Harvest Rain

仁科佐和子

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Harvest Rain

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『私達は人間でした。とても愚かな生き物でした』
 その魂は静かにそう語った。

 小さな島には、静かな波が打ち寄せている。黒い海は穏やかで、打ち寄せる波はそっと浜辺を撫でてゆく。

 時が来たとばかりに、雲間から月が顔を出した。深い森の最奥に月明かりが一筋届くと、大きなブナの木が目を覚ました。

「ああ……今宵は……」
ブナの木は静かに葉を揺らした。

「そうか、今宵は終焉か」
ブナの木はひどく悲しそうに呟いた。

 島の対岸では赤い炎が燃えている。
火の中で薪が爆ぜるような音がしたかと思うと、突然大地が大きく震えた。

 ブナの木はそっと目を伏せた。

 黒い海は突然うねりを示す。
大きく息を吸い込むようにうしおを溜めると、今度は全てを吐き出すかのように燃えさかる大地に向かって流れ始めた。激しく燃やされ赤く熱された大地は、為す術もなく黒い海に呑まれていった。

 裁きは終わり、やがて世界を静寂が覆う。

 潮が引くと黒く沈んだ大地からは灰色の煙が上った。幾筋も幾筋も立ち上る煙は、白い月にすがりつこうとするかのごとく揺らめきながら天を目指す。

 しかしその儚い筋はひとたび風が大地を撫でれば脆くも揺らぎ、根こそぎ払われて。
 しかしながら消えることはなくまたヨロヨロと立ち上ぼり、救いを求めて枯れ枝のような手を伸ばす。

「ああ……」
ブナの木は一筋の涙を溢した。

 誰のための涙なのか。
ブナの木にもわからない。
ただひどく、心が締め付けられた。



 黒い海を挟んで、ブナの木はかつての故郷を見ていた。
 無数の小さな光がふわりふわりと飛び上がる。その光景はブナの木に古い記憶を呼び戻した。

 それは自分が『ブナの実』であった頃の遠い記憶。


 かつてまだ小さなどんぐりであった頃、小さな村はずれの丘の上にブナの木は生えていた。丘からは青い海も黄金色の麦畑もよく見えた。

 村人たちは春先になると種を蒔く。
夏の終わりになるとブナの木陰にゆりかごを置いて子どもを寝かせ、麦を刈った。

 秋には子どもたちがどんぐりを拾い、冬には小枝を拾って焚き火をした。
 ブナの木は人々の営みを、静かに見守っていた。

 やがて人々は争い、小さな村も戦禍に飲まれた。


 始まりは男たちだった。
銃を持ち、足にゲートルを巻き付け、ヘルメットを被った男たちが人目を避けるようにブナの木へとやってきた。

 ある者はブナの木にもたれ、黙って海を見ていた。

 ある者はブナの木に誓いを立てた。
「俺は敵を倒し、必ずこの村を守ってみせる!」

 ある者はブナの木にしがみついて泣いた。
「死ぬのは嫌だ! 殺すのは嫌だ! 行きたくない。行きたくないよ……」

 ブナの木はただそこにあり、彼らを静かに見つめていた。



 次第に女達もいなくなり、年寄と子供が残された。
 種の撒かれなくなった畑は荒れ、子どもたちはいつもお腹を空かせていた。

 乳の飲めない赤子がいなくなった。

 無理の効かない年寄りがいなくなった。

 それでも人々は争いをやめなかった。


 村は焼かれ、ブナの木も燃え落ちた。しかし、絶えてはいなかった。

 ブナの実を食べたネズミが、島に住む鷹に食われた。鷹は知らず知らずブナの実を島へと運んだ。

 奇跡的にブナの実は島で芽を出し、根を張った。


 あれから200年の月日が流れた。神の島と呼ばれるこの場所で、ブナの苗はブナの木となった。

 かつてブナの木が生えていた丘は、神の島からよく見えた。


 小さな村には人が戻ってきた。

(人はまた麦の種を蒔くだろうか?)
ブナの木は黄金色に光る麦畑を思い返して、少しワクワクしていた。あの丘の上から眺める青い海と黄金色の麦畑が、ブナの木は大好きだった。


 海は昔と変わらず青かった。
丘の上で枝を伸ばしゆりかごに眠る赤ん坊に日陰を提供できないことが、ブナの木には少しだけ寂しく感じられた。


 しかし、ブナの木の見えないところで人々の生活は近代化していた。
 人はもうゆりかごに赤子を預けて麦を刈ったりはしていなかった。

 空と海を汚し、心を亡くし、人は過去の過ちを繰り返した。

 ブナの木の立っていた丘の名前は『メギドの丘』
 自らを『善』とし、己と違うものを『悪』と定めた人間同士の争いは、人類が滅亡するまでもはや止まることはない。

 神は終焉を告げた。

 ブナの木は対岸から引き寄せられるように近づいてくる無数の小さな光に目を凝らした。
 それは雲間から差し込む月明かりに導かれるかのごとく、音もなく黒い海の上を進み神の島へと渡ってくる。

