「侯爵令嬢はお気に入りの書架で王太子を攻略中」

ふわふわ

文字の大きさ
5 / 17

第2章 2-1 王城生活の始まりと孤独

しおりを挟む
第2章 2-1 王城生活の始まりと孤独

 王太子リュシアンから「しばらく王城に滞在してほしい」と告げられたのは、禁書区画での出来事から二日後のことだった。

 正式な婚約の返答を急ぐ必要はない。
 しかし、記録魔術師の書に反応したフィレーナの存在は、王城にとって厳密に扱わねばならない“特別な事実”となった。
 そのための“滞在”だった。

 父クリストファーも母エレーナも、この決定に難しい表情を見せたものの、最終的には王家の要望を受け入れざるを得なかった。

「フィー……不安でしょうけれど、どうか気をつけて。何かあれば必ず知らせるのよ」

「お母様……はい。必ず」

 母の言葉は、胸に温かくしみた。

 こうして、フィレーナは王城での生活を始めることになった。

 ***

 王城の“離れ”、西棟。
 ここは王家の血筋ではないが、客人として特別に招かれた者が滞在する場所である。
 とはいえ、その豪奢さは侯爵家の屋敷とは比べものにならなかった。

 白い大理石の廊下。
 壁には繊細な刺繍が施されたタペストリーが並び、床には足音を吸い込むような深紅の絨毯。

 案内役の侍従が静かな声で説明を続けていた。

「ここがフィレーナ様のお部屋になります。王太子殿下のご指示で、書籍の搬入は自由とのことです」

「しょ、書籍の……搬入……?」

「はい。必要であれば専属の従者に申し付けください。殿下は“フィレーナ様が落ち着ける空間を整えるように”と」

 フィレーナは思わず頬が熱くなるのを感じた。

(殿下……そんなお気遣いまで……)

 静かに息を整え、部屋の扉を押す。

 そこは、ひとつの“図書室のように”整えられていた。

 壁一面に書架が作り付けられ、まだ空の棚が広がっている。
 中央には深い青の布張りのソファと、大きな読書用ランプ。
 机の上には書見台まで置かれていた。

「これは……」

「殿下が“本がお好きな方だから”と、特別に整えさせたものでございます」

 フィレーナは胸の奥がじんと熱くなった。

 リュシアンが、ここまで配慮してくれるとは。
 王太子といえば、もっと距離の遠い存在だと思っていた。
 しかし彼は、意外なほどフィレーナの心に寄り添う言葉をくれる。

(……わたくしは、殿下のことをまだ何も知らないのに)

 ただ、彼が“誠実に向き合おうとしてくれていること”だけは分かっていた。

 侍女たちが部屋の準備を整え、丁寧な礼をして退室する。

 途端に、広い部屋に静寂が広がった。

(……広い)

