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白狼は、うっそうと生い茂る深緑の中を歩いていました。
頭上に広がる黒雲の隙間は、雨が降るごとに広がっているようでした。それとともに、緑の面積も広がっていました。
茂みの中をただまっすぐに歩きます。腰に刀がないせいか、身体が軽く感じます。獣が時折近づいてきますが、構わず歩きます。
緑を抜けると、黒雲とかぴかぴの大地が広がっていました。白狼が起きたときのままです。
あれからずいぶんと時間が経ったなあと、白狼は感慨深く思います。
かぴかぴに乾いた大地に、白狼は足を踏み入れます。そのまま、まっすぐ突き進もうとしました。
「白狼!」
名前を呼ばれて振り向きました。
視線の先には、銀河が立っています。草木を背景に、息を切らしていました。手には、白狼の刀を携えています。
「刀、忘れてるよ」
そう言って刀を差し出す銀河に、白狼は鋭い目つきを返します。
一陣の風が駆け抜けました。大地を舐め、乾いた土を舞い上がらせます。
白狼は、ふと笑いました。
「いいのか? それを俺に返したら、俺はお前を殺すぞ」
「食べる気なんてないんでしょ」
銀河は白狼を正面から見据えます。白狼は笑みを消しました。頭上には、黒雲が広がっています。
「わざと神世ちゃんを、あそこまで怒らせたんじゃないの。君がいなくなっても、僕たちが悲しまないように。むしろ、いなくなって清々したと思わせるために」
「そんなわけねえだろ。俺は本当に腹が空いている。このままじゃあ、餓死しちまう」
「そうしようとしてるんじゃないの」
乾いた大地に、銀河の声が響きます。風はなく、あたりはしんとしています。
白狼は俯きました。くつくつと自嘲するように小さく笑い、それから顔を上げました。
「俺は昔、鬼の血を啜って鬼になった。とても大事な人だった。俺はそいつと約束した。そいつが何度でも生まれ変わって、俺の名前を呼んでくれるなら、俺はいくらでも生き続けてやるって」
大地にわずかに生えている草が、吹いてきた風に揺られました。
「誰もいない地球を見て、さすがに絶望したね。誰もいないこの世界で、俺はまだ生きられるのかって。でも、お前に出会えた。神世にも出会えて、新しい命が誕生して、とても嬉しかった。まだ俺は生きていたいと思えた。お前たちを守っていきたいと思った。なのに俺は、その幸福を自分で壊そうとした」
濃い陰が、白狼の目を覆います。銀河が、ぐっと唇を噛みました。
「だから、死ぬしかないって、そう言うの?」
白狼は弱々しく、しかしはっきりと頷きました。
「何か方法はないの?」
縋るように銀河は尋ねました。すっと、白狼の目が細められます。黒雲が少し動きました。
「ある。けど、怖い」
白狼はぼそりと、呟くように言いました。
再び風が吹きました。白い髪が、白狼の顔にまとわりつきます。
銀河が、拳をぎゅっと握りしめました。
「それでも、僕は君に生きていて欲しい。君が生きていたから、僕はここで生きていける。僕はこれからも、この大地で生き続ける。だから」
銀河の目には、涙が溜まっていました。風が、そんな彼の頬を撫でます。
白狼は口を閉ざしたまま、言葉の続きを待ちました。
銀河は白狼に近づくと、刀を押しつけました。そこで、せき止めていた涙が溢れ出したようです。ボロボロと流す涙を白狼に見られまいとしているのか、銀河は俯いて、踵を返しました。
「生きてよ、白狼」
そう言うと、銀河は緑の中へと戻っていきました。
あとにはただ、黒雲と乾いた大地と、刀を手にした白狼だけが残りました。
白狼は空を仰ぎました。目を覚ましたときから相も変わらず、黒雲がもうもうと空を覆っています。飽きないもんだな、とため息を吐きました。
「あいつ、初めてワガママ言いやがった」
白狼は独り呟きました。目の縁が、じんわりと熱くなります。痛いほどです。
戻ってきた刀を、ぐっと握りしめます。
白狼は広がる緑に背を向けると、そこから逃げるようにして走り出しました。
▽
白狼はたくさんの距離を走りました。
がむしゃらに走っていたせいで、足元にある大きな石に気づかなかった彼は、勢いよく地面に転がります。
あちこち痛む体と飢餓感のせいで、白狼はこれ以上動けないと思いました。
傍に、小さな花が咲いていました。かぴかぴに乾いた大地で、必死に紫色の花弁を開いています。
白狼は目を見開きました。それは白狼がよく知っている花でした。
「スミレ」
