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地の光 (全)

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――聖ペトロ教会堂サン・ピエトロ大聖堂再建に絡む五つの断章――

   《一》

 一五〇六年、ローマ。生え際のやや後退した額。照り返す脂汗。窓際に立つその男は、頬を伝う汗も真っ赤になった耳のことも気にせずに手紙を読みふけっていた。紙がカサカサと音を立てる。男の手が小刻みに震えているのだ。

「ミケランジェロめ……!」

 フィレンツェ共和国第二書記局書記官、ニコロ・マキアヴェッリは大工が教会堂を立てるときの杭を打つような激しい音を立てて室内を歩き出した。木床の上を五歩進んでは止まり、ひるがえって三歩進み、扉の前に立った。

「どうなされました。書記官殿。……して、お返事は」

 マキアヴェッリは声の主を一瞥すると、すぐに窓の外へ視線を投げた。曇り空の下のローマの街。淀んだ空気を押しのけるように正午の鐘が鳴り出し、家々の屋根でこだます――遠くで、近くで。頭蓋骨を直接、槌で殴られるような錯覚の中、声をかけてきた伝令の飛脚を「待て」と、突き出した手で制す。金の不足が原因で、ため息が音もなく漏れる。今この足下でも、祖国においても。

 返事をしたためるためにペン先にインクを浸すと、指先の骨まで墨色が染み込んでくるようだ。

 ――報告は受けました。共和国政府から私への送金分を持ったまま、ミケランジェロがフィレンツェへ引き返してしまったことを承知しました。至急、再度送金の手はずを整えられたし。ユリウス二世猊下のミケランジェロへの怒りはますます強くなる一方だという知らせを聞いています。教皇猊下の声は喉からというよりも、腹が割けて、そこからほとばしるように響きます。いずれ怒号が教皇庁から私の宿舎まで聞こえて来る頃には、おそらく非難は彫刻家ひとりの問題を飛び越えて、共和国政府の責任となるでしょう。即位三年、ユリウス二世の政治は共和国政府にとって災難の種です。ですから私はもう一度申し上げたい、それは――

 ふと、マキアヴェッリは手を止めた。ペン先が紙を引っ掻く音が止んだことに気づいて、飛脚が振り向く。

「どうされました、書記官殿」

 馬の鼻息の音が窓の下から昇ってきた。マキアヴェッリは腹の底から撞き出すようにして、鼻の奥に絡まった不満を、鼻息と共に押し出して捨てた。目の下の紙を細かい文字で埋めていくことさえも馬鹿らしくなってきた。

「紙は貴重だ。無駄にはできない。そして金も無い」

 呟いた外交官は飛脚へ振り向いた。

「着払いでいいかな。手紙には『この報告を持ってきた者に1ドゥカートをお渡し下さい』と書いておこう」

 飛脚は両の手の平で垢と泥をこねるように手揉みする。肩をすぼめるが、それ以上に口先を尖らせた。

「一ドゥカート? 馬も替えずに? 到着したときの支払いだけで?」

 書記官は飛脚の作り笑いの奥に、共和国政府首脳陣の困憊した顔を想い浮かべた。

「わかった。ここで一ドゥカートを前払いしよう。合計で2ドゥカートだ」

 まただ。また経費の立て替えだ。マキアヴェッリが懐へ右手を差し込むと、声にならない彼の不平を代弁するかのように、財布の中の貨幣が鳴った。飛脚はもう手揉みをやめていた。

「外で待て。書き終えたら呼ぶ」

 会釈とも礼とも取れない程度に頭を下げて、飛脚は辞した。部屋は静まったが、代わりに汗と脂の匂いがそこには残った。

 不意に降り出した雨の窓ガラスを打つ音が、ペンの紙に擦れる音を覆い隠す。インクが紙に滲む。雨水は石畳の土埃を吸って路上に染みを作って流れていった。

   《二》

 時は遡り、一五〇三年。ヴァティカンの薄暗い部屋の中に充満する、熱気と香水の入り交じった空気はもはや悪臭と化している。だが、すでにこの部屋に朝から詰めて四時間、緋色の衣の者達の誰ひとりとして、健康な声を出す者はいない。

「繰り返しになるが、もはや異見を持つ者はいないな? 今なお建つ教会堂バシリカは、言うなれば光なき時代に建てられたものだ。疑う者はいないな? 天井もいつ崩れんとも知らん。聖ペトロの屋根だ。成り行きに任せて落ちるに任せるわけにはいかぬ。これに反対する者は? おらんな」

