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第1部
14 露呈
遠くで、生徒たちが逃げ惑う姿が見える。
色とりどりのローブが風を裂き、足音と息遣いが混ざり合って、学園全体が巨大な生き物のようにざわめいていた。
開会式直後、鬼と逃げる人がランダムに振り分けられた結果、俺は逃げる側になった。
……面倒だ。
親衛隊は「絶対に最後までお守りします!」と目を輝かせていたし、同じチームなのだから、彼らが周囲を固めて捕まらないように守ってくれるだろう。
だが、問題はそれ以外だ。
知らない顔、知らない気配に追い立てられるのは、正直、体力がもたない。
だから俺は、ほどほどに走り、ほどほどに姿を見せ、そして――人の気配が薄くなる校舎の裏手へと滑り込んだ。
石造りの壁が影を落とす、古い校舎の階段下。
昼間でも薄暗く、埃と冷えた空気が溜まる場所だ。
俺はそこで、深く息を吸い、感覚を閉じる。
――能力発動。
自分の感情、存在感、魔力の色。
それらを一枚ずつ剥がすように、世界から切り離していく。
殺気も、恐怖も、期待も、すべて遮断される。
この能力を、俺は「無色化」と呼んでいる。
誰からも気配に気づかれず、ただそこに“在る”だけになる。
鬼ごっこが終わりそうな頃に解除すれば、完璧なかくれんぼだ。
副作用として、感情が戻りにくくなる。
嬉しいも、怖いも、焦りも、少し遅れて、あるいは歪んで帰ってくる。
だがそれを差し引いても、この能力は万能だった。
それに――
この力があったから、俺は貴族に拾われ、養子として生きる場所を与えられた。
「役に立つ」と認められた。
だからこれは、俺のたったひとつの誇りだ。
階段下に座り込み、背中を冷たい壁に預ける。
石の感触すら、もうぼんやりとしていた。
もう半分くらいは終わっただろうか。
長時間の使用で、意識が水に沈むように曖昧になっていく。
目を閉じた、その瞬間だった。
――ぎ、と。
突然、頭を鷲掴みにされる。
誰も気づかないはずだった。
だからこそ、考えるよりも早く、反射で能力を解除してしまった。
一気に、世界が戻る。
音。
温度。
空気の重さ。
そして、至近距離の――視線。
目を開けると、そこに立っていたのはレイン会長だった。
「……今のは、なんだ」
低く、抑えた声。
感覚が鮮明になりすぎて、鼓膜が痛い。
「なんだっていいだろ」
吐き捨てるように言ってしまってから、遅れて思考が追いつく。
――まずい。
素がばれてからも、俺は会長の前では忠犬のように振る舞ってきた。
反抗なんて、するつもりはなかったはずなのに。
だが感情が戻りきらず、取り繕う余裕がなかった。
そのせいか、会長の端正な顔が、はっきりと歪んだ。
「……」
顎をつかまれる。
強引に顔を上げさせられ、逃げ場のない距離で目を合わせられた。
会長は、もともと俺のことを鬱陶しい存在だと思っていたはずだ。
だが素がばれてから、いや――もっと前、俺が部屋にいない時間が増えた頃からか。
視線を感じることが、確実に増えていた。
怪しまれている。
観察されている。
そう思った瞬間、視界がふっと暗くなった。
直後、チクリとした痛みが走った。
自分の唇の端を思い切り噛まれた衝撃に、目を見開く。
彼は、がり、と確かめるように噛み、そのまま離れた。
歯が離れ、遅れてひりつくような熱が広がった。
頭の奥が急激に冴え、脳内の靄が一気に晴れていく。
「……っ、なに、」
問いかけるより先に、彼は俺の顔を間近で見下ろしていた。
呼吸の音が近い。視線が、逃がさないとでも言うように絡みつく。
「痛い……」
掠れた声が零れる。
それを聞いた会長は、ほんの一瞬だけ、眉をひそめた。
「痛覚は正常だな」
「は……?」
あまりにも冷静な声に、言葉が詰まる。
俺の唇から滲んだ血に、会長の視線が落ちた。
「無色化、だったか」
低く、確信めいた声音。
「……」
「感覚を遮断する能力。存在感、感情、魔力の色。すべて切る」
なぜ、知っている。
言い返そうとしたのに、言葉が出てこない。
「完全ではない。そうだろう」
