紅~いつもの街灯の下で

いっき

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沙也加&充編

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 どこまでも澄んだ沙也加の瞳は、充の意識を吸い込んで金縛りさせる。しかし、彼はギュッと拳を握りしめて……無理矢理に意識を留め、口を動かした。
「それは……違う!」
「えっ?」
「お前のこと、何とも思ってないなんて。そんなことは……」
 その言葉を発した瞬間、沙也加は首を傾げて……充はすっと、そんな彼女から目を逸らした。そして、ケージの中から同じく首を傾げて自分達を見つめるキジトラを見た。
「……頼んだのがお前じゃなかったら、こいつを助けたりもしなかった。俺は……そういう奴なんだよ」
「えっ、それって……」
 その言葉の真意に気付いた沙也加は、長い睫毛をした目を見開く。だがしかし、充は彼女に目を戻す勇気がなかった。
 暫し、微妙な沈黙が流れた。それは、二人にとっては永遠とも思えるもので……
「ごめん。お待たせ!」
 その沈黙を破ったのは、トイレから戻った美優紀の爽やかな声だった。沙也加はそれに縋るように、逃げるように家を後にしたのだった。


「……何をやってんだ、俺は」
 勉強机に誂えた椅子に座った充は、ぼんやりと呟いた。机の上には教科書と、解きかけの問題集を広げている。
 それは、前日から始めた、大学医学部を受験するための勉強。目まぐるしいほどに色々とあったその日に慣れないことをしたおかげで、翌朝は起床できず、学校には大幅に遅刻してしまった。
 しかし、充は何でも……どんなことでも良いから、沙也加に見直して欲しかった。何故なら、彼女を想う気持ちだけは本物だったから。
 その気持ちは行き場を間違えて、いつもとんでもないことをしてしまうけれど。小学生の頃、迷子になっていた彼女に初めて声を掛けて……家を見つけた時にお礼を言ってくれた、天使のように透き通る笑顔。深く澄んだその瞳にときめいて以来、密かにずっと目を離せないでいたのだ。後夜祭の時なんかに変に絡んだりしたのも、自分の存在に気付いて欲しかったから……余計に嫌われることは分かっていたけれど、ちょっかいを出さずにはいられなかった。
 だが……
「完全に、暴走しちまってるな……」
 前日にはとんでもないことをやらかした上、訳の分からない告白まがいのことまで言ってしまって……もう、完全に嫌われた。
 そんなことを考える充は最早、勉強どころではなくなってしまい、机の上に広げたものをただぼぉっと見つめていたのだった。


 翌日も朝から良いお天気で、雀が元気にチュンチュンと囀っていた。しかし、充の頭は全く冴えなかった。
 つぶらな瞳でこちらを見詰めるキジトラに朝ご飯をやって……重い足取りで登校し教室のいつもの席に座るけれども、悪友とくっちゃべる気も起こらず、ハァッと深く溜息を吐いた。
 沙也加の席の辺りを見る勇気もなくて。時々、チラッと目に入るけれども……彼女も決してこちらを見ることもなく、努めていつも通りに美優紀と会話をしていた。
 休み時間もどうも、いつもの調子が出ない。いや、学校にいる間に限らず、『あの時』から何かが自分の中で壊れていた。それは、そう……あの日、サッカーの練習をしようと訪れた公園で初恋の相手に会って、彼女に頼まれるがままに子猫を助けた。そんな、『らしくない』ことをしてしまってからだ。
「どうしちまったんだ、俺は……」
 思わず頭を抱えたくなった、その時だった。誰かに教科書の角っこでゴツンと叩かれて、充は本当に頭を抱えた。
「いってー」
 振り返って、自分を攻撃した主を確認すると……美優紀が鋭い目でギロリと自分を睨んでいた。
「河田。ちょっと、来なさい」
「はぁ? どうして?」
「話があるの」
 学級委員である彼女の命令は有無を言わさぬもので……充は渋々、校舎裏まで付いて行ったのだった。


「河田。あんた、昨日、沙也加に何かした?」
 美優紀の言葉に、充は詰まった。昨日……何もしていないと言うことはできない。
「どうして? あいつ、何か……」
「今日はあんたの家に行きたくないって。何があっても、律儀にキジトラの手伝いに行こうとしてたあの娘が」
「…………」
「余程、ひどいことでもしたんじゃないの? 答えによっちゃ、あんた……」
 凄い剣幕の彼女に、充は俯く。
「ひどいことなんかじゃねぇよ。……多分」
「やっぱ、何かしたのね。まさか、また襲ったり……」
「いや、そんなことじゃねぇよ」
 拳を握りしめようとする美優紀を慌てて制した。
「ただ、どうして一昨日、あんなことをしたのかって聞かれて。それで……」
「それで?」
 今にも食ってかかって来そうな美優紀に、充は仕方なく、そのままのことを言うことにした。
「頼んだのが沙也加じゃなかったら……俺はキジトラを助けたりもしなかったって。俺はそんな奴なんだって。そう、あいつに言っただけだよ」
「はぁ? 何、それ? 訳、分かんないんだけど」
「そうだよな。訳、分かんねぇ。だからもう、俺なんかには関わらない方がいいんだよ。あいつのためにも」
 そんなことを言って目を逸らす充を見て、美優紀は深く溜息を吐いた。
「あのね。あの娘……沙也加は人一倍、真面目で純粋な娘なの。あの娘はそんな訳の分からない状態で放っとくことなんて、できないのよ」
「でも、だからって……」
「ったく、男でしょ? あの娘に伝えたい想いがあるなら、せめてちゃんと言ってあげたらどうなの?」
「えっ……」
 美優紀の言葉に、充の息は止まる。そんな彼を、彼女はジトッと睨んだ。
「あんたの行動を見てりゃ、分かるって。あの娘……沙也加が想いを寄せてるからって、あんた、前、佐原のことを目の敵にしてたんでしょ?」
「いや、そんなんじゃ……」
 ない……とは言えなかった。
 だって、自分が一学期の間、克也をいじめていた理由。それは、沙也加が見詰める先に彼がいたから。地味でパッとしない彼を見るにつけて、「どうして、こんな奴を……」という想いが苛立ちを掻き立てていたのだ。
 言葉に詰まる彼を見て、美優紀はまた、大きく溜息を吐いた。
「全く……どうして沙也加は、いつもろくな男子に好かれないのかしらね。でも、河田。あの娘は百パーセント断るだろうし……私もあんたとなんて、許しはしないけど。それでもちゃんと、はっきりと気持ちを伝えるくらいはしなさいよ。そんな中途半端なのって、一番、沙也加を傷つけるんだからね」
「……分かってるよ」
 お調子者の顔はどこへやら……美優紀の言葉に俯いていた充は、小さく頷いた。
 分かっている。自分は、意気地なしの卑怯者だ。気持ちを伝えて拒まれる勇気もないくせに、一丁前に人のことを傷つけている。そんな小さな自分を隠すために、いつも虚勢を張って、強いフリをしているだけ……そんな奴が、清楚で純粋なあの娘に相応しい訳がない。
 だけれども、やっぱりしっかりとけじめをつけないと、美優紀の言う通り、結局は沙也加を苦しませるだけなんだ。
 昼下がりの校舎裏から見える秋晴れの青空が、自らの想いを投影するかのように、ぼんやりと揺らいで見えた。
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