選ばれなかった令嬢は、何も選ばずにすべてを手に入れる

ふわふわ

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第十三話 線を引くという決断

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第十三話 線を引くという決断

 期限を区切った文書を送ってから、王都の空気は一段と張りつめた。
 表立った動きはない。だが、静かな水面の下で、確実に流れが速くなっているのを感じる。

 私は、屋敷の応接間で一通の返書を待っていた。
 王宮書記局からの正式な回答。
 それが届くまで、他のことに手を出すつもりはなかった。

 ――線を引いた以上、引き直すことはしない。

 午前中、補佐官が訪ねてきた。
 彼は一礼し、控えめに切り出す。

「お嬢様……一部の家から、接触がありました」

「どのような?」

「期限の件について、非公式に『柔軟な対応』を求める声です」

 私は頷いた。

「つまり、例外を作れ、と」

「はい。表向きは“配慮”ですが、実質は先延ばしです」

 予想通りだった。
 期限とは、誰にとっても不都合だ。とくに、責任の所在が明確になる場合は。

「応じる必要はありません」

 私は、淡々と言った。

「期限は、交渉を進めるためのものです。譲歩の材料ではない」

 補佐官は、深く息を吐いた。

「……理解しております。ただ、圧は強まるでしょう」

「構いません」

 圧が強まるということは、効いているということだ。

 昼過ぎ、王宮書記局から使者が到着した。
 簡潔な挨拶の後、封を切って文書を差し出す。

 私は、その場で目を通した。

 内容は、予想以上に整っていた。
 期限の了承。
 補償項目の具体化。
 名誉回復措置についての文言案。

 ――ただし。

 最後の一行に、曖昧さが残されている。

 「関係者への配慮を前提とし、個別事情を考慮する余地を残す」

 私は、文書を机に置いた。

「この一文について、説明を」

 使者は、慎重に言葉を選ぶ。

「……ミュリエル様の扱いについて、過度な混乱を避けたい、という意向です」

 私は、少し考えた。

「個人の扱いと、制度の整理は、別です」

 視線を上げ、はっきりと言う。

「彼女の処遇をどうするかは、王宮の判断です。ただし、それを理由に、契約整理を曖昧にすることはできません」

 使者は、言葉を失った。

 私は、続ける。

「ですから、この一文は削除してください。配慮は、制度の外で行うべきです」

 沈黙。
 だが、反論はなかった。

 ――線を引く、とはこういうことだ。

 誰かを切り捨てることではない。
 混ぜてはいけないものを、混ぜないこと。

 使者が退いた後、私は一人、応接間に残った。
 窓から差し込む光が、床に静かな影を落とす。

 ここまで来ると、後戻りはできない。
 だが、恐怖はない。

 夕刻、私は外出の支度を整えた。
 向かう先は、王宮ではない。
 小規模な勉強会――名目上はそう呼ばれる集まりだ。

 実際には、判断力を持つ者たちが、非公式に意見を交わす場。

 そこに、ディートリヒ・シュヴァルツヴァルト公爵もいる。

 会場は簡素だった。
 派手な装飾も、過剰な挨拶もない。

 私は席に着き、周囲の空気を読む。
 視線は集まるが、敵意は薄い。

「期限を設けたそうだな」

 ディートリヒ公爵が、隣で低く言った。

「はい。整理には必要ですから」

「反発は?」

「あります。でも、線を引かねば、何も終わりません」

 彼は、短く頷いた。

「正しい」

 その一言は、評価だった。

 会の中で、私は多くを語らなかった。
 だが、聞かれたことには、正確に答えた。

 感情ではなく、構造で。
 印象ではなく、条文で。

 帰り道、馬車の中で、私は考える。

 線を引くことは、孤独を招く。
 曖昧さに逃げ込めないからだ。

 だが、線を引かなければ、責任は溶けて消える。

 夜、屋敷に戻ると、一通の書状が待っていた。
 差出人は、意外な人物――かつて私に同情の言葉を向けていた令嬢だ。

 「あなたのやり方は、冷たいと思っていました。でも……
  私なら、できなかった。だから、尊敬します」

 私は、しばらくその文を見つめていた。

 理解は、遅れてやってくる。
 だが、来ないよりは、ずっといい。

 灯りを落とす前、私は自分に言い聞かせる。

 線を引くという決断は、
 誰かを遠ざけるためではない。

 自分が、どこに立つのかを示すためのものだ。

 そして私は、その線のこちら側に、確かに立っている。

 明日、また一つ、整理が進む。
 そう確信しながら、私は静かに目を閉じた。
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