私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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四十話『変わり目の季節』

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 生徒会引き継ぎは滞りなく進み、雪な先輩は普通の高校三年生になった。生徒会室に行っても会えなくなり、先輩たちと話す機会は減ってしまった。命先輩いわく、雪菜先輩を取り巻く環境はわずかに変化してきているらしい。
 二年半のイメージは、簡単には変わらないよね。同級生との時間を過ごしてもらうために、しばらく会いに行かないほうがいいかも。そもそも会えないけれど。
「古町さ~ん、ご飯食べよ~」
「うん、今行くね」
 忙しそうな雪菜先輩に対して、私たちの環境に大きな変化はない。強いて言うなら、七津さんが日に日に寒さに強くなっているなと思うくらいだ。防寒グッズこそ身につけているが、ブルブル震えることはなくなっている。
 夢国さんは慣れているみたいだけれど、私からすると結構不思議な光景なんだよね。人が変わったみたいで。
 二人のもとに行くと、七津さんは夢国さんを抱きしめて待っていた。寒さで震えることはなくなっても、寒いと言って抱きつく頻度が多くなっている。夢国さんも暖かいのか、抵抗する様子はなかった。
「あ、そうそう。古町さんに教えてもらったスープ。ママも気に入ってたよ~」
「本当に? それならよかった。カトリさん、体調は大丈夫?」
「うん。スープのおかげかな~? 今年はまだ風邪引いてないんだ~」
 その言い方だと、この季節は絶対に風邪を引くみたいに聞こえるのだけれど。
「どうぞ、楓さん」
 生姜スープを飲んでから、夢国さんのお弁当にスープが追加された。自分で飲むためもあると思うが、一番の目的は七津さんに飲んでほしいというものだ。
「わ~い、ありがと~」
 作ってきてくれたことに毎回喜ぶ七津さん。それに少し照れてしまう夢国さん。寒い季節の定番風景みたいになってっきている。使うコップになるものが一つしかない点も、七津さんは嬉しいのだろう。
 普段は控えめの夢国さんが意図的に一つにしてるんだよね。指摘したら、次の日から絶対二つになってるから言わないけれど。
 二人を見ていると、少し羨ましいと思ってしまう。私も八戸波先生にスープを飲んでほしい。以前、クッキーこそ渡すことはできたけれど、それ以外は渡せていない。
 文化祭で買ってくれたのは、私が作ったのかわからないからノーカウントだし。……。
 今後どうするか振り返っていると、八戸波先生に「好き」と言ってしまったことを思い出してしまった。それと寂しい目。先生のことを知りたいと思いながら、怖くて踏み込めずにいる。先生に「好き」が聞こえていたかどうかすらわかっていない。
 聞いて話してくれても、話してくれなくてもいい。ただ、それがキッカケで先生がよそよそしくなるのが怖い。
「もう少しゆっくり飲んだらどうですの? ……古町さん? 浮かない顔してますわよ」
「え? ああ、ごめんね。ちょっと考え事しちゃって」
 二人に相談したいけれど、あの目のことは。話したくない。話しちゃ、いけない気がする。あくまで個人的に、どこかで機会を狙って話してみよう。って、こんなだから聞けないんだよね。
「考え事か~。先輩に話してみない~?」
「み、命先輩!?」
 何か話題を逸らそうと考えていると、命先輩が私の肩に手を載せて覗き込んできた。かなりびっくりしてしまったが、私にとってタイミングはとてもよかった。
 それでも結構びっくりしたから、心臓バクバクしているけれど。
「どうしたんですの? わざわざ一年生のフロアに」
「ゆきなんが友達作れるように、教室に置いてきた~。で、行く当てないから、琉歌ちゃんたちのとこきたんだ~」
「それは、結構な荒治療ですね」
 経緯を説明した命先輩は載せていた手を輪っかにして私を抱き寄せ、ユラユラと揺れた。普段通りと言えば普段通りなのだが、雪菜先輩と触れられなくて寂しいのだろうか。
「それで、お悩みは~?」
 しまった。命先輩のおかげで話題を変えられると思ったけれど、私のボヤキをしっかり聞かれちゃっているから、そらす内容は自分で考えないと。先輩たちには、先生のことを夢国さんたち以上に話しづらいから別の話題。
「その、雪菜先輩のことを。会えてないので、少し心配で」
「う~ん、優しくてキュートだね~、琉歌ちゃん」
 命先輩の動きがユラユラからフリフリに変わった。嬉しそうな声音で、キュートと言われたのは久しぶりな気がする。動きが止まった命先輩を見ると、少し不安そうではあったが、そこまで心配しているようには見えなかった。
「でも、ゆきなんなら大丈夫だよ。あ、亜里沙ちゃんも楓ちゃんもキュートだよ~」
