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第5話 蒼玉の女教皇

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「緊急時にこそ人の本質は良く出る。でもそうね、少し無理やりにでも連れてきたのを謝罪致しましょう。ごめんなさいねファルシュ、少し危なかったかもしれませんわ」

 にこりと、彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべ小さく頭を下げた。

「それ、は一体……?」
「ほんのちょっとした不幸の種ですわ」

 ファルシュの混乱など知らぬ存ぜぬとばかりにスライムからの砲撃が再度放たれるも、再び目にも見えぬ早撃ちによって全てが弾け飛ぶ。
 それを成し遂げたソフィアの表情に変化はない。
 彼女にとってこの程度の戦闘ならば大したことは無いのだと、手慣れたものだということが嫌でも理解できた。

 な、何が何だか……理解できません。
 これがソフィアの力? いや、でも魔法は使えないって言ってました、よね?

「手短に終わらせましょう、あまり貴女をこのダンジョンに長居させるのも危険ですものね」
「はぇ?」

 ソフィアが消えた。

 違う。
 あまりに早過ぎる動きにファルシュは目で追い切れなかったのだ、彼女の踏み込んだ土の深さが速度を物語っている。
 気付けば既に彼女はスライムへと肉薄し、その銃口を突き付けていた。

 は、早い!?
 でも昨日までのソフィアなら絶対にあんな動き出来ません……まさか身体能力も強化されている…?

 連続した三度の発砲音が終わりの合図。
 色を失い、砂のように空中へ解けていくスライムの中から何かを摘み上げたソフィアが、ファルシュへとそれを見せつけて口を開く。

「大分色の濃い魔石ですわ、やはりEとして扱うには無理がありそうですわね」

 それは小指の爪ほどのサイズだった。
 元のスライムに似た緋色の魔石は深く濃い色を静かに湛え、僅かに取り込んだ光を受けてほのかに輝いている。

 スライムが魔力量によって色を変化させるのなら、やはり魔石も同じだ。
 色こそまちまちではあるものの、魔力量に比例して無色透明から次第に濃い色へと。
 ファルシュ自身聖堂で魔石を使う機会は多々あったが、ソフィアのつまんでいるそれの品質が日常で使うそれより大分高いことが一目で分かった。

「っ! まだ! 他に三匹、いや、四匹近付いてきてます!」
「あらあら、思慕される側はいつも大変ですわ」

 周囲を取り囲むように四つの影。
 派手に立ち回ったソフィアの音を聞き付け近寄って来たのだろう。それにどれも先ほどの個体と比べ大柄、間違いなく更に上の魔力量を秘めている。

 ファルシュ自身一体何が起こっているのか、彼女が振るっている魔法らしきものが何なのかは分からなかった。
 だが一つだけ理解していることがある。今自分自身が彼女の横に飛び出そうと、きっとただの足手まといでしかない事だけは。

 下唇を噛み締め、目立たぬように身を縮め込ませてただ彼女の戦いを眺めるしかない。

「ふん、これなら一つの消費は惜しくはありませんわね」

 手慣れた様でマガジンを抜き取り、今先程手に入れたばかりの魔石を押し込み再び差し込みなおすソフィア。
 彼女は周囲を一瞥し大きく飛びずさると、機敏に近寄る敵へ肩をすくめ銃口を向ける。

「生憎と今日の相方は既に決まっていますの、『展開スプレッド』」

 ソフィアの声に呼応し、彼女の小柄な体を覆い隠してしまうほどの巨大な魔法陣・・・・・・が銃口へ展開された。
 魔法。それに先ほどまでの銃撃と比べて明らかに強力なナニカ、決め技というやつか。

 そして遂に放たれた光弾は――真っ直ぐに空を切り裂き、何一つ傷つけることなく湖へと消えていった。


「あ……当たってません! まだ構えたままでないとっ!」
「その必要はありませんわ」


 ズ

 ズズズ……ズズズォッ!!