 ユリウス二世の考えを知らない者はこの密室の中にはいない。いや、すでにローマ中の噂だ。

 ――教皇は聖ペトロの墓所の上に、自らが眠る碑を建てるつもりだ。そこは天と地をつなぐ直線上。人が立てる空間で、最も尊い空間だ。いかなる峰よりも高く、あらゆる玉座よりも高貴なる場所。そこに眠ろうというのか。なんと恐れ多き教皇よ!――

 ローマの市内のあちらこちらで進んでいる工事はニコラウス五世教皇の時代に設計された「ローマ再建」の設計図に則している。しかしその進みはいずれも牛歩の速度。もはや誰がその完成予想図をしっかりと描けるだろう? 仕事のために、言い換えるなら、工事をやめない。そうした雰囲気が現場には漂っていた。

 急いではいけない。しかし手を止めてもいけない。工事を続けるために工事を進める。レンガをひとつ積めば、そのレンガの大きさと重さの分、神の国へと近づく。職工たちが工事になんらの疑いを持たないのは、工事で過ごす時間を意識しなくても、そこにゆっくりとした老いへの経験則が働くからだ。先ほどからもうユリウス二世には高位聖職者たちの議論する声は聞こえてはいなかった。彼らの声はラテン語には聞こえず、鸚鵡おうむの唸り合う声に過ぎなかった。

 まばゆく輝く天井の下、ユリウス二世は自身の天蓋の中で、地下墓地に横たわるペトロを見おろしている姿を想像していた。腹の底から湧いた至福感が脊椎を伝って脳を痺れさせるのを舐めるように感じ取っていた。

 不意にユリウス二世が目覚めると、あたりには誰もいなかった。頭痛か、目眩か。目の奥がちくりと痛む。枢機卿たちの声を思い出そうとすると、耳の奥のこだまが大きくなった。こめかみを押さえようと右手を上げつつ頭を下げると、足下に落ちている紙が視界に入った。

 ――そうだ、この紙を持っていた。いつの間にか滑り落ちてしまったこの手紙のことを忘れておったわ――

 建築家ベルナルド・ロッセリーニ。紙の署名にはそうある。ロッセリーニがかつて教皇ニコラウス五世へと宛てたローマ再建の「五つの要」のひとつに、聖ペトロの教会堂サン・ピエトロ大聖堂の再建が含まれているのを目にしたとき、ユリウス二世は見えざる手に突き動かされるのを感じたのだった。

 ニコラウス五世は現教皇ユリウス二世の八代前にあたる教会の主だ。ニコラウス五世がすでに神へ捧げた言葉は、ユリウス二世にとって、神からの命令に等しい。

 ――余の墓をと主は申された。聖ペトロの墓の真上にそれを据えろと!――
 
   《三》

 「モーゼ、ソクラテス、ペトロ、天上におわす歴史的な重要人物に並ぶお人となられた! ユリウス二世猊下、あなたは、あなただけが、一五〇〇年の歴史の中の二五〇人もの教皇のなかで、ついにあなたが、最も聖なる神の家に新たな屋根を架けるお人となるでしょう!」

 人文主義者ジル・ダ・ヴィテルボが説く。彼はまた書き、ユリウス二世の教会堂再建計画を褒め称えた。

 だが市民の声は由緒ある教会堂、コンスタンティヌス帝の教会堂が取り壊されることに漠とした不安を感じた。その不安は雲のようにヴァティカンを覆い、その暗さを見たエラスムスは「ユリウス二世の考えは浪費と虚栄に過ぎない」と呟いた。

 だがエラスムスをしても、教会堂の再建を止める力はない。冷静だったのはフィレンツェの名門貴族にして歴史家、なによりもマキアヴェリの理解者としても知られるグイッチャルディーニだった。彼はユリウス二世に対して「衣装と名前以外に、あれが聖職者だと示す要素は何もない」と切って捨てた。寸鉄の物言いが名物のフィレンツェ人らしい教皇への評だが、彼にしても、それ以上は何もできなかった。

 ユリウス二世も初めから教会堂そのものの再建までは考えていなかった。彼は、彼自身の野心の大きさに比例するかのような規模の墓碑を夢想していたに過ぎなかった。

 フィレンツェ人の建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロが地方での仕事を終えてローマへと戻ると、教皇庁の中の人々の話題は教皇ユリウス二世の墓碑の話題でもちきりになっていた。利権に群がる者どもが発する独特の汗の匂いが廊下という廊下、部屋という部屋から漂い、門扉から、窓から、途切れなく垂れ流されているのを、敏感な芸術家は感じ取った。