その花は、彼の大事な人を思い起こさせました。
「何もかもが変質しちまってるってのに、お前は変わらないのか」
スミレの花がじっとこちらを見ているように、白狼は感じました。咎められているように感じて、白狼は肩を落とします。
空を仰げば、相変わらず黒い雲で覆われていました。大地はかぴかぴに干からびています。少し首をもたげても、もう緑の大地は見えません。
白狼は緑の大地に思いを馳せました。
銀河と神世は、あの土地で生き続けるでしょう。そして白狼に言ったように、たくさん子どもを産んで、その子どもがまた子どもを産んで、いつか地上は元のようになるでしょう。
「その子どもたちの中に、お前がいるかもしれないな、サラ。だったら俺は、生き続けなきゃいけねぇな。銀河のとっておきのワガママも、聞いてやらにゃならねぇしな」
刀をそっと、自分の隣に置きました。そして、自分の手を眺めます。先ほど転んだ時にできた傷が、じわじわと治癒していくのが視認できます。
「白鬼の肉を食えば不老不死となり」
白狼は口を止めました。発した言葉は空に散ります。
白狼は迷っていました。それは本当は、目を覚ました時からずっとずっと迷っていたことでした。
時間はあまりありません。決断しなければならないのは分かっていました。
そして覚悟を決めました。
白狼は手を口に持って行きました。そして、肉に歯を突き立てました。鋭い牙が、肉を抉ります。
ひとかけ肉を口に含んで、それを飲み込みました。
とたんに、白狼の五臓六腑が張り裂けそうに暴れ出しました。白狼はぐっと吐き気を堪えます。
体中から脂汗がだらだらと流れ出しました。乾いた大地で、白狼は長い時間、のたうち回っていました。
徐々に、身体が落ち着いていくのがわかりました。それでもしばらく、大地に身を横たえていました。荒く息を吐き出します。
やがて少年は身を起こしました。
空腹感はとうに消えていました。身体には傷ひとつありません。
生まれ変わったような清々しさと同時に、未知の暗闇を感じ、少年はふるりと身を震わせました。
少年は空を見上げました。黒い雲がもくもくと漂っています。
「とりあえず、寝るか」
少年は呟きました。頷くようにスミレが揺れて、刀が白くきらりと光ります。
それらを見て、少年は静かに目を閉じました。
頭上に広がる黒雲の隙間は、雨が降るごとに広がっているようでした。それとともに、緑の面積も広がっていました。
茂みの中をただまっすぐに歩きます。腰に刀がないせいか、身体が軽く感じます。獣が時折近づいてきますが、構わず歩きます。
緑を抜けると、黒雲とかぴかぴの大地が広がっていました。白狼が起きたときのままです。
あれからずいぶんと時間が経ったなあと、白狼は感慨深く思います。
かぴかぴに乾いた大地に、白狼は足を踏み入れます。そのまま、まっすぐ突き進もうとしました。
「白狼!」
名前を呼ばれて振り向きました。
視線の先には、銀河が立っています。草木を背景に、息を切らしていました。手には、白狼の刀を携えています。
「刀、忘れてるよ」
そう言って刀を差し出す銀河に、白狼は鋭い目つきを返します。
一陣の風が駆け抜けました。大地を舐め、乾いた土を舞い上がらせます。
白狼は、ふと笑いました。
「いいのか? それを俺に返したら、俺はお前を殺すぞ」
「食べる気なんてないんでしょ」
銀河は白狼を正面から見据えます。白狼は笑みを消しました。頭上には、黒雲が広がっています。
「わざと神世ちゃんを、あそこまで怒らせたんじゃないの。君がいなくなっても、僕たちが悲しまないように。むしろ、いなくなって清々したと思わせるために」
「そんなわけねえだろ。俺は本当に腹が空いている。このままじゃあ、餓死しちまう」
「そうしようとしてるんじゃないの」
乾いた大地に、銀河の声が響きます。風はなく、あたりはしんとしています。
白狼は俯きました。くつくつと自嘲するように小さく笑い、それから顔を上げました。
「俺は昔、鬼の血を啜って鬼になった。とても大事な人だった。俺はそいつと約束した。そいつが何度でも生まれ変わって、俺の名前を呼んでくれるなら、俺はいくらでも生き続けてやるって」
大地にわずかに生えている草が、吹いてきた風に揺られました。
「誰もいない地球を見て、さすがに絶望したね。誰もいないこの世界で、俺はまだ生きられるのかって。でも、お前に出会えた。神世にも出会えて、新しい命が誕生して、とても嬉しかった。まだ俺は生きていたいと思えた。お前たちを守っていきたいと思った。なのに俺は、その幸福を自分で壊そうとした」
