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第13話 交わらなかった過去
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第13話 交わらなかった過去
辺境公爵領に滞在してから、私はほとんど王都を思い出さなくなっていた。
正確に言えば、意識して思い出す必要がなくなったのだ。
ここでは、過去の肩書きも、人間関係も、判断の基準にならない。
必要なのは、今この瞬間に何を決め、どう責任を取るか。それだけだった。
だが――過去は、忘れた頃に顔を出す。
その日の午前、私は補給と防衛に関する定例報告を終え、執務室に戻ろうとしていた。
廊下を曲がったところで、控えめな声がかかる。
「ノルディス嬢……少し、お時間を」
声の主は、王都から派遣されてきた文官だった。
辺境との調整役として、最近こちらに常駐するようになった人物である。
「何でしょうか」
「実は……王都より、正式な通達が届いております」
差し出された書状には、王家の紋章。
嫌な予感はしなかった。
ただ、内容はおおよそ想像がつく。
『ノルディス嬢に対し、
過去の功績を鑑み、王都への一時的な協力要請を行う』
一見すると、丁寧な文面だ。
だが、その行間ははっきりしている。
――戻ってこい。
――今度は「公式に」使ってやる。
「……回答は、必要ですか」
「はい。できれば、早急に」
私は書状を静かに畳み、文官に返した。
「保留とお伝えください」
それ以上の言葉は必要ない。
文官は一瞬戸惑ったものの、深く頭を下げて立ち去った。
執務室に戻ると、クラウスが既に待っていた。
「王都か」
説明する前に、そう言われる。
「……お察しの通りです」
「断るのか」
問いは短い。
だが、答えを限定する響きはなかった。
「はい」
私は即答した。
「理由は、過去にあります」
クラウスは黙って、私の言葉を待つ。
「王都では、私は“役に立つ存在”でした。
ですが、それ以上でも、それ以下でもなかった」
評価されていなかったわけではない。
ただ、理解されていなかった。
「私がいなくなったことで混乱が起きたのは事実です。
けれど、それは“私が必要だった”からではありません」
必要だったのは、
考えなくても回る仕組み。
責任を取らなくても済む環境。
「それを失って、初めて価値を思い出す――
そんな場所に、戻る理由はありません」
静かな沈黙が落ちる。
「……分かった」
クラウスは、それだけ言った。
「君の判断を尊重する」
その一言で、十分だった。
午後、私は一人で城の裏庭を歩いていた。
人の少ない場所。
思考を整理するのに、ちょうどいい。
エドガー・バルディンの顔が、ふと脳裏をよぎる。
彼と過ごした時間は、決して短くはなかった。
だが、思い返してみれば、
私たちは一度も“同じ場所”を見ていなかったのだと思う。
彼は、誰かに決めてもらう世界に立っていた。
私は、決める側でなければ生きられなかった。
最初から、交わらなかった。
「……今なら、分かりますね」
婚約が破棄されたのは、不幸ではなかった。
ただ、ずれていた歯車が、正しい位置に戻っただけ。
夕暮れ時、私は執務室に戻り、新しい案件の資料を広げる。
判断は必要だが、迷いはない。
過去は、私を形作った。
だが、縛るものではない。
そして今、私は――
過去と現在が、はっきりと分かれた場所に立っている。
交わらなかった過去を、静かに背に置いて。
辺境公爵領に滞在してから、私はほとんど王都を思い出さなくなっていた。
正確に言えば、意識して思い出す必要がなくなったのだ。
ここでは、過去の肩書きも、人間関係も、判断の基準にならない。
必要なのは、今この瞬間に何を決め、どう責任を取るか。それだけだった。
だが――過去は、忘れた頃に顔を出す。
その日の午前、私は補給と防衛に関する定例報告を終え、執務室に戻ろうとしていた。
廊下を曲がったところで、控えめな声がかかる。
「ノルディス嬢……少し、お時間を」
声の主は、王都から派遣されてきた文官だった。
辺境との調整役として、最近こちらに常駐するようになった人物である。
「何でしょうか」
「実は……王都より、正式な通達が届いております」
差し出された書状には、王家の紋章。
嫌な予感はしなかった。
ただ、内容はおおよそ想像がつく。
『ノルディス嬢に対し、
過去の功績を鑑み、王都への一時的な協力要請を行う』
一見すると、丁寧な文面だ。
だが、その行間ははっきりしている。
――戻ってこい。
――今度は「公式に」使ってやる。
「……回答は、必要ですか」
「はい。できれば、早急に」
私は書状を静かに畳み、文官に返した。
「保留とお伝えください」
それ以上の言葉は必要ない。
文官は一瞬戸惑ったものの、深く頭を下げて立ち去った。
執務室に戻ると、クラウスが既に待っていた。
「王都か」
説明する前に、そう言われる。
「……お察しの通りです」
「断るのか」
問いは短い。
だが、答えを限定する響きはなかった。
「はい」
私は即答した。
「理由は、過去にあります」
クラウスは黙って、私の言葉を待つ。
「王都では、私は“役に立つ存在”でした。
ですが、それ以上でも、それ以下でもなかった」
評価されていなかったわけではない。
ただ、理解されていなかった。
「私がいなくなったことで混乱が起きたのは事実です。
けれど、それは“私が必要だった”からではありません」
必要だったのは、
考えなくても回る仕組み。
責任を取らなくても済む環境。
「それを失って、初めて価値を思い出す――
そんな場所に、戻る理由はありません」
静かな沈黙が落ちる。
「……分かった」
クラウスは、それだけ言った。
「君の判断を尊重する」
その一言で、十分だった。
午後、私は一人で城の裏庭を歩いていた。
人の少ない場所。
思考を整理するのに、ちょうどいい。
エドガー・バルディンの顔が、ふと脳裏をよぎる。
彼と過ごした時間は、決して短くはなかった。
だが、思い返してみれば、
私たちは一度も“同じ場所”を見ていなかったのだと思う。
彼は、誰かに決めてもらう世界に立っていた。
私は、決める側でなければ生きられなかった。
最初から、交わらなかった。
「……今なら、分かりますね」
婚約が破棄されたのは、不幸ではなかった。
ただ、ずれていた歯車が、正しい位置に戻っただけ。
夕暮れ時、私は執務室に戻り、新しい案件の資料を広げる。
判断は必要だが、迷いはない。
過去は、私を形作った。
だが、縛るものではない。
そして今、私は――
過去と現在が、はっきりと分かれた場所に立っている。
交わらなかった過去を、静かに背に置いて。
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