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二話『恋だけじゃない』
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花の高校生活二日目。
特に事件に見舞われることもなく、通学路をゆっくりと。少し軽い足取りで辿っていく。電車に恐怖が無いわけではないけれど、先生のことを思い浮かべると自然と安心した。
今日も先生に会えるんだ。当たり前のことだけどすごく嬉しい。ニヤけちゃいそう。
胸の高鳴りを抑えられず、電車を降りてやや駆け足で学校に向かった。
始まりの季節を語るように、今日も満開の桜が咲き誇り、ヒラヒラと散っていく。その下で、黒いシャツの先生が大きな欠伸をしながら立っていた。
「おはようございます、先生」
「おう、おはよう。元気でなによりだな、古町」
「あはは。……先生は眠そうですね?」
「あぁ。正直寝てたいな」
先生は髪をクシャクシャとしながら答えた。
怠そうな空気を纏っているが、手を抜いている感じはなく、ただただしっかりと自分の仕事に従事している。
不真面目そうで真面目な先生に私の中の好感度はますます上がっていく。
ちょっとしたことでも見惚れちゃいそう。
「おら、さっさと教室行け」
「はーい」
軽いお叱りを流して、四階の教室に向かう。少し迷ってしまいそうになるのは、この時期だけの思い出だ。
数分前の出来事を脳内で繰り返しながら、自分の席に座ったところで、直視しないと行けない現実を思い出した。
そういえば、この学校知り合いいないんだ、私。
顔見知りしまくりの私にとって、非常にハードルが高い学生生活序盤。中学までは志穂ちゃんがいたけれど、今回は味方なし。
どどど、どうしよう。スタートダッシュ失敗すると下手したら一年は引きずることになっちゃう。けど、どう話しかけたらいいのか……。
浮かれていた気持ちも消え去り、第一関門とも言える自己紹介のことで頭をグルグルと悩ませる。
気付けばチャイムが鳴る五分前。まだ二日目だからか、全員が既に席についていた。
ガララッ
「……真面目で結構」
入室してきた先生は、満足そうに小さく微笑んだ。そのまま歩みを進め、出席名簿を教卓に置いた。
「おはよう。さて、今日は予告通り一人一人自己紹介をしてもらう」
先生はチョークを手に持ち、黒板にカツカツと音を響かせながら書き込む。
『名前』『趣味』『目標』『好きな食べ物』『自由』の五つが書かれた。最後のは書く必要を感じない。
目標も結構ハードル高い気がするなぁ。
「ま、こんなとこだろ。一限始まるまで少しあるし、ちゃんと考えとけよ」
先生の言葉通り、黒板とにらめっこしながら内容を考える。しかし、どれだけ考えても不安が消えることはなく時間になってしまった。
「順番は出席番号でいいだろ。一番、出番だぞ」
指名され、窓側先頭の人が起立し、自己紹介をはじめた。明るく、誰とでも仲良くなれそう。
私の出席番号は十八番。四十人のクラスでだいたい真ん中。自己紹介のテンプレもできるいい場所だ。
よし。緊張も少しほぐれてきたし、なんとかなりそう。
「次、十八番」
「は、はい!」
呼ばれた瞬間にほんの少し和らいでいた緊張がリセットされ、心臓がうるさく響き出した。これを恋のドキドキと誤認できるほど気楽にはなれなかった。
「ふ、古町 琉歌です。ど、動物が好きで、特に、猫が好きです。しゅ、趣味は料理で、休みの日にはお菓子を作ったりしています。よ、よろしくお願いします!」
体が固まってしまう前に、肺に僅かに残った空気で締めの挨拶をした。まばらな拍手が鳴り、一礼をして席について。
山場を乗り越えてなお、緊張は最高潮の状態を維持している。全身が心臓になったように鼓動が響く。
自己反省をしている間も、自己紹介は続いている。乗り切った安堵からか、時間の進みが早くなった。
「次、三十七番」
「はい。……夢国 亜里沙ですわ」
元から静かだった教室が、静まり返った。
ぱっつんカットの前髪に、腰あたりまで伸びたストレートの黒髪。いわゆる姫カット。力強い大きな瞳。威風堂々の佇まい。印象に残らないわけがない「ですわ調」。
絵に描いたようなお嬢様。クラスの誰よりも自己紹介で注目されている。
「好きなものはローズヒップの紅茶。趣味は読書。目標は、全テスト学年一位ですわ! 以上です。よろしくお願いします」
少し間をあけ、まばらな拍手が鳴った。それを確認すると夢国さんは席についた。
「じゃあ、次。三十八番」
先生は全く動揺してないけど。これが大人の余裕、なのかな?
