婚約破棄された令嬢は、誰にも選ばれずに選び続ける

ふわふわ

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第22話 名を持つ責任

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第22話 名を持つ責任

 その変化は、数字では測れないところに現れ始めていた。

「……最近、“ノルディス様”では通じなくなってきましたね」

 朝の執務前、書類を運んできた文官が、少し困ったようにそう言った。

「どういう意味ですか」

「いえ……“ヴァレリア様”と名で呼ばないと、誰のことか分からない場面が増えてきて」

 私は一瞬、言葉を失った。

 それは、肩書きが浸透したからではない。
 “役割”が定着したからだ。

 誰かの補佐。
 一時的な調整役。
 婚約破棄された元令嬢。

 そうした説明が、不要になりつつある。

「……それは、少し大げさでは?」

 そう返すと、文官は首を横に振った。

「いいえ。判断の流れを説明するとき、
 皆、“ヴァレリア様の判断で”と言います」

 その言葉は、静かに胸に残った。

 名を持つということは、
 評価されることではない。
 逃げ場がなくなる、ということだ。

 午前の会議は、久しぶりに難航した。

 交易相手国との条件が、微妙に食い違っている。
 譲歩すれば短期的には丸く収まる。
 だが、それは長期的な不利を招く。

「妥協案は、こちらです」

 提示された案に、私は首を振った。

「それでは、こちらの責任だけが増えます」

「しかし……関係悪化は」

「関係は、対等でなければ成立しません」

 室内が静まる。

 私は続けた。

「今回、条件を調整するなら、
 必ず“相互の責任”が明文化される形にしてください」

「……強気ですね」

「強気ではありません。
 基準です」

 クラウスが、静かに口を開いた。

「ヴァレリアの言う通りだ」

 名で呼ばれた瞬間、
 会議室の空気が、はっきりと変わった。

「この領地は、曖昧な好意では動かない」

 それ以上の説明は不要だった。

 結論は、私の案を基準に再交渉。
 時間はかかるが、後に歪みは残らない。

 会議後、私は深く息を吐いた。

「……少し、強く出すぎましたでしょうか」

「必要な強さだ」

 クラウスは即答した。

「名で呼ばれる立場は、
 期待だけでなく、判断も引き受ける」

 私は、小さく頷く。

「責任が、形になってきましたね」

「逃げたいか?」

 不意に問われる。

「いいえ」

 迷いはなかった。

「重いですが――
 自分で選んだ重さです」

 夕刻、城の中庭を歩きながら、私はふと立ち止まった。

 使用人たちが、自然に道を空ける。
 視線は敬意を含んでいるが、過剰ではない。

 以前なら、
 “気を遣われている”と感じただろう。

 今は違う。

 判断を預けられている。
 それだけだ。

「……名を持つ責任、ですね」

 名前で呼ばれるようになったのは、
 距離が縮んだからではない。

 私の判断が、
 誰かの行動を左右するようになったからだ。

 夜、自室に戻り、私は一日の報告書に署名する。

 そこに記されるのは、
 肩書きでも、血筋でもない。

 ――ヴァレリア・ノルディス。

 その名が意味するのは、
 過去ではなく、今の責任。

 そして私は知っている。

 この名を持つ限り、
 軽い選択はできない。

 だが同時に――
 誰かに代わってもらうつもりも、
 もう、なかった。
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