耳のある影法師

星野響

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あとがき

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注:このあとがきは本編を読まれてから目を通していただいた方が、より本編を楽しめると存じます。


 どうも、星野です。
 しばらく前にツイッターを始めさせていただきましたが、フォローしたアカウントさんがさらにフォロー・お気に入りにしたものまで見せられて、興味ないのにどうしたものかな、と頭を悩ませております。
 さて、こんな誰が得するのか解らない情報公開は程々にして、本題に移りましょう。
 今作の主人公は『吾輩は猫である』のような哲学的な猫になっております。
 それを耳の欠けたに猫にしたのは、ペットショップでは商品として相応しくない犬や猫は早々に保健所送りにされ、一定の猶予期間を過ぎれば殺処分されることもあるという話を小耳に挟んだためです。
 私は生まれてこのかた、犬も猫も飼ったことはありません。せいぜいジョン太とかいう名前の出処がよくわからないカブトムシの世話をしていたくらいです。ですが、犬や猫に興味がないのかと言われれば決してそんなわけではなく、最近は、お金と余裕と家のスペースがあったら秋田犬を飼ってみたいな、なんて考えています。飼いたいのが猫ではなく犬なのは、ご愛嬌。
 そんなこんなで、私は動物番組を好んで録画するような人間ですから、捨て犬や捨て猫の話題に触れる機会は多く、ペットの殺処分や多頭飼育崩壊などに対する知識は人並みにはあるかなと自負しており、今回この物語を書かせていただくことになりました。
 また、物語に登場する「黒猫に前を横切られると不幸になる」という言い伝えは、実際に大正時代当初や昭和中期に至るまでに大衆に広まっていたものです。私の祖父母もそんなことを言いつつ、迷信だとも申しておりました。ですが、元号が令和になった現在も、黒猫だからという理由で貰い手が見つからない場合が少なくないそうです。
 いつの時代にも、先入観や固定観念による犠牲者がいます。そして、私自身もそんな人間の端くれであると、自分勝手に認識しております。そんな集団からこぼれ落ちた犠牲者が、人間であっても、動物であっても、彼らこの世に存在している限り、許されるべきものではないと日々痛感している次第です。
 だからこそ、そんな苦しい境遇の中であっても今日も世界の何処かで必死に生きている彼らに、私は微力ながら、私にしては珍しいハッピーエンドな物語を贈らせていただきます。
 最後になりましたが、この作品のモチーフとコンセプトをもたらしてくださった夏目漱石先生と米津玄師さん、そして、私の拙作に最後の最後までお付き合いくださった皆様に、耳の欠けた私は感謝の意を示す次第です。
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