そんな先生とは違い、動揺を隠せない残りの三人はやりにくそうにしていた。
ちょっとだけ、自分の出席番号に感謝した。
「取り敢えず、全員終わったな。このクラスで最低でも一年つづく。ま、仲良くやれよ」
「いいえ、まだ一人。先生の自己紹介がまだですわ」
先生の締めの挨拶に、真っ直ぐ手を挙げた夢国さんが待ったをかけた。
「まだって。俺のは昨日やっただろう。いるか? 改めて」
「必要ですわ! まずお名前しか聞いていません。最低でも一年はお世話になるんですもの。人となりを知る権利はあると思いますわ」
傍若無人。唯我独尊。と言うほどではないけれど、お嬢様は周囲の空気を気にすることなく自分の意見をはっきりと口にした。
「まぁ、間違ってはいないか。……一応聞くが、俺の自己紹介聞きたいやつ、いるか?」
挙手をするように言われるよりも前に、クラスの大半が手を挙げた。私も小さく、心の中では誰よりも早く、大きく手を挙げていた。結果的にお嬢様の意見は民意だった。
志穂ちゃんが隣にいたら、腕引っ張られたんだろうなぁ。
「何がお前らを駆り立てるのか知らないが、いいだろう。軽くな」
そう言って、先生は黒板に名前を書き、話し出した。
「昨日も言ったが、八戸波 習だ。現代文を担当している。海か山かといえば海派。好きなものはブラックコーヒー。あと」
先生は言葉を止め、「習」の文字の右に「ならう」、左に「しゅう」と書き足した。
「俺には兄貴がいる。双子でもねぇくせに生き写しレベルのな。校外で俺を見かけても、兄貴の可能性があるから気をつけろ。以上」
生き写しレベルの双子。クラスの女子が「会ってみたーい」とか「マジイケメン確定じゃん」とか話していた。私が驚きもしないのは、先生の男装を見ているからだろう。
見られたときの予防線。……そう、きっとそう。仮にいたとしても、私があの日会ったのは先生、だよね。……うん。
可能性は低くても、人違いの恋だと思うと心がざわついた。なんとも薄情な話だと。
その後、教材に名前を書いたりなどしていたが、雲で覆われたように、ずっと心がモヤモヤしていた。
授業は明日から。今日までは午前中で終わり。バラバラと皆んなが帰っていく中、私は席で呆然と座っていた。
私を助けてくれたのが先生のお兄さんだって問題はないのに、嫌だな。私の気持ちが嘘みたいになっちゃう。……先生も私のこと覚えててくれてたから、杞憂だと思うけど。
胸のモヤモヤを抱えたまま、帰ろうと俯いた視線を上げて立ち上がる。
「⁉︎」
立ち上がってすぐに着席。と言うより尻餅。考え込んでいたせいで目の前に人が立っていることに気が付かなかった。
「あっはは~、ごめんね? 難しい顔してたから話しかけづらくて」
「い、いえ。私の方こそごめんなさい。考え事しちゃって」
少しカールのブロンドヘアー。三つ編みを肩にかけた女子だった。制服が少し大きいのか袖が余っている。先生よりは小さいけど、百六十五はありそうだ。
「えっと、七津さん、だよね?」
「覚えてくれてた~。嬉しい~」
笑顔でユラユラと体を左右に揺らす七津さん。自然と警戒心が解かれていくような、誰とでも親しくなれそうな印象を受けた。
少し微笑ましく思っていると、七津さんの後ろで、綺麗な黒髪がチラリと揺れていた。先ほどまで隠れられていたのが、七津さんが不意に動いて対応できなかったようだ。
「そーー」