 私の嘘の質問(気にしているのは本当)の考え事に答えた命先輩は、思い出したように夢国さんたちもキュートだと褒めた。七津さんは普通に嬉しそうだが、夢国さんは疑いの目をしながら照れていた。
「あ、ゆきなんからメッセきた。戻ってあげるか~。三人ともまたね~」
 スマホを確認した命先輩は、最後にギュッと強く抱きしめたから離れて、自分の教室に戻って行った。なんだかんだ言って、雪菜先輩のことを一番心配しているのは間違いなく命先輩だと思う。
 それから他愛のない話をしながら昼休みを過ごし、五限目が始まった。今日の時間割は現代文が最後に来ている。モチベーションが最後までもつのと同時に、ずっと焦らされているような感覚になる。時計の進みは早いようで、遅い。
 五限目が終わり、私は誰よりも早く次の授業の準備をして待つことにした。踏み込むことが怖くても、八戸波先生と過ごす時間が私にとって嬉しいことには変わりない。
「全員席につけー。授業……始まるぞ」
 一分前くらいになると八戸波先生が教室に入ってきた。しかし、少しふらついて調子が優れないように見える。先生は目頭を押さえて頭を振ると、息を整えていた。
 どうしたんだろう。朝、校門で挨拶した時は普段通りの先生だったのに。
 授業が始まると、八戸波先生は先ほどの様子が嘘のように普通に授業を進めた。しかし、どうしても気になって授業にあまり集中できない。黒板ではなく先生に注目してしまっていると、一瞬だけ顔を歪めたのがわかった。
 先生、風邪をひいてるんじゃ。
 授業が終わり、八戸波先生は一度教務員室に戻った。掃除も終わって帰りのホームルームも終わると、八戸波先生は教卓の椅子に座って息をついていた。最近は冷え込んでいるからか、教室に生徒が残ることが少ない。人がほとんどいなくなったのを確認して、私は先生に近づいた。
「大丈夫ですか? 先生。あまり顔色が良くないですけれど」
「あ? ああ、古町か。悪いな。少しぼやぼやしてたみたいだ」
 先ほどの授業は相当気を張ってくれていたのか、授業開始前よりも明らかにぐったりとしている。頭が重たいのか、肘をつき、額を手で押さえている。だと言うのに、先生は体調が悪いとは口にしない。
「今日は冷えるな。いや、今日もか」
 無理はしないでほしいんだけれど。
「先生、よかったら。温まりますよ」
 私は後ろでに隠していた水筒を教卓の上に置いて、中のスープを蓋に注いだ。熱々でこそないが、保温性はとても高いので、体を温めるだけの熱はまだ残っている。八戸波先生はスープを見つめているが、手を伸ばしてくれない。
「飲んだら体調不良を認める。とか思ってませんよね?」
「…………」
 図星だったのか、八戸波先生がスープを見ていた視線を逸らした。この先生は恥ずかしがりというか、強がりというか。見栄を張りたがるようなところがある。そういう意味では、確かに雪菜先輩とそっくりなのかもしれない。
「……飲んだって治る薬じゃないので、気にせず飲んでください」
「悪いな」
 そう言うと、八戸波先生はスープをゆっくりと飲んでくれた。体の奥が少し温まったのか、安心したように息を吐いた。
「美味しいな、これ」
「生姜と鶏がらスープの素だけで作れますよ。それには、ネギが入っていますけれど」
 八戸波先生はそのごもしきりに「美味しい」と漏らしながらスープを飲んでくれた。文化祭のお菓子は社交辞令的なものかもしれないと不安になっていたが、今回は本心からそう言ってくれている気がして私もほっとしていた。同時に、やはり少し恥ずかしい。
 スープを飲み終わったのを確認してから、私は水筒をしまって帰り支度を済ませた。
 好きって言葉が聞こえても聞こえてなくても、先生は私を意識してくれていない。だから、少しくらい。
「先生が病気したり怪我したりすると、みんな困るんですから。帰ったら薬飲んでくださいね。……会えないと私も寂しいですから」
 なんて言っても、この前みたいに可愛くないって言われて終わっちゃうかな。
「ああ。迷惑かけると、また文句言われるからな」
「さ、さようなら」
 予想外の言葉に驚いた私は、挨拶をして足早に教室を出て行った。素直に忠告を受け取ってくれたこともそうだが、どうしても言い回しが気になってしまう。
 またって。私、先生にそんな文句を言ったこと……。水族館で言ったけれど今回のとは状況が違うし。
「古町さ~ん」
 八戸波先生の言葉の真意を考えながら階段を降りようとすると、階段前で私を待ってくれていた夢国さんと七津さんに捕まった。
「大胆できたんじゃな~い」
「なかなかのパンチだと思いますわ」
「ありがとう?」
 考えても仕方ないし。今は、先生の体調が少しでも良くなるように祈っていよう。
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