完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第15話 気遣いという名の溺愛①

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第15話 気遣いという名の溺愛①

 その変化に、最初に気づいたのは――使用人たちだった。

「……最近、公爵様……少し、変わりましたわよね」

 朝の準備を終えた侍女が、小声で言う。

「ええ。
 奥様が来られてから、特に」

「以前は、部屋の温度調整なんて、完全に放置でしたのに……」

 視線が向かう先では、執事が暖炉の火加減を確認していた。

「本日は冷えますから、と……
 公爵様のご指示で」

「……公爵様が?」

 思わず、侍女が目を丸くする。

 シュヴァルツクロイツ公爵――
 アレスト・シュヴァルツクロイツは、必要以上の配慮をしない男だった。

 体調管理は各自。
 不調があれば報告。
 それが、彼の合理だった。

 だが――

「奥様の部屋、夜は少し冷えるだろう。
 暖房を強めろ」

「……奥様、冷えやすいと聞いた」

 そんな指示が、自然に飛ぶようになったのだ。

 一方、その“原因”であるノエリア本人は――

(……最近、過ごしやすいですわね)

 と、特に深く考えていなかった。

 部屋は快適。
 食事も、軽すぎず重すぎない。
 仕事の合間の休憩も、自然に挟まれる。

(この屋敷、環境が整っていますわ)

 それだけの認識だ。

 ――まさか、それが公爵本人の指示だとは、思いもよらない。

 その日、午後の執務が一段落した頃。

 ノエリアは、書類の束を抱え、廊下を歩いていた。

 ふと、足を止める。

(……少し、疲れましたわね)

 集中しすぎたせいか、視界がわずかに霞む。

 すると。

「……座れ」

 低い声が、背後から聞こえた。

 振り返ると、アレストが立っている。

「え?」

「顔色が落ちている」

 淡々と、事実だけを告げる口調。

「……そうでしょうか」

「そうだ」

 断言。

 そして、彼は迷いなく近くの椅子を引いた。

「五分でいい。
 休め」

 命令のようでいて、
 拒否を許さないほど強くもない。

 ノエリアは、一瞬戸惑い――素直に腰を下ろした。

「……ありがとうございます」

 アレストは、それだけで満足したように頷く。

「水を」

 短く告げると、使用人がすぐに動く。

 冷たすぎない水。
 飲みやすい量。

(……手際がいいですわね)

 ノエリアは、ゆっくりと水を口にした。

「無理をするな」

 不意に、アレストが言う。

「君は、仕事を止める判断が遅い」

 責める口調ではない。
 観察結果の報告のような声音。

「……自覚はあります」

「改善しろ」

「……努力します」

 そのやり取りを、少し離れた場所で見ていた侍女は、
 思わず口元を押さえた。

(……公爵様)

(それ、完全に“心配”では……?)

 だが、当の本人は違う。

 アレストは、心の中でこう判断していた。

(倒れられると、業務効率が落ちる)

(健康管理は、合理的判断だ)

 ――本気で、そう思っている。

 その後も。

 執務が長引けば、自然と休憩が入る。
 夜更かししそうになれば、「今日は終わりだ」と切り上げられる。

「……公爵」

 ある夜、ノエリアは控えめに言った。

「私、そこまで虚弱ではありませんわ」

「知っている」

 即答。

「だが、疲労は蓄積する」

「……」

「予防は、治療より安価だ」

 完全に理屈。

 ノエリアは、思わず小さく笑った。

「……本当に、公爵らしい理由ですわね」

 アレストは、眉をひそめる。

「問題があるか」

「いいえ。
 ……ありがたいです」

 その言葉に、彼は一瞬だけ言葉を失った。

 ほんの一瞬。

 だが、ノエリアは見逃さなかった。

(……あら)

(今、少し困りましたわね?)

 だが、彼はすぐに表情を戻す。

「礼は不要だ」

「そういうわけにもいきません」

「……なら、受け取っておく」

 短いやり取り。

 だが、その空気は――
 以前より、少しだけ柔らかい。

 その夜。

 使用人たちは、完全に確信していた。

「……これ、溺愛ですよね?」

「ええ。
 ご本人は絶対に否定なさるでしょうけど」

「“合理的配慮”って言い張る未来が見えますわ」

 一方。

 アレストは、書斎で書類を閉じながら、考えていた。

(……問題はない)

(仕事も進んでいる)
(体調管理も万全)
(無駄な摩擦もない)

 ――完璧だ。

 なのに。

(……なぜだ)

 ノエリアが礼を言ったときの、
 あの小さな笑顔が、
 頭から離れない。

(……不要な思考だ)

 彼は、静かに首を振った。

 これは、配慮。
 合理。
 契約内の行動。

 そう、何度も自分に言い聞かせる。

 だが、その一方で――

 ノエリアは、自室で思っていた。

(……大切に、されている気がしますわね)

 過剰ではない。
 押し付けでもない。

 ただ、必要なところで、必要な分だけ。

(不思議ですわ)

(“何も求められない結婚”なのに)

 心は、少しずつ――
 温かくなっていた。

 そしてこの時点で、
 屋敷の全員が理解していた。

 これはもう、“気遣い”の範疇ではないと。

 ただし。

 その事実に、
 まだ気づいていないのは――

 アレスト・シュヴァルツクロイツ本人だけだった。


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