婚約破棄で異世界転生を100倍楽しむ方法 ‐漫画喫茶は教育機関ではありません‐

ふわふわ

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第20話 マンガ喫茶、開店

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第20話 マンガ喫茶、開店

 開店は、ひどく静かだった。

 盛大な告知もない。
 看板も、ほとんど目立たない。
 祝賀の列も、招待客もいない。

 ただ、公爵邸の一角――
 これまで「用途未定」として放置されていた客間の扉が、ひとつ開いただけだ。

 扉の横に掲げられた木札には、簡素な文字でこう書かれている。

 ――マンガ喫茶

 アルフェッタは、その前に立ち、腕を組んでしばらく眺めていた。

(……うん、軽い)

 この軽さが大事だ。
 重々しい名前にした瞬間、目的が変わってしまう。

「公爵令嬢の高尚な文化施設」
「知識啓蒙の場」

 そういうものは、別に存在している。
 自分が作りたいのは、そういう場所ではない。

(落ち着く場所)
(長居しても怒られない場所)
(理由を聞かれない場所)

 それだけでいい。

 アルフェッタは扉を押し、室内へ入った。

 部屋は、思っていたよりもずっと普通だった。

 豪奢な調度品は置かれていない。
 装飾は最小限。

 その代わり、椅子が多い。
 机も、低いものが中心だ。

 壁際には、本棚が並んでいる。

 国営図書室ほどの量ではない。
 だが、一般的な貴族の書斎と比べれば、明らかに多い。

 そして――
 その半分以上が、文字の少ない本だった。

 台詞のない絵本。
 一文だけ添えられた短い物語。
 ほとんど絵だけで構成された冊子。

 いわゆる「マンガ」だ。

 アルフェッタは、棚から一冊取り出し、ぱらりとめくる。

(売らない)

 この本は、ここから出ない。
 誰かの所有物にもならない。

 読み終えたら、棚に戻る。
 それだけ。

 侍女が、恐る恐る声をかけてきた。

「……本当に、これでよろしいのですか?」

「何が?」

「いえ……その……
 宣伝もなく、貴族向けでもなく……」

 アルフェッタは、少し考えてから答えた。

「来たい人だけ、来ればいいですわ」

 来ない人は、来ない。
 それで困る人はいない。

 それに――

「人が多すぎるのも、落ち着きませんでしょう?」

 侍女は、納得したのかしていないのか分からない表情で頷いた。

 最初の客は、予想外だった。

 午後の早い時間。
 庭仕事を終えた使用人の少年が、扉の前で立ち止まっていた。

「……入っていいのかな……」

 声が小さい。

 アルフェッタは、室内の椅子に座ったまま声をかける。

「どうぞ。
 お茶は後で運ばせますわ」

「……え?」

 少年は戸惑いながらも、一歩踏み出した。

 そして、本棚を見て、目を丸くする。

「……絵ばっかり……」

「そうですわ」

 アルフェッタは、特に説明しなかった。

 少年は、一冊を手に取り、椅子に座る。
 ページをめくる。

 すぐに、音が消えた。

 話し声も、足音も、意識から消えたように。
 少年は、ただ絵を追っている。

 数十分後。

「……もう一冊、読んでいいですか」

「もちろん」

 それだけだった。

 料金については、最初に小さな札を掲げただけだ。

 ――利用料:銅貨数枚

 高くもない。
 安すぎもしない。

 少年は、迷いながらも支払い、また本棚へ向かった。

 その日の夕方までに、数人が訪れた。

 使用人。
 庭師。
 近隣に住む子ども。

 誰も、長居を咎められなかった。
 誰も、感想を求められなかった。

 アルフェッタは、奥の席でお茶を飲みながら、その様子を眺めていた。

(……うまくいってますわね)

 成功か失敗かで言えば、分からない。
 利益も、評価も、ない。

 けれど――
 落ち着いている。

 それが、何よりの答えだった。

 夕暮れ時、最後の客が帰ったあと。

 アルフェッタは、部屋を見回す。

 本は乱れていない。
 椅子も元の位置に近い。

 誰かが大切に扱った痕跡だけが、残っている。

(これでいい)

 異世界転生生活二十日目。
 彼女は今日、ひとつの店を開いた。

 だがそれは、
 世界を変えるための店ではない。

 彼女自身が、異世界を百倍楽しむための遊び場が、
 静かに産声を上げただけだった。
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