婚約破棄? それより南方貿易が忙しいのですが

ふわふわ

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27話 利益の向こう側

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27話 利益の向こう側

王都に春が来ても、彼女の机の上の紙束は減らなかった。

南方から届く報告は、以前よりも整っている。
数字は揃い、推移は安定し、異常値には注記が添えられている。

組織が自立し始めている証拠だった。

だが今回の報告には、ひとつだけ重い行があった。

――労働力不足。

乾燥庫の増設に伴い、人手が足りない。
季節労働者の流入が追いつかない。
一部で無理な雇用契約が横行し始めている。

ハーレイは報告書を閉じた。

「これを放置すれば、崩れますわね」

秘書が静かに問いかける。

「人手を増やしますか」

「いいえ。条件を整えます」

彼女は椅子に深く座り直す。

南方はかつて、単なる“遠方”と呼ばれていた。
暑く、湿り、秩序が弱いと蔑まれてきた土地。

だが今、そこは事業の中心だ。

ならば、そこに関わる人間を軽視する設計は、いずれ自らの首を絞める。

「雇用契約の標準化を行います」

「標準、ですか」

「最低賃金、労働時間、休息日を明文化します」

秘書が一瞬、筆を止める。

「利益率が下がる可能性が」

「短期的には」

彼女は淡々と続ける。

「しかし、長期的な安定が上回ります」

労働環境が悪化すれば、離脱が増える。
技能が育たない。
事故が増える。

結果として損失が拡大する。

「教育制度も拡充します」

「教育、ですか」

「乾燥技術、保管管理、帳簿処理」

彼女は窓の外を見た。

王都では、貴族の子女が家庭教師を持つ。
南方では、技術が口伝で伝えられてきた。

だが口伝は、揺らぐ。

制度は残る。

「技能手当を設定します」

技術を身につければ賃金が上がる。
成長すれば待遇が良くなる。

単純な構造だ。

だが単純な構造ほど、強い。

数日後、南方から反応が届く。

現地責任者は戸惑っていた。

――そこまで整える必要があるのでしょうか。

彼女は返書を書く。

必要です、と。

そこに情は混ぜない。

彼女が南方へ赴かないのは、感情を持ち込まないためだ。
だが冷酷であることとは違う。

制度は公平でなければならない。

ある日、王都商会の代表が訪れた。

「南方の利益率が落ちるのでは?」

彼は懸念を隠さない。

ハーレイは穏やかに応じる。

「落ちません」

「根拠は」

「安定は利益を生みます」

彼女は帳簿を差し出した。

離職率の低下予測。
事故率の減少推計。
品質安定による価格維持効果。

数字で示す。

感情ではなく、論理で。

代表は黙った。

彼女は静かに締めくくる。

「搾取は短命です」

その言葉は重くはなかった。
ただ事実だった。

数か月後。

南方の報告は、さらに変わっていた。

労働者の定着率が上昇。
品質が安定。
市場評価が向上。

王都市場では、南方産品が“信頼できる”と評され始めている。

信頼。

それは称号よりも価値がある。

彼女は執務室で静かに息をつく。

南方へ行かずとも、南方は変わる。

誰かの隣に立つことでしか価値を持たなかった過去は、もう遠い。

今、彼女は誰かの付属ではない。

設計者だ。

遠い港で、乾燥庫の責任者が新人に技術を教えている。

それは彼女の描いた制度の中で起きている。

彼女は机の上の新しい書簡を開く。

南方からの一文。

――ここで働くことを誇りに思う者が増えています。

彼女は微かに目を細めた。

誇りは、押しつけるものではない。
育つものだ。

南方は、彼女の足元ではない。

彼女の設計の延長線上にある。

そしてその線は、王都のこの部屋から、確かに伸び続けていた。
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