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第245話

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 いくつかの本棚を超えた部屋の奥底にそれはあった。

 机だ。
 開かれたままの本が数冊、ガラスで出来た棒のようなもの、それにこれはインクが入っていた瓶だろうか……乾燥しきっているが。

「どうやら先生はここで作業をしていたみたいだわ」

 はらりと机の真ん中にあった本を捲り上げ、剣崎さんがぽつりとつぶやく。
 その本は、今まで目にしてきた印刷された文字とは異なり、人手によって描かれた文字やよく分からない円などが無数に描かれていた。

「へえ……なんかすごいアナログなんだね。論文ってみんなこんな風なの?」

 どうやらパパは今どき手書きで本を書いていたらしい。
 しかも鉛筆やボールペンではなく、このガラスの棒……ガラスで出来たペンとでも言えばいいのか、先っぽにいくつか筋の入ったこれで書いた跡がある。

 本に所々記された文字は、かくかくとしているが決して見にくいわけではない、まっすぐだ。

「いえ、奏さんは論文をラップトップ……ノートパソコンで打ってたわ。これは……きっと個人的に書いていたものね」
「ふむ……アリアさん、それなら私は少し上に戻っています、皆さんでそれについては好きにしてください」

 個人的なもの、にピクリと反応した剣崎さんが背を向ける。

「あら、別に気を使わなくてもいいのよ? 貴女だって奏さんの教え子だもの」
「いえ、まだ私には仕事もありますから。ここを出るときに声さえかけて下されば問題ありません」

 とのことで、まあ随分とがっつり気を使わせてしまった。

「悪いことしちゃったね」
「ええ。後で何かお礼でも買いに行きましょうか」
「おいちょっと待て、このインクただのインクではないな。相当量の魔力が練り込まれているぞ」

 そして相変わらず自由なカナリアが、机の上にあったインクを弄りながら小さく叫んだ。

 彼女が瓶からこそいだインクを軽く舐め、ぐりぐりとこねくり回すと、次第にぼんやりとした青い光が指先へ灯る。
 確かに、ただのインクではなさそうだ。

「ならそのインクで描かれているこの本は、一体何のために作られたのかしら」
「確かに……趣味とか?」

 ママによってぺらぺらと捲られていく本のページ。
 しかしどのページも中途半端なイメージがぬぐえない。
 半円、よく分からない記号、端っこだけに描かれた文字。ページを捲れば捲るほどに現れる図形は全て異なるもので、どうにも本としての体裁を成していないように見える。

 なんか綺麗な落書きみたい。

 まさかパパがこんな立派な部屋と机で、そんな下らないことに勤しんでいたとは思いたくない。

「ふむ……ん? これはまさか……ちょっと貸せ!」

 激しい紙擦れの音と共に何度も行き来する彼女の視線。

「多重魔法陣……!」
「なにそれ」

 なんか勝手に驚愕し、勝手に納得して頷くカナリア。

 彼女には容易く理解できるのかもしれないが、当然私たちにはさっぱり理解できないので早く説明するようせっつく。
 するとカナリアは何処かから紙とボールペンを取り出し、各ページに描かれている図形だけを抜き取って紙へ記した。

 初めは円の四分の一ほどを。
 次に交差する十字を。
 彼女がボールペンを紙の上へ走らせるほどに、本に描かれていた図形が露わになっていく。

「なるほど、確かにこれ全部重ねると……魔法陣なのかしら?」

 そう、ママの言う通り、この本には何故かバラバラになった魔法陣が描かれていた。

「貴様ら魔法の学がこれっぽっちもない人間でも理解できるように分かりやすく説明してやろう」

 例えば、同じ場所に文字を重ねてしまうと、魔法を発動した時文字や図形が干渉して打ち消し合ってしまうことがあるらしい。
 多重魔法陣は立体的な構造を作ることで内部での干渉を軽減し、一般的な魔法陣と比べ圧倒的な効率と範囲の魔法を操ることが出来る……とはカナリアの談。

 よくわからん。
 まあ多分超すごい魔法陣ってことで良いだろう。

「カナリアちゃん、これどういう魔法が発動するのか分かるかしら?」
「ふむ……間違いなくこれだ、という確証があるわけではないが、もしかしたら……」

 魔法陣を構築している文字は、大半がよく分からない、ミミズがのたくったような変なやつだ。
 だが一方で、全体からしたらごく一部ではあるものの、何故か日本語が所々で出現している。

 そしてその中には、パパの名前である奏の一文字もあった。

「これは……固有魔法かもしれん。いや、貴様らに分かりやすく言うと、これはもしかしたら奏のユニークスキルを再現するための魔法陣かもしれんぞ」
「えっ」
「奏さんの……!?」
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