 侯爵家の自室よりも広い。
 だが、豪奢で整った空間ほど、フィレーナは急に孤独を感じてしまう。

 家族の談笑も、母の優しい声も、もうすぐそばにはない。

「……寂しくなるものですわね」

 ぽつりと呟いた声が、やけに響く。

 ***

 夕刻、王城内の広間で簡易な挨拶が行われた。

「王太子妃候補の……バルグレイ家の令嬢ね」

「まあ、あの“変わり者令嬢”が王太子殿下のお気に入りですって?」

「信じられないわ。地味すぎるでしょう」

 貴族の令嬢たちの、耳ざとい囁きがフィレーナの耳に届く。
 彼女は表情に出さないよう努めたが、胸が痛むのを止められなかった。

 彼女が望んでここに来たわけではない。
 だが、彼女が“王太子に選ばれた”という事実への反感は、容赦なく向けられてくる。

「気にするな」

 背後から低い声がした。

 振り向くと、リュシアンが立っていた。
 周囲の令嬢たちは一斉に表情を引き締め、深く礼をする。

「殿下……」

「ここの者たちは噂好きだ。君が来たばかりなら尚更だ。気に病む必要はない」

 彼はいつも通りの冷静な顔だが、フィレーナの肩にかかる重荷を見抜いているような声音だった。

「ありがとうございます。わたくし……慣れていないもので」

「慣れる必要はない。ここでの生活は、君に負担がないよう私が整える。……遠慮はしないでいい」

 その優しさに、フィレーナは胸が熱くなった。

 だが――
 周囲の貴族たちは、二人のやり取りを黙って見ているわけではなかった。

「殿下……彼女だけ、特別扱いなのでは……?」

「こうして堂々と話すなんて……」

 陰口は小さくても、確かにフィレーナの耳に届く。

 リュシアンは気づいていたのか、ふっと目を細めた。

「君の居場所を守るのは、王太子である私の役目だ」

 そう言って、彼は深紅の外套を翻し、フィレーナの前に立つようにして場の空気を遮った。

(……殿下が……守ってくださっている)

 そう思うだけで、心の奥が少し温かくなる。

 ***

 その日の夜。
 夕食を一人で取り、部屋に戻ってきたフィレーナは、ふと眠れずに本棚へ歩いた。

 今の気持ちを落ち着けるには、やはり読書が一番だった。

 だが、棚に触れた瞬間――

「……あ」

 ぽつりと小さな感嘆の声が漏れた。

 棚の一角に、見慣れない本が差し込まれている。
 深い紺色の革に銀の細工が施された、美しい装丁の本だ。

 開くと、中に一枚のカードが挟まっていた。

『王城の生活が落ち着くまで、心の糧となれば――
 リュシアン』

 フィレーナは思わず、胸の奥が温かく締めつけられるのを感じた。

(……殿下)

 その優しさに触れたくて、思わずページをめくる。
 内容は古代の歴史書で、フィレーナが興味を持ちそうなものだった。

 静かに読み進めるうち、不思議と寂しさが薄れていく。

「……大丈夫。やっていけるわ。きっと」

 本を閉じた時には、王城で過ごす決意が自然と胸の中に芽生えていた。

 そしてこの日――
 フィレーナはまだ知らなかった。

 明日、王城の医務房でひとりの少女と出会い、
 その出会いが彼女の孤独を救うことになることを。


---
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

悪役令嬢、第四王子と結婚します!

水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします! 小説家になろう様にも、書き起こしております。

お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました

群青みどり
恋愛
 国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。  どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。  そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた! 「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」  こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!  このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。  婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎ 「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」  麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる── ※タイトル変更しました

家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました

日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。 だが彼に溺愛され家は再興。 見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。

婚約破棄されたので、ミドリアイランドの住人を買収して国を統合します

常野夏子
恋愛
婚約破棄——それは、リリアーナ・ヴァルディスから 「王子の婚約者」という肩書きを奪った。 だが同時に、彼女を縛っていたすべての“正しさ”を解き放つ。 追い出されるように向かった辺境の地、ミドリアイランド。 そこは王国から見捨てられ、 しかし誰の支配にも完全には屈していない、曖昧な土地だった。

無能と蔑まれ婚約破棄された私の数学は、最強の剣術でした~元婚約者が後悔した頃には、寡黙な辺境伯に世界一溺愛されています~

aozora
恋愛
数式と幾何学を愛するあまり「無能」と蔑まれた公爵令嬢エララ。彼女は婚約者である王子から婚約を破棄され、すべてを失い北の辺境へと追放されてしまう 。 しかし、追放先の辺境で出会った領主カシアンは、彼女の類稀な知性を正しく理解し、ありのままの彼女を受け入れた 。やがてエララは、自らが愛した数式が、世界の法則を読み解き、未来を予測する最強の剣術となり得ることに気づいていく 。 これは、虐げられた令嬢が自らの知性を武器に過去と対峙し、本当の居場所と幸福をその手で証明していく物語である。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

処理中です...