BloodyHeart

真代 衣織

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貧困品性

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 リリアが向かった女性の家は、古い木造アパートの一室だった。
 表札には名字が書かれていない。玄関のドアも今時珍しく、指紋認証や顔認証で開けるタイプではなかった。鍵で開けるタイプだ。
 近年のドアでは珍しい。今時鍵を持っているのは管理人くらいだ。
 羽月と伊吹のマンションも、指紋認証で開閉するタイプだ。魔人で指紋のないリリアは、カードキーで開閉している。
「色々とお世話になり、本当にありがとうございます」
 リリアは深々とお辞儀をする。渡されたロングTシャツと七部丈のズボンを着ている。
「全然いいのよ。風邪引いちゃうもの」
 キッチンから振り返り、女性は優しく微笑んだ。
 魔人は寒さじゃ風邪引かないんだけどね……。
 親切を蔑ろにする訳にいかず、リリアは心で言う。
 冷蔵庫のそばに、魚が入っていた発泡スチロールが置いてある。着ていた制服はハンガーに掛けられ、エアコンの下で乾かしてあった。
「制服、乾くの早いのね。食材は冷蔵庫に入れておいたからね。お魚は急速冷凍しておいた」
「ほっ、本当に、ありがとうございますっ」
 もはや申し訳ない。
 合成でも魔界製でも、速乾と防汚加工はされている。鞄とボストンバック、履いていたタッセルには完全防水加工がされていた。
 まだ乾いていないのは、最も早く乾きそうなハイソックスだけだ。ソフィアが代表を務めるアトリエプリンセス、ピンキーハートのものだが、どちらの加工もされていない。
 リリアは改めて部屋を見渡す。
 2DKの一部屋から続く六畳程のスペースに、テーブルセットと仏壇、テレビがあるだけだ。部屋のあちこちに二人の子供の写真が飾られている。
   女性はリリアよりも背が大分高いモデル体型だ。渡された服は娘の物だと推測される。
 離れて暮らしているのかな?
 大変な環境なんだろうな……。
 それなのに親切にしてくれたんだ。
 明らかに、女性は裕福とは程遠い。
 リリアは通学鞄から財布を取り出した。魔界共通通過、金の貨幣を見付ける。
 五万リガーはある。
 魔界は札より硬貨の方が価値が上になる。金の硬貨が五枚、五万リガーなら日本円では二十五万円になる。
「あの、ただで御面倒になる訳にはいかないので、いくらか受け取って頂けませんか?」
 五万リガーを手に、リリアは女性に歩み寄ろうとした。
「いらないよ。困っている人がいたら助けるのは当たり前じゃない。リリアちゃんもそうでしょ?」
 振り向いた女性は優しく断る。
「でも、美穂《みほ》さん。私はママから、助けてもらって当たり前だとは思うなっ。誰も助けてくれないのが当たり前だと、厳しく言われてますので……」
 アパートに向かう途中、リリアと女性は互いに名乗っていた。
「あははっ。お母さん、厳しいね」
 女性は笑った。
 曇り切っていた表情に一筋明かりが射す。
「でも、お金はいいのよ。それよりもお昼御飯まだでしょ? 一緒に冷し中華食べてくれない?」
「いいんですか?」
「うん。ちょうど、今出来たんだ。娘が入院しているから、いっつも一人で淋しいのよ」
「じゃあ、御言葉に甘えさせて頂きます。でも、その前に仏壇に手を合わさせて頂けませんか?」
 リリアは仏壇がずっと気になっていた。仏壇には、小学生の息子らしい写真が飾られている。
「勿論いいわよ」
 リリアと女性は仏壇の前に正座する。
 女性が線香に火を点けた。
 リリアは女性を真似る。線香を香炉に挿す。
「息子さんですか?」
 手を合わせ、リリアは女性に問い掛けた。
「そうなの。五年前に交通事故で——」
 女性の表情が再び曇る。
 女性の無念が胸に染みる。リリアは深々と仏壇に頭を下げた。
「お兄ちゃんが落としたバスケットボールを追って、未来《みらい》ちゃんが撥ねられそうになった。未来ちゃんを庇って、お兄ちゃんが……」
 写真立てを手に取り、女性はポツリポツリと言葉を繋ぐ。
「交通違反のバイクを追っていた、警察が私の息子を殺したの」
 罪にならなかったんだろうな。
 何にもしてくれなかったんだ。
 言わずともリリアは察せられる。
「娘は今、心不全で海外に入院中なの」
 そう言って、女性は写真立てを置いた。
 お母さんが必ず守るからね。
 今度こそ……。
 例え、この手を汚してでも——。
 お母さんが必ず守ってみせるから。
 女性の曇り切った瞳には、一点の曇りなき誓いがあった。
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