「あ、でね。用事があるの私じゃなくて、この子」
話を切り出そうとしたタイミングで、七津さんは後ろに隠れていた人を引っ張り出して、自分は後ろに回った。身長的に隠れてはいなかった。
引っ張り出されて来たのは、先生に自己紹介をさせた張本人。顔から煙が出そうくらい顔が赤く、七津さんの制服の袖を掴んで小さく震えている。
夢国さん。さっきと印象が全然違う。借りてきた猫ちゃんみたいな。失礼だけど、親近感湧いてきちゃった。
「あーちゃん、さっきのこと恥ずかしくなってきたんだよね」
「ううう、うるさいですわよ楓さん! それと、学校であーちゃんと呼ぶのはやめなさい!」
仲良いなぁ。私と志穂ちゃんみたいに付き合いが長いのかな。
「可愛いからいいじゃん」
「んんんー!」
夢国さんはさらに顔を真っ赤にし、振り返って七津さんをポカポカと叩いている。叩かれている七津さんは嬉しそうに笑っている。
微笑ましいけど、私に何か話があったんじゃ……。
「えっと、夢国さん? それで……」
「あ。……おほん」
夢国さんは小さく咳払いすると、乱れていない髪を整えた。平静を装っているが、精神状態はまだフラフラしているようだ。
「古町さん、お料理が趣味と仰っていましたわね。お菓子もつくるとか」
真剣な眼差しで夢国さんが詰め寄ってくる。
「う、うん。お菓子は、たまにだけど」
すごい顔が近い。ちょっと恥ずかしい。
「……」
心拍が速くなってきたところで夢国さんが少し離れた。
意図はわからないけれど、難しい顔をして固まっている。銅像の如く、ピクリとも動かない。
何か失礼なこと言っちゃったかな。内容じゃなくて話し方が不快だったとか?
「よ、よろしければ、教えていただけますか? その、お菓子の作り方を」
「え?」
身構えていたせいで、、間の抜けた声が出てしまった。
「ダメ、でしょうか?」
「ううん! そんなことないよ。私でよければ」
予想していなかった交流イベント。二日目にして話せる友人ができたのは、私にとって快挙だ。
「よかったね~、あーちゃん」
無邪気な笑顔の七津さんが、覆い被さるように夢国さんを抱きしめた。
「き、緊張しましたわ」
そんな七津さんに体を預けるように、夢国さんの力が抜けた。緊張の糸が解けて反論する余裕もないようだ。
「あはは~、ダウンしちゃった。…‥ちょっと臆病だけど頑張り屋で良い子だから、これからよろしくね」
七津さんは愛おしそうに夢国さんを抱きしめながら、安心したように優しく笑った。
「また明日ね~、古町さ~ん」
別れの挨拶は、最初の無邪気な笑顔に戻っていた。
「う、うん。また明日」
お人形さんのように動かなくなった夢国さんを抱えて、七津さんはユラユラと揺れながら教室を出て行った。
一人ポツンと残された教室。想定外の交流を乗り越えて、大きくため息をついた。
二日目で頼られることになるとは思ってなかったよぉ。でも、二人友達ができてよかった~。志穂ちゃんはいつも簡単そうに話してたけど、やっぱり大変だなぁ。
先程のやり取りを思い出しながら、ゆっくりと昇降口に向かう。
人気のない、一年教室前の廊下。コツコツと、私の歩く音だけが静かに響いている。
そういえば、夢国さんの自己紹介って、口調で個性的だって思ってたけど結構普通? 要約すると、「紅茶が好き。本が好き。勉強頑張ります」だよね。……頑張り屋の良い子、か。実は七津さんがブレーキ役なのかな?