 議論はミケランジェロに墓碑の製作をやらせるかどうか、その決定の大詰め。サンガッロは墓碑の規模を知るやいなや、這うような心持ちで教皇へとにじり寄った。

「猊下、ミケランジェロに墓碑を作らせるお考えに、卑しき私めは強く賛同いたします。いたしますが、猊下、聖ペトロの教会堂に、猊下の墓碑を安置できる場所はございましょうか。教会堂の中に墓碑が置かれる姿をご想像くださいませ。ふさわしき場所はございませんでしょう。新しき礼拝堂をお建てになられるのです。巨大で壮麗なる墓碑にふさわしい、新しき礼拝堂です。さすれば猊下の墓碑も引き立つことでしょう。それはまさに、猊下のご威光を内から発するような礼拝堂です」

 不意の沈黙が室内を凍らせた。サンガッロが恐る恐る振り返ると、すべての枢機卿の視線が部屋の薄暗さを突き通して注がれていた。だが枢機卿たちの視線は、判断を仰ぐように教皇へと向かった。

 矢の群れのように飛ぶ視線の先にいる教皇をサンガッロも見上げた。教皇は、足下の芸術家を冷たい目で見下ろしながら言った。

「あの教会堂バシリカ、あれは優雅な建物について無知であった時代に建てられた。今となっては壁の一部は壊れ、右側の側廊はいまにも崩れそうだ。コンティという貴族がずいぶん前にそう言ったそうだが、余もそう思う」

 言い終わると同時に一息吐いたユリウス二世は、それまで手を置いていた左右の肘掛けを握ると、力を込めて立ち上がった。

 時折見せる彼の突然の俊敏な動きは、いつもその場の枢機卿たちを驚かせるが、起立に続いて発せられる言葉はそれ以上の混乱を振りまく。ある側近は言う。ユリウス二世がその尻で塞いでいるのは、人々に混乱を招く地獄の臭気の漏れる穴なのだ。だから彼が立ちあがる時、我らの困惑を引き起こす……。

「ニコラウス五世が言い残し、神が命じられたコンスタンティヌス帝の教会堂を建て直しを行う。余はペトロのす土の上に眠ろう。余の墓碑を納めるのは、新たなる礼拝堂ではなくでなければならぬ」

 すべての枢機卿が息をのんだ。室内の静まり返るなか、サンガッロひとりだけが栄光の予感を押し隠すように床まで深く、頭を垂れた。

   《四》 

 貴族の城館ならいざ知らず、神の家を建てる機会に恵まれる建築家など、そうはいない。ましてや、ヴァティカンの本尊たるコンスタンティヌス帝の教会堂の取り壊しなど前代未聞。千年、そこにあったそれを建て替える計画だ。

「それが私たちの時代に、いま起ころうとしている!」

 ドナート・ブラマンテ、「熱望する人ブラマンテ」のあだ名の通り、彼のひたむきに制作に打ち込む性格は仲間達にもよく知られていた。教皇が教会堂再建の計画を考えていることを知ると、ブラマンテの精神は高揚して大量の建設案が泉のように溢れ出た。

 彼の熱望はついに天へ届いたと言うべきか、教皇庁へ持ち込まれた幾多の計画の中から、ついにブラマンテが提案したギリシア十字形の集中式設計が採択された。

 描かれた図面のなかに自らの永遠性を感じたユリウス二世はもはや夢の中にいた。憤慨したのはサンガッロだ。彼が主役を務めるはずだった聖堂建設劇は目の前で暗転し、そのまま閉幕した。一度閉じてしまった教皇の意思という重い緞帳を押し上げて舞台を続けさせることはサンガッロにはもはやできなかった。その年、一五〇六年に新しい教会堂の礎石は置かれ、「ブラマンテ設計の聖ペトロ教会堂建設は回り始めた。

 ミケランジェロはそのブラマンテの計画を全面的に支持していた。美的に、そして信仰的にも。

 真理はどこにあるか?――法則の中に。光はどこにあるか?――数と比と調和の中に――。

 だからブラマンテの死は、建設計画を弦の切れた楽器のようにしてしまった。建築主任は何人か入れ替わったが、「利権」が切り出された大理石に泥を塗り、「嫉妬」が人々の血を石に吸わせた。ラファエロ・サンティでさえ、この建築現場では流れを阻害した者のひとりとなってしまった。