濃い陰が、白狼の目を覆います。銀河が、ぐっと唇を噛みました。
「だから、死ぬしかないって、そう言うの?」
白狼は弱々しく、しかしはっきりと頷きました。
「何か方法はないの?」
縋るように銀河は尋ねました。すっと、白狼の目が細められます。黒雲が少し動きました。
「ある。けど、怖い」
白狼はぼそりと、呟くように言いました。
再び風が吹きました。白い髪が、白狼の顔にまとわりつきます。
銀河が、拳をぎゅっと握りしめました。
「それでも、僕は君に生きていて欲しい。君が生きていたから、僕はここで生きていける。僕はこれからも、この大地で生き続ける。だから」
銀河の目には、涙が溜まっていました。風が、そんな彼の頬を撫でます。
白狼は口を閉ざしたまま、言葉の続きを待ちました。
銀河は白狼に近づくと、刀を押しつけました。そこで、せき止めていた涙が溢れ出したようです。ボロボロと流す涙を白狼に見られまいとしているのか、銀河は俯いて、踵を返しました。
「生きてよ、白狼」
そう言うと、銀河は緑の中へと戻っていきました。
あとにはただ、黒雲と乾いた大地と、刀を手にした白狼だけが残りました。
白狼は空を仰ぎました。目を覚ましたときから相も変わらず、黒雲がもうもうと空を覆っています。飽きないもんだな、とため息を吐きました。
「あいつ、初めてワガママ言いやがった」
白狼は独り呟きました。目の縁が、じんわりと熱くなります。痛いほどです。
戻ってきた刀を、ぐっと握りしめます。
白狼は広がる緑に背を向けると、そこから逃げるようにして走り出しました。
▽
白狼はたくさんの距離を走りました。
がむしゃらに走っていたせいで、足元にある大きな石に気づかなかった彼は、勢いよく地面に転がります。
あちこち痛む体と飢餓感のせいで、白狼はこれ以上動けないと思いました。
傍に、小さな花が咲いていました。かぴかぴに乾いた大地で、必死に紫色の花弁を開いています。
白狼は目を見開きました。それは白狼がよく知っている花でした。
「スミレ」
その花は、彼の大事な人を思い起こさせました。
「何もかもが変質しちまってるってのに、お前は変わらないのか」
スミレの花がじっとこちらを見ているように、白狼は感じました。咎められているように感じて、白狼は肩を落とします。
空を仰げば、相変わらず黒い雲で覆われていました。大地はかぴかぴに干からびています。少し首をもたげても、もう緑の大地は見えません。
白狼は緑の大地に思いを馳せました。
銀河と神世は、あの土地で生き続けるでしょう。そして白狼に言ったように、たくさん子どもを産んで、その子どもがまた子どもを産んで、いつか地上は元のようになるでしょう。
「その子どもたちの中に、お前がいるかもしれないな、サラ。だったら俺は、生き続けなきゃいけねぇな。銀河のとっておきのワガママも、聞いてやらにゃならねぇしな」
刀をそっと、自分の隣に置きました。そして、自分の手を眺めます。先ほど転んだ時にできた傷が、じわじわと治癒していくのが視認できます。
「白鬼の肉を食えば不老不死となり」
白狼は口を止めました。発した言葉は空に散ります。
白狼は迷っていました。それは本当は、目を覚ました時からずっとずっと迷っていたことでした。
時間はあまりありません。決断しなければならないのは分かっていました。
そして覚悟を決めました。
白狼は手を口に持って行きました。そして、肉に歯を突き立てました。鋭い牙が、肉を抉ります。
ひとかけ肉を口に含んで、それを飲み込みました。
とたんに、白狼の五臓六腑が張り裂けそうに暴れ出しました。白狼はぐっと吐き気を堪えます。
体中から脂汗がだらだらと流れ出しました。乾いた大地で、白狼は長い時間、のたうち回っていました。
徐々に、身体が落ち着いていくのがわかりました。それでもしばらく、大地に身を横たえていました。荒く息を吐き出します。
やがて少年は身を起こしました。
空腹感はとうに消えていました。身体には傷ひとつありません。
生まれ変わったような清々しさと同時に、未知の暗闇を感じ、少年はふるりと身を震わせました。
少年は空を見上げました。黒い雲がもくもくと漂っています。
「とりあえず、寝るか」
少年は呟きました。頷くようにスミレが揺れて、刀が白くきらりと光ります。
それらを見て、少年は静かに目を閉じました。
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