二人の関係性を考えながら、靴を履き替える。
「なんだ。本当にまだいたのか」
靴を履き替え終わり、上履きを仕舞うタイミング。出入り口の方から、私の心臓を跳ねさせる、低い女性の声がした。その声は少し驚いているようだ。
「や、八戸波先生!? なんで……」
「俺の台詞だろ、それ。別に良いけどよ。……外で学年主任の長話に付き合わされてな」
先生は首を掻きながら、口にしなくても「面倒くさかった」と態度に出している。そのまま首に当てた手をダランと下ろして、大きなため息をついた。
「で、お前はどうした? 七津から聞いてたがな。話してる七津の状況もおかしかったが」
「えっと、その。七津さんたちと話してて、その後、か、考え事しちゃって」
何か悪いことをしていたわけでもないのに、吃ってしまった。
「そうか。なんかあれば遠慮なく相談しろよ?」
「は、はい」
説明を終えて、教室で考えていたことを思い出し、先生から目を背けてしまった。
初日で先生は私のことを認識していた。だからきっと、あの日に会ったのは先生で間違いない。なのにモヤモヤが晴れない。
好きになった理由は衝動的だったかもしれない。それでも、誰かと間違えるほど、軽薄な恋だとは思いたくなかった。
あまりに身勝手な不安だ。
「あー……、古町。少しお願いがあるんだが」
先生の声に、そらしていた目線を戻した。
「なん、ですか?」
「学校の外で男装した俺を見ても、兄貴ってことで誤魔化してくれないか?」
先生からのお願いは、抱えている悩みの原因そのものだった。
「その、お兄さんって本当にいるんですか?」
「え?」
口から出たのは了承でも拒否でもなく、質問。先生は困惑した表情を見せた。先生からしたら意味も意図もわからないのだから当然だ。
私は先生から目を逸さなかった。先程目をそらしたのとは打って変わって、睨むように。どうしても確かめたい。ただその一心で。
私の視線に気がついた先生は、困ったように笑った。
「いや、いねぇよ」
そう言って、ポンと私の頭を撫でた。
体から空気が抜けるように、スーッと力が抜けて行った。自分でも気づかないうちに、かなり強張っていたみたいだ。
「二人だけの秘密な」
先生は言葉を続け、僅かに口角を上げた。少し悪い大人。そんな表情に、私はまた心を奪われた。
こんなことでトキメクなんて、我ながら安いなぁ。
「早く帰れよ」
そのまま先生は教務員室に戻って行った。また一人で残されてしまった昇降口で、先生の言葉を心の中で繰り返す。
「二人だけの秘密」、か。この言葉だけですごい幸せ。近づけたわけじゃないし、進展があったわけでもないけど。私しか知らない先生の秘密があるって思うと、嬉しくてしょうがない。
表情が緩んでいるであろう顔をパチンと叩き、やや駆け足で校門に向かう。
ヒラヒラと舞い散る花びらに見送られて、一人駆ける。今日は志穂ちゃんの姿は見えなかった。
流石に来てないよね。もし来てくれてたら申し訳ないなぁ。待ちくたびれて帰っちゃたんだろうし。
でも、今日は一人で帰りたい気分だ。桜色に染まった頬を見られてしまうのは、恥ずかしいから。
特に事件に見舞われることもなく、通学路をゆっくりと。少し軽い足取りで辿っていく。電車に恐怖が無いわけではないけれど、先生のことを思い浮かべると自然と安心した。
今日も先生に会えるんだ。当たり前のことだけどすごく嬉しい。ニヤけちゃいそう。
胸の高鳴りを抑えられず、電車を降りてやや駆け足で学校に向かった。
始まりの季節を語るように、今日も満開の桜が咲き誇り、ヒラヒラと散っていく。その下で、黒いシャツの先生が大きな欠伸をしながら立っていた。
「おはようございます、先生」
「おう、おはよう。元気でなによりだな、古町」
「あはは。……先生は眠そうですね?」
「あぁ。正直寝てたいな」
先生は髪をクシャクシャとしながら答えた。
怠そうな空気を纏っているが、手を抜いている感じはなく、ただただしっかりと自分の仕事に従事している。
不真面目そうで真面目な先生に私の中の好感度はますます上がっていく。
ちょっとしたことでも見惚れちゃいそう。
「おら、さっさと教室行け」
「はーい」