 建築主任は現場監督であり、かつ設計者を兼ねる。その職をサンガッロとその一派がようやく得たときには、もはや現場そのものが闇とも霧ともつかない混迷のなかにあった。

   《五》

 ミケランジェロが初めてローマを訪れたのは一四九六年、二十一歳のときだった。リアーリオ枢機卿の邸宅で彼は暮らした。

「自分は絵描きなどではない、彫刻家だ!」

 そう吠える体格のいいフィレンツェ人の芸術家。だが工匠はあごで使われていたのが世の常。「私を彫刻家風情と一緒にするな。貴族ブオナローティだ!」と、家系のことになれば社会階級を誇示した。そうでなければ一流の芸術家といえども使とそう違わない身分だったのだ。

 それから二十年経った一五一六年、ミケランジェロも四十一歳。教会堂の再建は着工して十年、今やその建設工事は袋小路にあった。セッタ・サンガレスカサンガッロ派の「連中」とミケランジェロが呼び捨てる彼らは、この頑固な芸術家と出くわすと愛想良くすり寄って来るが、貴族ブオナローティは職工どもを批判の槍で激しく突いた。

「真と美そのものであった古典の様式から離れ、もはや連中の構想はに近い! 尖塔、飾りの突起……細々こまごましたものを付け過ぎている! 外側の列柱も重ね過ぎで無駄、無駄、無駄。ろくに採光も考えられておらず、暗い屋根の下に司教どもを埋葬する気としか思えん。とても正気の沙汰じゃない!」

 ミケランジェロのそうした声は教皇庁の奥にまで轟いた。自分ならば不要なものを取り去り完成に五十年も要さないし、費用は三十万スクーディも掛からないと言ってはばからず、建築請負業者を「利益に群がる者ども」と踏みにじる。だが粗悪な資材を不当な価格で調達しているというその殿からの指摘は、正当性の中心を射抜いていた。

 またある時、工事監督局の責任者に一通の手紙が届いた。差出人はミケランジェロ。拳で書いたのかのような筆跡でこうある。

「ブラマンテの計画は単純で光に満ち、すでにあるいかなる建物も損なわない。ブラマンテの設計から逸脱したサンガッロの案は、あるべき秩序からも、真実からも外れている――」

 七曲がりの谷を抜けるような長い時間を費やした後、ついにミケランジェロは建築主任となった。だが彼が〝建てる〟よりも先に取りかかったのは〝壊す〟ことだった。

 着任したその新任工事監督の指示によって取り除かれたのは、すでに建っていた量の三分の二に相当した。セッタ・サンガレスカがこの侮辱に対して怒っていると市中では囁かれた。事実、ミケランジェロへの嫌がらせと工事の妨害は頻発し、ミケランジェロが晩年の十七年間を費やし、無報酬でこの教会堂の建設を指揮した期間は、考えを異にする「連中」との戦いの連続でもあった。

 ミケランジェロが守ったのはブラマンテが提示した「大ドームの支配する基本構想」だ。ギリシア十字式の集中型の大デザイン。それは聖堂の内と外に一貫性を持たせ、有機的な連続を実現する。彫刻家の感性の成せるわざ、つまりによって建築は構想されていた。

 サンガッロ派は執拗にミケランジェロを舌先と手先で攻撃したが、老体になってなお、ミケランジェロの「使命感」は彼を建設現場へと向かわせた。十六世紀も半分以上が過ぎた一五六四年二月十四日、巨匠マエストロは倒れた。息を引き取ったのはその四日後。アヴェ・マリアの鐘が鳴る午後五時頃のことだった。

   《補稿》

 その後、教皇や建築主任が幾度も交代しながら建築は進んだ。一五八六年にオベリスクが広場の中心へと移され、聖堂がひとまずの完成をみたのは一六一六年。最初に脚を踏み入れた教皇パウルス五世が見たものは、まだ内装のない、がらんとした空間だった。

 今日、大ドームの真下、すなわち地下にある聖ペトロを祀ったトロフェーオの真上にあるのはユリウス二世の墓碑ではもちろんない。聖ペトロの聖廟を覆う青銅の天蓋バルダッキーノはベルニーニが造り上げたバロック芸術の粋のようだが、ねじれたその柱はかつてソロモン神殿から運ばれた柱を模しているといわれる。

 (完)

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