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第265話

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 安心院と名乗る彼女に、ああ、確かにそんな名前だったと思い出す。
 半年ぶりの出会いであったが、相も変わらず変わった口調に巻かれた髪が何とも特徴的だ。

 彼女の瞳が、横で退屈そうに蒼の塔を見上げていたカナリアへ向いた。

「ところでそちらの子は……」
「ああ、この人は親戚のカナリア。偶々日本に来てた時こんな地震に会っちゃって」

 以前決めた通りの設定を告げる。
 本当に髪の色が同じで助かった、彼女の身の上を正確に伝えるにはあまりに情報が多すぎる。

 すると安心院さんは軽く身をかがめ、面倒そうに眉をひそめたカナリアの顔を覗き込み、軽い笑みを浮かべた。

「ごきげんよう、安心院あじむ麗華れいかですわ。海外にもこの妙な地震は伝播しているようなので、地震の対策が進んでる日本にいてまだ幸せだったかもしれませんわね!」
「貴様、この惨状を見てよくそんなことが言えるな。ご自慢の地震対策とやらはカスほども効果がなかったようだが」
「手厳しいですわね、でもおっしゃる通りですわ。しかし対策とは耐震だけに限りませんの、備蓄や素早い復旧作業もありますのよ? 既に都市部ではライフラインの復旧が済んでいる場所もありますわ」

 思ったよりしっかりとした返事が返ってきたからか、何か言い返そうと口を開きかけるもカナリアは不機嫌そうに口を閉じた。

 事実、昨日の夜は比較的ネットに繋げやすかったのだが、今朝方にかけて再び急激に繋がりにくくなった。
 人口の多い場所で電気が復旧したことで、人々が一斉にネットへ繋ぎ出したのだろうとは馬場さんの談。

 その時、コートの内側からちらりと見えた布地が、私服のものであることに違和感を覚える。
 あそこに立つサングラスの集団が国の人だとしたら、てっきり安心院さんもアレに協力していたのだとばかり思っていた体。

「そういえば安心院さん、警察の服じゃないんだ」

 すると彼女はぱちくりと目を瞬かせ、少し恥ずかしそうに笑った。

「ええ、実はあの後すぐ辞めてしまいましたの」
「え!?」

 まさかの話に思わず声が出る。

 伊達さんだったか。
 無精ひげを生やした人だったが、あの人と安心院さんは案外仲が良さそうに見えた。
 そこまで不満がある様にも思えなかったが……やはり案外辛いことも多いのだろうか。

 すると彼女はこちらの顔を見ていやいやと、何か嫌なことがあって辞めたわけではないのですわ、と顔の前で手を振った。

わたくし家族……その中でも特にお兄様が嫌になって、あれこれ投げ捨て警官になったのですけれど、ああやって世間を見る中でふと、これはただの逃げではないかと気が付きまして」
「へぇ」

 逃げ、か。
 私的には家が嫌で出ていったのならそれはそれでいいと思うのだが、どうやら彼女はまた別の考えを持ったらしい。

「警官になるということ自体は、当然、市民を守りたいという心からの思いでしたわ。けれど人は生まれつき使える手札が決まっていて、私は幸運なことにかなり良いものを抱えていますの。本当に市民を守りたいと思うなら、それをわざわざ捨てるなんて愚かなのではないのか、と」

 強い人だ。
 面と向かって話してみればお兄様も案外大したことのない方でしたわ、とにこやかに話す彼女を見て、ふとそう思った。

 一度逃げると、次直面した時はもっと怖くなる。
 人にはどうしても勝てない物が存在すると思うし、私は決してそれが悪いことだとは思わないが、それでもなお対峙しようとした安心院さんは本当にすごい。

「それで実家に戻って、私財を少しばかり研究や開発の支援につぎ込みましたの」
「ふぅん……よく分かんないけど、それで一体何を作ろうと?」

 待っていましたとばかりに彼女の瞳が輝く。

「協会との連携による新たな武器の開発ですわ。力のない方でも扱え、崩壊という大災害にも立ち向かえるような武器を作ろうと、様々な機関との連携による開発を進めていますの」

 自分の事業を語りたくて仕方なかったのだろう、物凄い早口でウキウキと語り出す安心院さん。

 しかしここで口を挟んできたのがカナリアだ。
 彼女は両手を固く握りしめ、額にしわを寄せて安心院さんへと尋ねた。

「崩壊のモンスターに立ち向かえるということは、既存の兵器と比べても圧倒的な破壊力があるということだ。貴様はその危険性を……」
「ええ、勿論理解していますわ」

 安心院さんの視線が足元を向く。
 しかしそれは極僅かな時間で、カナリアの瞳を見つめる彼女の顔に曇りの一切は無かった。

「けれど圧倒的に探索者の数が足りない今、それ以上に必要性がある……それ故に国も重い腰を上げた。勿論安全装置に関しても、本体以上に手間暇をかけて研究していますの」

 もし、一週目から三週目の人々が生きていたら……もしかしたら、現状にも対処しきれたのかもしれない。
 だがそれは、実際には存在しない可能性の話。
 そしてカナリアは、決して本人に責任があるわけではないが、責任の一端があると彼女なりの苦悩を抱えている。
 口にはしないものの、過去の話を聞くたび節々から漏れる本音で私には分かった。

 戦わなければ、彼らの犠牲が無ければ今はなかった。
 しかし彼らの犠牲が無ければ、今をどうにかできたのかもしれない。

 複雑な心境、それ故カナリアは絞り出すような声でなおも続ける。

「生半可な好奇心はいつか、周囲をも殺すことになるぞ。そして苦しみ続ける、延々と……」
「人々に座して死を待てと、貴女はそう言いたいのかしら?」
「ちっ、違う! だが!」

 安心院さんの話す武器についての考えは、どこかカナリアの語る『ダンジョンシステム』や、かつて創ったという組織の概念にも似ていた。
 最初の構想とは離れているらしいし詳しいことは知らないが、ダンジョンシステムのおかげで仮にダンジョンが崩壊してもどうにか消滅を食い止めることは可能だ。

 だが、結局この世界は緩やかな死へ向かっている。

 人の手が届かない場所ではやはり消滅が起こっているし、クレストによる魔天楼……人類未踏破ラインの崩壊は現状手の施しようがない。

 戦うしか、ない。

 考えただけでも手が震える。
 レベルは低くとも、経験なんて私と比べ物にならない人がきっと沢山いて、クレストを止めるため必死に戦ったはずなのだ。
 けれどやはり届かなくて、そんな奴に私が勝てるのかって。
 唯一の切り札は失われてしまっていて、それでも戦うしかない現状が怖い。

 でも、そう、戦うしかない。
 生きるためには、戦うしかない。
 ダンジョンシステムも、組織も、私やカナリアも、そして安心院さんが開発を援助したというその武器も、根本にあるものは変わらない。

「貴女の憂慮も当然……けれど、どうか、どうか私たちを信じていただけないかしら。この武器は決して人を傷つけるための物ではない、誰かの幸せを守るためのものだと」
「……っ」

 今度こそ、カナリアは何も言うことが出来なかった。
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