軽いお叱りを流して、四階の教室に向かう。少し迷ってしまいそうになるのは、この時期だけの思い出だ。
数分前の出来事を脳内で繰り返しながら、自分の席に座ったところで、直視しないと行けない現実を思い出した。
そういえば、この学校知り合いいないんだ、私。
顔見知りしまくりの私にとって、非常にハードルが高い学生生活序盤。中学までは志穂ちゃんがいたけれど、今回は味方なし。
どどど、どうしよう。スタートダッシュ失敗すると下手したら一年は引きずることになっちゃう。けど、どう話しかけたらいいのか……。
浮かれていた気持ちも消え去り、第一関門とも言える自己紹介のことで頭をグルグルと悩ませる。
気付けばチャイムが鳴る五分前。まだ二日目だからか、全員が既に席についていた。
ガララッ
「……真面目で結構」
入室してきた先生は、満足そうに小さく微笑んだ。そのまま歩みを進め、出席名簿を教卓に置いた。
「おはよう。さて、今日は予告通り一人一人自己紹介をしてもらう」
先生はチョークを手に持ち、黒板にカツカツと音を響かせながら書き込む。
『名前』『趣味』『目標』『好きな食べ物』『自由』の五つが書かれた。最後のは書く必要を感じない。
目標も結構ハードル高い気がするなぁ。
「ま、こんなとこだろ。一限始まるまで少しあるし、ちゃんと考えとけよ」
先生の言葉通り、黒板とにらめっこしながら内容を考える。しかし、どれだけ考えても不安が消えることはなく時間になってしまった。
「順番は出席番号でいいだろ。一番、出番だぞ」
指名され、窓側先頭の人が起立し、自己紹介をはじめた。明るく、誰とでも仲良くなれそう。
私の出席番号は十八番。四十人のクラスでだいたい真ん中。自己紹介のテンプレもできるいい場所だ。
よし。緊張も少しほぐれてきたし、なんとかなりそう。
「次、十八番」
「は、はい!」
呼ばれた瞬間にほんの少し和らいでいた緊張がリセットされ、心臓がうるさく響き出した。これを恋のドキドキと誤認できるほど気楽にはなれなかった。
「ふ、古町 琉歌です。ど、動物が好きで、特に、猫が好きです。しゅ、趣味は料理で、休みの日にはお菓子を作ったりしています。よ、よろしくお願いします!」
体が固まってしまう前に、肺に僅かに残った空気で締めの挨拶をした。まばらな拍手が鳴り、一礼をして席について。
山場を乗り越えてなお、緊張は最高潮の状態を維持している。全身が心臓になったように鼓動が響く。
自己反省をしている間も、自己紹介は続いている。乗り切った安堵からか、時間の進みが早くなった。
「次、三十七番」
「はい。……夢国 亜里沙ですわ」
元から静かだった教室が、静まり返った。
ぱっつんカットの前髪に、腰あたりまで伸びたストレートの黒髪。いわゆる姫カット。力強い大きな瞳。威風堂々の佇まい。印象に残らないわけがない「ですわ調」。
絵に描いたようなお嬢様。クラスの誰よりも自己紹介で注目されている。
「好きなものはローズヒップの紅茶。趣味は読書。目標は、全テスト学年一位ですわ! 以上です。よろしくお願いします」
少し間をあけ、まばらな拍手が鳴った。それを確認すると夢国さんは席についた。
「じゃあ、次。三十八番」
先生は全く動揺してないけど。これが大人の余裕、なのかな?
そんな先生とは違い、動揺を隠せない残りの三人はやりにくそうにしていた。
ちょっとだけ、自分の出席番号に感謝した。
「取り敢えず、全員終わったな。このクラスで最低でも一年つづく。ま、仲良くやれよ」
「いいえ、まだ一人。先生の自己紹介がまだですわ」
先生の締めの挨拶に、真っ直ぐ手を挙げた夢国さんが待ったをかけた。
「まだって。俺のは昨日やっただろう。いるか? 改めて」
「必要ですわ! まずお名前しか聞いていません。最低でも一年はお世話になるんですもの。人となりを知る権利はあると思いますわ」
傍若無人。唯我独尊。と言うほどではないけれど、お嬢様は周囲の空気を気にすることなく自分の意見をはっきりと口にした。
「まぁ、間違ってはいないか。……一応聞くが、俺の自己紹介聞きたいやつ、いるか?」
