政治面は殿下の最近の公務出席状況を確認。経済面は贈答や支出の流れを洗ってくださいませ」
「ずいぶん本気ですこと」
クレマンスが笑う。
「ええ」
セラフィーナは微笑んだ。
「次の一面になりそうですもの」
その言葉に、誰も異論を挟まない。
窓の外では、春の風がやわらかく枝を揺らしている。部屋の中では、磨かれたティースプーンが小さな音を立てた。
どこから見ても、美しい令嬢たちのお茶会だった。
けれどこの席で決まるのは、ドレスの色でも茶会の招待客でもない。
明日、王都をざわつかせる見出しである。
セラフィーナは静かに新聞の試し刷りを閉じた。
――ここはサロンではない。
王都でいちばん優雅で、いちばん怖い、新聞編集部だった。
その部屋を初めて訪れた者は、たいてい同じ勘違いをする。
公爵令嬢たちが午後のお茶会を開くための、優雅な私室だと。
大きな窓からは春の光がやわらかく差し込み、白いレースのカーテンが風に揺れていた。磨き上げられた床には淡い花模様の絨毯。窓辺には季節の花が低く活けられ、中央の丸卓には上等な茶器と焼き菓子が整然と並んでいる。漂う紅茶の香りまで上品で、ここが情報戦の最前線だとは誰も思うまい。
「皆さま、お揃いです」
扉の前で侍女がそう告げると、部屋の主であるセラフィーナ・アルヴィエールは静かにカップを置いた。
「ありがとう。では始めましょう」
柔らかな金髪をまとめた彼女は、誰が見ても完璧な公爵令嬢だった。けれど、その紫水晶のような瞳だけは、社交界の花にしては鋭すぎた。
卓を囲んでいるのは、同じく公爵令嬢たちだった。
ルイーザ・ド・ヴァレーヌは、膝の上の書類から目を離さず背筋を伸ばしている。
ミレイユ・フォルジュは、にこやかな顔で帳簿を指先で押さえていた。
クレマンス・ド・ロシュは焼き菓子をつまみながら、愉快そうに周囲を見ている。
見目麗しい令嬢たちの集まり。けれどここは、お茶会の席ではない。
「本日の議題に入る前に、創刊準備の最終確認を」
セラフィーナが言うと、ミレイユがすぐに帳簿を開いた。
「紙の追加発注は完了しておりますわ。印刷工房への前払いも済ませました。初版部数は予定通りですが、宮廷・社交面の反応次第では、増刷も視野に入れるべきかと」
「ずいぶん景気の良いお話ですこと」
クレマンスが笑う。
「売れますわよ。王都の皆さま、流行には目ざといですもの。表では“はしたない”と仰りながら、裏では誰より熱心にご覧になるに決まっております」
「流行だけで売るつもりはありませんわ」
ルイーザが淡々と言った。
「わたくしたちが出すのは読み物ではなく新聞です。王都で起きていることを、読むに値する形に整えて届けるものですわ」
「まあ、相変わらず堅い」
「事実は堅いものです」
ぴしゃりと言われても、クレマンスは楽しそうだ。
セラフィーナはそのやり取りを見ながら、心地よさそうに微笑んだ。
これでいい。
美意識も、理屈も、金勘定も、噂への嗅覚も、それぞれ違う。だからこそ強い。
「では改めまして」
彼女は卓上に置かれた美しい紙束へ指先を伸ばした。
「本日より、ル・サロン編集社の編集会議を始めます。わたくしたちの新聞名は――『王都サロン新報』」
侍女は思わず目を見開いた。
やはりここは、あの噂の新聞社だったのだ。
上流貴族の令嬢たちが作る、美しくも刺々しい新しい新聞。政治、経済、社会、宮廷社交まで載せる一方、ときに貴族たちが触れられたくないことまで上品に暴くと囁かれている。
「政治面はルイーザ。経済面はミレイユ。社会面は後ほど来るオデット。宮廷・社交面はクレマンス。わたくしは全体の編集と見出しを受け持ちます」
「そして石版画はイリスですわね」
クレマンスが楽しそうに付け足す。
「あの方の絵は、あまりに写実的で少々怖いくらいですわ」
「怖いからこそ価値がありますの」
セラフィーナはさらりと言った。
「ただ美しいだけの紙面なら、他にもありますもの」
そのとき、ノックとともに新たな令嬢が入ってきた。オデット・ベルラン。社会面担当である彼女は、上品な笑みを浮かべながら数枚のメモを差し出す。
「面白い話が入っておりますの」
「まあ、素敵。甘い話ですの?」
クレマンスが問うと、オデットはくすりと笑った。
「甘いというより、焦げ臭いですわ。王立学園の卒業舞踏会、今年は少々荒れそうですの」
その一言で、部屋の空気が変わった。優雅さはそのままに、視線だけが鋭く揃う。
「理由は?」
ルイーザが短く問う。
「王太子殿下が、最近たいそう熱心に会っていらっしゃる令嬢がいるそうでしてよ」
「あら」
クレマンスが扇を閉じた。
「ご婚約者がいらっしゃるのに?」
「ええ。それも、隠す気が薄いようですわ」
ミレイユが小さくため息をつく。
「それが事実なら、ずいぶん高くつきますわね」
「あなた、何でも帳簿に変換なさるのね」
「婚約もまた契約の一種ですもの」
もっともだった。
セラフィーナはカップに残った紅茶をひと口だけ飲んだ。温度も香りも完璧。それでも今、彼女の頭の中にあるのは茶葉ではない。
王太子。婚約者。別の令嬢。卒業舞踏会。
いかにも売れそうな並びだった。
「裏は取れまして?」
「使用人筋、学園筋、舞踏会準備に関わる家の侍女筋。どこからも似た話が出ていますわ。ただ、まだ記事にするには早いかと」
「ならば当日を押さえましょう」
セラフィーナは即座に言った。
「宮廷・社交面は舞踏会の空気を。社会面は会場内外の証言を。政治面は殿下の最近の公務出席状況を確認。経済面は贈答や支出の流れを洗ってくださいませ」
「ずいぶん本気ですこと」
クレマンスが笑う。
「ええ」
セラフィーナは微笑んだ。
「次の一面になりそうですもの」
その言葉に、誰も異論を挟まない。
窓の外では、春の風がやわらかく枝を揺らしている。部屋の中では、磨かれたティースプーンが小さな音を立てた。
どこから見ても、美しい令嬢たちのお茶会だった。
けれどこの席で決まるのは、ドレスの色でも茶会の招待客でもない。
明日、王都をざわつかせる見出しである。
セラフィーナは静かに新聞の試し刷りを閉じた。
――ここはサロンではない。
王都でいちばん優雅で、いちばん怖い、新聞編集部だった。
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