婚約破棄? それより南方貿易が忙しいのですが

ふわふわ

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第一話 世界の頂点

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第一話 世界の頂点

「世界はな、階級で出来ている」

王城の大広間に、その声はよく響いた。

磨き上げられた大理石の床。
天井から下がる巨大なシャンデリア。
王国の重鎮たちがずらりと並ぶ中、王太子ディルクは玉座の一段下に立ち、当然のように顎を上げている。

「平民は働くためにいる。貴族は支えるためにいる。そして王族は――命じるためにいる」

わずかに空気が凍った。

だが、彼は気づかない。
あるいは、気づいても意に介さない。

「それが秩序だ。理解できぬ者は、秩序に従えばよい」

南方諸国との通商会議の席である。
本来であれば、外交儀礼と慎重な言葉選びが求められる場。

しかし彼は、そんなものは不要だと信じている。

「南方連合は、我が国の庇護を受けて商いができているのだ。多少の無礼など、甘受すべきだろう」

控えていた南方使節の眉が、わずかに動いた。

高温多湿の海洋国家。
香料、砂糖、薬草、希少木材。
王国の市場の半分は、彼らの交易に依存している。

だが王太子は、それを知らない。

「言葉も通じぬ蛮族に、対等な礼など必要ない」

静まり返る。

私は、ハーレイ・アークイン公爵令嬢。
王太子の婚約者であり、そして――この会議の実務を実質的に取り仕切っている者。

私は静かに視線を伏せた。

蛮族。

その言葉は、記録された。

王城の壁に設置された魔導記録装置。
公式会議では常に稼働している。

王太子は知らない。

正確には、気にしていない。

「殿下」

私は一歩前に出る。

「南方連合は五大海軍国の一角を占めております。交易停止は我が国の財政に――」

「財政?」

彼は笑った。

「金など、どうにでもなる。王国は世界の中心だ。周辺国は我らに依存している」

依存しているのは、どちらか。

だが私はそれ以上言わない。

「貴族は王族の手足だ」

彼は続ける。

「手足が王に逆らうことはない」

貴族席に座る諸侯の表情が固くなる。

私はその変化を見逃さない。

怒りではない。

距離だ。

信頼が、確実に剥がれていく音。

「平民が飢えたと報告があったな」

財務官が小さく頷く。

「南部で干ばつが続き、備蓄放出の許可を――」

「不要だ」

即答。

「労働力は替えが効く。多少減ったところで問題ない」

今度は、はっきりと空気が変わった。

侮蔑。

無理解。

傲慢。

そのすべてが、ひとつの言葉に凝縮される。

替えが効く。

人を数としてしか見ていない。

私はゆっくりと書類を閉じた。

殿下は、知らない。

南部は穀倉地帯であること。
そこが崩れれば、税収も兵糧も揺らぐこと。
王国の安定は、平民の生活の上に成り立っていること。

だが彼は信じている。

王族は特別であると。

「ハーレイ」

不意に名を呼ばれる。

「お前は賢い。だが賢さは、王を支えるためにある」

私は顔を上げる。

彼は満足げに微笑んでいる。

「王に意見するためではない」

意見。

私はこれまで、数え切れぬほど意見を述べてきた。

財政再建策。
関税調整。
条約文言の修正。
多言語教育の導入。

その成果はすべて、彼の功績として発表された。

私はそれで構わなかった。

国が安定するなら。

だが今日。

彼は一線を越えた。

「外国と通じる女は、王妃には相応しくないな」

小さく笑いが起きる。

媚びた笑いだ。

彼は気づかない。

その笑いが空虚であることに。

「殿下」

私は静かに答える。

「外交とは、通じ合う努力にございます」

「努力? 蛮族相手にか?」

再び笑い。

私は視線を横に滑らせる。

南方使節の目は冷たい。

感情を見せない海の色。

終わった。

今日で、均衡は崩れた。

会議が終わり、重い扉が閉まる。

廊下を歩きながら、私は侍女に小さく告げた。

「記録の保全を」

「かしこまりました、お嬢様」

足音が石床に響く。

王太子はまだ気づかない。

彼が積み上げているのは信頼ではなく、敵意だということに。

王城のバルコニーから王都を見下ろす。

市場は活気に満ちている。
港には南方船団が停泊している。

甘い香料の匂い。
砂糖菓子を売る子どもたち。

それらを「蛮族の産物」と笑った男。

私は胸の内で静かに数える。

発言。
侮辱。
契約違反。
記録。

すべて揃っている。

まだ私は動かない。

感情で動けば、彼と同じになる。

処理は、正確に。

王太子ディルクは、自らを世界の頂点と信じている。

だが頂点とは、責任を背負う者が立つ場所。

背負う覚悟のない者は、いずれ滑り落ちる。

夕暮れの光が王都を染める。

私は静かに呟く。

「承知いたしました、殿下」

その言葉は、従順ではない。

記録の終端を意味する。

王国は、動き始めた。

そして彼はまだ、世界が自分の足元にあると信じている。

足元が崩れかけているとも知らずに。
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