(200年前戦禍に飲まれた村人たちも、この白い光となって海を渡っていった)
 ブナの木は、この光が死者の魂であることを理解した。

 ブナの木は弱々しく光る魂に語りかけた。

「一つお尋ねいたします。あの小さな村で麦畑は、黄金色に輝いていましたか?」

 魂は年老いた女の声で答えた。
その声はとても疲れていて、同時にとても悲しそうだった。

「麦畑は……いえ。麦畑だけでなく、全ては燃えてしまいました」

 声は告解室で許しを請うカトリック教徒のように語りだした。

「私達は人間でした。
とても愚かな生き物でした」

ブナの木は、黙って聞いている。

「自然の摂理を押し曲げ、自らの私欲に流され、違いを受け入れず異論を排斥した我々には、破滅の道しか残されてはいませんでした」

(そうか。先程の涙の理由はこれか)

 魂の独白を聞きながら、ブナの木は思い至った。

(愚かしいと分かっていながら歩みを止めることのできない人間たちへの憐れみか)

 今宵は終焉。
人類はその長い歴史に幕を引いた。



「かつて私があの丘に立っていたとき、人は種を蒔き、麦を育てていました」
 今度はブナの木が誰にともなく語りだした。

「私の枝を曲げ木にして、人はゆりかごを作りました。ゆりかごの中では赤子がすやすやと眠っていました。風が私の葉を揺らすとその子は私に気づいてニッコリと笑うのです」

「ああ……」
 島に渡ってきた魂は次々と泣き出した。

「そんな大事なことを、私達はとうに忘れていたのです! 黄金色の麦も幼き子らも……護るべきものを全て、焼き払ってしまったのです!」

 ブナの木の胸を締め付けたのは喪失感。美しい思い出は、黒炭と化していた。

 そうしている間にも、島には続々と仄かな光が集まってくる。
「全ての人間が消えたとき、世界は何も無い焼け野原となっていることでしょう」

 ポツリと魂はつぶやいた。
「命の連鎖を断ち切った我々に、救いは残されていないのでしょうね」

 ブナの木は、慈悲にあふれた声で言った。
「我々植物は大地に種を飛ばし生命をつなぐことができます。しかし我々は自力で芽を出すことはできません。土と水と光が必要なのです」

「それならば、今日から私は大地を潤す雨となりましょう」
魂は決意のこもった声でそう言った。

「大地の穢れを洗い流し、命の受け皿を作りましょう」

「でしたら私は波となり、あなたの種を焼けた大地へと運びましょう」

「だったら私は風になりましょう。あなたの腕から種を受け取り、波へと渡しましょう」

 幾億の魂たちは追従し、渡り鳥の群れのように次々と島から飛び立っていった。



 やがて雨が降り出した。
雨はくすぶる大地を冷やし、白煙を鎮める。

 塩水で汚染された大地を、雨が洗い流していく。

 風が吹き、ブナの実を殻斗かくとごと吹き飛ばした。

 波がそれらを拾い集め、対岸へと運んでいく。

 風と波はあちらこちらから様々な種を運び、やがて焼けた大地にポツポツと新芽が顔を出した。

 花が咲き、木々は育ち林ができた。
雨が大地に染みて湧き出せば、小川ができた。



 3代目のブナの木は、まだ種だった頃に繰り返し見た記憶をたどる。
人間と共存していた頃のあたたかな記憶。丘の上から見下ろした青い海と黄金色の麦畑。
 風はブナの木の葉を揺らすと同時に木陰のゆりかごを揺らす。子どもたちの歓声が遠くから聞こえてくるような気がして、ブナの木は鬱蒼と茂る野生林の中でそっと目を閉じ耳を澄ませた。

 やがてシトシトと雨が降り出した。
植物を育む豊穣の雨ハーベストレイン

 雨は優しくブナの木の若葉を伝って大地に落ちた。
 それはかつて『死ぬのは嫌だ! 殺すのも嫌だ!』と泣いた若い男の涙のように、大地に染みて消えていった。


 命を一瞬で消し去る強大な力を持った人間たち。
 自ら作ったルールに縛られて身動きが取れなくなった挙げ句、終焉に向かって進まざるを得なくなった愚かな種族。でもその一人一人は命をで、命を育むことを知っていた。

 人は考える頭脳を持ち移動する足を持ちながらも破滅に向かい突き進み、後悔に苛まれつつ何度でも同じ過ちを繰り返した。

「祖母も母も君を愛していた。弱くて優しくて臆病で、危なっかしい君のことを。僕も今、同じ気持ちなんだ」

 記憶の中でゆりかごに眠る 今は亡き小さな人の子に、ブナの木はそっと呟いた。

「だから、君がいい」






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