挙手をするように言われるよりも前に、クラスの大半が手を挙げた。私も小さく、心の中では誰よりも早く、大きく手を挙げていた。結果的にお嬢様の意見は民意だった。
志穂ちゃんが隣にいたら、腕引っ張られたんだろうなぁ。
「何がお前らを駆り立てるのか知らないが、いいだろう。軽くな」
そう言って、先生は黒板に名前を書き、話し出した。
「昨日も言ったが、八戸波 習だ。現代文を担当している。海か山かといえば海派。好きなものはブラックコーヒー。あと」
先生は言葉を止め、「習」の文字の右に「ならう」、左に「しゅう」と書き足した。
「俺には兄貴がいる。双子でもねぇくせに生き写しレベルのな。校外で俺を見かけても、兄貴の可能性があるから気をつけろ。以上」
生き写しレベルの双子。クラスの女子が「会ってみたーい」とか「マジイケメン確定じゃん」とか話していた。私が驚きもしないのは、先生の男装を見ているからだろう。
見られたときの予防線。……そう、きっとそう。仮にいたとしても、私があの日会ったのは先生、だよね。……うん。
可能性は低くても、人違いの恋だと思うと心がざわついた。なんとも薄情な話だと。
その後、教材に名前を書いたりなどしていたが、雲で覆われたように、ずっと心がモヤモヤしていた。
授業は明日から。今日までは午前中で終わり。バラバラと皆んなが帰っていく中、私は席で呆然と座っていた。
私を助けてくれたのが先生のお兄さんだって問題はないのに、嫌だな。私の気持ちが嘘みたいになっちゃう。……先生も私のこと覚えててくれてたから、杞憂だと思うけど。
胸のモヤモヤを抱えたまま、帰ろうと俯いた視線を上げて立ち上がる。
「⁉︎」
立ち上がってすぐに着席。と言うより尻餅。考え込んでいたせいで目の前に人が立っていることに気が付かなかった。
「あっはは~、ごめんね? 難しい顔してたから話しかけづらくて」
「い、いえ。私の方こそごめんなさい。考え事しちゃって」
少しカールのブロンドヘアー。三つ編みを肩にかけた女子だった。制服が少し大きいのか袖が余っている。先生よりは小さいけど、百六十五はありそうだ。
「えっと、七津さん、だよね?」
「覚えてくれてた~。嬉しい~」
笑顔でユラユラと体を左右に揺らす七津さん。自然と警戒心が解かれていくような、誰とでも親しくなれそうな印象を受けた。
少し微笑ましく思っていると、七津さんの後ろで、綺麗な黒髪がチラリと揺れていた。先ほどまで隠れられていたのが、七津さんが不意に動いて対応できなかったようだ。
「そーー」
「あ、でね。用事があるの私じゃなくて、この子」
話を切り出そうとしたタイミングで、七津さんは後ろに隠れていた人を引っ張り出して、自分は後ろに回った。身長的に隠れてはいなかった。
引っ張り出されて来たのは、先生に自己紹介をさせた張本人。顔から煙が出そうくらい顔が赤く、七津さんの制服の袖を掴んで小さく震えている。
夢国さん。さっきと印象が全然違う。借りてきた猫ちゃんみたいな。失礼だけど、親近感湧いてきちゃった。
「あーちゃん、さっきのこと恥ずかしくなってきたんだよね」
「ううう、うるさいですわよ楓さん! それと、学校であーちゃんと呼ぶのはやめなさい!」
仲良いなぁ。私と志穂ちゃんみたいに付き合いが長いのかな。
「可愛いからいいじゃん」
「んんんー!」
夢国さんはさらに顔を真っ赤にし、振り返って七津さんをポカポカと叩いている。叩かれている七津さんは嬉しそうに笑っている。
微笑ましいけど、私に何か話があったんじゃ……。
「えっと、夢国さん? それで……」
「あ。……おほん」
夢国さんは小さく咳払いすると、乱れていない髪を整えた。平静を装っているが、精神状態はまだフラフラしているようだ。
「古町さん、お料理が趣味と仰っていましたわね。お菓子もつくるとか」
真剣な眼差しで夢国さんが詰め寄ってくる。
「う、うん。お菓子は、たまにだけど」
すごい顔が近い。ちょっと恥ずかしい。
「……」
心拍が速くなってきたところで夢国さんが少し離れた。
意図はわからないけれど、難しい顔をして固まっている。銅像の如く、ピクリとも動かない。
何か失礼なこと言っちゃったかな。内容じゃなくて話し方が不快だったとか?