顎をつかむ指に、力がこもる。
「痛みで戻る。恐怖でもいいが……お前の場合、これが一番早い」
「……試した、のかよ」
ようやく出た声は、震えていた。
会長は目を細め、俺を観察するように首を傾ける。
「確認しただけだ」
「確認で……噛むとか、意味わかんねぇ……」
「噛まなければ、今も戻っていなかった」
淡々とした口調。
正論めいているのが、余計に腹立たしい。
「ずっと、気づかなかったと思うか」
会長はそう言って、俺の唇を見たまま続ける。
「お前が消える瞬間。……気配が、急に空白になる」
その言葉に、背中が冷えた。
「学園内で、そんなことができる生徒は限られている」
「だから、追ってたのか」
視線を逸らそうとすると、顎をつかむ指が許さない。
「逃げるな」
低い声。
命令でも、叱責でもない。
ただ、逃がさないという意思だけがあった。
「副作用は」
「……感情が、戻りにくい」
「他は」
「……長時間使うと、思考が鈍る」
「発現は」
「……拾われる前だ」
半分、無意識だった。
聞かれるまま、答えてしまう。
会長はしばらく黙り込み、俺の顔を近くで見つめていた。
まるで、壊れ物でも扱うように、慎重に。
「……危険な能力だな」
「今さらだろ」
「だからこそ、管理が必要だ」
その言葉に、胸がざわつく。
「誰が?」
「俺が」
即答だった。
「お前は、自分が思っている以上に、目立つ」
「……意味わかんねぇ」
「無自覚なのが一番厄介だ」
会長はようやく手を離し、一歩距離を取った。
それなのに、さっきより息が苦しい。
「今日はもう使うな」
「命令?」
「忠告だ」
背を向ける直前、会長は一度だけ振り返った。
「次に消えたら――」
言葉を切り、俺の唇に視線を落とす。
「今度は、もっと確実に戻す」
それだけ言い残し、会長は去っていった。
俺はその場に座り込んだまま、唇に残る痛みと、妙な熱を確かめるように、指で触れた。
能力がばれた不安よりも。
管理すると言われたことよりも。
胸の奥で、理解できない鼓動が、やけにうるさかった。
そしてそのまま、
終了を告げる鐘の音が、校舎に重く、長く、鳴り響いた。
色とりどりのローブが風を裂き、足音と息遣いが混ざり合って、学園全体が巨大な生き物のようにざわめいていた。
開会式直後、鬼と逃げる人がランダムに振り分けられた結果、俺は逃げる側になった。
……面倒だ。
親衛隊は「絶対に最後までお守りします!」と目を輝かせていたし、同じチームなのだから、彼らが周囲を固めて捕まらないように守ってくれるだろう。
だが、問題はそれ以外だ。
知らない顔、知らない気配に追い立てられるのは、正直、体力がもたない。
だから俺は、ほどほどに走り、ほどほどに姿を見せ、そして――人の気配が薄くなる校舎の裏手へと滑り込んだ。
石造りの壁が影を落とす、古い校舎の階段下。
昼間でも薄暗く、埃と冷えた空気が溜まる場所だ。
俺はそこで、深く息を吸い、感覚を閉じる。
――能力発動。
自分の感情、存在感、魔力の色。
それらを一枚ずつ剥がすように、世界から切り離していく。
殺気も、恐怖も、期待も、すべて遮断される。
この能力を、俺は「無色化」と呼んでいる。
誰からも気配に気づかれず、ただそこに“在る”だけになる。
鬼ごっこが終わりそうな頃に解除すれば、完璧なかくれんぼだ。
副作用として、感情が戻りにくくなる。
嬉しいも、怖いも、焦りも、少し遅れて、あるいは歪んで帰ってくる。
だがそれを差し引いても、この能力は万能だった。
それに――
この力があったから、俺は貴族に拾われ、養子として生きる場所を与えられた。
「役に立つ」と認められた。
だからこれは、俺のたったひとつの誇りだ。
階段下に座り込み、背中を冷たい壁に預ける。
石の感触すら、もうぼんやりとしていた。
もう半分くらいは終わっただろうか。
長時間の使用で、意識が水に沈むように曖昧になっていく。
目を閉じた、その瞬間だった。
――ぎ、と。
突然、頭を鷲掴みにされる。
誰も気づかないはずだった。
だからこそ、考えるよりも早く、反射で能力を解除してしまった。
一気に、世界が戻る。
音。
温度。
