婚約破棄されたので、戻らない選択をしました

ふわふわ

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第7話 辺境で出会う男

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第7話 辺境で出会う男

 馬車が止まったのは、日が傾き始めた頃だった。

「こちらが、アルツハイム辺境伯領の政庁でございます」

 御者の言葉に、ミディア・バイエルンは窓の外を見た。
 石造りの建物は質実剛健で、装飾らしい装飾はほとんどない。だが、壁や屋根に無駄な傷みはなく、手入れが行き届いていることが一目で分かった。

 ――華やかさはないけれど、怠慢もない。

 それは、この地を治める者の姿勢そのもののように思えた。

 馬車を降りると、冷えた風が頬を撫でる。王都とは違う、乾いた空気。遠くに連なる山々と、広がる大地。視界の広さに、思わず息を呑んだ。

「ミディア・バイエルン様ですね」

 低く、落ち着いた声がかけられる。

 視線を向けると、入口の前に一人の男が立っていた。派手な衣装ではない。だが、立ち姿には無駄がなく、周囲の空気が自然と引き締まる。

「アルツハイム家領主代理、アイロス・アルツハイムです」

 そう名乗ると、彼は簡潔に一礼した。深すぎず、軽すぎず。形式を理解した上での、実務的な挨拶。

「本日は、お越しいただきありがとうございます」

「こちらこそ。お時間を割いていただき、感謝いたします」

 ミディアも、同じく礼を返す。

 その一瞬、二人の視線が交わった。

 アイロス・アルツハイム。
 若い、と聞いていたが、想像よりも落ち着いている。年齢は二十代後半だろうか。鋭すぎない眼差しと、感情を表に出さない表情。だが、冷たいわけではない。

 ――この人は、こちらを測っている。

 そう直感した。

「長旅でお疲れでしょう。まずは中へ」

「ありがとうございます」

 建物の中は、外観と同じく簡素だった。だが、書類の整理具合、行き交う職員の動き、すべてが効率的だ。無駄話はなく、必要な指示だけが飛び交っている。

 王宮とは、まるで別の世界だった。

 応接室に通され、温かい飲み物が用意される。

「形式的な挨拶は、省きます」

 アイロスは、席に着くなり、そう切り出した。

「今回は視察と聞いていますが、実際には現状の整理と、問題点の洗い出しが目的でしょう」

 ミディアは、わずかに目を見開いた。

「……その通りです」

「遠回しな言葉は、時間の無駄になります」

 淡々とした口調。だが、威圧感はない。

「私は、この領地を預かる立場として、問題を隠すつもりはありません。むしろ、外部の目で見ていただけるのは助かります」

 ミディアは、思わず小さく息を吐いた。

 ――話が早い。

 王宮では、立場や感情が先に立ち、本題に入るまでに時間がかかることが多かった。だが、この男は違う。

「では、率直に伺います」

 ミディアは、姿勢を正した。

「現在、最も優先すべき課題は何でしょうか」

 アイロスは、迷いなく答えた。

「人手不足と、物流です」

 机の上に、数枚の地図と資料が広げられる。

「この地域は広い。しかし、人が少ない。王都からの支援も不定期です。結果、物資が滞り、領民の負担が増える」

 ミディアは、資料に目を走らせながら頷いた。

「……数字が、正直ですね」

「誤魔化しても、現実は変わりません」

 その言葉に、ミディアは小さく笑った。

「お気持ち、分かります」

 その瞬間、アイロスの視線が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。

「……王宮では、苦労なさったようですね」

 直球だった。

 ミディアは、否定も肯定もせず、ただ答える。

「慣れてはいました。でも、それが最善だとは、思えませんでした」

 アイロスは、それ以上踏み込まなかった。ただ、静かに頷く。

「ここでは、結果がすべてです。肩書も、過去も関係ない」

 その言葉に、ミディアの胸が、わずかに温かくなる。

「……ありがたいお言葉です」

「期待もしません。ですが――」

 アイロスは、ミディアをまっすぐに見た。

「役に立つなら、歓迎します」

 その一言は、王宮で聞いてきたどんな賛辞よりも、重みがあった。

 必要とされること。
 だが、過度に持ち上げられないこと。

 それは、ミディアがずっと求めていた距離感だった。

「では、まずは現地を見ていただきたい」

「ええ。机上だけでは、判断できませんから」

 二人は同時に立ち上がった。

 応接室を出ると、夕暮れの光が廊下を染めている。窓の外には、広大な土地と、働く人々の姿が見えた。

 ミディアは、胸の奥で、静かに確信していた。

 ――ここなら。

 ここでは、私は「元王太子の婚約者」ではない。
 ただの、ミディア・バイエルンとして、仕事ができる。

 そして、この無愛想で誠実な男――アイロス・アルツハイムは、少なくとも、余計な期待や同情を向けてこない。

 それだけで、十分だった。

 辺境の風が、二人の間を吹き抜ける。
 この出会いが、やがて大きな意味を持つことを、まだ誰も知らないまま。
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