「な……に……これ……」

 絶句。
 ぺたりと座り込んだファルシュ、そしていつの間にか横へ立っていたソフィアの全身を包み込むほどの巨大な影が下りる。

 それ・・はかつて湖だったもの・・・・・
 今はただ、無言で仁王立つ水の巨人。

 半ば停止しかけたファルシュの思考であったが、どうにか考え続けた結果がゆっくりと浮かび上がっていく。
 彼女の創り出した魔法陣、放たれた着弾先は湖。
 巨人の姿を見てなお落ち着き払ったソフィア。

 まさか……これもソフィアの……!?


「波濤の下に消えなさい」


 ファルシュの脳内が結論を導くより早く、理不尽なまでの質量を持って大腕が叩き付けられた。

 音が消える。
 世界が揺れる。
 ファルシュは強く強く目を閉じ、ただ頭を抱えて伏せた。
 目撃することは叶わなかった。しかし暴力的な破壊が振るわれた結論は、再び立ち上がり目を開いたときに目撃した、地面に深々と刻みこまれた大穴が全てを語っていた。

「やっぱりさっきのより大きいですわね」

 透き通った水がどこからか空を舞い現れ、伸ばしたソフィアの手元には四つの紅い石だけを残す。
 彼女の握っていた蒼銀の拳銃が一枚へのカードへと姿を変え、胸元に仕舞われると同時に、ファルシュは少女へと抱き着き積もりに積もった疑問を一気に吐き出した。

「今のって全部、魔法ですよね? でもソフィアは使えないって、それにあの巨人は!?」
「ええ、使えませんわ。これは、そう。魔道具の一種なのかしらね、恐らくですけれど」

 魔道具? あのカードの正体?
 でもソフィアのこの口調、彼女自身ももしかして何なのかよく分かっていない?
 けど、まあ……

「ま、まあそれならよかった! なにが何だかわかりませんけど、これで魔石も楽々確保できますね! いやー良かった良かった!」
「ファルシュ」
「じゃあ早速帰って銭湯行きましょう!」
「ファルシュ、聞きなさい」

 その声が普段話す時と比べ、僅かに低く、どこか冷たい雰囲気を纏っている事には気付いていた。
 だからこそ一層明るく、そしていつも通りの会話へと話の流れを変えようとしていたのに、彼女の一言で直ぐに戻されてしまった。

「本当は数日もすればすぐに帰ると思っていましたの。それに夜一人は危険だからと泊めたけれど、貴女は帰る気配がない。それ故に今日はここまで連れ出しましたの」
「そ、そうでしたか! いやぁ一昨日は本当に助かりましたよ!」
「貴女との三日間、案外悪くない日々でしたわ。その素直過ぎる人間性は好みが分かれるところですが、私は正直なところ気に入ってしまっている。だからこそ」

 一歩、彼女が深く踏み込む。
 頭一つ以上の差がある、そして年齢だってきっと自分より年下の少女。
 醒めた蒼の瞳がじっと見つめる。まるで全て見透かしているかのように、逃げ道をどれも塞がれて。

「だからこそ貴女は聖堂へ帰りなさい。私と居れば不幸になってしまう、これはそういう力ですの」
「な、何言ってるんですか……ほら、帰ったら怒られちゃいますし……ね?」
「そして私に関する何もかもを忘れてしまいなさい。退屈かも知れないけれど、きっとそこには痛苦もそう多くは無い。帰るべき場所があるという幸福をファルシュ、貴女はまだ理解しきれていないの」
「幸福って……そんな大げさなっ」

 冷たい感触が顎へ触れた。

「目覚めなさい、蒼玉の女教皇サファイア・プリーステス

 銃口が突き付けられている。
 唾を呑みこむことすら許さないとばかりに、ぴったりと。

「これはお願いではなく命令です、帰りなさい。でなければ……」

 押し付ける力が一層増す。

 口を何度も開け、目を左右へ彷徨わせ。
 けれどファルシュは何も思い浮かばず、ゆっくりと後ずさって――元来た道を無言で歩いて行った。
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