呪術師フィオナの冷酷な結婚

瀬戸夏樹

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第3話 訪れた騎士

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 フィオナは重苦しい頭痛と共に目が覚めた。

 昨日より粗末な毛布の感触で、一瞬自分がどこにいるのか分からず辺りを見回してしまう。

(そうだ。私はマダム・クインの宿屋に戻ってきたんだ)

 カーテンの隙間から漏れてくる光は、オレンジ色に近かった。

 暗黒街の夕暮れは早い。

 おそらくまだ昼頃だろう。

 ただ、自分が12時間以上眠っていたのは確かだった。

 それだけ眠ったとなれば、頭痛に苛まれるのも当然のことである。

 フィオナは重苦しい体を起こして、どうにかベッドから這い出た。

 婚約破棄されたことは思いの外、負担になっているようだ。


 体が活動するのを拒否している。

 婚約破棄!

 頭に浮かんだその単語はフィオナの気を滅入らせる。

 昨日のラルフとのやりとりを思い出すだけで鬱々とした気分に塞ぎ込んでしまいそうだった。

 当分は何をやっても身を入れて打ち込めそうにない。

 そうしてフィオナがしばらくの間、ベッドに座り込んでぼーっとしていると、窓がバンバンと叩かれる音がした。

 次に爪で引っ掻くような音がした。

 どう考えても人間の仕業とは思えない。

 フィオナが窓を開けると目が一つしかないカラスがいた。

 フィオナはうんざりした。

 こういう沈んだ気分の時、できれば会いたくない相手だった。

「よう。フィオナじゃないか。学院を出ていって以来だな。こんなところで何してる?」

 一つ目カラスはガラガラ声で流暢に人の言葉を話した。

「見てわかりませんか。今、気分が悪いんです。用事があるなら後にしてくださいませんか」

「お前、グリフィス家の次男と結婚した話はどうなったんだ? もう別れたのか?」

「彼とは結婚すらしていません。その話はなしになりました」

 カラスはゲラゲラと笑った。

「なんだお前、男に捨てられたのか」

「捨てられたわけではありません。向こうが約束を破っただけです」

 カラスはまたゲラゲラと笑った。

「男と別れたならちょうどいい。レンドン教授がお前を愛人にしたがっているぞ」

「また、その話ですか」

 フィオナはうんざりした調子で言った。

 魔導院の教授レンドンは、学院時代からずっとフィオナを愛人にしたがっていた。

 それも別にフィオナが好きだからではない。

 フィオナが黒魔術に精通していて、助手として便利に使える上に女性として下の世話をさせるのに効率がいいというかなり無粋な理由からだった。

 魔導院で女性な上、黒魔術に精通している人間は驚くほど希少なのだ。

「何度も言いますが、私はレンドン教授の愛人になるつもりはありません」

「だが、それ以外お前にどういう選択肢がある? この暗黒街でレンドン教授の許可なしに黒魔術の商いができると思っているのか?」

 カラスはニンマリといやらしい笑みを浮かべた。

 レンドン教授はこの街での黒魔術関連の商いを役人と手を組んで牛耳っていた。

 この街で黒魔術を使って商業行為をするのにレンドン教授の意向を無視してすることは到底不可能だった。

「死月草を月に30束納めることができます。それでいかがですか? レンドン教授は死月草の調達に難儀していると聞きましたが」

「……」

 カラスは話の内容が理解できず黙り込んでしまう。

「わからないなら、持ち帰って教授に相談してもいいですよ」

「明日、また来る」

 カラスは学院の方に飛び去っていった。



 その後、カラスが案件を持ち帰って教授に相談したところ、レンドンは青ざめた。

 レンドンは「なんでその場で契約を取り付けないんだ」とこっぴどく叱ったという。

 レンドンが死月草に困っているというフィオナの予測は当たっていた。

 カラスは慌ててその日が終わる前にフィオナの部屋に舞い戻ってきて、窓をガンガン叩いたが、フィオナは寝ているふりをしてしばらくの間カラスを困らせてやった。

 フィオナは次の日から死月草を学院に納め、黒魔術のアイテムを売り始めた。



 クインの宿屋に泊まり始めてから数日。

 フィオナはマダム・クインから晩餐会に招待された。

 いい肉とワインが手に入ったから街中の知り合いを呼んで振る舞うのだそうだ。

 フィオナは晩餐会に参加することにした。

 マダム・クインの晩餐会には暗黒街の有力者が招かれることもある。

 フィオナの黒魔術の顧客になってくれる人がいるかもしれなかった。



 フィオナが階段を降りて食堂に入ると、ちょうどマダム・クインが晩餐の準備にあくせくと指示を出しているところだった。

「あら、フィオナ。もう出てきたの? 具合はどう?」

「おかげさまでだいぶよくなりました」

 フィオナがテーブルの端に座って待っていると、貴公子然とした男が部屋に入ってきた。

「夕食にお誘いいただきありがとうございます。マダム・クイン」

 その貴公子然とした男は洗練された身のこなしで片膝をつき、恭しくマダム・クインの手を取り、手の甲に口付けした。

 クインは慣れない上流階級の挨拶に肩をすくめた後、フィオナの方を振り向く。

「フィオナ。この人はアルフレッド・ウィズ。最近、暗黒街に赴任してきた役人の方よ」

「お初お目にかかります。アルフレッド・ウィズと申します」

 フィオナはウィズの胸元に階級を示すバッジがついているのを見つけた。

 バッジは騎士階級の証だった。

 なぜこんな騎士階級の若い男が暗黒街の役人に赴任してきたのだろう。

 従来、暗黒街の役人はもう出世の見込みのない下級貴族の左遷先だった。

(何かやらかしたのか)

 フィオナはそう見抜いたが、一応貴族階級風の挨拶をすることにした。

「はじめまして。フィオナ・グリフィ……、いえ、フィオナ・レイスと申します。以後お見知り置きを」

 フィオナは元婚約者の苗字を言いそうになって、慌てて言い直した。

「グリフィス?」

「私はグリフィス家の次男、ラルフ・グリフィスの婚約者だったのですが……」

「ラルフの婚約者!?」

 アルフレッドはサッと顔を強張らせた。

「先日、婚約破棄されてしまって」

「なんだ。婚約破棄されたのか」

 アルフレッドは安堵したように胸を撫で下ろす。

「まあ! なんだとは何よ」

 マダム・クインが憤慨し、食ってかかった。

「フィオナは婚約破棄されて今、傷ついているのよ?」

「あはは。いや、失敬。ラルフ・グリフィスには僕も酷い目に遭わされていてね」

 アルフレッドはあっけらかんと言った。

「君がラルフの婚約者でなくてよかった。もし、そうならせっかくのマダム・クインの素敵な晩餐会を断らなければならないところだった」

「私はあんたを招待したことを絶賛後悔中よ」

 マダム・クインは苦々しげに言った。

「フィオナ嬢。あなたの黒魔導師としての腕前はかねがねお聞きしております。なんでも黒魔術の顧客を探しているとか。よかったら、詳しく聞かせていただけませんか?」

 マダム・クインはなおも何か言いたそうだったが、なんとも憎めない彼の態度にそれ以上非難の言葉を思いつけなかった。
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