空気の重さ。
そして、至近距離の――視線。
目を開けると、そこに立っていたのはレイン会長だった。
「……今のは、なんだ」
低く、抑えた声。
感覚が鮮明になりすぎて、鼓膜が痛い。
「なんだっていいだろ」
吐き捨てるように言ってしまってから、遅れて思考が追いつく。
――まずい。
素がばれてからも、俺は会長の前では忠犬のように振る舞ってきた。
反抗なんて、するつもりはなかったはずなのに。
だが感情が戻りきらず、取り繕う余裕がなかった。
そのせいか、会長の端正な顔が、はっきりと歪んだ。
「……」
顎をつかまれる。
強引に顔を上げさせられ、逃げ場のない距離で目を合わせられた。
会長は、もともと俺のことを鬱陶しい存在だと思っていたはずだ。
だが素がばれてから、いや――もっと前、俺が部屋にいない時間が増えた頃からか。
視線を感じることが、確実に増えていた。
怪しまれている。
観察されている。
そう思った瞬間、視界がふっと暗くなった。
直後、チクリとした痛みが走った。
自分の唇の端を思い切り噛まれた衝撃に、目を見開く。
彼は、がり、と確かめるように噛み、そのまま離れた。
歯が離れ、遅れてひりつくような熱が広がった。
頭の奥が急激に冴え、脳内の靄が一気に晴れていく。
「……っ、なに、」
問いかけるより先に、彼は俺の顔を間近で見下ろしていた。
呼吸の音が近い。視線が、逃がさないとでも言うように絡みつく。
「痛い……」
掠れた声が零れる。
それを聞いた会長は、ほんの一瞬だけ、眉をひそめた。
「痛覚は正常だな」
「は……?」
あまりにも冷静な声に、言葉が詰まる。
俺の唇から滲んだ血に、会長の視線が落ちた。
「無色化、だったか」
低く、確信めいた声音。
「……」
「感覚を遮断する能力。存在感、感情、魔力の色。すべて切る」
なぜ、知っている。
言い返そうとしたのに、言葉が出てこない。
「完全ではない。そうだろう」
顎をつかむ指に、力がこもる。
「痛みで戻る。恐怖でもいいが……お前の場合、これが一番早い」
「……試した、のかよ」
ようやく出た声は、震えていた。
会長は目を細め、俺を観察するように首を傾ける。
「確認しただけだ」
「確認で……噛むとか、意味わかんねぇ……」
「噛まなければ、今も戻っていなかった」
淡々とした口調。
正論めいているのが、余計に腹立たしい。
「ずっと、気づかなかったと思うか」
会長はそう言って、俺の唇を見たまま続ける。
「お前が消える瞬間。……気配が、急に空白になる」
その言葉に、背中が冷えた。
「学園内で、そんなことができる生徒は限られている」
「だから、追ってたのか」
視線を逸らそうとすると、顎をつかむ指が許さない。
「逃げるな」
低い声。
命令でも、叱責でもない。
ただ、逃がさないという意思だけがあった。
「副作用は」
「……感情が、戻りにくい」
「他は」
「……長時間使うと、思考が鈍る」
「発現は」
「……拾われる前だ」
半分、無意識だった。
聞かれるまま、答えてしまう。
会長はしばらく黙り込み、俺の顔を近くで見つめていた。
まるで、壊れ物でも扱うように、慎重に。
「……危険な能力だな」
「今さらだろ」
「だからこそ、管理が必要だ」
その言葉に、胸がざわつく。
「誰が?」
「俺が」
即答だった。
「お前は、自分が思っている以上に、目立つ」
「……意味わかんねぇ」
「無自覚なのが一番厄介だ」
会長はようやく手を離し、一歩距離を取った。
それなのに、さっきより息が苦しい。
「今日はもう使うな」
「命令?」
「忠告だ」
背を向ける直前、会長は一度だけ振り返った。
「次に消えたら――」
言葉を切り、俺の唇に視線を落とす。
「今度は、もっと確実に戻す」
それだけ言い残し、会長は去っていった。
俺はその場に座り込んだまま、唇に残る痛みと、妙な熱を確かめるように、指で触れた。
能力がばれた不安よりも。
管理すると言われたことよりも。
胸の奥で、理解できない鼓動が、やけにうるさかった。
そしてそのまま、
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