「よ、よろしければ、教えていただけますか? その、お菓子の作り方を」
「え?」
身構えていたせいで、、間の抜けた声が出てしまった。
「ダメ、でしょうか?」
「ううん! そんなことないよ。私でよければ」
予想していなかった交流イベント。二日目にして話せる友人ができたのは、私にとって快挙だ。
「よかったね~、あーちゃん」
無邪気な笑顔の七津さんが、覆い被さるように夢国さんを抱きしめた。
「き、緊張しましたわ」
そんな七津さんに体を預けるように、夢国さんの力が抜けた。緊張の糸が解けて反論する余裕もないようだ。
「あはは~、ダウンしちゃった。…‥ちょっと臆病だけど頑張り屋で良い子だから、これからよろしくね」
七津さんは愛おしそうに夢国さんを抱きしめながら、安心したように優しく笑った。
「また明日ね~、古町さ~ん」
別れの挨拶は、最初の無邪気な笑顔に戻っていた。
「う、うん。また明日」
お人形さんのように動かなくなった夢国さんを抱えて、七津さんはユラユラと揺れながら教室を出て行った。
一人ポツンと残された教室。想定外の交流を乗り越えて、大きくため息をついた。
二日目で頼られることになるとは思ってなかったよぉ。でも、二人友達ができてよかった~。志穂ちゃんはいつも簡単そうに話してたけど、やっぱり大変だなぁ。
先程のやり取りを思い出しながら、ゆっくりと昇降口に向かう。
人気のない、一年教室前の廊下。コツコツと、私の歩く音だけが静かに響いている。
そういえば、夢国さんの自己紹介って、口調で個性的だって思ってたけど結構普通? 要約すると、「紅茶が好き。本が好き。勉強頑張ります」だよね。……頑張り屋の良い子、か。実は七津さんがブレーキ役なのかな?
二人の関係性を考えながら、靴を履き替える。
「なんだ。本当にまだいたのか」
靴を履き替え終わり、上履きを仕舞うタイミング。出入り口の方から、私の心臓を跳ねさせる、低い女性の声がした。その声は少し驚いているようだ。
「や、八戸波先生!? なんで……」
「俺の台詞だろ、それ。別に良いけどよ。……外で学年主任の長話に付き合わされてな」
先生は首を掻きながら、口にしなくても「面倒くさかった」と態度に出している。そのまま首に当てた手をダランと下ろして、大きなため息をついた。
「で、お前はどうした? 七津から聞いてたがな。話してる七津の状況もおかしかったが」
「えっと、その。七津さんたちと話してて、その後、か、考え事しちゃって」
何か悪いことをしていたわけでもないのに、吃ってしまった。
「そうか。なんかあれば遠慮なく相談しろよ?」
「は、はい」
説明を終えて、教室で考えていたことを思い出し、先生から目を背けてしまった。
初日で先生は私のことを認識していた。だからきっと、あの日に会ったのは先生で間違いない。なのにモヤモヤが晴れない。
好きになった理由は衝動的だったかもしれない。それでも、誰かと間違えるほど、軽薄な恋だとは思いたくなかった。
あまりに身勝手な不安だ。
「あー……、古町。少しお願いがあるんだが」
先生の声に、そらしていた目線を戻した。
「なん、ですか?」
「学校の外で男装した俺を見ても、兄貴ってことで誤魔化してくれないか?」
先生からのお願いは、抱えている悩みの原因そのものだった。
「その、お兄さんって本当にいるんですか?」
「え?」
口から出たのは了承でも拒否でもなく、質問。先生は困惑した表情を見せた。先生からしたら意味も意図もわからないのだから当然だ。
私は先生から目を逸さなかった。先程目をそらしたのとは打って変わって、睨むように。どうしても確かめたい。ただその一心で。
私の視線に気がついた先生は、困ったように笑った。
「いや、いねぇよ」
そう言って、ポンと私の頭を撫でた。
体から空気が抜けるように、スーッと力が抜けて行った。自分でも気づかないうちに、かなり強張っていたみたいだ。
「二人だけの秘密な」
先生は言葉を続け、僅かに口角を上げた。少し悪い大人。そんな表情に、私はまた心を奪われた。
こんなことでトキメクなんて、我ながら安いなぁ。
「早く帰れよ」
そのまま先生は教務員室に戻って行った。また一人で残されてしまった昇降口で、先生の言葉を心の中で繰り返す。
「二人だけの秘密」、か。この言葉だけですごい幸せ。近づけたわけじゃないし、進展があったわけでもないけど。私しか知らない先生の秘密があるって思うと、嬉しくてしょうがない。
表情が緩んでいるであろう顔をパチンと叩き、やや駆け足で校門に向かう。
ヒラヒラと舞い散る花びらに見送られて、一人駆ける。今日は志穂ちゃんの姿は見えなかった。
流石に来てないよね。もし来てくれてたら申し訳ないなぁ。待ちくたびれて帰っちゃたんだろうし。
でも、今日は一人で帰りたい気分だ。桜色に染まった頬を見られてしまうのは、恥ずかしいから。
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