選ばれなかった令嬢は、何も選ばずにすべてを手に入れる

ふわふわ

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第二十五話 線はひとりで引ける

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第二十五話 線はひとりで引ける

 朝、屋敷の門前は静かだった。
 昨日まで漂っていた“待つ気配”が、嘘のように消えている。私はその変化を、音ではなく重さで感じ取った。人は、待つことをやめるとき、音を立てない。

 ――線は、誰かに引いてもらうものではない。

 書斎に入り、窓を少しだけ開けた。冷たい空気が頬に触れる。今日は、何も持ち込まないと決めていた。書状も、報告も、相談も。自分の内側に残っている輪郭だけを、確かめる日だ。

 午前中、補佐官が顔を出した。

「お嬢様、面会の申し出は……ありません」

「そうですか」

 それだけで十分だった。
 “ない”という状態は、空白ではない。線が引かれ、余白が確保された結果だ。

 私は作業室へ向かった。大きな机の上に、白紙を一枚だけ置く。ペンを取るが、すぐには書かない。線は、書く前に引くものだ。

 ――何を、ここから先、引き受けないか。

 引き受けないことを決めるのは、勇気がいる。
 なぜなら、引き受けなければ拍手も感謝も来ないからだ。だが、引き受けてしまえば、再び役割が戻ってくる。

 私は、ペンを置いたまま、ゆっくりと息を吸い、吐いた。

 昼過ぎ、屋敷の庭を歩いた。冬の木々は、葉を落とし、枝だけを残している。装飾を捨てた姿は、線がよく見える。どこまで伸び、どこで止まるのか。

 ――止まる場所を、自分で決める。

 それが、自由の条件だ。

 午後、思いがけない訪問者があった。若い男性で、服装は簡素。紹介も、名乗りもない。

「短い時間で構いません」

 私は頷き、応接間に通した。

「私は……決められない人間です」

 彼は、率直に言った。

「仕事も、婚約も。周囲は“選べ”と言いますが、選ぶほど情報が揃っていない。
 それでも、選ばないのは卑怯だと」

 私は、彼の言葉を遮らずに聞いた。

「卑怯ではありません」

 静かに答える。

「線を引いていないだけです」

「線……?」

「選ぶ前に、引く線があります。
 それは、“ここから先は、今は行かない”という線」

 彼は、しばらく考え、頷いた。

「……それなら、引けそうです」

「一人で、引けます」

 私は、はっきりと言った。

「誰かの許可は要りません」

 彼は、深く頭を下げて帰っていった。
 名も残らない訪問。だが、線は確かに渡った。

 夕刻、書斎に戻る。白紙は、まだ白い。
 だが、今日は一行だけ書いた。

 ――「引き受けない線を、先に引く」。

 それ以上は、何も書かない。
 線は、簡潔であるほど強い。

 夜、灯りを落とす前に、私は自分の手を見た。
 この手で、誰かを引き上げることもできる。
 だが、同じ手で、自分を引き戻すこともできる。

 線は、ひとりで引ける。
 そして、その線を尊重する人だけが、内側に入ってくる。

 私は窓を閉め、静かに息を吐いた。

 ――これから先、選ぶ場面は来るだろう。
 だが、その前に、必ず線を引く。

 引いた線の内側でだけ、
 私は選び、動き、止まる。

 それでいい。
 それが、私の生き方だ。

 夜は、深く、静かだった。
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