公爵令嬢の異世界旅行記 ―婚約破棄されたので旅に出ます。何があっても呼び戻さないでください

ふわふわ

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第十話 蒼い夜

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第十話 蒼い夜

馬車が止まったのは、街道から少し外れた小さな宿の前だった。
建物は低く、灯りも控えめで、夜の中に溶け込むように佇んでいる。人の声は少なく、遠くで虫の音が静かに続いていた。

部屋に荷を置き、彼女はふと夜風に当たろうと外へ出る。

その瞬間、視界いっぱいに空が広がった。

夜でも明るい王都や領都とは、まったく異なる空だった。
灯りが少ない分、闇は深いはずなのに、不思議と圧迫感はない。むしろ、広く、奥行きを持って迫ってくる。

彼女は、思わず足を止める。

――そういえば。

今まで、夜空を見上げる余裕がなかったことを、ふと思い出した。
王宮の夜は、明るすぎた。街の光が空を染め、星は淡い粒としてしか存在しなかった。

けれど、ここでは違う。

夜空は、黒ではなかった。
深く、澄んだ――蒼。

その蒼の中に、無数の星が散りばめられている。
一つ一つが、はっきりと光を持ち、互いに埋もれることなく輝いていた。

「……こんなにも、あったのですね」

声に出した言葉は、夜に吸い込まれていく。
星々は答えない。ただ、瞬き続けるだけだ。

彼女は空を仰ぎ、ゆっくりと息を吐いた。
都会では、淡い光にしか見えなかった星々が、これほどまでに輝いていたのだと、今になって知る。

満天の星が、ここにある。

その事実だけで、胸の奥が静かに満たされていく。

風が吹き、木々が小さく音を立てる。
足元の地面は冷え、昼間の熱をすでに手放していた。夜は、確かに夜として存在している。

「……綺麗ですわね」

今度は、メイドが小さく頷いた。
騎士は少し離れた場所で、周囲に目を配りながらも、時折、空へ視線を向けている。

誰も、急かさない。
誰も、何かを求めない。

ただ、夜がそこにあり、星がそこにある。

彼女は、しばらくその場を動かなかった。
時間を数えることも、次の予定を考えることもなく、空の奥行きに身を委ねる。

旅に出てから、初めて知る感覚だった。
夜が、終わりではなく、ひとつの風景として存在していること。

やがて、冷えが指先に伝わり始める。
それでも名残惜しさはなかった。

「戻りましょう」

宿へ向かう途中、彼女はもう一度だけ空を振り返る。
星は変わらず、そこにあった。

明日もまた、道を進む。
けれど、この蒼い夜のことは、きっと忘れないだろう。

そう思いながら、彼女は扉を閉めた。

夜は、静かに続いている。
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